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起心書房様のブログにギャラリー展をご紹介頂きました

2014年10月30日 23:25

自己存在の月13日(G10/30)KIN105 赤い磁気の蛇(by L)

天真書法塾シャンバラ教室ギャラリー展「我が心の聖地」、連日沢山の方々が訪れてくださり、心より感謝申し上げます。

先日、私たちの敬愛する、人文系学術書出版「起心書房」の代表、安元剛氏がギャラリー展にお見えになり、感想をブログに紹介してくださいました。安元さんのマニアックな視点にはいつも驚かされ、慈愛のこもった文章の丁寧さには心を打たれます。是非みなさまにもご一読いただきたく紹介させて頂きます。

起心書房:編集室から
「野心憂を忘れ、山情笑を含まずばあらず ─文化の秋に─」

ギャラリー展の会場は世界中のお茶が楽しめるサロン「ラサ」。10月1日からの始まったこのギャラリー展も、いよいよ明日31日が最終日。極上のお茶と書、そしてマニアックな店主を楽しみに、皆さまどうぞいらしてくださいませ。

天真書法塾シャンバラ教室ギャラリー展「我が心の聖地」
会場:二子玉川「ラサ
最終日10月31日(金)13時−20時



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驚きを贈りあう「シンクロプレゼン・ラボ」

2014年10月27日 23:12

■自己存在の月10日(G10/27)KIN102 白いスペクトルの風(by D)

昨日、銀河シンクロ教室【G1】クラスの終わりに、「結局、『ドリームスペル13の月の暦)』は何を目的としているのですか?」という、私にとっては、かなり新鮮な質問をされた方がいた。
dreambank2013dand ☆『ドリームスペル』についてのエッセンスが書かれた『銀河のマヤ』(ヒカルランド)の表紙にも使われたブラッド・ゴールドペイント氏の作品。このシンクロについては、コチラ(←クリック)を参照。

割と注意深い方だったので、私がクラスの冒頭で「『ドリームスペル』は、バラバラになった意識や体を繋ぐ働きを持つ、カレンダーの形をしたツールです」と述べたことや、「自然のリズムと調和し、自分の時間(心)を取り戻す目的で、マヤ暦の仕組みを土台にして新しく生み出されたものです」とか「トップダウンシステムの奴隷状態から解放され、自律的で自由な状態になるためのものです」と伝えた事を、全て聞き逃していたという可能性は、おそらく無かったと思う。

とすると、ありうるのは「カテゴリーエラー」から生じた質問という可能性だ。つまり、「人間関係や運勢を読み取るもの」とか「より良い決断や判断を促すツール」等と言った、「その方にとっての想定」から大きく外れていたが故に、「一体これは何のために、どう使うものなのか?」という疑問が最後まで拭えなかったのではないだろうか。

分かってもいないのに分かったフリをしてみたり、分かる形(鑑定やら占いやらに落とし込む手法が典型的)に無理矢理変形させて受け取るよりは、ずっと誠実な姿勢である。しかし、私が伝えたことの意味や価値が分からなかったからこそ、改めて質問をされたのだとも思う。つまり、「新しい暦を意識し続けることで、自然と調和するとかシンクロニシティが増大するというのは分かったけれど、それで何か得する(利がある)の?」という意味での問いだったのではないだろうか。

確かに、それで恋愛が上手く行くとか、家族関係が改善されるとか、キャリアアップが速やかに行くと言ったような「現世利益的な分かり易い効果」は元々うたわれていないので、そういう観点からのみものごとの判断をしている人にとっては、「謎のツール」であると思う。使う意味が分からないという方もいらっしゃるかもしれない。

そこを逆手にとって、「現世利益的分かり易さ」を売りにしているのが、巷にはびこる【偽マヤ暦情報】である。それらは『ドリームスペル13の月の暦)』情報(※)を部分引用しながら巧みに改変し、本来の目的とも、歴史上のマヤ暦とも全く関係のない「勝手な解釈」がふんだんに盛り込まれたえげつない代物である。もちろん、改変者達はオブラートに包んで上手に伝えているが、私から見れば「原子力はクリーンエネルギーです」と言っているのと同じくらい詐欺的である。

(※)「銀河の音」「太陽の紋章」「青い○○」「ウェイブスペル」「キン○○」などの用語を使っていたら、それは【マヤ暦】ではなく【ドリームスペル13の月の暦)】の情報である。これをマヤ暦と呼ぶのは、マヤ先住民にも、ドリームスペル提唱者のアグエイアス夫妻にも失礼である。

