2013年06月29日 03:54
■宇宙の月2日(G6/28)KIN136 黄色い律動の戦士(by D)
6/23(日)の朝、部屋に届けられていた産經新聞の1面は「富士山世界遺産に 三保松原も逆転登録」で、ちょうどツォルキンの前半と後半が反転し調波番号の逆転が始まるタイミングに完璧にシンクロしていた。27(3×3×3)面には、前夜、特集番組を見続けていた三浦雄一郎さんのコメントと、7/25に行われる「天神祭」で船渡御に参加する”市民船の乗船者を募集する”記事が出ていた。「銀河ゲート33」の会場は、2日間ともまさに大阪天満宮のお膝元で、この日、チャクラで行う最初のプログラムは「ドリームスペル乗船配布会」。「コドン64/準備」の週の中央で「時間をはずした日(7/25)」の”乗船”の呼びかけが新聞でもされいるなんて、あまりにも出来過ぎた話だ。
『ドリームスペル(13の月の暦)』のツォルキンで、後半の130日が始まるKIN131(1・猿)は、単に「猿のウェイブスペル」の始まりというだけでなく、「猿の創世記」の78日間のスタートでもある。しかも調波33の中央に位置するこの日付から33日後が、KIN164「銀河の同期(7/26)」だ。時間芸術学校や銀河シンクロ教室という名は、父や祖父の高校(旧制中学)の先輩にも当たる宮沢賢治(KIN131)にインスピレーションを受けたものだが、この日は、その賢治の164回目の銀河の誕生日でもあった。夏至の直後の満月(スーパームーン)という事も含め、日付がこういう関係になるのは2013年のこの時だけである。
そういう場に来られる方は、それだけで完璧な波を掴んでいると言える。今回は、遠く千葉、神奈川、静岡、さらにはシンガポール等からも参加して下さった方がいらしたが、皆さん、どこかでこの波の重要な意味を感じ取られていたのではないかと思う。「運命の道筋」を導く際の例題に立候補して下さったKさんはKIN211(3・猿→3・11→3×11→33)で、私が「7・猿」の道筋の時にこの暦に出会うきっかけとなった『時空のサーファー』を捧げられたホゼの息子、ジョッシュと同じKINだった。最も最近のKIN211は2012年12月25。この日、私は「日本の霊性と剣」というブログをUPしているのだが、このことに気付いたのが「13の月の暦」での12/25なのがまた面白い。
クラス終了後、サグラダファミリア33魔方陣Tシャツで撮影会をし、片付けを終えて外に出ると、ほぼ満月の時刻。スーパームーンは厚い雲に覆われていたが、月が創る虹の光が楽しめた。例のごとく、翌日は聖地探訪の為に空けておいたのだが、今回も全く予定を決めておらず、ホテルに戻ってからイメージし始めた。天皇皇后両陛下が関西にいらしていたので、どこかでお会い出来ればいいなと思いつつ、新聞にも大ざっぱな予定しか出ていなかったので、私は岩清水八幡宮にでもお参りされるのだろうか?と勝手な想像を膨らませ、神猿がいるという日吉大社と(京都に対して鬼門、裏鬼門を護る社を)セットで参拝する計画を何となく思い浮かべて眠りについた。
翌、KIN132(6/24)は、調波33の最終日で、KIN105から始まった時間トンネルの出口にも当たる日。午後には両陛下が大阪入りされるような情報があったので、もし岩清水に行かれるのなら午前中だと思い、寝不足を押して割に早く出発の準備をした。ところが、ホテルの部屋を出ようとした瞬間、どうにも気になって、ネットに予定が出ていないか再度調べてみた(調べ方を変えた)。すると官報「皇室事項」からの抜粋を掲載したサイトを見つける事が出来た。それによると、この日の午前は、大山崎町役場→聴竹居→大山崎町役場とある。何と!岩清水八幡宮の対岸で、何度か訪れたことがある天王山の麓ではないか!
