2013年10月22日 03:12
■自己存在の月4日(G10/21)KIN251 青い自己存在の猿(by D)
ビセンテ・アミーゴというフラメンコギターの名手の存在を知ったのは、5年ほど前のことではなかったかと思う。以来、すっかりファンになって殆どのアルバムは手に入れた。演奏、作曲、思想のいずれにも秀逸さを持つこの人物の銀河の署名が「青い銀河の猿(8・猿)」で、2年前の銀河の月の同日(つまり魔術の亀の日)に『ドリームスペル(日本語版第2刷)』の申込受付が開始されたこともあって、その動きには常に注目して来ていた。
だから、2013年に入って、スペイン語で「地球」を意味する『Tierra』というアルバムを発表した時も、「やはりそう来たか」という感じで、ある種の驚きを感じながらも、納得する部分の方が大きかったように思う。しかし、そのアルバムをひっさげての来日公演があるのをいち早く教えてくれたのは、実は友人で翻訳家の白川さん(赤い水晶の地球=KIN77)だった。私達もツイッターやFBの公式サイトをフォローしてはいたが、別ルートで情報を一足先に掴んで知らせてくれたのだ。
とは言え、申込みは公式受付開始日のG7/2(KIN140)からしか出来ない。一番良いS席を購入しても、座席はそのエリア内での抽選で、細かい場所までは選べないようになっていた。それから「銀河の同期」を挟んだおよそ3ヵ月余りは慌ただしく経過。「事件」とも言える興味深い出来事があったのは、渋谷オーチャードホールでの公演を2日後に控えたG10/15(KIN245)のことだった。
『霊性のアート』の動きを覗きにアマゾンを訪れた時、「この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています」という欄に、『プルーフ・オブ・ヘブン』(エベン・アレグザンダー著)という本が表示されたのだ。蝶のカバー絵と「脳神経外科医が見た死後の世界」というサブタイトルに惹かれてクリックしてみると、どうも出たばかりの模様。以前、メルマガで紹介したジル・ボルト・テイラーの『奇跡の脳: 脳科学者の脳が壊れたとき』と似たような話だろうか?なんて思いながら翻訳者の名を見ると、何と白川貴子とある。
翌々日にはコンサート会場で会えるはずなので、早速確認してみると、やはりご本人の仕事と判明。予め知っていた訳ではなく、自分の本から辿って、珍しく興味を持てた本にアクセスしてみたら、友人が翻訳していて、しかも会う直前だったというところに驚きがある。その上、この出来事があったKIN245は、白川さんとの縁を間接的に繫いで下さった青木先生の109回目の誕生KINで、コンサート会場は東急(109)文化村内にあるのだ。何と洒落の利いたシンクロだろうか。
カール・ヨハン・コールマン著『マヤ暦が終わるのは、2011年10月28日だった!』の監修をさせて頂いたのも白川さんのご縁で、何かとお世話になってばかりなのだが、せっかくならその新しい本を翻訳者から直接購入できないだろうか?と図々しく打診してみた。すると、もともと公演当日プレゼントしようと思っていたと伝えて下さったので、お言葉に甘えつつ、私も新刊を持参して差し上げる事にした。
翌、KIN246(10/16)の夜、テオティワカンのシンクロから、ドリームスペルのツォルキンでBC3114年8月12日(私の誕生日から5083年前)の日付を調べてみたら、ビセンテの誕生KINである「8・猿(KIN151)」であったことに気付いて、興奮度がさらに高まる。公演当日は、電気の月の最終日(完全数28日)と、鷲のウェイブスペルの最終日が重なるKIN247。サイ時間単位はパカルの墓室が見つかった日付KIN218。この情報だけでも盛り上がる一日なのだが、午前中は元町アンブロシアへ。
オーナーの野田さん(KIN101=新刊のカバーを描いて下さったみよこさんと同じ)が髪をカットしながら、武術格闘系の面白い話を色々して下さる中で、いつの間にかご両親や御祖父様の話に。これがまた、映画にでもなるんじゃあないかという位のスケールの大きい話で、聞いているだけでワクワクしてしまった。その興奮も冷めやらぬ状態で、夕方から文化村へ。待ち時間にでも読もうと思って、テオティワカンで発掘をされている杉山先生の『ロマンに生きてもいいじゃないか』を持参。
会場内でコーヒーを飲んでひと息ついたタイミングでLが白川さんにメールしてみるも、反応は無し。席は分かっていたので、そのうち会えるかとお手洗いに寄ったら、その場で白川さんが隣に立ってLを見つけてしまった。送ったメールに白川さんが気付いたのは終了後の食事の時だったから、シンクロの方がずっと早くて確実だ。おかげで、コンサート開始前に『プルーフ・オブ・ヘブン』と『霊性のアート』をプレゼント交換することが出来た。