細分化された高額なセミナーを受け続けることで団体権威者に認定され、認定されることで自分もそういうセミナーを開催できる資格を得られるというやり口は、情報を商材とするネットワークビジネスそのものである。そして、認定証を出す側の”先生”は、殆どカルト教祖化している。その証拠に、縁あって客観的情報に触れる機会があっても、それをありのまま受入れることが出来ない(行動を変えない)信者が実際に多数いる。

無意識的洗脳状態から脱するための道具として銀河知性から届けられた『ドリームスペル(13の月の暦)』が、さらに洗脳度を深めるために使われているとは、何とも嘆かわしい限りだが、そういうビジネスに惹かれる人は、同じ穴のムジナ(精神構造が同じ)なのだから仕方がない。「私は人の役に立つ良いことをしているんだ」という免罪符的な言い訳を胸に、行く所まで行くしか、本質に気付くチャンスは巡って来ないのだろう。

さて、一般的な感覚からすると「謎のツール」である『ドリームスペル(13の月の暦)』は、ヨガ瞑想と同じように、本来、自然(宇宙)と自分を繋ぎ、忘却されていた真我(本当の自分)を思い出すための道具である。やり方は、新しいリズムで日付を数え続けること、暦の仕組みを通じて様々な繋がりを見つけること、楽しく創造的に使うことにほぼ集約される。それがある程度継続できれば、結果としてシンクロニシティや気付きが増大し、心身の自由度も増す。少なくとも何かに対して盲信状態になることはなくなる。
dreams.jpg 
銀河シンクロ教室【G1】クラスは、『ドリームスペル』がどういう道具なのか?という背景を伝え、マニュアルのステップ1〜10を実際に(私見を挟まず)行うだけで終わってしまうので、(提唱者達が意図した)実際の使い方とか生活の中での活用方法については、【G2】とか【G3】とかの中でシェアすることになる。そんな訳で、【G1】を一回受けただけで『ドリームスペル』が分かってしまう人はまずいないに等しい。おそらく昨日も【G3】まで続けて受けられた方だけが、その面白さを実感できたのではないかと思う。

ちなみに、2とか3というのは、「どの側面に注目するか」ということで便宜的に分けているだけで、別に難易度を示すものではない。また、私はその時のメンバーに合わせて閃きでアレンジするので、同じクラスでも実際には毎回違うことをやっていたりもする。いずれにしても、銀河シンクロ教室では、デザインそのものに銀河時間が反映されている『ドリームスペル』に実際に触れることで、その時間世界を潜在意識に染み込ませて行くことが出来るようになっている。

これに対して、横浜ナディアで行っている「13の月の暦レクチャー」では、『ドリームスペル』の情報を日常に活かし易い形にまとめた『13の月の暦・手帳』やカレンダー類をベースに話を進めて行く。初心者の中には、こちらの方が、いきなり『ドリームスペル』を手にするよりも入り易いと感じる方がいるかもしれない。しかし、基本、両者は同じ背景のもので、伝える人物も同じなので、実質上の違いは、原初の形態を保持するキットに触れながら学ぶか、カレンダー形式のものを通じて学ぶかという点だけである。

どちらも長年行っているので、総受講者数は相当な数に上ると思うが、果してどれだけの方が継続的に使っているのかは分からない。結局、「自分で工夫して遊ぶ」姿勢のある方なら、1人でもどんどん深めて行けるし、そうでない方や、身近に遊ぶ仲間を作れない方は、しばらくしたら使わなくなってしまうか、「現世利益的分かり易さ」満載のエセ情報に引きつけられて、本質から遠ざかるケースが殆どだろう。

それ故、私は、同じタイミングに暦のクラスに参加された方には、なるべく連絡を取って共鳴場を保持するよう促すのだ。それで自律的な遊びのコミュニティが出来れば、その人たちは長く楽しみながら使い続けられるし、シンクロ体験も加速して、『ドリームスペル』がこの地球に贈り届けられた理由を、自ら体感することにもなる。

「シンクロが沢山感じられるようになると、何がトクなんですか?」という、現世利益的な問いにあえて答えるとすれば、「毎日が楽しみと驚きで満たされる」「人の意見に振り回されず、自分自身でサイン(お告げ)を読んで進めるようになる」「天地自然と繋がっている感覚を深められる」「世界観が大きく変わる」等であろうか。

結局、臨死体験であろうがシンクロ体験であろうが、外部からあれこれ調査し想像しているうちは何も分からないものだ。逆に、体験さえしてしまえば、無駄に「お勉強」する必要も無くなるし、宇宙(自然)由来の智慧か、そうで無いものかも見分けられるようになる。そこで、私は体験自体を促すやり方を開発することで、『ドリームスペル(13の月の暦)』の本質も速やかに理解してもらえるのではないかと考え続け、実験し続けて来た。

