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京都精華大ダライ・ラマ法王講演会からテラへ

2013年11月28日 19:30

倍音の月14日(G11/28)KIN29 赤い電気の月(by D)

11/24(日)、京都国際会館で行われたダライ・ラマ法王とよしもとばななさんの講演会に参加して来た。当日の内容については、主催者である京都精華大ダライ・ラマ法王日本代表部事務所から、出版物など何らかの形で報告されるのではないかと思うので、ここでは、この講演会にまつわる興味深いシンクロをシェアしたいと思う。

今年、精華大で法王の講演があると知ったのは、Lがばななさんのツイートをチェックした9月中旬頃。そこで、大体2ヵ月に一度の割合で関西に出張している私は、9/23に『霊性のアート』出版記念セミナーを終えたその場で、いつも会場として使わせて頂いているチャクラさんの都合を伺いつつ、講演のことも意識して、次回は11/23に暦のクラスの予定を入れた。

帰宅後、9/22(KIN222)に最初の出版記念セミナーをさせて頂いた京都の町家さんにも連絡を入れ、11/24の午前中に使用可能かを打診。幸いこちらも大丈夫だったので、リクエストのあった瞑想クラスを行うことにした。申込み方法等は9/25に発表されると大学のサイトに書かれていたが、私達は11/24の講演会に参加できるという前提で9/24のうちに予定を組み(Lも出張コンサルの予定を入れ)、宿も決めてしまった。

紅葉シーズンということもあり、11/23、24の宿は混み合っていて、特に23(土)は見つけるのが大変だったが、何とか京阪間で1泊分を確保。24(日)は烏丸御池駅至近のホテルが押さえられた(前回近所の御金神社を参拝しておいたからだろうか)。内宮で心御柱奉献が行われた9/25に申込み受付開始。だが、よく読むと、定員1800名の席は、申込み順で決まるのでは無く、45周年記念事業募金に対する寄付をした方&セイカファンクラブのメンバーを優先という条件になっていた。

寄付(一定額以上)よりもファンクラブの方がリーズナブルで、特典に京都国際マンガミュージアムの割引もあったりしたので、私達はひとまずファンクラブに申込む事にした。マンガミュージアムが、偶然取れた烏丸御池のホテルからも目と鼻の先にあることが判明し、何か特別なシンクロを感じたからでもある。

45周年記念事業として講演を主催する大学の狙いにまんまと乗せられた形だが、大学の魅力を伝え、その存在をアピールする方法として優れているし、センスも良い。それは、ファンクラブ会員証が届いた時(10/5)にも感じたことだ。何しろ、オノ・ヨーコが精華大を訪れた時のDVDやマンガミュージアム無料招待券など、それだけで会費分の元が取れたと思わせるような、充実した特典を用意しているのだ。

加えて会員証が届いた日は、式年遷宮の締めとも言える外宮での「遷御の儀」の日で、ヴィジョンのウェイブスペルの初日かつ新月だった(「新月の外宮とテオティワカンの太陽」参照)。私の場合、そういうタイミングの良さにも本物感や先進性の証を見る。ちなみに、会員番号はLが100で私が107。合計のKIN207(12・手)は2012年冬至、マヤ長期暦の完了ともシンクロしている。

2日後の「3・地球」の日に、その会員番号を記入した講演会申込み用往復ハガキを投函。この時初めて、大学の住所が左京区岩倉木野町137だと認識した。同日届いた『ロマンに生きてもいいじゃないか』(杉山三郎著/風媒社)は、テオティワカンの遺跡発掘で知られる杉山氏の自叙伝だが、その発刊日2012年1月25日は、何とKIN137(7・地球)。この同期ぶりは、やはりただ事ではない。

その後、私の62銀河スピン(式年遷宮も62回目)、ビセンテの『Tierra』(地球)コンサート、『プルーフ・オブ・ヘヴン』翻訳者の白川さん(KIN77=12・地球=KIN207の反対のパートナー)との邂逅、遷宮後初の伊勢への参拝、そしてNYにカトマンズと、怒濤の日々が続いた(天と地、天王星と地球の対関係が強く意識される)。ビセンテと白川さんの件については、「地球の水晶核からの音楽」にまとめたが、その後の事はまだ一部をツイートした位で整理出来ていない。ただ、それら全てが関連しあって精華大の講演会に繋がっているのは確かだ。

