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アポロ11号の月面着陸とパレンケの扉

2012年08月29日 06:09

月の月7日 (G8/29) KIN93 赤い月の空歩く者(by D)

8/26(KIN90)の朝、アポロ11号の船長として人類史上初めて月に足跡を残したニール・アームストロングが、その前日(KIN89)に他界したというニュースを目にした。『13の月の暦』の365日暦で「月の月3日」、260日暦で「11・月」という日に旅立たれたという事実は、アームストロング船長が確かに「月」と縁の深い方だったこと、そして「13の月の暦」が宇宙的共時性を記す暦として優れていることを示唆している。

1930年8月5日生まれという船長の「銀河の署名」を調べてみると「青い宇宙の嵐(KIN39)」。何と、ニュースを見た日(8/26)のサイ時間単位だった。また、今年の船長の「運命の道筋」は「4・月(KIN69)」で、82才の誕生日からぴったり20日後の「11・月(KIN89)」にこの世を去っている。KIN89は、その520日前に『13の月の暦』提唱者の一人、ホゼ・アグエイアス(KIN11)が他界した日でもある。アポロ11号の船長がKIN11のホゼと同じ「11・月」に旅立ったのだから、このシンクロは強烈だ。

さらに「月の月3日」のサイ時間単位は、『13の月の暦』のもう一人の提唱者、ロイディーン・アグエイアス(今も元気で時々連絡を取っている)の誕生KINであるKIN22だった。つまりアームストロング船長は『13の月の暦』を生み出した、アグエイアス夫妻の誕生と死にまつわる日に、この世を去ったのである。これだけでも、人類で初めて「月」に降り立った人物と「13 MOON CALENDER」に深い繋がりがあることが見て取れるが、話はまだまだ続く。

8/25(KIN89)の夜、13年前にマヤ遺跡(テオティワカン、パレンケ、チチェン・イツァ、ウシュマル等)を巡った滝元さんから、「先日、実家の整理をしていたら、一緒にいったメキシコのビデオ映像がでてきました。強引にデータを落として、YOUTUBEにアップしました」というメールが入った。滝元さんは、ホゼの『マヤン・ファクター』(VOICE刊の完全版)の監訳もされた方だが、出会ったのは江本勝氏のところでだった。ちなみに、ニュースを目にしたKIN90は江本氏の誕生KINで、ひと月ほど前に69才(船長と13才差)になられたのだが、奇しくも船長の今年の道筋KIN69とシンクロしている。

また、パレンケはもともとラカンハ(大いなる水の場所)と呼ばれていたようで、有名な「碑銘の神殿」の中央には69段の階段がある。水の伝道師として知られる江本氏との繋がりも面白いが、滝元さんと私は「6・月」の年の「6・月」の日に、その神殿の中にあるパカル王の墓室に降り立っている。太陽の紋章の「赤い月」はコード番号9なので「6・9」年の「6・9」の日であったとも言える。既に、別な記事で触れているが、ホゼが強い影響を受けたパカル王の銀河の署名は、何と滝元さんと同じ「白い銀河の犬(KIN190)」である。

ところが、実際にパカル王の石棺に彫られている王の誕生日は「8アハウ」(古代マヤのツォルキンに通し番号は無いがKIN60に相当)。長期暦と連動する当時のツォルキンの数え方は、今もキチェ・マヤの人々に伝承されているが、『13の月の暦』のツォルキンとはカウントしている日付も意味も呼び名も異なる。しかし、日本で「古代マヤ暦」や「マヤ神聖暦」等と呼ばれているものの殆どは「13の月の暦」のツォルキンを中途にパクったもので、マヤ暦でもなければ「13の月の暦」でもないまがい物である(とはっきり書いておく)。

さて、パレンケアポロ11号との関係はこれだけではない。アームスロトング船長が、イーグルと名付けられた月着陸船で月面に降り立ち、人類最初の一歩を踏みしめたのは、1969年7月20日。「白い惑星の鏡(KIN218)」だった。一方、「碑銘の神殿」の地下に封印されていたパカル王の墓室の扉が1260年ぶりに開けられたのは、1952年6月15日で、この日もまた「白い惑星の鏡(KIN218)」だったのだ!