暦のことを知らなくても、その目指す世界を直に体験してもらうには、普遍的な原理を活用すれば良い。そこで生まれたのが「シンクロプレゼン・ラボ」というやり方である。その手法自体は、暦クラスの中でも常々伝え続けて来たものだが、実際には暦情報を抜きにしても使えるものである。このシンプルかつ効果的な手法に対して疑いを持てる健全な心の持ち主は、実際にご自分で実験してみて頂ければと思う。別に私のクラスに参加しなくても実験は出来る。

もっとも、このクラスでは、最新の発見をシェアする予定なので、サイトに書いてある手順だけを行う訳ではない。その時々のメンバーに応じて、暦の話をすることもあれば、全く別なアプローチで進めることもあると思う。だから「ラボ」なのだ。進化(変化)し続けている宇宙において、実験は無限に可能である。この惑星に、未知の領域を探求しようとする冒険者の魂を持つ者が存在する限り、偽りの資格保持者がどんなにはびこっても、真実の道が失われることは無いだろう。

11/22(土)KIN128「シンクロプレゼン・ラボ
12/14(日)KIN150「13の月の暦レクチャー」横浜ナディア
12/23(祝)KIN159「銀河シンクロ教室

「未来からの視点」というアート(技)

2014年10月23日 01:14

自己存在の月5日(G10/22)KIN97 赤い律動の地球(by D)

昨日、江本勝所長(※)の葬儀に参列して来た。昔の仲間たちや様々な分野の達人たちも多く参列していて、色々と感じることがあったが、特に印象に残った点に絞って2、3メモしておきたいと思う。

(※)江本氏は、元スタッフには当時の役職で呼ばれることを好まれた。IHM MRA総合研究所の所員だった私は、入社当初から所長と呼ばせて頂いていたので、退社してからもずっと「所長」なのである。

1つは、喪主の江本博正氏(現IHM社長)の挨拶が、堂々としていて見事だったこと。きっと、所長もどこかから見ていて、安心され、頼もしく思われたに違いない。もう1つは、エハン・デラヴィさんの弔辞が、何とも自然な語りかけ方と優しさに満ちていて、感動的だったこと。

マイクを手にするなり、ワインバーで2人が楽しげに会話しているシーンが目に浮かんで来るかのように語りはじめ、米国で通訳を引き受けた時に、江本氏がスタンディングオベーションを受けた場が、感動とエネルギーに満ちていたことなどをシェアして下さった。そしてペルー(だったと思う)で100年後に、親が子供に向かって次のように語りかけるシーンを演じているうちに、涙で言葉を詰まらせて挨拶を終えられたのだった。

「100年前、Dr.江本という人が、水をいただく前に、ありがとうと言葉をかけることを教えてくれたんだよ」

そして、最後に棺に向かって「江本さん、ありがとうございました」と深々と一礼されて席に戻られた。もちろん、他の方々も、それぞれの立場から心のこもった弔辞を述べられていたが、エハンさんの深い思いやりと心意気みたいなものが、きっと私の琴線に触れたのだろう。何かグッと来るものがあった。

後で気付いたのだが、この「未来から今を振り返る」というやり方を、実は江本所長も初期の著書の1冊である『波動の人間学』の中で実践されているのである。所長に初めてお会いした1994年に出たこの本を、私は斎場への往路に追悼の気持ちを込めて読んでいた。その最終節のタイトルは「未来の子孫へのメッセージ」で、以下のように締めくくられている。

[お願いの儀とはこのことです。つまり、そちらの世界から、こちらの世界に、そのような人達を目覚めさせるような波動を3年間ほど、送り続けていただきたいのです。波動の真理について多少のことを理解した今、私の願いはきっとあなたがたに通じることを確信しています。なぜなら、あなたがたイコール私なのですから。 See you soon!! ]

まるでマヤの魔法の言葉「イン・ラケチ(あなたはもう1人の私自身)」のようなメッセージだが、この文章の直前には「シンクロニシティ」という言葉も使われていたりして、所長にはもともと『13の月の暦』に通じる放射状時間の発想があったのだなーと、今ごろになって感慨深く思ったのだった。
サイン 
実はこの本には、2014年2月14日の日付入りで、「愛」というサインをして頂いている。実際には2/12 に『I.H.M.WORLD』用の座談会が行われた時、オフィスに持参して、20年越しで所長にサインをして頂いたのだが、どういう訳か日付を間違えられて2/14にされてしまった。バレンタインデーに「愛」なんて妙な誤解を受けそうだが(笑)、所長の頭の中は、世界中のファンから送られて来るチョコレートの事で、一杯だったのかもしれない。