11/15(KIN16=昭和天皇)の朝、私達はカトマンズでのNPOの仕事を終えて成田に到着した。その直後くらいにダライ・ラマ法王(KIN14)が、そして午後には、キャロライン・ケネディ新駐日大使(1957年11月27日生まれ=KIN128=ガウディ)が同じく成田に到着。「輝きを授ける」倍音の月の始まりに相応しい派手な動きだ。帰宅すると、精華大の入場チケットまで届いていた。後から聞いたら、抽選に落ちた人も結構いて、やはりファンクラブに入っておいたのが利いたようだ。

11/23(KIN24)、のぞみ209号から望む富士山は見事という他無く、車内放送でアナウンスされたほどだ。また、KIN209(1・月)はドリームスペルにおいて特別な意味を持つ日付け。そして、2013年現在の今上天皇の運命の道筋だ。その事に気付いて、手帳を確認しようとしたまさにその瞬間(つまりまだ何も言ってない時点で)、突然Lがスマホで今上天皇の写真を私に見せた。あまりのタイミングに、そういう事には慣れっこになっている私が「ビックリしたー!」と思わず言ってしまったほどだ。
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ちょうどこの日は、天皇が行われる最も重要な祭祀の一つ新嘗祭の日で、そのことを伝えているFBページに、稲穂を手にされた天皇の写真がUPされていたのだ。「黄色いスペクトルの種」(=種、気付きの解放)にもピッタリの出来事で、富士山と稲穂と天皇という組み合わせも美しい。「銀河の同期(7/26)」直前のKIN132に、天王山で天皇をお見かけしていることを思うと、やはり時間船2013の出航とこの出来事は深く関係しているように思える(『20の銘板』では、銀河の同期はKIN209に対応する磁気の月に含まれる)。

それから暫くして、車内扉の上に流れるニューステロップをふと見やると、ちょうど「京都精華大の新学長に漫画家の竹宮恵子さんの就任が決まった(2014年4月〜)」というニュースが流れた。それだけで十分インパクトのある内容なのだが、私達にしてみれば、まさにその大学が主催するイベントに参加しようとしているのだから、驚かずにはいられない。何しろニュースは無数にあり、こちらも乗車中ずっとニュースだけ眺めてる訳ではないのだ。

気になって竹宮さんの誕生日を調べてみると、1950年2月13日生まれのKIN146(3・橋渡し)。現在の運命の道筋はKIN1(1・竜)。まさに新しいフェーズに入って行くのに完璧なタイミングである。しかも私も縁のある鎌倉の在住で、代表作の1つは『地球へ…』だ。また「橋渡し」は惑星ホロンで日本に対応する。ドリームスペルの月の創世記とも重なるのぞみ209号は、魔術飛行に成功した時間船の象徴なのかもしれない。15号車8番を、15番目のウェイブスペル8日目=KIN190と読めば、パカル王の誕生KINでもある。

銀河シンクロ教室は『13の月の暦』の源である『ドリームスペル』の本質を伝えるクラスだが、チベットサポートの縁などもあって、関西では「チャクラ」をその拠点にさせて頂いている。直前に訪れたカトマンズでは、支援先の学校に至近のシャンバリングホテルという宿を初めて使ってみた。オンシーズンで混み合っているというのに、どういう訳かそこに2つしかないスイートにアップグレードされていた。部屋番号も無いその部屋の名は何と「チャクラ」であった。

そんな話をしつつクラスを始め、2つ目のクラスの終盤に「運命の道筋」を取り上げた時のことだ。じゃんけんで決めて例題になって頂いたAさんは、私からぴったり9年後のG8/12(テオティワカン太陽のピラミッド正面に日が沈む日)生まれで、何と誕生KINは竹宮恵子さんと同じKIN146(3・橋渡し)だった!法王が来日され、講演会チケットが届いたKIN16の反対のパートナー(130離れた関係)でもあり、記憶の再構築を強化する関係にある。