上記の日付を長期暦と連動する古代からのツォルキンで計算すると、月面着陸の日は「4アハウ」(KIN160に相当)で、パカルの墓室が開いた日は「13キブ」(KIN156に相当)となり、2つの日付に繋がりは見えなくなる。つまり、「13の月の暦」のツォルキンでないと、人類の月面への第一歩と、パカル王の墓室への第一歩の間の繋がりは見出せなくなるのだ。これが古代のマヤ暦と「13の月の暦」のツォルキンの違いである。

当然、古代のツォルキンだからこその発見もある。「4アハウ」は良く知られているように、長期暦の始まりである紀元前3114年8月11日、そして終わり(=次の始まり)である2012年12月21日の日付だ。つまり、アームストロングとオルドリンが踏みしめた人類の月面への一歩と、長期暦の始めと終わりの日付は、古代マヤのツォルキンだと全く同じ日付になるのだ。逆にこれは「13の月の暦」のツォルキンでは見えてこないものだ。私は古代のツォルキンは普段は意識していないので、この繋がりを今回初めて発見し、かなり興奮を覚えた。

アームストロング船長が月面に降りた時の「運命の道筋」は、KIN129「赤い水晶の月」で、「協力/捧げる/普遍化する」というキーワードを持つ流れの時だった。この「運命の道筋」は、365日暦の誕生日に入ってくる260日暦の日付で決まるもので、船長が生まれた時は「13・嵐」だった(これは生涯引き受ける役みたいなもので「銀河の署名」という)が、月面に降り立った時は「12・月」、他界した時は「4・月」の流れの時だった。

当然のことだが、古代のツォルキンは、グレゴリオ暦のことなど全く考慮していないので、G暦を基準に(運命の道筋のようなものを)調べてもあまり意味は無いのだが、仮に船長の誕生日である8/5を基準にしてみれば、生まれた時は「10チュエン(KIN231に相当)」、月面に降り立った時は「6チュエン(KIN71に相当)」、他界した時は「9イク(KIN22)」となる。「9イク」は、パレンケの碑文によく登場する重要な日付で、ある時代の支配者を示すものであったとも考えられている。という訳で、ここでも船長はパレンケと深い繋がりを見せているのである。

ところで、船長が他界したKIN89に、13年前のメキシコ旅行の映像をユーチューブにアップしたと知らせて下さった滝元さんは、8月21日が誕生日。私が8月12日、船長が8月5日生まれだから、全員、獅子座である。そして、今年の滝元さんの道筋はKIN85である。大変興味深いことに、この日(KIN85)、パン・ジャパン・ライブラリーに『The Call of Pacal Votan』というテキストの暫定的な試訳が、一部ではあるが掲載された。ずっと前から準備されていたものが、何故かこの日になったのだったが、今なら理由が分かる気がする。

上記の通り、「13の月の暦」のツォルキンでみればその見方なりに、古代のツォルキンで見てもその見方なりの繋がりを見つけることができる。だが、結局のところ、両方をきちんと識別した上で、同時に意識できる者が、より深い楽しみを発見できるのである。実は、KIN89には、先にLが記事を書いたように、写真週刊誌『フライデー』でも面白い発見をしている。

ついでだから書いてしまうが、そのP40、41(合計81)に写っていたのは、安倍昭恵さん(青い月の夜=2・夜)と飯田哲也さん(青い月の鷲=2・鷲)のお二人だった。私がこの写真を見つけた日は「太陽の紋章」が「赤い月」の日だったが、このお二人は「銀河の音」が「月の(2)」で揃っていた。しかも飯田さんは「イーグル」である。フライデーは金曜日に発売されているが、私が珍しくその写真週刊誌に手を伸ばしたのは、イーグルに乗って月に降り立ったアームストロング船長が他界した土曜日(KIN89)だったのだ。

かように、全てのタイミングは完璧であり、全ては繋がっているのである。この一連の出来事を記している今日が「赤い月の空歩く者」(月の月最初の魔術の亀の日)であるのも偶然ではない。実は、他にも東大寺と平清盛と金澤翔子さん(書家)、さらには美智子皇后、マザー・テレサとも繋がってくるのだが、あまりにとっちらかるので、書にまつわる部分はLに任せるとして、ひとまず本稿はここまでとしたい。

パレンケの扉の開放はKIN218を通じて人類の月への扉を開き、月への第一歩は「4アハウ」を通じて次の大周期への時間の扉を大きく開いた。そして今、時間はその流れを加速させながら冬至のシンクロポイント、「13.0.0.0.0 4アハウ 3カンキン」(=12/21=KIN207)へと向かっている〜
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「mama girl」と「FRIDAY」

2012年08月28日 10:20

月の月6日 (G8/28) KIN92 黄色い磁気の人(by L)

昨日、ランチの時に携帯をチェックすると、とてもステキな写真が飛び込んで来た。
モデルとして活躍中の井上奈美さんが、愛娘のゆりなちゃん(1才)を愛おしそうに抱っこしている写真だ。

mamayurina

それだけでも胸いっぱい幸せになるが、それは昨日発売の「mama girl」という雑誌に出ている写真で、その上ご本人から「私達の書も載せてます」とメッセージを頂いてビックリ!ランチのあとDと一緒に一番近くの本屋さんへと急いだ。