ところで、「未来の子孫へのメッセージ」を含む『波動の人間学』の最終第13章のタイトルは「波動教育の重要性」となっている。そこで語られている「具体的施策」やヴィジョンは、20年後の今振り返ると、かなりの部分(ある面では予想以上の規模で)実現している。という事は、江本所長やエハンさんが自然に使った「未来からの視点」は、実際に効果のある「時間と意識のアート(技)」の1つと見て良いのではないだろうか。

拙著『霊性のアート』に記した「球状精神宇宙モデル」から見れば、それは過去の記憶場を扱うホ・オポノポノと、水平時間上の位置が違うだけで、垂直時間に働きかける手法としては実質上変わらない技(アート)だと言える。その『霊性のアート』の最終章を「霊性教育の時代」というタイトルにした時、『波動の人間学』の終盤に「波動教育の重要性」について書かれていた事など、すっかり忘れてしまっていたが、今、読み直してみると、用語こそ違え、その趣旨は殆ど同一であることに驚かされる。

結局、私は所長と元々似た考えを抱いていて、そこに強く共鳴したからこそ、周囲の反対を押し切ってでも、その世界に飛び込んで行けたのだろう。そして、結果的に『銀河のマヤ』という共著まで出す機会が与えられたのだろう。ある人物について知りたければ、本人そのものよりもむしろ、その人の周囲に集まった人々の様相を見れば良い。江本所長がどれだけ面白くて飛躍した意識の持ち主だったか、葬儀に参列してみて改めてよく分かった。

と同時に、私は自分の魂の声に従って本当に良かった、と今も思う。あんなに面白いボスや仲間と仕事が出来た事は、私の人生の宝であるし、おかげで今もその道を歩めていることに深く感謝している。私が未来の子孫に何か呼びかけることがあるとすれば、今、行っていることがもう少し広く一般に受け入れられ、教育の現場でも実際に活用されるよう、是非、応援して欲しいということだ。きっと江本所長も、アグエイアス夫妻らと共に、別な次元から応援して下さることだろう、と私は信じている。

写真水の伝道師らしく小雨で始まった葬儀も、終わる頃には太陽の光が。写真は浦安の海。

4年前の「花燃ゆ」

2014年10月22日 00:17

自己存在の月4日 (G10/21) KIN96 黄色い倍音の戦士 (by L)

来年のNHK大河ドラマは、吉田松陰先生(KIN245)の妹が主人公でタイトルは「花燃ゆ」だそう。

天真書法塾では、年に一度全体の発表会があり、次回第13回は2015年1月に開催が予定されている。会場は、明治神宮へと続く表参道のギャラリーだ。ならば明治維新を題材に書こうかな?吉田松陰先生の「諸君!狂いたまえ!」なんて言葉はもう本当に最高だけれど、書題にするには漢字と平仮名のバランスが難しいな?とか思ってみたり、目下色々思案中。

実は私は、4年前の発表会で「花燃ゆ」という作品を既に書き、青木天外塾長(KIN245)から表現大賞を授与された。もちろん書題は大河ドラマを予知していたわけではなく(笑)、当時、杜甫の鮮やかな詩からインスピレーションを得て書いたものだ。「花欲燃(花は燃えんと欲す)」なんて、グッと来るではありませんか!(それにしても当時の私の髪型ときたら携帯少女ミムのよう!笑える!)

花燃ゆ  

自分の生み出した作品は、自分ではどれも氣に入っているけれど、この作品はシャンバラ教室がスタートした年のもので、特に私の生徒諸君の為に書いた思い出深いもの。今日はKIN96(8×12)でシャンバラに関係する日でもあるので、当時のブログ記事も備忘の為に貼付けておこうと思う。
★「花は燃えんと欲す」
http://happykulika.blog91.fc2.com/blog-entry-435.html

シャンバラ教室生と。 
★2010年。みんな若い!

ちなみに、松陰先生を祭る神社は萩と世田谷にあり、世田谷の方は法務局もある関係で、機会のある時には私たちも必ず参拝する。今日FBを眺めていたら、安倍昭恵さんが萩の松陰神社にお参りされていたのを目にした。そんなこともあって、「花燃ゆ」のメモをUPしておこうと思った。


江本所長を追悼して-ツタンカーメンとパカル

2014年10月18日 01:35

電気の月28日(G10/17)KIN92 黄色い磁気の人(by D)

KIN89(G10/14)の朝、IHM時代の同僚だったMさんからFB経由で「まだのようでしたら、なるべく早く所長(※)のお見舞いに行ってください」というメッセージを頂いた。過去、何度か危機的な状況があった時も、何故か大丈夫な気がして、いつも気持ちは向けていたものの、私はこれまで病室までお見舞いに行ったことは無かった。