その後の展開も俯瞰すれば、新幹線のテロップを目にしたのも、Aさんがじゃんけんで勝ったのも、偶然とは思えなくなる。翌11/24は、京大と吉田山の間に位置する「町家」で天真体道瞑想クラス。精華大卒業生のSさんは、唯一、暦と瞑想の2日連続参加者だ。朝のうちに荷を宿に預けることが出来たので、終了後はそのまま京都国際会館へ。会場への通路の脇に、日当りの良い場所があったので「あそこでお昼にしよう」と近付くと、まさにその場所から立ち上がってこちらに向かって来る2人組がいる。

何と、東京在住の銀河アルケミスト教室(卒業)生のお二人、Aさん(9・鏡)とMさん(9・風)のホワイト9コンビだ!「お待ちしていました」と言いながら下鴨の申餅を置き土産に、先に会場に向かわれた。思えば、講演されるばななさんも「9・地球」だし、NYの旅も9年の時の輪=『20の銘板』の「9人の時間の主の領域(2004〜2013)」と対応していた。法王(KIN14)とばななさん(KIN217)の合計が、今まさにカレンダーラウンドを航行中のLのKIN231と同期しているのも見逃せない。

受付の手法から予想された通り、会場のオーガナイズも見事で、ボランティア学生の働きぶりが清々しかった。そういう場だからだろう、会場での飛び入り質問者の質もなかなかで、意義あるやり取りになっていたと思う。講演終了後、外で最初に目に入って来たナンバーが黄色の164、まさに「銀河の同期」そのものだったのも美しい。多分、この精華大45周年記念行事は、私が思っている以上に「ドリームスペル時間船地球2013」の出航と密接に関係しているのだろう。

翌11/25(13・橋渡し)は、一日紅葉を堪能するつもりで、まずは南禅寺へ。今年のJRポスターの影響で観光客がごったがえす天授庵を横目に、その目の前の三門に登ってみると、これが大ヒット。境内の紅葉だけでなく京都市内まで一望出来る素晴しい眺望で、そんなに混み合ってもいなかった。そこから永観堂を目指して移動している途中、突如Lが学校の敷地の中にフラフラと入って行く。少し敷地に入るだけでも不法侵入とか言われかねない昨今、あまりお薦め出来る行為ではないが、Lは建物の入口にある「共に生きる」という書作品に吸い寄せられていたのだ。

後から、学校の先生に断りを入れて問題は無かったが、ちょうど直前にタカちゃんから情報が入っていた(そちらは東京青山での書展)金沢翔子さんの作品で、確かに強い引力が感じられるものだった。しかし、これもチャイムが鳴る僅かな間、校門が開いていたからこそ起きた出来事で、扉が閉まった後では、直にその作品を目にすることは叶わなかっただろう(校門の外に石彫りのものはあったが)。ちなみに、学校の名前は、東山中学・高校である。
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永観堂の紅葉は実に見事で、見応えがあり、色彩の関係性や距離による見え方の違いなど、学ぶところ大であった。NYで珠玉の芸術作品を沢山見て来たばかりだが、やはり自然には叶わないのかもしれないと思ってしまった。芸術作品は受取り手のセンスに委ねられる面が多々あるが、永観堂の紅葉には、ほぼどんな人をも唸らせ感嘆させる普遍的な美があったからだ。
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小雨が降り始める中、吉田山周辺を散策しつつ吉田神社(※)に参拝。おみくじはLが7で吉、私が17で末吉だったが、7・17と言えば「7・地球」=KIN137であり、NYで導かれたルービン美術館(チベット仏教美術が充実している)のある7Ave,17stにも繋がる数字だ。加えて、私はぴったり9週間前(13暦だと9週目)の秋分の日にも、京都の御金神社で同じ17番を引いている。81(9×9)と64(8×8)の差であるこの数は、ドリームスペルでは「赤い地球」のコード番号であり、テレクトノンでは天国(天王星軌道)への梯子の数でもある。