井上奈美さんとご主人は、この春から天真書法塾シャンバラ教室で書を学んでいる。ゆりなちゃんが1才になる前から、ご夫妻で稽古の為の時間を作る努力をして通っているのだ。特に小さなお子さんがいる方ならおわかりの通り、これはそう簡単なことではない。(シャンバラ教室には他にも赤ちゃんを持つ方が数人いらして、もうみんなそれだけで大尊敬だ。先生は私だけれど、実際にはみんなから毎回本当に沢山のことを教えてもらっている。)

mamagirl1

書店でページを開くと、奈美さんは流石トップモデル!プロフェッショナルな姿は神々しく凛として美しい。カッコ良いわ!そして、ゆりなちゃんと二人の可愛らしいショットは、どれもみな何とも言えない優しさに溢れている。
「mama girl」創刊号は、奈美さんにとってご出産後の初仕事というだけでなく、ゆりなちゃんと一緒のデビューでもある。新しく開かれた扉にこちらまで嬉しくなる。

mamagirl2
  写真は全てmama girより。l

そして!
P112に奈美さんとご主人の初々しい作品「生命の実線」と「龍」の字を発見!!!小さな写真なのにものすごいインパクト。この力は一 体どこから来るのだろう。
奈美さんによれば、掲載されている線の作品は、この雑誌の話が丁度来た時のもので、これからどんな風に自分を表現したらいいのか?自分は何なのか?!を問いながら書き、そして書いた先に答えを見い出した一枚なのだそう。

人に上手く見られたいとか余計なことを一切考えず、ありのまま素直に、紙に穴の空くほど思いっきり書かれた彼女の線に、私も素直に感動した。何故なら、天真書法塾は本当の自分に出会うための書道の教室だから。

奈美さんが、その線と字を今でもとても大切にしていて、それを堂々と雑誌に出し、天真書法塾シャンバラ教室の意味を本当に良く理解した上で、教室の紹介までしてくれている事にも(雑誌を見て初めて知っただけに更に)感激。そんなことができるなんて天晴れ!立派です。

天真書法を学んで11年目。こんな生徒たちと一緒に学べるのだからつくづく幸せな事だと思う。
私たちの師である、青木天外先生に感謝。

そして!次は、今発売中のフライデー(P40とP41の見開き)です。

friday

偶々Dがコンビニで立ち読み中に発見したのがこちらの写真。アッキーさんこと安倍昭恵さん(安倍元総理の奥様)が私の手描きのTシャツを着ておられる! 実は、こちらはDに頼まれて昭恵さんのために書いたもの。6月の昭恵さんのお誕生日パーティーにお呼び頂いていたのだが、Dのプラハ行きと重なり伺えなかったので、後日別の機会でお会いした時にプレゼント。ステキに来て頂けているだけでなく、「脱原発」元候補とのツーショットなのが更に良いではないですか!Dが偶然に発見というのも、シンクロ大王お見事というほかあるまい(笑)。

というわけで、皆さま良かったら是非本屋さんとコンビニへ!
フライデーは18禁だから氣をつけてね(うそ)。

★おまけ:13の月の暦的に見ても、この一連の色々なことが見事に数字にコード化されている。これは後で書き足します。



ドリームバンク!

2012年08月27日 19:05

月の月5日 (G8/27) KIN91 青い宇宙の猿 (by DL)


夢を開花せるワークショップ 〈ドリームバンク

dreambank20129

皆さま、お待たせしました!

青い共振の嵐の年秋、
夢を開花させるのワークショップ「ドリームバンク」を開催します!

人は自分の夢を叶える為に生まれてきます。
そして、その夢を叶えるのは、全然難しい事ではありません。
叶える為の、ちょっとした(でも大切な)お約束事があるだけです。
このワークショップでは、
夢の現実場(ドリームバンク)にアクセスするための
テクニックを余すこと無く公開します。
今回のテーマは、「果てしなき共振」。
白い鏡のウェイブスペルの中で、自分の中心と宇宙の中心を共振させる喜びを経験し、
数か月後に訪れる、2012年冬至を迎えるエネルギーを蓄えて行きます。
ドリームバンクのワークショップも10回を迎えます。
今回も、更にパワーアップした、
このワークショップの神髄であるドリームバンク瞑想」を皆さんと共有し、
恒例の一口福スイーツを共に味わいます。
ナビゲーターは小原大典&Lisa Rangzen Obara。
当日まで、何が飛び出すかわからない旬のシンクロ物語もお楽しみに!
初めての方も大歓迎です!

