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魔術都市トリノの聖なる引力

2014年11月26日 03:34

倍音の月11日(G11/25)KIN131 青い磁気の猿(by D)

KIN128(G11/22)の新月にスタートした「シンクロプレゼン・ラボ」は、さすがにその時空に同期する人々の集いだけあって、驚きに満ちていた。クラス終了後も、余韻が残るというよりは、より加速するような形で発見が続いたまま、今に至っている。

ラボの中で私がシェアした内容は多岐に渡っていたが、中心的な話題として触れたのは、G2月末に訪れたトリノの旅の日程(KIN116〜122)と、2週間前に訪れたカトマンズの旅の日程(KIN116〜121)が、ほぼ完全にシンクロしていて(つまり260日ズレた関係にあって)、KIN118(1・鏡)には、どちらの国でも小学校で剣武の演武をしていた、ということだった。
トリノ学校演武 ☆KIN118(1・鏡)トリノの学校での演武

その日の『テレクトノン』カードには【バクトゥン8:BC353〜 [聖別された者](中略)キリストの到来。ボロン・イクはパレンケ創設の霊感をもたらす。仏陀の教えの普及。】という記述があったが、まさにそれに沿うかのように、トリノ聖骸布(キリストの遺体を包んでいたとされる)とボダナート(仏教の聖地)の話題をリンクさせながら語ったのだった。

終了間際には、ボン教に関する深遠なるシンクロにも気付けたが、それについては、いずれ別な話題で触れる予定なので、今回はトリノの方に焦点を当てておきたいと思う。トリノが魔術都市であることを知ったのは、滞在最終日のKIN121(PCU164)になってからだった。この日の担当ガイドの方が、以下のような事を教えて下さったのだ。

「欧米には白魔術の街が3つ、黒魔術の街が3つあります。白はプラハ、トリノ、リヨン、黒はロンドン、トリノ、サンフランシスコ。白黒どちらもあるのはトリノだけです。」

私は1人戦慄を覚えながらこの解説を聞いていた。何故なら、剣武天真流の最初の海外演武は2012年のプラハで、2回目がトリノだったからだ(リヨンには帰国後割とすぐに本の中で出会った)。どういう選択基準なのかは分からないが、数少ない欧州訪問の中で白魔術の街を2つ、それも「剣武」の関係で訪れたという事実には驚かずにいられない。しかも、青木先生をはじめとする演武メンバーは、最終日の朝早くフランスに向けて移動されてしまったので、この話を直に聞いた演武メンバーは私だけだったのだ。

オロ』のカメラマン・津村さんとの驚きの再会については、3か月程前に「オロからラサ、聖杯伝説から魚拓へ」の中に書いたが、10月半ばに「天真書法塾シャンバラ教室ギャラリー展」にも奥様共々お越し下さって、少し先にいらして下さっていた青木先生、吉田先生にもご紹介することが出来た。

その時、津村さんは、何とトリノでのお仕事から戻られたばかりで、魔術(魔法)都市トリノには白黒両面あって、それぞれ3つあるという話をいきなりされたのだった。もちろん、それは私が聞いたのと同じ組み合わせだった。その時、トリノには画家のキリコに関する取材で行かれたとおっしゃっていたのだが、それがラボの翌日、11/23(KIN129)に放映される日曜美術館に関するものだとは、その数日前にFBで津村さんご自身が書かれるまで知らなかった。

津村さんが伊勢の式年遷宮公式カメラマンもされていたと伺ったのは8月にお会いした日の翌日。結婚と同時に内宮に本籍地を移し、ホゼと共に『ドリームスペル』を内宮の神楽殿で奉納したりもしている私達は、驚愕せずにはいられなかった。何しろ津村さんについては、『オロ』のカメラマンということしか存じ上げていなかったのだから。その津村さんの撮られたトリノの映像が、新嘗祭のタイミングで放映されるというのも、また驚きである。

しかし、トリノマジックはこれだけではなかった。ちょうど20日前のKIN111に、トリノの聖骸布の公開(2015年4月19日=KIN16 〜)と、ローマ法王フランシスコ(KIN23)のトリノ訪問予定を、バチカンが発表したのだ。「13の月の暦」で16週目(G11/11)に訪れたカトマンズでの宿泊先の部屋番号が16だった時も、当然その事を思い出していた。
聖骸布箱 ☆聖骸布が収められているところ

そうした流れがあったところにキリコ繋がりでトリノが来たので、キリコの誕生KINも調べてみた。すると、何とフランシスコ法王と同じKIN23(10・夜)だったのだ!アルゼンチン出身のフランシスコ法王の本名は、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ。ホルヘの綴りはJorgeで、ジョルジョ・デ・キリコのジョルジョと実質同じだから、この二人は誕生KINだけでなく名前まで同じなのだ。

