2013年12月31日 21:13
■律動の月19日(G12/31)KIN62 白い惑星の風(by D)
予告編を目にした頃から「観るべし」という直感が働いていた『かぐや姫の物語』をようやく観て来た。「今は昔、竹取りの翁といふ者ありけり」……遠い昔、教科書で覚えたフレーズと竹林のシーンから始まるこの映画は、私の想像を遥かに超えて素晴しい作品だった。
普段から映画を沢山観ている訳でもないので、あくまで「私の中で」という条件付きではあるが、今年のベスト映画は『3idiots(邦題:きっと、うまくいく)』かこの『かぐや姫の物語』だ(どちらも私の半生ベスト10にも入る)。もし自分が日本人であることを意識するのなら、『かぐや姫の物語』の方に軍配を上げたい。
理由は色々あるが、何よりもまず『かぐや姫の物語』の本質が、「全ての人にとっての魂の物語」だと感じられたからだ(これは3idiotsも同じだが)。「竹取物語」の原作者にそういう意図があったかは分からないが、少なくとも高畑監督はこのことを強く意識していたのではないかと、パンフレットの監督の文章を読んでみて思う。
私達は、「お月様」に象徴される魂の故郷(浄土)から一時期この地上世界(俗世)にやって来て、また故郷へと還って行く存在なのだ、というのがこの物語の中心テーマだと私は思う。今、この地上世界にいる誰もが(老若男女関係なく)、魂のプロセスとして実際に「かぐや姫の人生」を何らかの形で体験しているのではなかろうか。
無条件の愛(これは自然の厳しさとしても体験される)によって育まれ、天地人々と戯れる里山の暮らし。そこと分離された人工的なルールによって形が保たれている都の暮らし。そして、そのどちらをも包含している(あるいは生み出している)魂の世界の約束。自然のプロセスとして誕生しながら、いつの間にか経済システムや法律という後天的なルールの世界に放り込まれてしまう現代の私達は、皆「かぐや姫的体験」をしていると私は思うのだ。
”目の前の美しさ楽しさ”に心奪われ、大切な何かを見失う瞬間。”誰かの幸せの為に”という愛情(という名の執着)から始まる静かな歪み。そういう目立たぬところにこそ、全ての人が体験する「罪」のきっかけがある。清浄で分離の無い聖なる世界から抜け出て、喜怒哀楽に満ちた俗世を体験する(一神教的にはこの時点を「原罪」と呼ぶのだろう)時には、誰もがその「罪」を知らぬ間に重ねる可能性があること。しかし、何よりも「魂の中心からの決意」こそが全てを決定付けてしまうこと。
…などなど、実に本質的なことを、自然な流れの中で教えてくれる映画だった。後から振り返ると「たーけーの子!」という童たちと「ひーめ!」という翁のかけ声合戦にも深い意味があったように思えてならない。里山に生きる智恵、道具の扱い方、ちょっとしたしぐさや立ち居振る舞い(都の人工的なものも含む)に、日本という国が持っている思いやりに満ちた優しさ、美しさ、奥ゆかしさ、清々しさが見事に表現されていて、日本のアニメならではの表現方法も含め、「ああ、なんて素晴しい国に生まれたのだろう」と感じずにはいられなかった。
ドンパチか(残虐さや狡猾さの)過剰表現で「面白かった」以外に何も残らない映画が巷に溢れる中、こんな気持にさせてくれるというだけでも、この映画は素晴しい。と共に「その素晴しい側面を守り育てること」こそが、現代の日本に生きる私達の「魂の約束」なのではないか、とも思えてしまうのだった。
冒頭から登場する翁の声を、昨年他界された地井武男さんが演じられていたのも印象深かった。地井さんは、若い頃、青木先生に空手を学んでいた方でもあるので、ある意味「道」の先輩でもあるのだ。声を先に録るプレスコという珍しい手法が用いられたからこその出会い。結果的に地井さんの遺作となった訳だが、それに相応しい「歴史に残る映画」だと私は思う。
以下は、その名も『13の月の暦(ドリームスペル)』の観点から見た、私のメモである。その存在すら知らなかったという方が、このブログを目にする事は希だと思うが、もし初めてだという方でも、何となく目を通して頂くと、面白い世界が切り開かれるかもしれない。何しろ、この暦の観点からも『かぐや姫の物語』は特別なのだ。
