2014年01月31日 00:20
■共振の月21日(G1/30)KIN92 黄色い磁気の人(byD)
関西への出張は、私にとって日本の歴史を多次元的に再発見する貴重な機会でもある。ある面、「霊性のアート」の実践的研究の場にもなっていて、この1年位は、即興的にシンクロサイン(ドリームスペル風に言えば「お告げ」)を読み取る遊び(=技)に徹していろいろ試している。今回も何も決めていなかったが、ちゃんとサインがあって、然るべき場所に導かれた。まず、2日目午前の予定との兼ね合いで(交通の便を考えて)新たに調べて見つけたホテルは、「安土町」という初めて耳にする住所にあった。市内中心部ながら、これまで全く縁の無かった場所だ。
2日目のクラスも無事終え、雪の中到着した京都で初めて「明日、どこに行こうかな」と考えた。書作品のヒントに「梅」を観ておきたいと思っていたので、「京都 梅 開花」でググってみると、「京の梅情報2014:京都新聞」というサイトがヒット。北野天満宮以外はまだのようで、「ロウバイ、初春の香り甘美 近江八幡・沙沙貴神社で見ごろ」という記事だけが、「梅の咲いている未知の場所」という私の希望に合致する唯一の情報だった。
1/12付の記事だったので、今はどうだろうか?と思ったが、文中に「近江八幡市”安土町”常楽寺の沙沙貴神社」という文字を見つけて、「ムムッ!」とシンクロアンテナが反応。この時点で梅の開花状況はどうでも良くなって、「とにかくこの神社とその周辺を調べてみよう」という気持ちになった。ちなみに、ロウバイ(蝋梅)が梅とは全く違う科属の植物だと知ったのは、東京に戻ってからである(笑)。
「安土」は、天下を統一した信長ゆかりの地ながら派手さは全く無く、沙沙貴神社周辺の情報も、安土町観光協会のサイト位しか参考になるものが見つからなかった。私は観光用マップのギリギリ端に出ている「岩戸山十三仏」と「奥石神社」に引かれるものがあって、さらに調べてみた。すると、岩戸山は聖徳太子の伝説が絡む場所であることが分かった。
曰く《飛鳥時代に聖徳太子がこの山の南裏に瓦屋寺を建てられた時、同じ山並みの向こうの岩戸山に金色の光を発する不思議な岩を見つけられた。太子は、これは仏のお導きと思われて、この岩まで辿り着かれ、仏像を彫ろうとしたが道具を持って来なかった。そこで自らの爪で十三体の仏を刻まれた》と。
銀河シンクロ教室で「サイ時間単位(倫理プロジェクト)」を取り上げる(※週末の横浜ナディアでも行う)関係で、「倫理の十七箇条」や太子の「十七条憲法」のことも意識していたので、私は「今回はここに導かれたようだ」と感じた。聖徳太子については虚構説なども囁かれたりするが、「お告げ(シンクロサイン)」として読み取る私にとってはどちらでも良い話で、むしろ「十七条憲法」が定められたのが、第33代推古天皇の時(これも諸説あるようだが)ということの方が重要だ。
G1/27は、ホゼの命日からぴったり4スピンのKIN89(11・月)で、かつ私の毎月の誕生日でもあった。前夜の雪はすっかり上がって、空は晴れつつあった。安土散策中にはお昼を食べる所が無さそうだったので、ホテルに至近のパン屋で予め仕入れておこうと外に出ると、天照大神の数霊369ナンバーの車がやって来た。写真を撮ると丸八即日便の車。何だか幸先が良い。
京都駅で荷物を預けたコインロッカーも○八と付いた鍵で(多分、八条口の意味)ナンバーは76(11・戦士)。電車のダイヤは事故でかなり乱れて80分遅れとかになっていたが、無事、安土駅に到着。岩戸山自体は30分程で登れるようだが、そこまで1時間歩いてからとなると、後半の動きの自由度が減る気がして、まずは山の麓までタクシーで行く事にした。
だが、駅前に1台だけ停まっていたタクシーの運ちゃんは、駅舎で手に入れた安土観光協会制作の地図を見せながら「この岩戸山に行って下さい」と言うと、「岩戸山?どこやろ…」と何故か困った様子に。ナビも無ければ道路地図で調べようとする気配も無いので、散策マップ上ではすぐ近くに見え、乗り場にも1560円と書いてあった奥石神社をリクエストすると、流石にこちらは大丈夫だった。
しかし、このマップの縮尺はかなりいい加減で、奥石神社までも結構な距離を感じる。新幹線をくぐり国道8号線を越えると、ぴったり乗り場の表示通りの値段で神社に到着。参道にある「老蘇(おいそ)の森と奥石(おいそ)神社」という看板には、以下のような説明があった。