八角形の本殿に六角の後房を付けた興味深いスタイルの大元宮は、延喜式内社全3132座の天神地祇八百万神を祀っているということで、最後にそこを参拝して、吉田山荘真古館へと向かった。「吉田山荘」と「おめん」、NYおめんの関係、さらには山本兼一と河内國平との関係も書きたいところだが、既に新記録レベルの長大な記事になっているので、これについては、また改めることにしよう。
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締めはマンガミュージアム。気になるのはやはり竹宮恵子さんの作品だ。何しろこのミュージアムとも直接関係のある京都精華大次期学長になる方だ。先に色紙と石膏の手を見つけたが、年代別のところで『地球へ…』を発見。5巻あったコミックスの最初と最後を流し読みし、おおよそ12:60と13:20を対比的に描いていることは掴めたが、よく読まないと細かな設定が把握できない複雑さを感じた。最後に、竹宮恵子コーナーも見つけ、その多様な作品群を目にすることが出来た。
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しかし、これも新幹線でテロップを偶然目にしたからこその楽しみだ。でなければ、この場所で私は竹宮さんの作品を読む動機が無かったからだ。永観堂の住所永観堂町48とシンクロするのぞみ48号で食べた晩ご飯は、烏丸御池にあったル・プチメック2号店のパン。といってもただのパンではない。創造性溢れる何とも美味しいパン達であった。この日の朝訪れたセンディードや、吉田山の茂庵など、京都には選りすぐりのカフェがいくつもあってうらやましい。

こうして、法王のKIN14から始まった魔法使いのウェイブスペル(13日間)の完了と共に、一連の地球(テラ)プロジェクトも完了した感がある。今後は、出航した時間船地球2013をどう育て、安定航行させて行くかということが重要になって来るだろう。幅広い世代や分野の乗組員との活発な交流が期待される。

ひとつのブログ記事としては、過去最長になってしまった気がするが、これから続く諸々の予定を考えると、今のうちに書いておかないと永久に書けないと思い、一気に書いてしまった。冒頭から最後まで休まず読んだ方は、集中力があると思う(笑)。感謝。

(※)吉田神道については「遷御の儀、鶏の声、吉田山」を参照されたし。実は、明日から始まる天真書法塾発表会の私の作品とも繋がっている。

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カトマンズでのチベットサポート活動

2013年11月19日 00:04

倍音の月4日(G11/18)KIN19 青い律動の嵐(by D)

NPOクリカでは、チベット人の子供達への教育支援活動を行っており、2008年以降、毎年ネパールのカトマンズを訪れて、直接子供達と触れ合うことを続けて来ています。今年も無事、ボダナートにあるマナサロワール・アカデミーを訪れることが出来ましたので、以下に報告をさせて頂きます(こちらのFBアルバムと合わせてご覧下さい)。

大使館情報で警告されていた通り、到着した日(11/11・月)からバンダ(全面ストライキ)が行われ、市内の交通機関は完全に麻痺していましたが、直前になってツーリストの移動のみ対象外となり、無事、学校近くの宿に辿り着く事が出来ました。いつもは排気ガスで霞みがちなカトマンズ盆地の空気が澄み渡り、これまでで最も鮮明にヒマラヤの峰々を望めたのは、ある意味バンダのお陰でもありました。
ヒマラヤ2013 
翌日(11/12・火)もバンダが続き、学校自体は休校になりましたが、先生方の呼びかけによって近隣の生徒(校舎に寄宿している子も含む)50人余りが、朝7時過ぎから集まって、私(小原大典)が行う天真体道(新体道)のクラスに参加してくれました。昨年は少し演武をしただけでしたが、今年は1時間ほど時間をもらって授業をするという話になっていたのです。
瞑想 
実は、今年の春から、カトマンズ在住の道友・木村悟郎さんが、この学校で週一回木曜の朝に天真体道クラスを担当するようになったので、今回はそこに加わらせてもらうつもりだったのですが、せっかくなら訪問予定の12日(火)にも、私の号令でクラスをやってみたらどうか?という提案が悟郎さんからあったのです。