加えて、日曜美術館の中では、有名な「通りの神秘と憂愁」は、キリコが23才でトリノを訪れた時の経験が土台になって生まれた作品であるという解説がなされていた。KIN番号だけでなく年齢までも23で共鳴している。伊勢の内宮に至る道が国道23号であることを思うと、どちらも映像に収められた津村さんのシンクロ力に驚くばかりである。ちなみに、津村さんはKIN246(123×2)で、トリノで一緒に演武した吉田倫子さんとも同じKINだ(日本からの演武メンバーは宗家、倫子さん、丸山貴彦さん、私の4名)。

剣武天真流の本部稽古は月4回。その内の2回は宗家が直接指導をして下さり、残る2回は4名いる本部師範が交代で号令を担当している。日曜美術館を通じてトリノを再訪した気分になった日(KIN129)の夜は、ちょうどトリノに一緒に行った丸山貴彦さんと私の担当日で、しかも貴彦さん(KIN129)の260日暦の誕生日でもあった。

帰宅後、旅の資料を見直してみて驚いたのは、「イタリア トリノ サムライと書道展 友好訪問団」の全メンバーが16名で、貴彦さんと私は330号室に泊まっていたということ。そして、この事に調波33初日のKIN129に気付いたことだった。しかも、私達が滞在したホテルは、聖骸布が保管されているドゥオーモ(サンジョヴァンニ大聖堂)から目と鼻の先にあったのだ。
ドゥオーモ ☆白い建物がドゥオーモ(この中に聖骸布がある)

バチカンから聖骸布の公開が発表されたG11/5(KIN111)は、旧暦だとうるう9/13で、今年2度目の13夜が巡って来る日だった。KIN111は私の反対のパートナー(運命キンから130離れた関係)なので、26才の時の「運命の道筋」とも言える。トリノに行った時の貴彦さんは、26才だった。「反対のパートナー」は「反対キン」の最も特殊な例だが、ちょうど今週18週目は、日々のキンとサイ時間単位が、綺麗に7日間「反対」の関係で続く。

ローマ法王が来年トリノを訪れる時は78(52+26)才になられているので、やはり「反対のパートナー」のKIN153の道筋となる。思えば、剣武天真流宗家の青木先生(KIN245)も、反対のパートナーの道筋(KIN115)に入った(つまり78才になられた)直後にトリノ入りされている。この異常な程の「反対のパートナー」シンクロは何を意味するのだろうか。調波33という対称(逆とか反対とか)の無いポイントで、最も離れた両極を意識することの面白さを感じる。

『ドリームスペル(13の月の暦)』における「反対」の関係は、互いに持っていない要素とか、見えていない側面などを意味する。とすると、「反対のパートナー」というのは、陰陽とか±の極みの状態を示しているとも言える。これはある意味、引力が最高潮になる関係ではなかろうか。トリノと連動する形で、ここまで「反対のパートナー」に流れが向かうのは、魔術都市トリノが持つ「引力」が関係しているのかもしれない。

「猿の創世記」「猿のウェイブスペル」の初日でもある「青い磁気の猿」の今日、この内容について書こうと決意したのも、「魔術」「引きつける」というキーワードがあるからだ。と同時に、ここまで書いて来て、最後にアナウンスしようと思っていたこととも深く関係している事に気付いた。

冬至直前の12/20(KIN156)、「剣武天真流演武発表会」が西新宿で行われる。剣武の稽古人がこの1年の稽古の成果を発表する場なので、ご関心のある方ならどなたでもご覧になれるし(入場無料)、トリノで演武したメンバーも、蒼天道場で稽古しているLや虹風さん&新人のSさんも出演するので、友人知人お誘い合わせの上、是非、ご来場いただければと思う。私もプラハやトリノで演武した頃よりはずっと進化しているし、何より青木宗家の演武を生で見られる貴重な機会でもある。
トリノ小原 ☆聖骸布から300m位の距離で演武

また、剣武天真流では、「天地清浄祓い」という一切を祓い清める型が、その中心に据えられている。1年の諸々を清める「大剣祓い」をイメージしながら、全メンバー演武会に向けて意識を高めているので、スカッと爽快な気持ちで新しい年を迎えたいという方も、どうぞ会場にお越しいだければと思う。きっとその効果を実感して頂けることだろう。

私自身は、今年、平成26年の誕生日にKIN26の道筋に入ったので、KIN156に行われる演武会は、ちょうどそこから130日後に当たる。つまり反対のパートナーの関係が、誕生日と演武会の間に成り立っているのだ。今日KIN131から演武会のあるKIN156までの26日間に、魔術的な引力は、さらに高められて行くことだろう。聖骸布と剣武と「13の月の暦」が織りなすこの引力を、どう活用するかは、皆さん次第だ。
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チベット支援がもたらす縁