《今から約2250年前、孝霊天皇のとき、この地一体は、地裂け水湧いて、とても人の住む所ではなかったが、石辺大連(いそべのおおむらじ)という人が神の助けを得てこの地に松・杉・桧を植えたところ、たちまち大森林になったと伝えられています。(中略)この森林深く鎮まります奥石神社は、由緒ある名社として延喜式神名帳に載せられているのは、繖山(きぬがさやま)をご神体とする最も古く原始的、根元的な神社であったため、と言われています。》
万葉の時代から歌に詠まれている古い森というだけあって深みを感じたが、参拝を終えて正面の参道へ向かう途中に目にしたのが、1つ前の記事に写真をUPした珍しい注連縄である。後で数えてみたら中央の輪に囲まれたものを合わせて13本の紐が下向きに垂れていた。上記の通り、古代には山をご神体としていたようだが、ご祭神は「天児屋命(あめのこやねのみこと)」となっていた。
この神は、岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大神が岩戸を少し開いたときに太玉命とともに鏡を差し出した神であるから、岩戸山の「金色の光を発する不思議な岩」の話とも関係があるのかもしれない。また、タケミカヅチなどと共に春日神として奈良の春日大社に祀られている神でもあるので、2012年の誕生日に春日大社を参拝している私は、浅からぬ縁を感じた(読み直していて気付いたが、その時の私の道筋はKIN76で、この日はそこから19ヵ月目の毎月の誕生日で、コード番号19「嵐」のウェイブスペルの11日目だった)。
Wikiによれば、孝霊天皇は第7代天皇で、在位期間は孝霊天皇元年1月12日 - 同76年2月8日とされている。7(共振)の月にG1/12のロウバイ開花のニュースが縁でやって来た場所だし、76はロッカーのナンバーだけでなく、チベット民族蜂起のKINであり、現在のLの道筋でもある(そして自分が春日大社に参拝した日だ)。また、2日前の銀河シンクロ教室には、まさにG2/8が誕生日の方がいらしていた(13暦だと反転した8/2になるので覚えていた)のだから、やはり繋がりを感じる。
さて肝心の岩戸山は近くにあるはずだが、標識も何も見当たらない。人気も無いのでどうしようかと思っていたら、ちょうど家から表に出て来られた方がいたので聞いてみると、親切に教えて下さったが、「歩いて行くの?」とも聞かれたので、多分ちょっと遠いのだろう。確かに近くはなく、真っ直ぐな田んぼ道をずーーーっと歩いて、さらに柵沿いの道をずーーーっと歩いて、ようやく登山口に辿り着いた(といってもせいぜい2キロ余りだろうか)。
柵は猪避けらしく、登山道の入口の門も手で扉をあけたら閉めておくよう指示が書いてあった。しかし、入口近くにはお手洗いや立派な休憩所もあって、何故、タクシーの運ちゃんが分からなかったのかは不明。竹やぶの参道を分け入って行くと、すっかり晴天になった日差しもあって、まるで「かぐや姫の物語」の翁になった気分になる(映画に強い影響を受けたこともあって)。標高350mほどの山に石段もきちんと設けられているので、普段、多少なりとも身体を動かしている人なら、そんなにハードではない行程だ。
いくつかのブログに「太子が刻んだ仏はどこにあるかよく分からなかった」なんて書いてあったし、私は最初から13という数以外はあまり関心も無かったので探すこともしなかったが、頂上付近にある磐座にはちょっと期待していた。実際、祀ってあった神明岩(前の記事参照)の他にも巨石がゴロゴロしていて、古代この地は間違いなく聖地だったであろう気配に満ちていた。磐座の横の細い道からさらに登って一番高い巨岩の上に立つと、近江平野、琵琶湖、そしてヒマラヤ山脈のように連なる比叡山系までもが望める。
日中で風も無く日当りの良い頂上は最高に気持ちが良く、天真五相でご挨拶をした後は、朝に準備しておいたパンでお腹を満たし、しばらくその地のバイブレーションを味わった。誰かが置いていった龍の置物の周囲には、これまた誰かが置いていったお賽銭が散らばっていた。一気に山を下って、最初の竹林まで来ると、往路には気付かなかった何とも言えない空間があった。しばし竹林の精霊と対話する時間を取り、聖徳太子が見た「金色の光を発する不思議な岩」は、かぐや姫、あるいは天照大神の波動だったのではなかろうか、などと思いを巡らせた。