映画を観たのはKIN60「黄色い銀河の太陽」(G12/29)。古典期マヤの偉大な王パカルが生まれたとされる(古代マヤのツォルキンでの8アハウをドリームスペル風に置き換えた)日付。このパカル王からのテレパシックな影響を受けて1990年に生まれたのが『13の月の暦(ドリームスペル)』。その正式名が『ドリームスペル時間船地球2013の旅』であることからも分かるように、2013年は誕生当初から最大の目標点とされて来た年だった。
その特別な年の最後に観たのが「かぐや姫の物語」だったのだ。劇中の「わらべ歌」やエンディングにかかる「いのちの記憶」がリフレインする中、映画館を後にし、ひと息つこうとカフェを目指す。最初に入ろうとした店が混んでいたのを見て、Lが「ヒカリエに行ってみない?」と言う。実は、かぐや姫の赤ちゃん時代の描写が、『霊性のアート』に登場してもらっているT夫妻のお子さん”ひかり”ちゃんの印象そのものだったので、私もヒカリエを意識していたのだ。
という訳で即移動。11階にあるカフェは展望も素晴しく、結構穴場かもしれない。思えば、ヒカリエは、マヤ長期暦が完了する2012年に誕生していて、延べ床面積は、マヤ長期暦の1バクトゥンと完璧にシンクロする14万4000平方メートル。設計者の安藤忠雄氏は、KIN193(11・空歩く者)の生まれで、ツォルキンを長期暦に置き換えた時にパカル王が最も活躍した時代に対応する日付だ。そしてパカル王はパレンケ王朝11代目の王とも言われている。
そこで、『かぐや姫の物語』のパンフレットを開くと、驚くべき発見があった。高畑監督の記事の中に、『竹取物語』が映画化されたのはただ一度、1987年、沢口靖子主演の市川崑監督によるものだけのようである、という記述があったのだ。当時、高校生だった私はその映画を観た覚えがある。それにしても1987年とは!『13の月の暦』が生まれるきっかけとなったハーモニック・コンバージェンスがあった年だ。
さらに高畑勲監督の誕生日を調べて私の興奮度はさらにUPした。1935年10月29日生まれのKIN129「赤い水晶の月」。まさに月の神話を生み出すにふさわしい監督であるというだけでなく、個人的に色々な意味で驚かされる日付だったからだ。何しろ、BAという波動測定器やウォーターセラピーを共に構築した青山保喜氏も、剣武天真流の本部師範で、チェコで共に演武をしたことを『霊性のアート』に書いた丸山貴彦氏も、共にKIN129なのだ。おまけに「クリスタルスカルの王国」で13個のスカルを見つけたインディ・ジョーンズもKIN129である。
特に丸山氏は365日暦の誕生日まで同じ!ということは、高畑監督のぴったり52年後に生まれたということだ。ちなみに、この52(13×4)年という周期は、マヤ暦や「13の月の暦」での還暦に当たる特別な周期だ。剣武天真流は、地井さんに空手を教えた青木先生が新体道というベース体技の上に生み出されたものだが、その未来を託されている丸山氏は青木先生とも52才差で、現在26(13×2)才。高畑監督は78(13×6)歳。全て13の倍数だ。
加えて、唯一『竹取物語』が映画化された1987年の10/29に丸山氏は誕生している。この時、高畑監督は還暦である52才を迎えていた訳だ。奇しくもこの日は、『ドリームスペル(13の月の暦)』の生みの親の一人、ホゼ・アグエイアスの息子ジョッシュが、交通事故で他界したまさにその日でもあるのだ!ジョッシュのぴったり30日後に生まれ、彼に捧げられた『時空のサーファー』を通じて『13の月の暦』を知った私が、このタイミングでこの事実を知る驚き。だが、もうひと押しがあった。
何と、高畑監督は三重県宇治山田市(現在の伊勢市)の生まれだったのだ。今年、式年遷宮があった伊勢の内宮に本籍地を置き、ホゼと共に『ドリームスペル』を奉納した経験も持つ身としては、興奮度は最高潮である。しかも、帰宅すると『IHM WORLD1月号』が届いていて、その表紙は伊勢内宮の大鳥居と宇治橋。
そこで気になって『かぐや姫の物語』の公開日を調べると、新嘗祭があったKIN24(11・種)=G11/23。この日、私達はのぞみ209号で関西に向かっており、209という数が今上天皇のその時の運命の道筋KIN209とシンクロしている事に気付いたまさにその瞬間、まだ何も言っていない私に、LがFBの天皇の写真(稲穂を手にされた)を見せて驚かされたことが手帳に記されている。