(※)江本氏は元スタッフからは当時の役職で呼ばれる事を好まれた

だが、Mさんの書き方がちょっと気になったのと、KIN89が『13の月の暦』提唱者のホゼ・アグエイアスが他界したKINで、ちょうどその2011年3月23日(KIN89)から『13の月の暦』のツォルキンが5回巡ったタイミング(=1300日)であったこと、さらに、そのホゼから遺品としてクリスタルスカルを託された江本所長の100回目の誕生KINを翌日に控えていたこと、そして、私もちょうど都心に用事があって、その日ならお見舞いに行ける時間があった事など、全てが重なって私は初めて所長のお見舞いに伺った。

夕方の時間帯、偶々病室には誰もいなかたったので、ナースセンターに断りを入れて入室。最初は眠っておられたが、看護師さんが血圧その他の確認に入ってくると、その問いかけに対して首を縦や横に振って意思をしっかり表明されていたので、意識ははっきりしている様子だった。水を飲ませて欲しいとゼスチャーで示されたので、看護師さんにやり方を見せてもらって、その後、2回ほど私も水を(小さいジョウロ状の容器で)差し上げた(多分どなたかが作られた波動水ではなかったかと思う)。

その事に対してだったのか、お見舞いに対してだったのかは分からなかったが、所長は、声にならない声で「ありがとう」と、しっかりとこちらを見ながら言って下さった。長居してもご負担だと思い、明日が100回目の誕生KINなので、お祝いと回復の祈りを呼びかけること、そしてこれまでの仕事に対する感謝と敬意の気持ちをお伝えし、20分余りで病室を後にした。

翌10/15=電気の月26日が、江本所長の100回目の誕生キンであるKIN90「白い水晶の犬」。つまり、誕生26,000日目だった(閏日を『13の月の暦』のやり方で扱う数え方で)。26日に26,000日目とは、流石所長だなと、その魔法使いぶりに改めて感心してしまったが、この日は急激に気温が下がって体調を崩す人が多かったので、時折苦しそうにされていた所長のことが気になっていた。

10/16(KIN91)は、横浜ナディアでウォーターセラピーの出張セッション。20年近くこの仕事をさせて頂けているのも、元を辿れば江本所長の『波動時代への序幕』が世に発表されたからこそ。そう思うと、道を切り拓いて下さった開拓者に対して、ただ感謝の念が湧いて来る。この流れとシンクロするように、ここ数日読み進めていた『アトンの娘(ツタンカーメンの妻の物語)』(里中満智子作)を、この日、私は読み終えた。

実際に「王家の谷」の墓室も、カイロ博物館にあるアンケセナーメンが捧げたとされる矢車菊のドライフラワーも、そしてツタンカーメンの(当時一般公開されたばかりの)ミイラも目にしている私には、何とも感慨深い物語だった。と同時に、王が死ぬ度に出てくる「(王位)空位の期限は70日」という台詞が気になって仕方が無かった。

何故なら、ツタンカーメンの墓が封印されてから3300年後、ハワード・カーターがそれを開封した日付は、1922年11月4日のKIN70(5・犬)で、自己存在の月18日に当たるその日は、サイ時間単位もKIN70だからだ。ネットで調べたところによれば、70日というのは遺体をミイラにするまでの期間でもあるらしい。

私は、『13の月の暦』というツタンカーメンの時代から3300年以上も後に生まれた暦が、当時の慣習とこのような形で結びついていたことを初めて知って、驚かずにはいられなかった。ツタンカーメンの墓は、マヤのパカル王と同じように、その開封のタイミングまでもがテルマ(埋蔵経典)的なのだろうか。そして今朝(10/17)、再びMさんから連絡があり、江本所長が未明(0:50)に逝去されたことを知った。
打ち上げ所長と☆「銀河の同期」を翌日に控えた2013年7月25日「時間をはずした日」に、ご機嫌の江本勝所長と。

思えば、江本所長の100回目の誕生KINに当たっていた10/15(電気の月26日)から今日までの3日間、サイ時間は、まさにパカル王の墓室開封を示すKIN218(=1952年6月15日)だった。ホゼはパカル王の声を聞いた後、ロイディーンと共に『13の月の暦(ドリームスペル)』を生み出しているのだから、そのホゼからクリスタルスカルを託された所長が、このパカル王の墓室開封のタイミングで旅立たれたのは、やはり偶然とは思えない。