平野の道に出てから山を振り返ると、磐座の配置の関係で、何かのキャラクターの顔みたいにも見える。そこからまたひたすら歩いて沙沙貴神社に到着。全国の佐々木さん、佐佐木源氏の氏神さまとして敬拝されている神社ということで、やはり中々に趣があった。参拝後、本殿の屋根を仰ぎ見ると、□が4つ集まった紋が7つ見える。全部で小さい□が28あって、ひと月28日の「13の月の暦」も連想されるし、全辺の数は28×4=112で、この神社に関するニュースの日付1/12にも繋がる。
そして、ニュースになっていた蠟梅が、まだ黄金色の花を咲かせてくれていたのが、何とも嬉しかった。見分けはつかなかったが、京都御所から株分けされた「素心ロウバイ」と地元の氏子から寄贈された「満月ロウバイ」とがあるようだ。そして締めのおみくじは、八番大吉。□が4つに勾玉のデザインもある独自のおみくじだ。そこから駅までの間に、安土養蜂園のハチミツを売ってるお店があったり、朝から八通しの一日だった。そして、これを書いている今日は、『ドリームスペル』の旅程盤(マヤ暦にこういうデザインは無い)において、自由意志の「黄色い人」から始まる8番目のウェイブスペルの始まり。
『時間の法則の20の銘板』のクロノグラフとスコアは「銀河の同期」までに16枚で完結しているが、もしそのままの流れで続いていると見なせば、「黄色い銀河の種の年」は17枚目の銘板となって、倫理の十七箇条や十七条憲法とも繋がる(記事を書いている今日のサイ時間はKIN137=7・地球=7・17 )。最初にタクシーに乗り込んだ駅前には織田信長の像があったが、信長も沙沙貴神社や奥石神社、あるいは岩戸山なんかも訪れていたのかもしれない。最後に岩戸山の麓の休憩所にあった、「近江国岩戸山十三佛由緒」という冊子最終頁にあった文字を抜粋して終わろう。
《八日市市金屋金念寺住職の御揮毫さる(中略)明治三十七年八月建之 新四国八十八ヶ所》
関西への出張は、私にとって日本の歴史を多次元的に再発見する貴重な機会でもある。ある面、「霊性のアート」の実践的研究の場にもなっていて、この1年位は、即興的にシンクロサイン(ドリームスペル風に言えば「お告げ」)を読み取る遊び(=技)に徹していろいろ試している。今回も何も決めていなかったが、ちゃんとサインがあって、然るべき場所に導かれた。まず、2日目午前の予定との兼ね合いで(交通の便を考えて)新たに調べて見つけたホテルは、「安土町」という初めて耳にする住所にあった。市内中心部ながら、これまで全く縁の無かった場所だ。
2日目のクラスも無事終え、雪の中到着した京都で初めて「明日、どこに行こうかな」と考えた。書作品のヒントに「梅」を観ておきたいと思っていたので、「京都 梅 開花」でググってみると、「京の梅情報2014:京都新聞」というサイトがヒット。北野天満宮以外はまだのようで、「ロウバイ、初春の香り甘美 近江八幡・沙沙貴神社で見ごろ」という記事だけが、「梅の咲いている未知の場所」という私の希望に合致する唯一の情報だった。
1/12付の記事だったので、今はどうだろうか?と思ったが、文中に「近江八幡市”安土町”常楽寺の沙沙貴神社」という文字を見つけて、「ムムッ!」とシンクロアンテナが反応。この時点で梅の開花状況はどうでも良くなって、「とにかくこの神社とその周辺を調べてみよう」という気持ちになった。ちなみに、ロウバイ(蝋梅)が梅とは全く違う科属の植物だと知ったのは、東京に戻ってからである(笑)。
「安土」は、天下を統一した信長ゆかりの地ながら派手さは全く無く、沙沙貴神社周辺の情報も、安土町観光協会のサイト位しか参考になるものが見つからなかった。私は観光用マップのギリギリ端に出ている「岩戸山十三仏」と「奥石神社」に引かれるものがあって、さらに調べてみた。すると、岩戸山は聖徳太子の伝説が絡む場所であることが分かった。
曰く《飛鳥時代に聖徳太子がこの山の南裏に瓦屋寺を建てられた時、同じ山並みの向こうの岩戸山に金色の光を発する不思議な岩を見つけられた。太子は、これは仏のお導きと思われて、この岩まで辿り着かれ、仏像を彫ろうとしたが道具を持って来なかった。そこで自らの爪で十三体の仏を刻まれた》と。