当然、予定変更して直ちに山崎駅に向かった。もし天王山で天皇陛下にお会い出来たらこの上なく美しいが、大阪に移動後では全く面白くないからだ。山崎駅構内の5111ロッカーに荷物を入れて改札を出ると、どうやらこれからという雰囲気。駅から近くの聴竹居を目指すと、国旗を持った人たちが歩いていたので、何時頃来られるのか聞く。まだ40〜50分先とのことだったので、昨年訪れきれなかった妙音山の山崎聖天を先にお参りすることにした。天王山の麓にあるこの寺の本尊は十一面千手観音で、聖天の名の由来はその隣に祀られている歓喜天にあるらしい。
住所が大山崎白味才62というのも縁起が良い。何故なら、今年の伊勢の式年遷宮は62回目で、KIN62は「白い惑星の風」(天王星軌道と対応)だからだ。社務所が工事中で人がいなかったので、歓喜天の前にあったおみくじを引き、数字だけ楽しんだ。60というその数は、パカル王の誕生日「8アハウ」に相当する。参拝後、山を下りると少し開けた公園があり、そこに人が集まっている。どうやら警備の関係で人を限定した場所に集めておきたいらしい。もっと駅に近い方にもそれらしき場所があったが、雨だった予報が外れて日差しが結構強いので、樹々が多いその場所で両陛下をお迎えすることにした。
待つこと20〜30分、先導の白バイから3分前のパトカー、1分前のパトカーと続いてようやくナンバー部分が菊の御紋になっている車がやって来た。写真には撮れなかったが、ちゃんと両陛下のお顔を間近で拝見することが出来た。ちなみに、陛下はKIN234(13・魔法使い)、美智子皇后はKIN15(2・鷲)だ。往路、世界遺産に決まった富士山に導かれ、帰路「天王山で天皇をお迎えする」ことが叶ったのは、「銀河ゲート33」が多次元的な回路を開くことに成功した印と、私は受けとめた。
そのままJRで比叡山坂本駅に移動して、日吉大社への向かった。社務所で頂いたリーフレットの住所を見て驚いたのは、この神社の住所が大津市坂本5-1-1で、山崎のロッカーとシンクロしていたから。今回、この神社への参拝を思いついたのは、実は『免疫力を上げる生活』という本と関係がある。私は江本勝(まさる)氏に初めて直に出会ったのは、上記の本の著者である萩原氏と江本氏のジョイント講演会だった。水晶の月1日(KIN107)にある集いがあって、19年ぶりに萩原氏にお目にかかった私は、その本の中で波動の良い水として紹介されていた日枝(日吉)大社のことが何となく思い浮かんでいたのだ。
しかも、魔除けの象徴として「神猿(まさる)」が祀られているというのだから、「猿の創世記」の始まりにお参りする場所としては、この上ないと思えたのだ。山王七社に対応する7基の神輿が展示されていたり、山王祭が行われるのが4/12だったり、何かと「13の月の暦」との繋がりが感じられる。4/12は前年の7/26からピッタリ260日後ということで、銀河の羅針盤の説明で必ず登場する日付だ。崇神天皇7年の創祀というこの神社は、西本宮に三輪山より大己貴神が迎えられ、東本宮に比叡山の神である大山咋神が祀られている。両本宮とも本殿は国宝。
順路に従ってまず西本宮を参拝したが、朝から何も食べずお昼も過ぎていたので、その奥にある川辺の店で蕎麦を頂くことにした。涼しい風が吹く森の奥にあるその店は、千と千尋にでも登場しそうな佇まいで、どうやら宿もやっているらしいのだが、月曜ということもあってかお客は誰もいない。声をかけるとご主人が出てきて、(飛龍の)瀧に一番近い部屋を貸し切りで使わせてくれた。その後、参拝を続けたが、どの社の周囲にも水が巡っていて狛犬が本殿の袖に乗っているという不思議な特徴がある。