もともと、火曜と木曜の朝が運動の時間に割り当てられているとのことで、校長先生のサンモさんとも相談して「それなら是非」ということでやらせてもらいました。しかし、学校に到着するなり日本語で「ようこそーーー!はじめましてーーー!」と子供達から挨拶されたのには驚きました。何と、悟郎さんは、早く到着した子供達に日本語のミニレクチャーもしていたのでした。そんな訳で、この日は悟郎さんの助けを得ながら楽しく子供達と交流をさせてもらいました。

その後、チベットの伝統的な衣装をまとっての歌や踊りをメインに、最近流行っているダンスなども織り交ぜつつ、子供達が歓迎のパフォーマンスを披露してくれました。この時の様子は、近日中にFBのサイトで順次公開して行く予定です。最後に支援している子供達一人一人と対面して(プレゼントなど渡しながら)から、ヒマラヤが見える4階の部屋でお昼を頂いて、この日は解散となりました。
集合写真 
翌朝(11/13・水)、8時半頃に訪問すると、ちょうど校舎の中の広い場所に生徒が集まって、お経を唱えているところでした。「聞いたことのあるフレーズだな」と思ったらチベット語の般若心経で、その後も幾つかのお経、チベット国歌斉唱と続き、大体30分位で終了しました。まだ文字が読めない小さい子は、先生のリードに合わせて言葉を真似、文字が読めるようになった子達(8〜10才位)は、チベット語のテキストを見ながらお経を唱えていました。

毎朝、授業の始まる前にお経とお祈りの時間があり、その後、建物の中央にある広場に整列して、鼓笛隊のマーチに合わせて各教室に入って行く、という流れになっていることを、以前から聞き知ってはいたのですが、今回、初めて見学することができました。これまでは、もっと遅い時間に(ややフォーマルに)学校を訪問していたからです。この日は、バンダも解けて、300人以上いる生徒達で中央広場が埋め尽くされていました。

木曜(11/14)は、悟郎さんの天真体道クラスが7:30から行われるので、それより少し前に学校に行ってみたところ、既に壁を背にした悟郎さんの前に子供達が集まっていて、日本語ミニレクチャーが始まっていました。およそ70〜80人位が集まったところで礼をして、天真柔操が始まります。その後もパラパラと登校して来た子供達が合流し、最終的には100名を少し超える位だったでしょうか。
悟郎さん 
柔軟から入って、突きやジャンプなどをした後、瞑想。ちょっと放っておいたら、すぐ話しはじめたり動き回ったりするような年頃の子供達が、静かに正座をして瞑想を続けていられるのは、結構すごいことだと思いました。日本語ミニレクチャーから子供達を引きつけ、色々と工夫しながら稽古を組み立てて来られた悟郎さんの号令の力と、普段から日々30分座ってお経を唱える習慣が身についている子供達ならではだと思います。

サンモ校長によれば、前日、ボダナートのストゥーパ(学校から500m位)周辺でも小さな爆発騒ぎがあったそうで、何時まで経ってもなかなか政情が安定しない国ですが、そんな環境にもめげず、日々勉強に励んでいる子供達の姿に今年も心打たれて私達は帰国しました。ちょうど、私達が成田に到着した朝に、ダライ・ラマ法王もインドから成田に到着され、今、まさに日本各地を巡っておられます

毎年、日本に来て下さるお陰で、私達はその気になれば法王のお話を直接聞く事が出来ますが、マナサロワール・アカデミーに通う生徒達やその家族の殆どは、チベット人の誇りそのものとも言えるダライ・ラマ法王に、直接会えるチャンスが無いのです。私達に出来ることは、本当にささやかなことだけですが、この学校で学ぶ子供達が、心豊かに育ち、将来、新しい可能性を切り拓いてくれることを信じて、支援を続けて行きたいと思っています。


追伸:今回は、NPO活動としての短い旅でしたが、いつも通り沢山の驚くべきシンクロがあった事は言うまでもありません。それについてはまた項を改めて報告する予定です。お楽しみに。