今、書いていて気づいたが、ロイディーンも今年(2014年)の誕生日の翌日にこの世界から旅立っている。どちらも1943年生まれの71才。KIN91(10/16)に読み終えた『アトンの娘』第3巻は、2006年3月10日(KIN71)発行の第2刷のものだった。71才+1日で旅立ったロイディーン、100銀河スピン+1日(71才+86日)で旅立った江本所長。里中さんと同じG1/24生まれのホゼは、72才+58日で旅立っている。

3300年間封印されていたツタンカーメンの墓が開かれた1922年11月4日から、正確に79年後の2001年11月4日には、私の父が他界している。所長は10/17の0:50に他界されたとの事なので、実質的にはKIN91(13・猿)、つまりKIN79(1・嵐)から始まったウェイブスペル(13日間)の終わりに合わせて、この世を去られたと言って良いだろう。

そのKIN79に熱田神宮前で暦のイベントを主催して下さったIさんはKIN70。私はその日、のぞみ58号5号車5で東京に戻ったのだが、KIN58→「6・鏡」→「6・エツナブ」は、パカル王の石棺に刻まれたマヤ暦で、パカル王が冥界に旅立った日付であり、「5・5」=「5・蛇」=KIN5は、江本所長の71才(=他界時)の運命の道筋である。

KIN91の完了とほぼ同時に他界されたとすれば、91-5=86となり、所長は71年と86日この世界を生き抜かれたという事になろう。私が「王家の谷」のKV62、則ちツタンカーメンの墓で、一般公開されたばかりのそのミイラに対面したのは2008年3月3日(KIN14)。1922年に墓が開封されてから86年目のことであった(一般公開は墓室開封85年を記念して2007年11月4日に初めて行われた)。

ここに取り留めなく書いた日付や日数は、私にとって、江本所長とホゼとロイディーンとツタンカーメンとパカル王と父とを繫ぐ時空の目印であり、大切な記憶の鍵である。このタイミングに『アトンの娘』を読んでいた事も、現在KIN26の道筋を歩む私が、所長の誕生26,000日目に(結果的に)最期のご挨拶に行けた事も、無意識的で直感的な行為から生じた流れだ。波瀾に富んだ所長の人生も、きっとずっとそんな感じだったのではないだろうか、と私は想像する。

「波動と水」に関する私の恩人にして大先達である江本勝所長に、心からの感謝と敬意を捧げます。

青色LEDと熱田神宮から始まる国道の関係

2014年10月09日 03:56

電気の月19日(G10/8)KIN83 青い倍音の夜(by D)

10/4(KIN79)に熱田神宮前で行われた暦のクラスは、例のごとくシンクロ率は最高潮だったが、今週末には剣武の合宿があったり何かと忙しいので、ブログUPは連休明けにでもさせてもらおうと思っていた。しかし、昨日ノーベル物理学賞を日本人3名が受賞したことで、どうしても先送り出来ない感じになってしまった。それだけ今回のイベントと、起きている出来事との間に深い関係性が見られるのだ。

10/3の深夜に「御嶽山の噴火と伊勢」という記事をUPし、翌朝のぞみ13号で名古屋へ。【13の月の暦・手帳活用講座】は13:20開始なので、少し早めに到着して、熱田神宮をゆっくり参拝させて頂こうと思っていたのだが、前夜、神宮へのアクセスマップを見ていて、それより前に訪れておきたい場所が1つ出来てしまった。それは熱田神宮南交差点である。

何と、そこは、国道1号と19号が交差する地点で(交差の白い北の城とリンク)、木曽の御嶽山へと向かう19号の起点でもあることが分かったのだ。奇しくも、当日の日付は「青い嵐」のウェイブスペル(13日間)がスタートする「1・嵐」の日。嵐の紋章コード番号は19なので、「1・嵐」は「1・19」とも書ける。講座会場の「えにし」という場所は、そこから19号に添って熱田神宮の敷地分だけ北に向かった神宮北西の交差点にあるマンションの一室だ。然るべき時、然るべき場所とは、こういうことを指すのだろう。
19 22号 
しかし、現地に行ってみて分かったのは、国道19号と22号は同じ起点で重なっており(どちらも北へ向かう)、国道1号を挟んだ反対側は南に向かう国道247号の起点であるということだった。19+22=41。伊勢の遷宮を始めたのは41代持統天皇。その式年遷宮に使われる御用材は、現在、木曽御嶽山の麓から切り出されている。当然、その移動にも19号は使われているはずだ。
交差点 
だが、私が交差点を訪れた10/4時点での日本人ノーベル賞受賞者の数が19名であることは、もちろん知らなかった。当然、その3日後に「青色発光ダイオードの開発」で日本人3名がノーベル物理学賞を受賞し、合計22名となる事など知る由もない。だから、後で19号の起点について話すためだけに(それでも御嶽山や遷宮と関係しているのだから十分なのだが)撮影しておいた写真に一番驚かされたのは、私自身である。そこには「19、22 ここが起点」と書かれているのだ!