東本宮の境内には、六角形の石で囲われた亀井霊水という井戸もある。本殿手前に「賜 東本宮本殿遷座奉祝奉幣祭 幣帛料 天皇陛下 平成二十五年三月二十四日」という札が立っていることに気付いたのだが、今しがた陛下にご挨拶して来たばかりなのと、今年の札ということで驚きが増す。ちなみに3/24は太陽の月18日、KIN40「1・太陽」。西本宮のおみくじが5番小吉だったのに対し、東本宮では50番中吉。足して55は5×11でもある。50番の内容は「苔むせる 山の岩が根千代へても 動かぬほどの心ならまし」で、6日前に明治神宮で引いた19番「あらし吹く 世にも動くな人ごころ いはほに根ざす松のごとくに」とよく似ている。
50+19=69はパレンケの碑銘の神殿の正面階段の数。50-19=31は、前夜飲んだ日本酒、千代31とシンクロする数であり『ドリームスペル』乗船配布会で行う「遊び方」が書かれているマニュアルのページ数でもある。さらにKIN31は「5・猿」、つまり紋章をコードNoで書くと「5・11」で、この神社の住所となる。最後に「猿の霊石」にご挨拶をして無事参拝を終了。境内から流れ出る清涼な水はそのまま参道を下って琵琶湖まで流れているようだ。その流れに沿って駅まで歩く。
後は京都のカフェでも巡って帰ろうと、地下鉄の駅から徒歩圏でナチュラルな感じのカフェをスマホで探すと、北山の白川疎水沿いに「コダマカフェ」というのを見つけた。住所が下鴨北園町51-1ということで即決定。しかし、店の前には6/30で閉店との貼り紙がある。ということは、残り6日のタイミングで訪れたということだ。6日前とか6日後とか、KIN6は安倍総理の誕生KINなだけでなくコードNo6は、惑星ホロンで日本のエリアと対応する「世界の橋渡し」でもある。ジブリのマンガがあるそのカフェでしばし身を休めて帰路へ。
結局、傘は出さずに済んだが、地下鉄に乗っている最中に結構降ったようで新幹線のホームは濡れていた。のぞみ246号16号車15Aは、進行方向の先頭の先頭。こういう席は、初めてかもしれない。20:16品川着。間もなく『時間の法則の20の銘板:16年間のテレクトノン』も終わりを迎えようとしているが、それが象徴的に示されているかのようだ。帰宅後、おみくじを詰め込んである財布を整理すると、昨年5月に天王山の宝積寺をお参りした時の89番大吉が出て来た。89と言えば、ホゼが他界したKIN89を思い出すが、ほぼ1年後にその土地で両陛下にお会い出来たのだから確かに大吉だ。
しかし、何より驚いたのは、このおみくじを引いた日付が何とKIN246だったこと。家に最も近い国道も246。123×2のこの数は、パカルの石棺の蓋の開封(KIN123)も連想させる。『テレクトノン』の「預言を語る石」第9(3×3)節には、「すべては数字。神は数字だ。神はすべてに存在する」とあるが、調波33を通じて体験したことは、まさにそのままであったような気がする。
全ての銀河ツールの目標点「銀河の同期」(7/26)は、いよいよ28日後に迫って来た。2012年冬至に「スピ系の人々が言うようなアセンションも破滅も起きない」と言い続け、安倍晋三氏復活のタイミングを暦の仕組みから予測していた私が、今、心から伝えておきたいのは以下のことだ。もしも、これから『13の月の暦』を使ってみようとする意志があるなら、あるいは、かつて使った経験が少しでもあるのなら、「銀河の同期」までに是非『ドリームスペル』を手にして頂きたい(理解するのは後で良い)。
もちろん公式窓口からで良いのだが、日が迫っているので、タイミングや手続きが不十分だと「銀河の同期」の後になってしまう可能性もある。KIN143(7/5)には横浜二俣川の「宇宙食堂」で、KIN153(7/15)には東急大井町線上野毛でも配布会がある。「銀河の同期」以降も手にすることは可能だが、最後の3300部のひとつを手にする気があるのなら、「銀河の同期」には間に合っていて欲しい。それが本来の賞味期限でもあるし、銀河時間に同期するための装置は、その前に手にしていてこそ意味があるからだ。