星々の邂逅

2013年11月14日 23:09

自己存在の月28日 KIN15青い月の犬 (G 11月14日)by L

人と人がある場所で出会ってしまうことに偶然は無い。それはあたかも、それぞれ独自の軌道を持ちながら、あるポイントに収束する星々の邂逅と似ているなと思う。今、バンコクの空港から書いている。カトマンズでNPOクリカの仕事を無事に終えこれから帰国便に乗る。NPOのことは改めて報告させていただくとして、自分用のメモを兼ねてカトマンズでのことを一つだけ書いておこう。

東京を発つ直前、生まれて初めて経験するような後頭部から首背中にかけての激痛に襲われていた。どの方向にも1ミリも首が動かせないし、何もしなくても夜中に突然激痛が走り眠れない。カトマンズ行きも取りやめねばならないかと思った程だ。しかし、D始め信頼する方々の手厚い治療のエネルギーにより、よくなる方向に向かっていることには確信があったので、痛みを抱えたままだったけれど、とにかくカトマンズに発った。

嘘のように激痛が消えたのが、ペムシのヒーリングセッションを2回受けた後である。そう、私の痛みに合わせるかのように、普段はポカラにいる凄腕ヒーラーの彼が、私たちの滞在先のホテルから5分とかからない、彼の友人の所にたまたま来てくれていたのだ!渡りに船とはまさにこのことである。そして、今度はいつ会えるかわからないからと、念入りに治療を施してくれた。

ボウダの金星 ☆ヒマラヤと一番星。 

セッションを受けながら、うつらうつらしつつ気付いたこと。そういえばペムシ(天秤座)の守護星は金星で、現在私(山羊座)の星座に入っている。カトマンズで見つけた一番星も金星だった。面白いことに、私の守護星土星は今さそり座に入っているが、D(獅子座)の守護星太陽も現在さそり座を航行中。カトマンズ在住の道友悟郎さんは、ズバリさそり座の男である。

fbの私の写真を見たある友人から突然メッセージが入っていた。なんと今カトマンズ、それもボウダーにいて、私たちと同じ日に帰国するという。彼女もさそり座だ。そのさそり座の皆さんの守護星、破壊と再生のエネルギーの冥王星は、まさに私の星座、山羊座にいらっしゃる。こうやって考えてみると、人と人が奇跡の様にここで会えるということは、まさに星と星がこの世で輝きを交換することなのではあるまいか。そのように思えてならない。

星々の邂逅2013 
☆2013カトマンズ。ボウダーのストゥーパ前にて。左からD、L、Pemsi、そして悟郎さん。


311から113、911から119

2013年11月10日 00:44

■自己存在の月23日(G11/9)KIN10 白い惑星の犬(by D)

11/3は、新月で金環日食だっただけでなく、『13の月の暦(ドリームスペル)』でも月と日付の「銀河の音」(数)が「4」で重なる「魔術の亀の日」だった。4・種(KIN4)は、紋章コードNoも4だから、魔術ぶりはさらに増していた。

ちなみに、1つ前の「魔術の亀の日」は13日前のKIN251(G10/21)で、私達は台風26号と27号の合間の晴れ間に、遷宮後初の伊勢参拝に行っていた。こちらも4番目の月4日の「4・猿」だったから、スペシャル魔術の亀の日だった。加えて、NY911テロから17回ツォルキンが巡ったタイミングでもあり、NYに行く直前の私達にとっては深い意味があった。
内宮2013 
これを書いている今日は、911の反転である119。金環日食のKIN4は4番目の月の17日でもあったから、4と17と数字反転の間に何か関係があるのかと思ってしまう。少なくとも4番目の月17日のサイ時間がKIN68(4×17)だったことだけは間違いないので、きっと関係はあるのだろう。

話を11/3に戻そう。この日はNYから戻って最初の天真体道瞑想クラスがあった。会場に関して間違ったアナウンスをしてしまった関係で、参加者の皆さんにはご迷惑をおかけしてしまったのだが、この日参加して下さったMさんご夫妻は、当日が結婚33周年の記念日だっただけでなく、ご主人のお誕生日でもあった!(この時初めて知った)

NYで(空港以外で)最後に買い物をした店はブルックリンのMain St.33。帰りのフライトは26という席を指定して予約していたのに、航空会社の都合で何故か当日33に変更された(何の不都合も無く快適だったが席はガラガラだった)。しかし、11/3(=11×3=33)の魔術の亀の日に、結婚33周年のご夫妻と瞑想を共にできたことで、その流れの謎がひとつ解けた気がした。