ちなみに私達が座っていたのは15号車8で、これをウィエブスペル15の8番目と見れば、『ドリームスペル』のツォルキンでのパカル王の誕生KIN「8・犬」=KIN190と読める。尚、Wiki情報によると、2013年12月23日、天皇陛下が傘寿の誕生日を迎えたのを記念し、宮内庁によって初めて新嘗祭の様子が映像として公開されたとのこと。パカル王は記録上80歳まで生きたことになっているが(603〜683)、今上天皇は先の誕生日でちょうど80歳になられたばかり。
もちろん、天皇にはまだまだ長生きして頂きたいが、2013年の終わりにこういうシンクロに気付かされるのは何とも印象深い。6/24(=「銀河の同期」33日前の調波33のラストKIN132)には、シンクロに導かれて天王山の麓で直接、天皇皇后両陛下をお見かけしているので、尚更色々感じてしまう。ちなみに、市川監督の『竹取物語』は1987年9月26日(=KIN96)の公開。先にシャンバラは96(8×12)の地域から成るという記事を書いたばかりだったので、こちらも「シャンバラ」=「月の都」などとイメージしてしまう。
そういえば、KIN209は『ドリームスペル』において「月の創世記」の始まりという非常に重要な日付でもある。今上天皇が、まさにそのKIN209の道筋を歩まれた2013年の最後に『かぐや姫の物語』を見たことは、やはり私にとって非常に特別な体験であった。
随分と長くなってしまったが、『ドリームスペル(13の月の暦)』ユーザーとして、そして日本人として、2013年の大晦日にこのことを書けたのは、この上なく嬉しいことだ。62回目の式年遷宮とシンクロするKIN62の夜に、ご縁をのあった全ての方に感謝を込めて。
追記:このブログを書いている最中聴き流していた紅白でmiwaという歌手が「ヒカリへ」という曲を歌っていた。その後、ももいろクローバーZが、シャンバラとかシンクロニシティとか歌っているのも聴こえて来た。かなり驚いた。

予告編を目にした頃から「観るべし」という直感が働いていた『かぐや姫の物語』をようやく観て来た。「今は昔、竹取りの翁といふ者ありけり」……遠い昔、教科書で覚えたフレーズと竹林のシーンから始まるこの映画は、私の想像を遥かに超えて素晴しい作品だった。
普段から映画を沢山観ている訳でもないので、あくまで「私の中で」という条件付きではあるが、今年のベスト映画は『3idiots(邦題:きっと、うまくいく)』かこの『かぐや姫の物語』だ(どちらも私の半生ベスト10にも入る)。もし自分が日本人であることを意識するのなら、『かぐや姫の物語』の方に軍配を上げたい。
理由は色々あるが、何よりもまず『かぐや姫の物語』の本質が、「全ての人にとっての魂の物語」だと感じられたからだ(これは3idiotsも同じだが)。「竹取物語」の原作者にそういう意図があったかは分からないが、少なくとも高畑監督はこのことを強く意識していたのではないかと、パンフレットの監督の文章を読んでみて思う。
私達は、「お月様」に象徴される魂の故郷(浄土)から一時期この地上世界(俗世)にやって来て、また故郷へと還って行く存在なのだ、というのがこの物語の中心テーマだと私は思う。今、この地上世界にいる誰もが(老若男女関係なく)、魂のプロセスとして実際に「かぐや姫の人生」を何らかの形で体験しているのではなかろうか。
無条件の愛(これは自然の厳しさとしても体験される)によって育まれ、天地人々と戯れる里山の暮らし。そこと分離された人工的なルールによって形が保たれている都の暮らし。そして、そのどちらをも包含している(あるいは生み出している)魂の世界の約束。自然のプロセスとして誕生しながら、いつの間にか経済システムや法律という後天的なルールの世界に放り込まれてしまう現代の私達は、皆「かぐや姫的体験」をしていると私は思うのだ。