クラトゥ・バラダ・ニクト 銀河連盟は静かにやってくる
6/23(日)の朝、部屋に届けられていた産經新聞の1面は「富士山世界遺産に 三保松原も逆転登録」で、ちょうどツォルキンの前半と後半が反転し調波番号の逆転が始まるタイミングに完璧にシンクロしていた。27(3×3×3)面には、前夜、特集番組を見続けていた三浦雄一郎さんのコメントと、7/25に行われる「天神祭」で船渡御に参加する”市民船の乗船者を募集する”記事が出ていた。「銀河ゲート33」の会場は、2日間ともまさに大阪天満宮のお膝元で、この日、チャクラで行う最初のプログラムは「ドリームスペル乗船配布会」。「コドン64/準備」の週の中央で「時間をはずした日(7/25)」の”乗船”の呼びかけが新聞でもされいるなんて、あまりにも出来過ぎた話だ。
『ドリームスペル(13の月の暦)』のツォルキンで、後半の130日が始まるKIN131(1・猿)は、単に「猿のウェイブスペル」の始まりというだけでなく、「猿の創世記」の78日間のスタートでもある。しかも調波33の中央に位置するこの日付から33日後が、KIN164「銀河の同期(7/26)」だ。時間芸術学校や銀河シンクロ教室という名は、父や祖父の高校(旧制中学)の先輩にも当たる宮沢賢治(KIN131)にインスピレーションを受けたものだが、この日は、その賢治の164回目の銀河の誕生日でもあった。夏至の直後の満月(スーパームーン)という事も含め、日付がこういう関係になるのは2013年のこの時だけである。
そういう場に来られる方は、それだけで完璧な波を掴んでいると言える。今回は、遠く千葉、神奈川、静岡、さらにはシンガポール等からも参加して下さった方がいらしたが、皆さん、どこかでこの波の重要な意味を感じ取られていたのではないかと思う。「運命の道筋」を導く際の例題に立候補して下さったKさんはKIN211(3・猿→3・11→3×11→33)で、私が「7・猿」の道筋の時にこの暦に出会うきっかけとなった『時空のサーファー』を捧げられたホゼの息子、ジョッシュと同じKINだった。最も最近のKIN211は2012年12月25。この日、私は「日本の霊性と剣」というブログをUPしているのだが、このことに気付いたのが「13の月の暦」での12/25なのがまた面白い。
クラス終了後、サグラダファミリア33魔方陣Tシャツで撮影会をし、片付けを終えて外に出ると、ほぼ満月の時刻。スーパームーンは厚い雲に覆われていたが、月が創る虹の光が楽しめた。例のごとく、翌日は聖地探訪の為に空けておいたのだが、今回も全く予定を決めておらず、ホテルに戻ってからイメージし始めた。天皇皇后両陛下が関西にいらしていたので、どこかでお会い出来ればいいなと思いつつ、新聞にも大ざっぱな予定しか出ていなかったので、私は岩清水八幡宮にでもお参りされるのだろうか?と勝手な想像を膨らませ、神猿がいるという日吉大社と(京都に対して鬼門、裏鬼門を護る社を)セットで参拝する計画を何となく思い浮かべて眠りについた。
翌、KIN132(6/24)は、調波33の最終日で、KIN105から始まった時間トンネルの出口にも当たる日。午後には両陛下が大阪入りされるような情報があったので、もし岩清水に行かれるのなら午前中だと思い、寝不足を押して割に早く出発の準備をした。ところが、ホテルの部屋を出ようとした瞬間、どうにも気になって、ネットに予定が出ていないか再度調べてみた(調べ方を変えた)。すると官報「皇室事項」からの抜粋を掲載したサイトを見つける事が出来た。それによると、この日の午前は、大山崎町役場→聴竹居→大山崎町役場とある。何と!岩清水八幡宮の対岸で、何度か訪れたことがある天王山の麓ではないか!