肝心のコンサートは、3列目18番というビセンテ真正面10m以内という素晴しい席で、大いに感動しつつ達人のリキみのない動きを堪能させてもらった。メンバーはビセンテ含め8名。流石に「8・種の年」に「地球」というアルバムのツアーで来日した「8・猿」だ。持参していた『ロマンに生きてもいいじゃないか』が手元に届いたのが「13の月の暦」で3/18(G10/7)だったから、座席とシンクロしていて面白いな、なんて思っていたら、終了後もっと凄いことが分かった。
何と、白川さんの誕生日も同じ3/18(G10/7)だったのだ!白川さんからの知らせで予約した席が、抽選の結果、白川さんの「13の月の暦」の365日暦の誕生日と完全にシンクロしていたのである。白川さんはもともとはKIN77(12・地球)だが、2日前から「3・地球」の道筋に入ったばかり。その日、私の手元に届いた杉山先生の本はKIN137(7・地球)の発刊。そして、これらのシンクロ全てに関係するビセンテのアルバムは「地球」。さらに白川さんの席は4列目33で、4×33=132で「ツォルキンの中心」のイメージもある。
『Tierra』のCDケースの中には「The origin and result of this work is the embrace between the people of The Earth through their music」なんて言葉も書かれている。白川さんと一緒に来られていた大学時代の友人Iさんは、スペインに家を持ち、メキシコに御祖母様のお墓があるだけでなく、住んでいた経験もあるという方だった。当事者としては、これら一連の出来事が無意味に繋がっているとは、とても思えない。
講演終了後、3mの距離(舞台袖)まで近付いたビセンテを見て、私は「仲間だ」とはっきり思ったし、『プルーフ・オブ・ヘブン』も数頁読んだだけで、著者は臨死体験を通じて私と殆ど同じ世界観を持つようになった仲間だ、とやはり思えた(今日も読み進めてその確信は深まるばかりだ)。彼らは地球の水晶核、あるいは銀河の中心、そして自分自身の中心を知っている人たちなのだ。もちろん、この日集った仲間は皆そうだと思う。
ビセンテは、フラメンコギターの名手として世界に知られているのであって、別にスピリチュアルなことを前面に出している人ではない。しかし、私にとっては、チャネラーだとか霊能者と呼ばれる人々などよりも遥かに霊性の本質を突いている人物だと思えるのだ。それは、地球の中心からの音、自分の中心からの音を知っていると感じられるからである。また、深いとこから生じる美をそこに感じるからでもある。それは上辺だけ着飾った美とか作られた音とは無縁のものなのだ。
ビセンテ・アミーゴというフラメンコギターの名手の存在を知ったのは、5年ほど前のことではなかったかと思う。以来、すっかりファンになって殆どのアルバムは手に入れた。演奏、作曲、思想のいずれにも秀逸さを持つこの人物の銀河の署名が「青い銀河の猿(8・猿)」で、2年前の銀河の月の同日(つまり魔術の亀の日)に『ドリームスペル(日本語版第2刷)』の申込受付が開始されたこともあって、その動きには常に注目して来ていた。
だから、2013年に入って、スペイン語で「地球」を意味する『Tierra』というアルバムを発表した時も、「やはりそう来たか」という感じで、ある種の驚きを感じながらも、納得する部分の方が大きかったように思う。しかし、そのアルバムをひっさげての来日公演があるのをいち早く教えてくれたのは、実は友人で翻訳家の白川さん(赤い水晶の地球=KIN77)だった。私達もツイッターやFBの公式サイトをフォローしてはいたが、別ルートで情報を一足先に掴んで知らせてくれたのだ。
とは言え、申込みは公式受付開始日のG7/2(KIN140)からしか出来ない。一番良いS席を購入しても、座席はそのエリア内での抽選で、細かい場所までは選べないようになっていた。それから「銀河の同期」を挟んだおよそ3ヵ月余りは慌ただしく経過。「事件」とも言える興味深い出来事があったのは、渋谷オーチャードホールでの公演を2日後に控えたG10/15(KIN245)のことだった。
『霊性のアート』の動きを覗きにアマゾンを訪れた時、「この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています」という欄に、『プルーフ・オブ・ヘブン』(エベン・アレグザンダー著)という本が表示されたのだ。蝶のカバー絵と「脳神経外科医が見た死後の世界」というサブタイトルに惹かれてクリックしてみると、どうも出たばかりの模様。以前、メルマガで紹介したジル・ボルト・テイラーの『奇跡の脳: 脳科学者の脳が壊れたとき』と似たような話だろうか?なんて思いながら翻訳者の名を見ると、何と白川貴子とある。
翌々日にはコンサート会場で会えるはずなので、早速確認してみると、やはりご本人の仕事と判明。予め知っていた訳ではなく、自分の本から辿って、珍しく興味を持てた本にアクセスしてみたら、友人が翻訳していて、しかも会う直前だったというところに驚きがある。その上、この出来事があったKIN245は、白川さんとの縁を間接的に繫いで下さった青木先生の109回目の誕生KINで、コンサート会場は東急(109)文化村内にあるのだ。何と洒落の利いたシンクロだろうか。