銀河シンクロ教室で「サイ時間単位(倫理プロジェクト)」を取り上げる(※週末の横浜ナディアでも行う)関係で、「倫理の十七箇条」や太子の「十七条憲法」のことも意識していたので、私は「今回はここに導かれたようだ」と感じた。聖徳太子については虚構説なども囁かれたりするが、「お告げ(シンクロサイン)」として読み取る私にとってはどちらでも良い話で、むしろ「十七条憲法」が定められたのが、第33代推古天皇の時(これも諸説あるようだが)ということの方が重要だ。
G1/27は、ホゼの命日からぴったり4スピンのKIN89(11・月)で、かつ私の毎月の誕生日でもあった。前夜の雪はすっかり上がって、空は晴れつつあった。安土散策中にはお昼を食べる所が無さそうだったので、ホテルに至近のパン屋で予め仕入れておこうと外に出ると、天照大神の数霊369ナンバーの車がやって来た。写真を撮ると丸八即日便の車。何だか幸先が良い。

京都駅で荷物を預けたコインロッカーも○八と付いた鍵で(多分、八条口の意味)ナンバーは76(11・戦士)。電車のダイヤは事故でかなり乱れて80分遅れとかになっていたが、無事、安土駅に到着。岩戸山自体は30分程で登れるようだが、そこまで1時間歩いてからとなると、後半の動きの自由度が減る気がして、まずは山の麓までタクシーで行く事にした。

だが、駅前に1台だけ停まっていたタクシーの運ちゃんは、駅舎で手に入れた安土観光協会制作の地図を見せながら「この岩戸山に行って下さい」と言うと、「岩戸山?どこやろ…」と何故か困った様子に。ナビも無ければ道路地図で調べようとする気配も無いので、散策マップ上ではすぐ近くに見え、乗り場にも1560円と書いてあった奥石神社をリクエストすると、流石にこちらは大丈夫だった。
しかし、このマップの縮尺はかなりいい加減で、奥石神社までも結構な距離を感じる。新幹線をくぐり国道8号線を越えると、ぴったり乗り場の表示通りの値段で神社に到着。参道にある「老蘇(おいそ)の森と奥石(おいそ)神社」という看板には、以下のような説明があった。
《今から約2250年前、孝霊天皇のとき、この地一体は、地裂け水湧いて、とても人の住む所ではなかったが、石辺大連(いそべのおおむらじ)という人が神の助けを得てこの地に松・杉・桧を植えたところ、たちまち大森林になったと伝えられています。(中略)この森林深く鎮まります奥石神社は、由緒ある名社として延喜式神名帳に載せられているのは、繖山(きぬがさやま)をご神体とする最も古く原始的、根元的な神社であったため、と言われています。》
万葉の時代から歌に詠まれている古い森というだけあって深みを感じたが、参拝を終えて正面の参道へ向かう途中に目にしたのが、1つ前の記事に写真をUPした珍しい注連縄である。後で数えてみたら中央の輪に囲まれたものを合わせて13本の紐が下向きに垂れていた。上記の通り、古代には山をご神体としていたようだが、ご祭神は「天児屋命(あめのこやねのみこと)」となっていた。
この神は、岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大神が岩戸を少し開いたときに太玉命とともに鏡を差し出した神であるから、岩戸山の「金色の光を発する不思議な岩」の話とも関係があるのかもしれない。また、タケミカヅチなどと共に春日神として奈良の春日大社に祀られている神でもあるので、2012年の誕生日に春日大社を参拝している私は、浅からぬ縁を感じた(読み直していて気付いたが、その時の私の道筋はKIN76で、この日はそこから19ヵ月目の毎月の誕生日で、コード番号19「嵐」のウェイブスペルの11日目だった)。
Wikiによれば、孝霊天皇は第7代天皇で、在位期間は孝霊天皇元年1月12日 - 同76年2月8日とされている。7(共振)の月にG1/12のロウバイ開花のニュースが縁でやって来た場所だし、76はロッカーのナンバーだけでなく、チベット民族蜂起のKINであり、現在のLの道筋でもある(そして自分が春日大社に参拝した日だ)。また、2日前の銀河シンクロ教室には、まさにG2/8が誕生日の方がいらしていた(13暦だと反転した8/2になるので覚えていた)のだから、やはり繋がりを感じる。