”目の前の美しさ楽しさ”に心奪われ、大切な何かを見失う瞬間。”誰かの幸せの為に”という愛情(という名の執着)から始まる静かな歪み。そういう目立たぬところにこそ、全ての人が体験する「罪」のきっかけがある。清浄で分離の無い聖なる世界から抜け出て、喜怒哀楽に満ちた俗世を体験する(一神教的にはこの時点を「原罪」と呼ぶのだろう)時には、誰もがその「罪」を知らぬ間に重ねる可能性があること。しかし、何よりも「魂の中心からの決意」こそが全てを決定付けてしまうこと。
…などなど、実に本質的なことを、自然な流れの中で教えてくれる映画だった。後から振り返ると「たーけーの子!」という童たちと「ひーめ!」という翁のかけ声合戦にも深い意味があったように思えてならない。里山に生きる智恵、道具の扱い方、ちょっとしたしぐさや立ち居振る舞い(都の人工的なものも含む)に、日本という国が持っている思いやりに満ちた優しさ、美しさ、奥ゆかしさ、清々しさが見事に表現されていて、日本のアニメならではの表現方法も含め、「ああ、なんて素晴しい国に生まれたのだろう」と感じずにはいられなかった。
ドンパチか(残虐さや狡猾さの)過剰表現で「面白かった」以外に何も残らない映画が巷に溢れる中、こんな気持にさせてくれるというだけでも、この映画は素晴しい。と共に「その素晴しい側面を守り育てること」こそが、現代の日本に生きる私達の「魂の約束」なのではないか、とも思えてしまうのだった。
冒頭から登場する翁の声を、昨年他界された地井武男さんが演じられていたのも印象深かった。地井さんは、若い頃、青木先生に空手を学んでいた方でもあるので、ある意味「道」の先輩でもあるのだ。声を先に録るプレスコという珍しい手法が用いられたからこその出会い。結果的に地井さんの遺作となった訳だが、それに相応しい「歴史に残る映画」だと私は思う。
以下は、その名も『13の月の暦(ドリームスペル)』の観点から見た、私のメモである。その存在すら知らなかったという方が、このブログを目にする事は希だと思うが、もし初めてだという方でも、何となく目を通して頂くと、面白い世界が切り開かれるかもしれない。何しろ、この暦の観点からも『かぐや姫の物語』は特別なのだ。
映画を観たのはKIN60「黄色い銀河の太陽」(G12/29)。古典期マヤの偉大な王パカルが生まれたとされる(古代マヤのツォルキンでの8アハウをドリームスペル風に置き換えた)日付。このパカル王からのテレパシックな影響を受けて1990年に生まれたのが『13の月の暦(ドリームスペル)』。その正式名が『ドリームスペル時間船地球2013の旅』であることからも分かるように、2013年は誕生当初から最大の目標点とされて来た年だった。
その特別な年の最後に観たのが「かぐや姫の物語」だったのだ。劇中の「わらべ歌」やエンディングにかかる「いのちの記憶」がリフレインする中、映画館を後にし、ひと息つこうとカフェを目指す。最初に入ろうとした店が混んでいたのを見て、Lが「ヒカリエに行ってみない?」と言う。実は、かぐや姫の赤ちゃん時代の描写が、『霊性のアート』に登場してもらっているT夫妻のお子さん”ひかり”ちゃんの印象そのものだったので、私もヒカリエを意識していたのだ。
という訳で即移動。11階にあるカフェは展望も素晴しく、結構穴場かもしれない。思えば、ヒカリエは、マヤ長期暦が完了する2012年に誕生していて、延べ床面積は、マヤ長期暦の1バクトゥンと完璧にシンクロする14万4000平方メートル。設計者の安藤忠雄氏は、KIN193(11・空歩く者)の生まれで、ツォルキンを長期暦に置き換えた時にパカル王が最も活躍した時代に対応する日付だ。そしてパカル王はパレンケ王朝11代目の王とも言われている。
そこで、『かぐや姫の物語』のパンフレットを開くと、驚くべき発見があった。高畑監督の記事の中に、『竹取物語』が映画化されたのはただ一度、1987年、沢口靖子主演の市川崑監督によるものだけのようである、という記述があったのだ。当時、高校生だった私はその映画を観た覚えがある。それにしても1987年とは!『13の月の暦』が生まれるきっかけとなったハーモニック・コンバージェンスがあった年だ。
さらに高畑勲監督の誕生日を調べて私の興奮度はさらにUPした。1935年10月29日生まれのKIN129「赤い水晶の月」。まさに月の神話を生み出すにふさわしい監督であるというだけでなく、個人的に色々な意味で驚かされる日付だったからだ。何しろ、BAという波動測定器やウォーターセラピーを共に構築した青山保喜氏も、剣武天真流の本部師範で、チェコで共に演武をしたことを『霊性のアート』に書いた丸山貴彦氏も、共にKIN129なのだ。おまけに「クリスタルスカルの王国」で13個のスカルを見つけたインディ・ジョーンズもKIN129である。