当然、予定変更して直ちに山崎駅に向かった。もし天王山で天皇陛下にお会い出来たらこの上なく美しいが、大阪に移動後では全く面白くないからだ。山崎駅構内の5111ロッカーに荷物を入れて改札を出ると、どうやらこれからという雰囲気。駅から近くの聴竹居を目指すと、国旗を持った人たちが歩いていたので、何時頃来られるのか聞く。まだ40〜50分先とのことだったので、昨年訪れきれなかった妙音山の山崎聖天を先にお参りすることにした。天王山の麓にあるこの寺の本尊は十一面千手観音で、聖天の名の由来はその隣に祀られている歓喜天にあるらしい。
住所が大山崎白味才62というのも縁起が良い。何故なら、今年の伊勢の式年遷宮は62回目で、KIN62は「白い惑星の風」(天王星軌道と対応)だからだ。社務所が工事中で人がいなかったので、歓喜天の前にあったおみくじを引き、数字だけ楽しんだ。60というその数は、パカル王の誕生日「8アハウ」に相当する。参拝後、山を下りると少し開けた公園があり、そこに人が集まっている。どうやら警備の関係で人を限定した場所に集めておきたいらしい。もっと駅に近い方にもそれらしき場所があったが、雨だった予報が外れて日差しが結構強いので、樹々が多いその場所で両陛下をお迎えすることにした。

待つこと20〜30分、先導の白バイから3分前のパトカー、1分前のパトカーと続いてようやくナンバー部分が菊の御紋になっている車がやって来た。写真には撮れなかったが、ちゃんと両陛下のお顔を間近で拝見することが出来た。ちなみに、陛下はKIN234(13・魔法使い)、美智子皇后はKIN15(2・鷲)だ。往路、世界遺産に決まった富士山に導かれ、帰路「天王山で天皇をお迎えする」ことが叶ったのは、「銀河ゲート33」が多次元的な回路を開くことに成功した印と、私は受けとめた。
そのままJRで比叡山坂本駅に移動して、日吉大社への向かった。社務所で頂いたリーフレットの住所を見て驚いたのは、この神社の住所が大津市坂本5-1-1で、山崎のロッカーとシンクロしていたから。今回、この神社への参拝を思いついたのは、実は『免疫力を上げる生活』という本と関係がある。私は江本勝(まさる)氏に初めて直に出会ったのは、上記の本の著者である萩原氏と江本氏のジョイント講演会だった。水晶の月1日(KIN107)にある集いがあって、19年ぶりに萩原氏にお目にかかった私は、その本の中で波動の良い水として紹介されていた日枝(日吉)大社のことが何となく思い浮かんでいたのだ。
しかも、魔除けの象徴として「神猿(まさる)」が祀られているというのだから、「猿の創世記」の始まりにお参りする場所としては、この上ないと思えたのだ。山王七社に対応する7基の神輿が展示されていたり、山王祭が行われるのが4/12だったり、何かと「13の月の暦」との繋がりが感じられる。4/12は前年の7/26からピッタリ260日後ということで、銀河の羅針盤の説明で必ず登場する日付だ。崇神天皇7年の創祀というこの神社は、西本宮に三輪山より大己貴神が迎えられ、東本宮に比叡山の神である大山咋神が祀られている。両本宮とも本殿は国宝。

順路に従ってまず西本宮を参拝したが、朝から何も食べずお昼も過ぎていたので、その奥にある川辺の店で蕎麦を頂くことにした。涼しい風が吹く森の奥にあるその店は、千と千尋にでも登場しそうな佇まいで、どうやら宿もやっているらしいのだが、月曜ということもあってかお客は誰もいない。声をかけるとご主人が出てきて、(飛龍の)瀧に一番近い部屋を貸し切りで使わせてくれた。その後、参拝を続けたが、どの社の周囲にも水が巡っていて狛犬が本殿の袖に乗っているという不思議な特徴がある。