先着順限定16名の受付となります。
ピンと来られた方はどうぞお早めに!
夢叶えました~!という嬉しいご報告も続々届いています!

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【果てしなき共振のドリームバンク

★日時:9月23日(日)13:30~16:30
★場所:東京/上野毛(かみのげ) 東急大井町線/上野毛駅より徒歩5分
★参加費:3,000円
★定員:16名

●お申込手順:
下記3項目をご記入の上、メール(←クリック)にてお申込下さい。
その際、メールのタイトルを【ドリームバンク】とご明記ください。
追ってこちらから詳細案内のメールをご返送いたします。

【お名前】
【〒ご住所】
【お電話(携帯)番号】

*お寄せ頂いた個人情報はいかなる場合においても外部へ漏らす事はございません。
*敏速な返信を心がけておりますが、通信事情等により、ごくまれにメールが届かないケースがございます。
お申込をお送り頂いた後、3日間経ってもこちらから返信が届かない場合は、
大変お手数ですが、再度メールをお送り頂けますようお願いいたします。
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さる

奈良の鹿野苑

2012年08月23日 04:23

■磁気の月28日 (G8/22) KIN86 白い銀河の世界の橋渡し(by D)

例年なら、夏休みとかお盆で各地が混雑する時期は、都内でおとなしく仕事をしているのだが、今年は珍しく8月10〜12日の3日間を奈良で過ごした。少し前に簡単に報告した通り、東大寺で行われた日印国交樹立60周年記念イベン「日印交流のはじまりと未来」(インド大使も来られた公式なもの)のひとつである写真展用に、Lが題字を依頼されていたからだ。

主な目的は、それを直接会場にセッティングに行くことだったのだが、ちょうどその日程が私の誕生日とも重なっていたので、ついでに奈良観光もさせてもらおうという魂胆だった。何しろ2012年の冒頭から、いや、実際にはそのひと月前位から、既に「奈良の風」は吹き始めていたのだ。

12/19(KIN100)に大徳寺大仙院で思いがけず出会った尾関宗園和尚(※)は奈良出身で、その翌日に、KIN100の方が贈って下さった美しい亀のお正月飾りは、奈良に本店がある中川政七商店(現社長は13代目らしい13+7=20も13×7=91もマヤの重要な数)のもの。さらに、年明けにお会いした『オロ』の岩佐監督もまた、奈良のご出身だった。

細かいものを挙げれば他にも沢山あるのだが、そういう流れの中で、写真家の松本榮一さんご夫妻がわざわざ声を掛けて下さったのだから、ここで波に乗らなければシンクロサーファーとは言えない。しかも写真展のタイトル(つまり題字)は「仏陀の智慧の道」。松本さんと出会ったのは10年前のブッダガヤで、今回の会場は東大寺。裏手にはシルクロードのお宝が眠る正倉院もある。

そんな訳で、松本さんからのオファーがあった時点で奈良行きは決まっていたのだが、これが多次元的に目出度いイベントだということが、既に7/22(KIN55)にLの夢でキャッチされていた(後で松本さんの奥様、恭さんの誕生日でもあったことが判明)。以下に、その頃ツイッターでつぶやかれていた文を抜粋してみよう。

【ダライ・ラマ法王によるカーラ・チャクラの灌頂儀式が東大寺のお堂で行われていた。美しい水晶の玉座で法を説く法王。だんだんお顔が虹色に輝き、透明な虹の光になりお堂中が大小様々なキラキラ輝く虹の球体で響き合い、法王の水晶の玉座も虹に。やがて法王のお身体は、虹からソリッドなゴールドに変容凝縮し、全方向に目映い光を放射していました。その光はその場にいた人全て(何故か十数人。少ない!)を射抜きました。その様子の一部始終を、玉座の目前で、本当に幸せな気持ちで観ていました。】

後日、銀河アルケミスト教室でシンクロシェアをした時に、ほぼ同じタイミングで別な二人も美しい虹の夢を観ていたことが分かった。ちなみに、今年のチベット暦では7/23(KIN56)が仏陀が最初の説法をされた日としている。初転法輪が行われたインドのサルナートは、鹿が多くいたことから鹿野苑(ろくやおん)とも言われる。そういえば、東大寺も鹿で有名だ。

松本さんが「仏陀の智慧の道」のスライド講演(ここでもLの題字を使って下さった)をされた金鐘ホールは、昨年末、ダライ・ラマ法王の法話でこけら落としが行われた場所だし(おそらく高野山の灌頂の前後だろう)、松本さんと出会った10年前のブッダガヤというのは、実は唯一法王の体調不良で中止となった27回目のカーラチャクラでのことだから、夢は決して無関係ではないのだ。