2014年11月20日 23:37

■倍音の月6日(G11/20)KIN126 白い太陽の世界の橋渡し(by D)

NPOクリカでは、年に一度、カトマンズにあるマナサロワール・アカデミーを訪れ、教育支援をしているチベット難民の子供達に会いに行くという活動を続けて来ている。何故、そういう活動を始めたのか、あるいは、どういう流れで今のようなスタイルに落ち着いたのかについては、サイトや拙著(『シンクロニック・ジャーニー』や『霊性のアート』)を参照頂ければと思うが、現地を訪れるのも今回で早7回目。
ヒマラヤ 
あっという間の気もするが、支援を開始した時には入学したての4歳だった子供達が、すっかりお姉さんの11歳になっているのだから、年月の経過を実感せずにはいられない。現在支援している11人の子供達のうち3人は来春には卒業予定で、卒業後は次の段階の学校へと進むことになっている。そう思うと、感慨深くもあり、同時に、ちょっと寂しい気持ちにもなる。
子供11 
今年も11/12~14に学校を訪問し、支援者からのプレゼントや手紙を子供達に渡したり、一緒に天真体道新体道)を行ったりして来た。その様子については、アルバムに整理してあるので、そちらをご覧いただければと思う。今回、特に記しておきたいのは、タイミング良く他の支援グループのメンバーと交流出来たこと、そして『チベットの少年オロ』の上映会を行えたことだ。

ドバイから来ていた支援者グループは、ベラルーシ、ラトビア、ブラジル、コロンビアとその出身地は多様で、記念写真に納まった学校の代表者2名(チベット、ネパール)と私達を加えると、全部で7カ国の人がそこに集っていたことになる。背景となる文化や言葉が異なっていても、同じことに意識が向いている人々とは自然に打ち解けてしまえるのは、人間は本質的には何も違わないからだろう。桜の咲くころ日本を訪れたいと言っていたので、彼女達とは意外と早く再会できるかもしれない。
7カ国 
いつも子供達が歌や踊りで歓迎してくれるので、私も彼らに喜んでもらいたいという気持ちで、剣武の演武を少しばかりやらせてもらった。幸いな事に、現地には、カトマンズ在住7年となる道友の木村悟郎さんがいてくれるので、木刀もお借りすることが出来た。悟郎さんに協力して頂いて、ちょっとした組手なんかも行ったが、子供達が喜ぶのは、いつも「エイ!」という気合いのところ。そういう習慣が無いからなのだろうが、何であれ楽しんでもらえれば良いのである。

故・岩佐寿弥監督の作品『チベットの少年 オロ』の上映会をする事になったのは、カメラマンを務められた津村さんが、夏に私のブログを読んで連絡を下さったことに端を発している。もちろん、もっと遡れば、この映画に出演しているツェワンさんと津村さんが27年前に偶然出会ったことが全ての始まりで、そこから岩佐監督夫妻につながり、ずっと後になってこの映画が生まれたのだが、ツェワンさんの妹のドルマさんがシャンバラ教室に通っていたり、彼女が移住先のトロントでこの映画の上映会を行ったことなど、折り重なる縁があって初めて実現した話でもあった。

監督の奥様の靄子さんや津村さんご夫妻が、二子玉川「ラサ」で行われた天真書法塾シャンバラ教室ギャラリー展にご来場下さったのも、ドルマさんの作品が展示されていたことと関係があるし、そこからプロデューサーの代島さんと話をする流れも生まれたのである。また、上映にあたっては、同じくシャンバラ教室で学んでいたドルマさんのパートナー、ペムシさんが大活躍してくれて、機材の準備やセッティングのほぼ全てを学校の先生方と協力して行ってくれた。
オロ 
おかげで、250人もの子供達に映画を見てもらえた訳だが、年齢の低い子供達にとっては、ちょっと時間的に長かったようで、後半はじっとしていられない子が目立った。ただ、登場人物と体験が重なる先生方や上級生は食い入るように観てくれていたので、また機会を改めて見てもらえたらと思う。

翌朝は、昨年から週一回、木曜朝に行われるようになった木村悟郎さんの天真体道新体道)のクラスに参加し、悟郎さんの計らいで、私も一部号令を担当させて頂いた。子供達は授業の中で、チベット語、ネパール語、英語を学んでいるが、悟郎さんが体操の時間に日本語も上手に教えている関係で、簡単な挨拶なら日本語でも出来るようになっていてビックリしてしまった。