東本宮の境内には、六角形の石で囲われた亀井霊水という井戸もある。本殿手前に「賜 東本宮本殿遷座奉祝奉幣祭 幣帛料 天皇陛下 平成二十五年三月二十四日」という札が立っていることに気付いたのだが、今しがた陛下にご挨拶して来たばかりなのと、今年の札ということで驚きが増す。ちなみに3/24は太陽の月18日、KIN40「1・太陽」。西本宮のおみくじが5番小吉だったのに対し、東本宮では50番中吉。足して55は5×11でもある。50番の内容は「苔むせる 山の岩が根千代へても 動かぬほどの心ならまし」で、6日前に明治神宮で引いた19番「あらし吹く 世にも動くな人ごころ いはほに根ざす松のごとくに」とよく似ている。
50+19=69はパレンケの碑銘の神殿の正面階段の数。50-19=31は、前夜飲んだ日本酒、千代31とシンクロする数であり『ドリームスペル』乗船配布会で行う「遊び方」が書かれているマニュアルのページ数でもある。さらにKIN31は「5・猿」、つまり紋章をコードNoで書くと「5・11」で、この神社の住所となる。最後に「猿の霊石」にご挨拶をして無事参拝を終了。境内から流れ出る清涼な水はそのまま参道を下って琵琶湖まで流れているようだ。その流れに沿って駅まで歩く。
後は京都のカフェでも巡って帰ろうと、地下鉄の駅から徒歩圏でナチュラルな感じのカフェをスマホで探すと、北山の白川疎水沿いに「コダマカフェ」というのを見つけた。住所が下鴨北園町51-1ということで即決定。しかし、店の前には6/30で閉店との貼り紙がある。ということは、残り6日のタイミングで訪れたということだ。6日前とか6日後とか、KIN6は安倍総理の誕生KINなだけでなくコードNo6は、惑星ホロンで日本のエリアと対応する「世界の橋渡し」でもある。ジブリのマンガがあるそのカフェでしばし身を休めて帰路へ。
結局、傘は出さずに済んだが、地下鉄に乗っている最中に結構降ったようで新幹線のホームは濡れていた。のぞみ246号16号車15Aは、進行方向の先頭の先頭。こういう席は、初めてかもしれない。20:16品川着。間もなく『時間の法則の20の銘板:16年間のテレクトノン』も終わりを迎えようとしているが、それが象徴的に示されているかのようだ。帰宅後、おみくじを詰め込んである財布を整理すると、昨年5月に天王山の宝積寺をお参りした時の89番大吉が出て来た。89と言えば、ホゼが他界したKIN89を思い出すが、ほぼ1年後にその土地で両陛下にお会い出来たのだから確かに大吉だ。
しかし、何より驚いたのは、このおみくじを引いた日付が何とKIN246だったこと。家に最も近い国道も246。123×2のこの数は、パカルの石棺の蓋の開封(KIN123)も連想させる。『テレクトノン』の「預言を語る石」第9(3×3)節には、「すべては数字。神は数字だ。神はすべてに存在する」とあるが、調波33を通じて体験したことは、まさにそのままであったような気がする。
全ての銀河ツールの目標点「銀河の同期」(7/26)は、いよいよ28日後に迫って来た。2012年冬至に「スピ系の人々が言うようなアセンションも破滅も起きない」と言い続け、安倍晋三氏復活のタイミングを暦の仕組みから予測していた私が、今、心から伝えておきたいのは以下のことだ。もしも、これから『13の月の暦』を使ってみようとする意志があるなら、あるいは、かつて使った経験が少しでもあるのなら、「銀河の同期」までに是非『ドリームスペル』を手にして頂きたい(理解するのは後で良い)。
もちろん公式窓口からで良いのだが、日が迫っているので、タイミングや手続きが不十分だと「銀河の同期」の後になってしまう可能性もある。KIN143(7/5)には横浜二俣川の「宇宙食堂」で、KIN153(7/15)には東急大井町線上野毛でも配布会がある。「銀河の同期」以降も手にすることは可能だが、最後の3300部のひとつを手にする気があるのなら、「銀河の同期」には間に合っていて欲しい。それが本来の賞味期限でもあるし、銀河時間に同期するための装置は、その前に手にしていてこそ意味があるからだ。
クラトゥ・バラダ・ニクト 銀河連盟は静かにやってくる
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