さて、9日は天真書法塾師範科クラス終了後、片付けもそこそこに早めに退室させて頂き、Lは初体験(日本では)という深夜高速バスで奈良に向かった。前日も睡眠不足だったのだが、あまり眠れないまま夜が明けて、会場前で松本夫妻と待ち合わせ。その後、イベント全体の主催者である長谷川時夫さん(ミティラー美術館館長)親子や日印協会の方らと共に会場設営を行った。

もとより、私はそういう手伝いをするつもりで参加してはいたのだが、猛暑の中、狭い階段を使ってかなり重さのあるボードを何往復もして運ぶには、少々睡眠が足りな過ぎた。後半かなりへばったが、中村直人さんというその道の達人が中心になってバリバリ作業を進め、何とか時間内に完成。実は、その場で松本さんが直接かけあって、Lの題字の位置も決まった。超ぶっつけであるが、これが楽しい。

スタッフの宿は、何と東大寺境内、戒壇院のすぐ側にある華厳寮という日本家屋。後で、インドから来日した古典声楽のグループもここに一緒に泊まった。翌朝(KIN75)、中村さんと話していると、千葉県の佐原市(香取神宮、鹿島神宮の近く)にハーブガーデン(ケルトの暦と連動した樹を植えているとか)を造っておられるとか、花博の時にはマヤのデザインを彫刻されたとか、興味を引かれる話題が次々に出て来た。

梅粥の朝食後、私達は正倉院の近くまで行って、そこから西に向かって一条通りをテクテク歩き始めた。バスかタクシーで法華寺に向かう予定だったが、大き目の通りに出てもなかなか来ないので歩く事にしたのだ。だが、そのおかげで思いがけず佐保山(聖武天皇陵、光明皇后陵)に参拝することが出来た。東大寺だけでなく、国分寺、国分尼寺を全国に造った方々だ。奇しくもLは東京国分寺の生まれで、私も大学時代は国分寺駅を利用していた。

ちなみに、前日の8/10にレスリング3連覇を成した吉田沙保里はKIN100。私達が奈良に行くことを知らないはずなのに、大仏のお身ぬぐい(年に一度)があった8/7(KIN71)に、またまた奈良の老舗、池田含香堂の扇子を贈って下さったのもKIN100の方。「黄色い太陽の太陽」は、まさに毘盧遮那仏そのものだ。道のりの半分くらいまで来た時に運よくバスに乗れて、まずは光明皇后が国分尼寺の総本山にされたという法華寺へ。

その後、法華寺にほど近く、遣唐使と関係の深い海龍王寺(隅寺)にも参拝した。空海の隅寺心経で知られるこの寺は、光明皇后も相当量の経典を書写されたらしく、書の稽古人には見逃せないお寺だが、「13の月の暦」で海王星軌道に対応する「赤い竜」でもある私は、特に千夜一夜リーディングの最初が遣唐使だったこともあって、色々と繋がりを感じる場であった。

午後は、金鐘ホールで松本さんの講演「仏陀の智慧の道」を拝聴。まさにタイトル通りの貴重な遺跡のスライド写真ばかりで、その中には、青木先生の「煩悩即菩提」の書が掲額されている西安・草堂寺の舎利塔も含まれていた(『シンクロニック・ジャーニー』にその経緯が書いてある)。講演終了後、奈良に到着して初めて大仏殿へ参拝し、おみくじをひくと、Lは12の大吉で「金がますます輝く」という先の夢とシンクロするような内容。私はカーラチャクラとシンクロする27の吉だった。

二月堂などを巡って、夜に中門前で行われる奉納コンサートまで、少し腹ごしらえでもしておこうと入ったお店で、偶然、また松本さんご一行とバッタリ再開。一緒にいた女の子が「みろくちゃん」という名前だったのが印象深かった。何故なら、私は『マヤのリズム』の中で、近鉄奈良駅前の国道369号のことを天照大神の数霊とリンクさせて紹介しているし、今回の宿は369号にほど近いのだ。

奉納演舞は、雨乞いの踊りを踊った方にシャーマニックな力があったのか、実際にかなりの雨が降って来てしまったが、無事に全演目が終了。私達は、駅の近くの「一条」という居酒屋で晩ご飯にありついた。朝、一条通りを歩いていたことがこんなところに響くとは思っていなかったが、リーズナブルなのに味はかなり良かった。美味しいものシリーズは、前夜に頂いた蕎麦の「喜多原」とか他にも色々あるのだが、既に大分長くなっているので、細かいことはLに任せるとしよう。