しかも、19+22=41に同じ看板にある熱田区神宮二丁目の「2」を掛ければ、ノーベル物理学賞が発表されたKIN82(10/7)となる。 それだけではない。3名の受賞者のうち2名は、何と現在も名古屋市在住で、受賞に関する研究は、名古屋大学に在籍されいた頃に成されたものなのだ!「世の中、こんな事があるのだろうか?」という場面に、何度も何度も出くわしている私が、興奮せずにはいられない。

何しろ、「青い嵐」のウェイブスペルの初日に、名古屋市熱田区の1号×19号の交差点に立ち、それから3日後に、名古屋市在住の2名を含む日本人3名が「青色」発光ダイオードの開発で、ノーベル賞を受賞したのだ。ちなみに、受賞された3名の誕生KINは以下の通り。

赤崎氏は1929年1月30日生まれのKIN7(青い共振の手)。
天野氏は1960年9月11日生まれのKIN106(白い月の世界の橋渡し)。
中村氏は1954年5月22日生まれのKIN144(黄色い磁気の種)。
合計KIN257は「赤い惑星の地球」で、4色綺麗に揃う。

しかも受賞日(電気の月18日)のサイ時間単位は、2年前にノーベル賞を取った山中伸弥教授の誕生キンでもあるKIN49(7×7)。何か背後に見えない秩序があるような気がしてならない。

さて、国道とノーベル賞受賞者数に関する驚くべき発見のお陰で、改めて19号、22号、そして、その合計数にも当る41号について調べてみた。すると、またまたビックリの発見があった。木曽御嶽山の表側を19号が走っていて、その裏手を41号が走っている事には気付いていたのだが、その起点終点については全く意識していなかった。

今回、19号と22号の分岐を調べるにあたり改めて地図を眺めていたら、実は名古屋から長野に向かう19号と名古屋から岐阜に向かう22号の間に、名古屋から富山へと向かう41号がある事が分かった。それだけではない、今回のイベントを主催して下さった3名(思えばこれもノーベル賞とシンクロだ)のうち2名が、この国道41号添いにお住まいだということが分かったのだ。

Iさんは犬山市から、Sさんは高山市から来て下さっていて(この2名が41号添い)、もう1人のIさんは大垣からだった。今回、完璧なタイミングと場所で開催して下さったことを、改めて御礼申し上げる次第である(もちろんその呼びかけに乗って参加された皆様にも感謝)。見れば、亡き父がその昔一時単身赴任していた美濃加茂市も41号添いだ。休日に一度だけ訪れ、犬山城や明治村に寄った記憶がある。

話を10/4に戻そう。名古屋から名鉄に乗り換えて神宮前で降りた私は、駅前タクシー乗り場近くでフラフラ地面を歩いているウグイスを見つけ(乗り場のオジさんがケアしてくれた)、その後、境内の駐車場をつっきって神宮南の交差点に向かおうとしていた。境内(駐車場)に最初に足を踏み入れた瞬間、向こうから迫ってきた車のナンバーは369だった。

「熱田大神とは、三種の神器の一つである草薙神剣を御霊代・御神体としてよらせられる、天照大神のこと」という説明があったが、369は天照大神の数霊として知られ、それは9×9魔方陣の縦、横、斜の合計数でもある。そしてこの魔方陣の中央に来る数は41である。

交差点に寄った後、南の正門から入り、まず本殿に参拝。その後、境内を一巡りして「宮きしめん」でお昼を頂いた。会場マンションの入口で、奈良から来て下さった唯一の男性参加者(大阪にも来て下さった顔見知り)とバッタリお会いして、少し分かり難い入口に何とか到着。会場の「空間えにし」は、窓から熱田さんのが良く見える景色の良い部屋で、室内には弥勒(369)仏の像が沢山あった。

ちょうど、10/1から二子玉川の「ラサ」で開催されている天真書法塾シャンバラ教室展では、中央壁面にLの「縁」という字が掲げられているのだが、「縁」は「えにし」とも読める。また、主催者の1人である犬山のIさんは、その教室展のスタート=チベット民族蜂起=Lの現在の運命の道筋ともシンクロするKIN76。だからかどうかは分からないが、Lと良く似たシャツと殆ど同じ靴を履かれていた。主催者と私も含め、会場にいたのは総計22名。既にノーベル賞の受賞が示されていたかのようだ。