さて肝心の岩戸山は近くにあるはずだが、標識も何も見当たらない。人気も無いのでどうしようかと思っていたら、ちょうど家から表に出て来られた方がいたので聞いてみると、親切に教えて下さったが、「歩いて行くの?」とも聞かれたので、多分ちょっと遠いのだろう。確かに近くはなく、真っ直ぐな田んぼ道をずーーーっと歩いて、さらに柵沿いの道をずーーーっと歩いて、ようやく登山口に辿り着いた(といってもせいぜい2キロ余りだろうか)。

柵は猪避けらしく、登山道の入口の門も手で扉をあけたら閉めておくよう指示が書いてあった。しかし、入口近くにはお手洗いや立派な休憩所もあって、何故、タクシーの運ちゃんが分からなかったのかは不明。竹やぶの参道を分け入って行くと、すっかり晴天になった日差しもあって、まるで「かぐや姫の物語」の翁になった気分になる(映画に強い影響を受けたこともあって)。標高350mほどの山に石段もきちんと設けられているので、普段、多少なりとも身体を動かしている人なら、そんなにハードではない行程だ。

いくつかのブログに「太子が刻んだ仏はどこにあるかよく分からなかった」なんて書いてあったし、私は最初から13という数以外はあまり関心も無かったので探すこともしなかったが、頂上付近にある磐座にはちょっと期待していた。実際、祀ってあった神明岩(前の記事参照)の他にも巨石がゴロゴロしていて、古代この地は間違いなく聖地だったであろう気配に満ちていた。磐座の横の細い道からさらに登って一番高い巨岩の上に立つと、近江平野、琵琶湖、そしてヒマラヤ山脈のように連なる比叡山系までもが望める。


日中で風も無く日当りの良い頂上は最高に気持ちが良く、天真五相でご挨拶をした後は、朝に準備しておいたパンでお腹を満たし、しばらくその地のバイブレーションを味わった。誰かが置いていった龍の置物の周囲には、これまた誰かが置いていったお賽銭が散らばっていた。一気に山を下って、最初の竹林まで来ると、往路には気付かなかった何とも言えない空間があった。しばし竹林の精霊と対話する時間を取り、聖徳太子が見た「金色の光を発する不思議な岩」は、かぐや姫、あるいは天照大神の波動だったのではなかろうか、などと思いを巡らせた。

平野の道に出てから山を振り返ると、磐座の配置の関係で、何かのキャラクターの顔みたいにも見える。そこからまたひたすら歩いて沙沙貴神社に到着。全国の佐々木さん、佐佐木源氏の氏神さまとして敬拝されている神社ということで、やはり中々に趣があった。参拝後、本殿の屋根を仰ぎ見ると、□が4つ集まった紋が7つ見える。全部で小さい□が28あって、ひと月28日の「13の月の暦」も連想されるし、全辺の数は28×4=112で、この神社に関するニュースの日付1/12にも繋がる。


そして、ニュースになっていた蠟梅が、まだ黄金色の花を咲かせてくれていたのが、何とも嬉しかった。見分けはつかなかったが、京都御所から株分けされた「素心ロウバイ」と地元の氏子から寄贈された「満月ロウバイ」とがあるようだ。そして締めのおみくじは、八番大吉。□が4つに勾玉のデザインもある独自のおみくじだ。そこから駅までの間に、安土養蜂園のハチミツを売ってるお店があったり、朝から八通しの一日だった。そして、これを書いている今日は、『ドリームスペル』の旅程盤(マヤ暦にこういうデザインは無い)において、自由意志の「黄色い人」から始まる8番目のウェイブスペルの始まり。

『時間の法則の20の銘板』のクロノグラフとスコアは「銀河の同期」までに16枚で完結しているが、もしそのままの流れで続いていると見なせば、「黄色い銀河の種の年」は17枚目の銘板となって、倫理の十七箇条や十七条憲法とも繋がる(記事を書いている今日のサイ時間はKIN137=7・地球=7・17 )。最初にタクシーに乗り込んだ駅前には織田信長の像があったが、信長も沙沙貴神社や奥石神社、あるいは岩戸山なんかも訪れていたのかもしれない。最後に岩戸山の麓の休憩所にあった、「近江国岩戸山十三佛由緒」という冊子最終頁にあった文字を抜粋して終わろう。
《八日市市金屋金念寺住職の御揮毫さる(中略)明治三十七年八月建之 新四国八十八ヶ所》
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