8/12、私の43才の誕生日は、インドの古典楽器が置いてあるすぐ横で目覚めた。KIN76「黄色いスペクトルの戦士」は、チベット民族蜂起(1959年3月10日)からちょうど75銀河スピンのタイミングでもある。コーヒーを飲みながら、松本夫妻と代替医療とか水の結晶写真の話などをしてから出発。まず、興福寺の国宝館で阿修羅像にご挨拶。他にも見事なお宝がゴロゴロあった。

その後、猿沢池の近くにある「遊 中川」で、麻の機織り体験をし、茶房でお重ランチを頂くという贅沢な時間を味わった。大麻の正しい歴史や現状も学べるこの手紡ぎ手織り体験は、非常に素晴しく、子供達から大人までお薦めしたくなる内容だったし、ランチは文句無く美味しかった。中庭には蓮の花が凛と咲いていて、何とも贅沢な時間だった。

その後、奈良漬の今西本店や池田含香堂に寄り、猿沢池の亀達に挨拶してから、尾関和尚が子供の頃、泣きながら登ったという(それにしては割と楽な)52段の階段を登って、そのまま興福寺の境内を東大寺方面に散策した。あまりの暑さに飛鳥園というカフェで休憩。お土産コーナーで売られている仏像のカードはどうやら殆どここで造られているようだ。住所も登大路町59と「青い共振の嵐の年」にシンクロしていて美しい。

実は、この時まで、春日大社への参拝は考えていなかった。以前、参拝したことがあったし、あまりに暑くて移動する気力が湧かなかったからだ。しかし、飛鳥園でガイドブックを読み直して、やはりこれは行かねば!という気になった。何故なら、鹿島神宮から迎えたタケミカヅチノミコトと、香取神宮から迎えたフツノヌシノミコトが御祭神として祀られていることに気付いたからだ。

deer.jpg 
この地に鹿が沢山いるのも、仏教(鹿野苑)の縁というよりは、タケミカヅチノミコトの分霊を白い神鹿が背に乗せて来たことに由来するものだ。それに、剣武天真流を学んでいる私にとって、誕生日に、雷神、武神、刀剣の神様をお参り出来るなんて、これ以上の事は無い。すっかり忘れていたが故に、この発見にはフレッシュな喜びがあった。そのエネルギーと共鳴したのか、おみくじも1番大吉、Lも24の大吉だった。

その後、写真展をやっていた金鐘会館小ホールで少し立ち話をして、「仏陀の智慧の道」の軸を撤収。一度宿に戻って荷造りをし、お世話になった寮母さんにタクシーを呼んでもらって玄関に行くと、ちょうど古典声楽ドゥルパッドの一団も、大仏に開眼供養をした菩提僊那(シャーマンでもあったようだ)と縁の深い霊山寺に奉納演奏に向かうところだった。おかげで、長谷川さんにも挨拶が出来たし、ここでシンクロしたおかげで16日のインド大使館(九段下)でのコンサートにも行く事が出来た。

ところで、鹿島神宮と言えば、地震と関係があるとされる「要石」というのがある。翌8/13は、ちょうど311から2銀河スピンのKIN77で、長谷川さんの誕生日でもあったから(それに遊中川の住所も31-1だった)、何か色々な次元での繋がりがあるように感じられて仕方が無かった。それは、東日本大震災の49(7×7)日法要を護国寺でして下さったダライ・ラマ法王が、カーラチャクラの86代目の継承者でもあり、今日がちょうどKIN86であることも含めての話だ。

早いもので、「磁気の月」もあっという間に最終日28日。サイ時間単位はKIN260だから、最初の月の最後は、4次元的な意味で周期の始まりと終わりに関係していると見ることも出来る。そして、私が東大寺と春日大社で引いたおみくじを合計すると、私の誕生した時の月の相でもあり、「13の月の暦」のひと月の数でもある28となる。

だから、朝方になろうとも夜明け前は前の日の続きという方式で、私は今日このブログをどうしても書きたかったのだ。それが、こういう物語りを紡ぎ続ける時間魔術の大事な技法のひとつだと思うからである。

(※)尾関和尚については、下記メルマガの「Enjoy Surf!」を参照。 
http://archive.mag2.com/0000184705/20120212001510000.html

「ヒマラヤを越える子供たち」の背景

2012年08月20日 22:36

磁気の月26日 (G8/20) KIN84 黄色い律動の種(by D)

かつて自主上映会などを通じて私達も関わったドキュメンタリー映画『ヒマラヤを越える子供達』は、そのタイトルの通り、実際に6000m級のヒマラヤ山脈を越えて、中国(に不当に占領されたチベット本土)から命がけで亡命するチベットの子供達の様子を描いた作品だった。