特に丸山氏は365日暦の誕生日まで同じ!ということは、高畑監督のぴったり52年後に生まれたということだ。ちなみに、この52(13×4)年という周期は、マヤ暦や「13の月の暦」での還暦に当たる特別な周期だ。剣武天真流は、地井さんに空手を教えた青木先生が新体道というベース体技の上に生み出されたものだが、その未来を託されている丸山氏は青木先生とも52才差で、現在26(13×2)才。高畑監督は78(13×6)歳。全て13の倍数だ。
加えて、唯一『竹取物語』が映画化された1987年の10/29に丸山氏は誕生している。この時、高畑監督は還暦である52才を迎えていた訳だ。奇しくもこの日は、『ドリームスペル(13の月の暦)』の生みの親の一人、ホゼ・アグエイアスの息子ジョッシュが、交通事故で他界したまさにその日でもあるのだ!ジョッシュのぴったり30日後に生まれ、彼に捧げられた『時空のサーファー』を通じて『13の月の暦』を知った私が、このタイミングでこの事実を知る驚き。だが、もうひと押しがあった。
何と、高畑監督は三重県宇治山田市(現在の伊勢市)の生まれだったのだ。今年、式年遷宮があった伊勢の内宮に本籍地を置き、ホゼと共に『ドリームスペル』を奉納した経験も持つ身としては、興奮度は最高潮である。しかも、帰宅すると『IHM WORLD1月号』が届いていて、その表紙は伊勢内宮の大鳥居と宇治橋。
そこで気になって『かぐや姫の物語』の公開日を調べると、新嘗祭があったKIN24(11・種)=G11/23。この日、私達はのぞみ209号で関西に向かっており、209という数が今上天皇のその時の運命の道筋KIN209とシンクロしている事に気付いたまさにその瞬間、まだ何も言っていない私に、LがFBの天皇の写真(稲穂を手にされた)を見せて驚かされたことが手帳に記されている。
ちなみに私達が座っていたのは15号車8で、これをウィエブスペル15の8番目と見れば、『ドリームスペル』のツォルキンでのパカル王の誕生KIN「8・犬」=KIN190と読める。尚、Wiki情報によると、2013年12月23日、天皇陛下が傘寿の誕生日を迎えたのを記念し、宮内庁によって初めて新嘗祭の様子が映像として公開されたとのこと。パカル王は記録上80歳まで生きたことになっているが(603〜683)、今上天皇は先の誕生日でちょうど80歳になられたばかり。
もちろん、天皇にはまだまだ長生きして頂きたいが、2013年の終わりにこういうシンクロに気付かされるのは何とも印象深い。6/24(=「銀河の同期」33日前の調波33のラストKIN132)には、シンクロに導かれて天王山の麓で直接、天皇皇后両陛下をお見かけしているので、尚更色々感じてしまう。ちなみに、市川監督の『竹取物語』は1987年9月26日(=KIN96)の公開。先にシャンバラは96(8×12)の地域から成るという記事を書いたばかりだったので、こちらも「シャンバラ」=「月の都」などとイメージしてしまう。
そういえば、KIN209は『ドリームスペル』において「月の創世記」の始まりという非常に重要な日付でもある。今上天皇が、まさにそのKIN209の道筋を歩まれた2013年の最後に『かぐや姫の物語』を見たことは、やはり私にとって非常に特別な体験であった。
随分と長くなってしまったが、『ドリームスペル(13の月の暦)』ユーザーとして、そして日本人として、2013年の大晦日にこのことを書けたのは、この上なく嬉しいことだ。62回目の式年遷宮とシンクロするKIN62の夜に、ご縁をのあった全ての方に感謝を込めて。
追記:このブログを書いている最中聴き流していた紅白でmiwaという歌手が「ヒカリへ」という曲を歌っていた。その後、ももいろクローバーZが、シャンバラとかシンクロニシティとか歌っているのも聴こえて来た。かなり驚いた。
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