カール・ヨハン・コールマン著『マヤ暦が終わるのは、2011年10月28日だった!』の監修をさせて頂いたのも白川さんのご縁で、何かとお世話になってばかりなのだが、せっかくならその新しい本を翻訳者から直接購入できないだろうか?と図々しく打診してみた。すると、もともと公演当日プレゼントしようと思っていたと伝えて下さったので、お言葉に甘えつつ、私も新刊を持参して差し上げる事にした。
翌、KIN246(10/16)の夜、テオティワカンのシンクロから、ドリームスペルのツォルキンでBC3114年8月12日(私の誕生日から5083年前)の日付を調べてみたら、ビセンテの誕生KINである「8・猿(KIN151)」であったことに気付いて、興奮度がさらに高まる。公演当日は、電気の月の最終日(完全数28日)と、鷲のウェイブスペルの最終日が重なるKIN247。サイ時間単位はパカルの墓室が見つかった日付KIN218。この情報だけでも盛り上がる一日なのだが、午前中は元町アンブロシアへ。
オーナーの野田さん(KIN101=新刊のカバーを描いて下さったみよこさんと同じ)が髪をカットしながら、武術格闘系の面白い話を色々して下さる中で、いつの間にかご両親や御祖父様の話に。これがまた、映画にでもなるんじゃあないかという位のスケールの大きい話で、聞いているだけでワクワクしてしまった。その興奮も冷めやらぬ状態で、夕方から文化村へ。待ち時間にでも読もうと思って、テオティワカンで発掘をされている杉山先生の『ロマンに生きてもいいじゃないか』を持参。
会場内でコーヒーを飲んでひと息ついたタイミングでLが白川さんにメールしてみるも、反応は無し。席は分かっていたので、そのうち会えるかとお手洗いに寄ったら、その場で白川さんが隣に立ってLを見つけてしまった。送ったメールに白川さんが気付いたのは終了後の食事の時だったから、シンクロの方がずっと早くて確実だ。おかげで、コンサート開始前に『プルーフ・オブ・ヘブン』と『霊性のアート』をプレゼント交換することが出来た。

肝心のコンサートは、3列目18番というビセンテ真正面10m以内という素晴しい席で、大いに感動しつつ達人のリキみのない動きを堪能させてもらった。メンバーはビセンテ含め8名。流石に「8・種の年」に「地球」というアルバムのツアーで来日した「8・猿」だ。持参していた『ロマンに生きてもいいじゃないか』が手元に届いたのが「13の月の暦」で3/18(G10/7)だったから、座席とシンクロしていて面白いな、なんて思っていたら、終了後もっと凄いことが分かった。
何と、白川さんの誕生日も同じ3/18(G10/7)だったのだ!白川さんからの知らせで予約した席が、抽選の結果、白川さんの「13の月の暦」の365日暦の誕生日と完全にシンクロしていたのである。白川さんはもともとはKIN77(12・地球)だが、2日前から「3・地球」の道筋に入ったばかり。その日、私の手元に届いた杉山先生の本はKIN137(7・地球)の発刊。そして、これらのシンクロ全てに関係するビセンテのアルバムは「地球」。さらに白川さんの席は4列目33で、4×33=132で「ツォルキンの中心」のイメージもある。
『Tierra』のCDケースの中には「The origin and result of this work is the embrace between the people of The Earth through their music」なんて言葉も書かれている。白川さんと一緒に来られていた大学時代の友人Iさんは、スペインに家を持ち、メキシコに御祖母様のお墓があるだけでなく、住んでいた経験もあるという方だった。当事者としては、これら一連の出来事が無意味に繋がっているとは、とても思えない。
講演終了後、3mの距離(舞台袖)まで近付いたビセンテを見て、私は「仲間だ」とはっきり思ったし、『プルーフ・オブ・ヘブン』も数頁読んだだけで、著者は臨死体験を通じて私と殆ど同じ世界観を持つようになった仲間だ、とやはり思えた(今日も読み進めてその確信は深まるばかりだ)。彼らは地球の水晶核、あるいは銀河の中心、そして自分自身の中心を知っている人たちなのだ。もちろん、この日集った仲間は皆そうだと思う。
ビセンテは、フラメンコギターの名手として世界に知られているのであって、別にスピリチュアルなことを前面に出している人ではない。しかし、私にとっては、チャネラーだとか霊能者と呼ばれる人々などよりも遥かに霊性の本質を突いている人物だと思えるのだ。それは、地球の中心からの音、自分の中心からの音を知っていると感じられるからである。また、深いとこから生じる美をそこに感じるからでもある。それは上辺だけ着飾った美とか作られた音とは無縁のものなのだ。
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