中国政府に奇妙な配慮を見せる日本政府や、一見、自由なようでいて実は様々なレベルで報道規制されている大手マスコミの見えざる統制によって、多くの日本人は、チベットで実際に何が起きているのかについて、割と最近まで殆ど知る機会が無かった。従って、この映画を通じて初めてチベットの実情を知ったという方も多かったと思う。

その後、DVD化され販売もされていたのだが、残念ながら版権契約等の関係で数年前には絶版になってしまっていた。しかし、監督のマリア・ブルーメンクローンさんは、映画では殆ど触れられていない、子供達の生い立ちや背景について詳述した著書もドイツで出版されていた。それが、今年6月末に出版された『ヒマラヤを越える子供たち』(小学館)だ。

ドイツ在住の掘込-ゲッテ由子さんによる翻訳は読み易く、ごく自然に著者のマリアさんや子供達が体験した世界に入り込ませてくれる。実は今日、プロモーション活動を兼ねて帰国されている堀込さんと、映画『ヒマラヤを越える子供達』に関わったメンバーが顔を合わせる機会があった。残念ながら、KIKUの久保さんをはじめ、諸事情で都合が付かなかった人もいたが、今回の邦訳出版の経緯や映画上映の背景などをシェアしながら、楽しいひと時を過ごす事が出来た。
escape over ☆翻訳者の堀込さんと共に

映画と本のタイトルは同じだが、上記の通り、映画では、子供達が何故、ヒマラヤの難所を命がけで越えるのか、あるいは親達が子供にそのような危険を冒させてまで亡命させようとするのかについては描かれていない。今回、出版された本には、その辺りのことが詳しく描写されているだけでなく、無事亡命を果たした子供達のその後についても書かれているので、映画を観た方は、色々な疑問が解けるだけでなく、より大きな流れの中で、ひとつひとつの場面を見返す事が出来ると思う。

もちろん、本書は、チベットの現状について殆ど知らないという方が、初めて手にする本としても強くお薦めできる。なぜなら、ごく普通のチベット人の親や子供、そして政治的なしがらみのない国の女性(著者)からの視点で描かれているからだ。マスコミが断片的に伝えるニュースでは、敬虔な仏教徒であるチベット人が、何故、焼身抗議という過激な手段を取るのか(もう50名以上だ!)、理解できない方も多いと思う。しかし、本書にはそういう気持ちになる背景が、様々な角度から自然に語られている。

そういう意味では、現在、全国各地で上映中の映画『オロ』ともリンクするところがある。実際、本書に登場する子供達とオロの境遇はよく似ている。どちらも親に送り出されてヒマラヤを越え、インド・ダラムサラにあるチベット子供村に学んでいる(本書の子供達は既に卒業しているが)。

奇しくも、『ヒマラヤを越える子供達』の発刊日は、『オロ』の公開初日と重なる6/30(KIN33)で、私達はその日、渋谷のユーロスペースで岩佐監督にお会いしている。本の方は、その翌日のKIN34に手元に届いたから、ちょうど今日から50日前ということになる。また、このブログで最初に本書を紹介したのは、ダライ・ラマ法王の77回目のお誕生日(7/6=KIN39)だった。

昨日、「マヤ暦の終わりと始まり」という講演会で司会をして下さったのはKIN33のスタッフの方だったし、ちょうど1年前の今頃ウォーターセラピーにいらしたドイツ在住の日本人の方は、確か堀込さんと同じ街から来られたはずだ。思い返せば、グラーツでのカーラチャクラで、私達の目の前に座ってい3人組のドイツ人女性も、同じ街の出身だった。このシンクロが意味することも、時が来れば、きっと明らかになるのだろう。書籍の『ヒマラヤを越える子供たち』を通じて、映画の背景を知ったように。

仏陀の智慧の道

2012年08月15日 15:55

磁気の月21日 (G8/15) KIN79 青い磁気の嵐 (by L)

東大寺で行われた、日印国交樹立60周年記念公式催事の写真展「仏陀の智慧の道」の題字を書かせて頂くことになり、8/10-12と奈良にうかがいました。声楽と舞い、講演会など、日院交流がテーマの催しが盛りだくさん。燈火会の期間中とあって奈良は光の都でした。
奈良は、日本に最初に仏教が伝来した特別な地。時を経て今なお続く、仏陀の智慧の道をダイレクトに感じた奈良での時間でした。そして今日は終戦記念日。幾重にも重なる日本の時間に思いを寄せています。

thegreatest

催事の様子は、詳しくは公式サイトからリリースされると思うので、こちらには今回お声をかけて下さった写真家の松本榮一さんご夫妻との記念撮影をUP。


面白いこと、シンクロ事件、不思議なこともたくさんあった。今回も、本当に東大寺とは縁があるんだなと思ったよ。あとインドの芸術家たちと、東大寺の宿坊(非公開)で同じ屋根の下に眠るのも初体験。奈良の美味しい物シリーズとか、麻の機織り体験とか・・・続きは後ほど書きますよ!取り急ぎ〜〜〜。