細かいシンクロを挙げたらキリがないので、少し絞ってメモしておこう。「運命の道筋」の例題に立候補されたのはG9/11生まれのKIN226の方。私は、のぞみ13号4号車11で名古屋に着いたが、同時多発テロは、13年前の9/11で、その日はKIN251=4・猿=4・11だったと後になって気付いた。今、私がメルマガでNYについて書いているのは、ある部分13年前の出来事に対する慰霊的な行為なのかもしれない、ということを、この方を通じて思い出させて頂いた。

もちろん、この時点では知らなかったが、その3日後にノーベル賞を受賞した天野氏も同じ9/11生まれ。天野氏のKIN106は、今シャンバラ教室展が行われている二子玉川「ラサ」の主人、石川さんの誕生キンでもある。また、会場には中村氏と同じKIN144の方も参加されていて、息子さんはNYにいらっしゃるとのこと。何とも不思議な繋がりだ。その後、場所を変えて行われた懇親会でも楽しいシンクロ発見は続いたが、あんまり拡散すると訳が分からなくなるので、熱田神宮と出雲との関連をあと少しだけ書いて終わりにしよう。
熱田神宮 *秋晴れの一粒万倍日ということで753や婚礼で境内は賑わっていた

参道の脇にあった「神話と歴史でたどる熱田神宮1900年の歴史」というパネルには、興味深い事が沢山書かれていたが、天武天皇朱鳥元年に草薙神剣が熱田に戻ったということや、鎌倉幕府を開いた源頼朝が熱田で生まれていて、母が熱田大宮司の娘だったこと、その関係で鶴岡八幡宮に熱田大神を勧請したことなどは、初めて知った関係もあって、特に印象に残った。

コード番号19の「青い嵐」の日に訪れた熱田神宮は、国道19号の起点という他に、神苑面積が約19万㎡だったり、2013年が日本武尊が亡くなられてからちょうど1900年に当る等、何かと19と連動する場だった(そして今日は19日)。また、本殿が新しくなって、ご神体(草薙神剣)が遷座されたのは2009年10月10日、KIN80(2・太陽)。

5年経つと、365日暦と260日暦の関係がちょうど5日分ズレるという法則により、高円宮典子さまと千家国麿氏の結婚式が行われた10/5も同じKIN80であった。大型の台風18号が上陸し、ほぼ日本全土が大雨だったのにも関わらず、出雲だけは雨に降られなかったのは流石である。まさに「赤い太陽の月の年」(普遍的な水)の「黄色い月の太陽」(普遍的な火)という印象。

ちなみに、千家国麿氏はスティーブ・ジョブズ氏と同じKIN162だが、現在の道筋はKIN47(8・手)で、式を挙げた日のサイ時間単位もKIN47。そして、その(2・太陽の)日、テニスのジャパンオープンで優勝した錦織選手は、松江(出雲)出身の「10・太陽」(道筋は「8・太陽」)。然るべきところで決める人物は、自然とこの暦の周期に合致する。知識など一切無くても「自然な人」なら、勝手にこの暦に同調するのだ。

つまり、自分自身の時間を生き切り、自然(宇宙)と調和する生き様を貫いていれば、細かい知識など必要ないということ。知識は、私が今こうして遊んでいるように、楽しむため、あるいは、ちゃんと自分時間を生きているかどうかを計るのに役立つ、という程度のものである。「気付く感覚」さえ養われていれば、自ら発見できるし、未知の場面でも応用が利く。逆に『13の月の暦』を本当に使えているのであれば、その人は、気付きと発見の名人であるはずなのだ。
イギー*私がジョジョファンだと知った参加者の方が、バルーンアートで作って下さったイギー

ラサでのギャラリー展、にぎやかに開幕

2014年10月06日 16:16

電気の月17日(G10/6)KIN81 赤い電気の竜(by L)

天真書法塾シャンバラ教室ギャラリー展
〜仏の教えに由来する聖なる一文字に想いをのせて〜
虹風教室のみなさんも友情参加してくださり、とても賑やかに開幕しました。


ラサオープン 

亡命先のカナダから送って来たチベット人生徒の作品、退職してセカンドライフを逞しく生きている生徒の作品、姉妹で切磋琢磨している生徒の作品、看護婦さんが過酷な仕事の合間に書いた作品、恋している人の作品、遠方でスカイプ授業を受けている生徒の作品、カレンダーラウンドを迎えた人の作品、仕事や子育てに立ち向かいながら書いている生徒達の作品。

眺めていると、本当に書は人なり、だなと思う。今回のギャラリー展は教室生の作品がメインで、私たち師範の作品はオマケのようなもの。どうぞみんなの命を観に来てくださいね。二子玉川のラサで、10月31日(金)まで開催中です(月曜休)。

詳細はこちらです。
http://happykulika.blog91.fc2.com/blog-entry-769.html




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