帰宅後、アフリカから生中継されていた金環日食の様子を目にし、東北楽天ゴールデンイーグルスが創設9(3×3)年目で日本一となったことを知った。ゴールデンリングが生じる日食の日にゴールデンイーグルスが優勝というだけでも十分美しいのだが、この優勝には、色々と多次元的な意味が感じられる深さがある。

11/3の優勝に導いた星野監督の背番号は77。東日本大震災が起きたG3/11はKIN77(12・地球)だった。NYに旅立つ直前にお会いした『プルーフ・オブ・ヘヴン』の翻訳者・白川さんのKINも77だ。優勝の立役者とも言える田中将大投手は、1988年11月1日生まれのKIN237(3・地球)で、優勝時の道筋は「2・風」。地球と天王星(天国)からのサインが多重に示されている(ドリームスペルでは「風」も「地球」の紋章も天王星軌道に対応する)。

調べてみるとゴールデンイーグルスという名前が発表されたのは2004年10月22日(9・手)。そのピッタリ20日前の2004年10月2日(2・手)に、NYの7Aveと17stのクロスする場所、バーニーズニューヨークの跡地に生まれたのが、仏教美術を展示するルービン美術館。7・17=7・地球=KIN137(地球の主の日)で、私達がそこを訪れたのはKIN257(10・地球)。

ルービン美術館が誕生した2004年10月2日、私は、それまで迷いつつ何度も買うのを留まっていた『パドマサンバヴァの生涯』という本を、ようやく手に入れている。それは、この本の発刊日(2000年7月15日)が父の誕生KINと同じKIN88で、パドマサンバヴァ誕生伝説のあるツォペマを訪れる予定の満月の日が、母の誕生KINと同じKIN93になるというシンクロに気付いたからだった。

そしてゴールデンイーグルスという名が発表された同10月22日は、ダラムサラのナムギャル寺で、村上和雄先生に偶然お会いしたり、ネチュン寺を訪れたりしている。これは今、昔の手帳を引っ張り出して来て判明したことだが、今回ルービン美術館を訪れる事になったのは、実はネチュン寺とも深い関係があるのだ!

その後、私達はダライ・ラマ法王にもお会いし、レーヒリ美術館のあるクルー渓谷に向かった。この辺りのことは『シンクロニック・ジャーニー』に詳しく記してある。それから9年、NYのレーリヒ美術館を訪れたことで、クルー渓谷にあるレーリヒ美術館(=レーリヒがそこで生涯を終えた家)は、もう中に入れなくなった事を知った。

今回のNY、レーリヒ美術館の方は意識的に訪れたのだが、ルービン美術館は様々なシンクロに導かれてNYに到着してから初めてその存在を知った所である。しかし全ては繋がっていたのだ。9年の時の輪の働きが東北楽天ゴールデンイーグルス、レーリヒ、チベット(シャンバラ)、NYをひとつにした。それも2013年銀河の同期の年、伊勢式年遷宮の完了直後に。

楽天の創設から日本一までの周期、シャンバラを求めた探検家・画家であるレーリヒのインドとNYの2つの美術館を訪れた周期、バーニーズNYの跡地に生まれたルビン美術館の周期。これら全てが、『時間の法則の20の銘板』の「9人の時間の主の領域」(2004〜2013)と完璧に同期している。この発見は、私が『20の銘板』の日本語版世話人を引き受けさせて頂いたからこそ気付けたことでもある。銀河の知性とその橋渡しをしたアグエイアス夫妻、高橋夫妻に感謝したい。

冒頭に書いた通り、今回のNY行は、911(KIN251)とも深い関係があった。Lはかつてツインタワーから間近の場所に住んでいたことがあったし(この住所も凄いことが判明したがそれについては機会を改めたい)、遷宮後初の伊勢参拝をKIN251にしたのも、かなり意識的なものだった。