黄金メダルの黄色い戦士たち

2012年08月09日 16:14

磁気の月15日 (G8/9) KIN73 赤い銀河の空歩く者(by D)

今日は、長崎原爆投下(KIN58)から67年(67=52+15なのでちょうど15KINズレる)。これだけの年月を経ると惨状を直に体験した方々の数も減って来て、徐々に忘却の海に呑み込まれてしまうところだが、福島原発事故を体験した私たちは、改めて軍産複合体の収益装置としての”原子力(核)”を、きちんと見据える機会を与えられている。

東電が、この期に及んで未だにビデオの全面公開をしたがらないのは、自分達のやり方が戦中の大本営と何も変わらないことを、国民に知られたく無いからだろう。「間違いを認めたくない」というその姿勢が改められない限り、これから先も日本は、あらゆる形で困難を味わい続けることになるだろう。

間違ったことは素直に認め、そこから改める。国をしょって立つような大人達がそれをやらない限り、いじめだって減るはずがない。教育のシステム以前の問題なのだ。東電とか経産省とか政府のデタラメ三昧な姿勢は、「出来るだけズルして儲け、ヤバくなったら適当に誤魔化すのが効率のいい人生」という最悪の教育を、全国の子供達に施しているのと同じである。

さて、そんな陰鬱な気分を吹き飛ばしてくれるようなニュースが今朝方あった。ロンドン五輪女子レスリングで小原日登美選手と伊調馨選手が続けて金メダルを取ったのだ。男子体操種目別「ゆか」の内田航平選手とか、ハンマー投げの室伏広治選手など、「やりきった人」の爽やかなオーラはメダルの色に関係なく最高に素敵だが、世界一になった日本人を続けて見るのも素直に嬉しい。

実は、小原選手のことを知ったのは昨夜。テレビをつけたまま他の作業をしていると、私と同じ小原(おばら)という名前が連呼されているのに気付いた。ちょうど準決勝を勝ち上がったところだったので、ネットで誕生日を調べてみると、何と名前だけでなく誕生KINも私と一緒のKIN241「赤い共振の竜」と判明!出身地も両親の故郷(盛岡)に割と近い八戸で8/8ということもあって、がぜん盛り上がってしまった。

しかも2010年までは坂本選手で、結婚して苗字が変わり、2011年9月13日から登録名を結婚後の戸籍名である小原日登美に変更したらしい。9/13は父の誕生日でもあるので、ここでも勝手に親近感を持ってしまった。逆転して金メダルを得た決勝は、実に見事な戦いぶりだった。ちなみに、現在の道筋は「黄色い水晶の戦士」(KIN116)。レスリング選手であるだけに非常に興味深い。

続いて行われた63キロ級の伊調選手は、何とアテネ、北京に続く3連覇!本当に見事としか言いようがない。そして、彼女もまた出身地は八戸と知った。誕生KINは、KIN196「黄色い磁気の戦士」で、今の道筋はKIN16「黄色い電気の戦士」。何と、レスリングで金メダルを取った2人はどちらも「黄色い戦士」だった!そして得たメダルは黄金!!

ちなみに『時間の法則の20の銘板』では、今月「磁気の月」全体がKIN196でコード化されているので、今月はまさに伊調選手のための月だと言っても良いのである。しかも3回目の金メダルを「3・戦士」(KIN16)で取るとは、流石にこのレベルの選手になると、自然のリズムへの同調ぶりも見事だ。

『13の月の暦』をコソっとパクった占い&資格認定商法(必ず偽ってマヤ暦と呼ぶ)に惑わされ、大枚叩いたことで何かを知った気分になっている人たちより、何も知らずに何かの道を全力でやり尽くしている人の方が、はるかに銀河(自然)とのチューニング状態が良く、シンクロ率が高い、というのが16年この暦を使い続けて来た私の観察の結果だ。

現地時間8/8、『13の月の暦』で第2週「コドン2:根源母体」の週を、2つの金メダルで完了させた(震災被災地でもある)八戸出身の2人の日本人女性に、心からのお祝いの気持ちを贈りたい。


メモ:3日後の誕生日から始まる私の今年の運命の道筋は、チベット民族蜂起(1959年3月10日)とシンクロするKIN76「黄色いスペクトルの戦士」である。金メダル戦士のおふたりにあやかって、私も見えない次元で金メダルを目指すとしよう。

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