また、NY行きには仙台出身の荒木先生の作品、スティール・ボール・ラン(ジョジョ第7部)の影響も少なからずあったが、今日はその荒木先生の75回目銀河の誕生日でもある。先刻ツイッターに74回目と間違えて書いてしまったが、75が正しい。これで、昨日、このNYの旅をベースにしたシンクロ旅行セミナー(仮)のための会場を取った事に合点が行く。何故なら昨日のサイ時間単位はKIN75で、そのセミナーの実施予定日もまたKIN75(G1/13)なのだ。

そして、今日がG暦で9/11の反転とも言える11/9であることも、また偶然ではない。と、自分でこの一連のことを整理して来て思うのである。旅の話とは直接関係ないが、こういう体験の背後にあるものをまとめた『霊性のアート』出版記念セミナーが、1週間後に西荻窪のほびっと村である。ほびっと村はチベット関係の繋がりも深い場。そういう場だからこそ出て来る話があると思う(自分でも予想はつかない)。

また、2週間後には、そのアートのひとつであるドリームスペルと瞑想のクラスが関西である。2013年だからこそ意味を成すということを、後から気付いて後悔したくない方は、是非、この最後のチャンスを活用して頂きたいと思う。『13の月の暦(ドリームスペル)』を使う者にとって、2013年は一度しかない最初で最後の機会なのだ。今、何かを具体的に感じられなくても、「あの時、触れておくだけでもしておけば良かった」と思う日がきっと来るだろう。

もちろん、3300部制作された『ドリームスペル』を既に持っているという方が、より深く本質を掴む機会にもなると思う。また、京都で行う瞑想は、「霊性のアート」の実効性を最も速やかに体験できる機会にもなるだろう。何しろその日は、ダライ・ラマ法王も京都におられるのだから。

追記:ルービン(ルビン)美術館が誕生した2004年10月2日からぴったり9年後(KIN232)、伊勢の内宮で式年遷宮のクライマックス「遷御の儀」が執り行われた。

バーニーズとルビン美術館。物欲から仏欲へ。

2013年11月03日 00:47

自己存在の月16日(G11/2)KIN3 青い電気の夜(by L)

〜ちょっとこれだけメモしておきたい。今回NYの旅で一番印象深かったこと〜

25年程前に住んでいたNY。18年ぶりに行ってみたら(変化するのが当然とはいえ)私の知るNYとすっかり変わっていてビックリ!街はこぎれいになっているし、地元民はユ○ク○の袋を抱えているし。もちろんツインタワーはもう無い(物凄く近所に住んでいた)。なじみだった京都本店のソーホーのうどん屋さんや44丁目のホテルは、気軽に行けないような高級な場所になっていた。地下鉄やバスは、今はメトロカードを使うんだよ。トークンを持ち歩いていたことが懐かしい。

しかし、私にとっての最大の変化の象徴は、かつて私の物欲の殿堂(笑)であったチェルシーのデパート(後に日本に進出したバーニーズの本店)が、その後売られ、デパートだったその美しいデザインの建物が、今はダライ・ラマ法王の秘密寺院に関係する見事な美術館に生まれ変わっていたこと。(2004年10月オープン)

その2つが全く同じ建物であることにハタと気づいたのは、JFKで帰国便に乗り込む直前(その美術館があまりにも素晴しいので気になり、ネットで由来を調べていてわかった。その美術館には、ダライ・ラマ法王もNYにいらした際には必ず立ち寄られるという。)

つまりは、物欲も仏欲も、そうとは知らずにピンポイントで全く同じ場所に引寄せられている私!!あの場所には特殊なエネルギーのレイヤーがあるのかもしれないし、あの建物自体、面白い運命を持っているなと思う。そして、それはそのまま、この18年の私自身の個人的な変化とシンクロしている所が、なんとももう、してやられた感満載なのである!やっぱりNYは面白い!

全くノーマークであったこの美術館には、偶然導かれて行くことが出来た。全てのご縁の力に感謝。
ちなみに、まったく物欲が無くなってしまったわけではありませんが、今回のNY、デパートやブティックには、一歩たりとも足を踏み入れていません(断言)。

☆Rubin Museum of Art
http://www.rmanyc.org


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