悟郎さんは子供達に大人気で、サー・ゴローと敬意と親しみをもって呼ばれており、皆、大喜びで天真柔操や天真五相を行っていた。体験で参加したドバイからの二人も「体がぽかぽか暖かくなって、すごく良かった」という感想。こうしてみると、チベットとのご縁だけでなく、NPOクリカの活動を強力に支えて下さっている青木先生や天真会の皆様とのご縁にも、感謝せずにはいられない。そして、青木先生がよくおっしゃる「助ける者に助けられる」というのを実感させられるこの頃である。

ちなみに、悟郎さんは、世界遺産ボダナートの仏塔から至近距離にある「マヤ・ベーカリー・レストラン」の経営にも参画されている。マヤ・レストランの料理はどれも美味しく(友人が関わっているというのを抜きにして)、特にベーカリー類は絶品なので、カトマンズを訪れる機会のある方は、是非、立ち寄ってみて頂きたいと思う。

他にも様々な仕事をこなされていて忙しい中、毎度、時間を割いてあれこれ助けて下さる悟郎さんには、感謝の気持ちしかないが、7年間一度も帰国せず、ネパール語で楽しそうに会話する姿は、殆ど現地の人のようでもある。

まずはNPOの活動報告ということで、学校でのことを中心に書かせて頂いたが、シンクロを伴った面白体験が多々あったのは言うまでもない。それについては、週末(明後日)の「シンクロプレゼン・ラボ」でお伝えするつもりなので、シンクロエネルギーに満ちた旬な情報を味わいたい方、1122から始まる新しい領域への扉(意識)を開きたい方は、上記リンクから手続きをして頂ければと思う。

視線の力

2014年11月10日 18:00

自己存在の月24日(G11/10)KIN116 黄色い水晶の戦士(by D)

昨日、剣武天真流の審査会があり、その中で、青木宗家から視線に関するアドバイスがあった。ちょうどアップされたばかりの近藤等則さんのインタビュー「新体道を語る そのニ」でも、「視線」についての言及があったので、「今がタイミング」ということで、以下にリンクしておこう。


映像内で語られている「視線」のコツは、極めてシンプルながら、非常に強力な極意のひとつである。だから、私は瞑想クラスやシャンバラ教室(書)の準備体操の時はもちろんのこと、ウォーターセラピーのセッションにいらした方にも、良くこの「視線」のコツについてお伝えする。

コツというのは、大抵シンプルなものだが、頭で理解したつもりになっても、実際にそれを活用できるかというと、話が違って来る。視線のコツも同じで、ものすごく簡単に出来ることなのにも関わらず、それを日常で活用出来る人は少ない。

事実、シャンバラ教室生のように、何度も何度もその話を聞いている人でさえ、無意識に体を動かしていると、視線が下に落ちてしまうことがある。これは、視線が気持ちや意識と密接に連動しているからだと考えられるが、逆に、視線を絶えず意識して行くことで、気持ちや意識を変えて行ける可能性がある、ということでもある。

スマホや携帯をいじる習慣が一般的になっている現代人は、特に視線が近くなりがちだが、視線が近い人(あるいは近い時)は、大抵「気」もこもっているもので、そういう人に「広々した感じ」とか「明るさ」を感じることはまずない。逆に、周辺視野で「明るい」と感じる人に、視線が下に落ちている人というのも見かけない。

そういう体験を様々な場面で重ね、観察も続けて来て思うのは、「意識や微細なエネルギーの広がりは、ほぼ視線と連動している」ということだ。もちろん、全てがそうだとは言わないが、ほぼ連動していることは、皆さんも観察を続けて行けば分かると思う。そして自分の視線と意識の状態にも注意を払っていたら、よりはっきりと分かって来るだろう。

いずれにしても、まずは上記のインタビュー「そのニ」をご覧頂ければと思う。世界を舞台に活躍して来たトランぺッターの秘密、極意が、余すところなく公開されているのだから、これを見逃す手は無い。

当然、近藤さんのインタビュー映像「その一」と、青木先生のロングインタビュー記事には、さらにスゴいことが語られているので(「普遍的な宝の開示」参照)、探究心のある方なら、お宝を沢山ゲットできるだろう。古来、様々な聖典が残されて来たが、現代の日本の言葉で、こんなに分かり易く「体現者」が語ってくれているものは、そう無いのではないかと私は思う。

普遍的な宝の開示

2014年11月02日 03:55

自己存在の月15日(G11/1)KIN107 青い電気の手(by D)

1ヵ月に渡って開催されていた「【我が心の聖地】天真書法塾シャンバラ教室ギャラリー展」が、昨日、無事終了しました。期間中、会場にお越し下さった皆様、FBのアルバム等を通じて関心を持って下さった皆様、共に素晴しい場を創り上げて下さった虹風先生はじめ出品者の皆様、そしてスペシャルなお茶と空間を提供して下さったLasahさんに、この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました(D&L)。


オープニングの10/1は、Lの誕生日からぴったり260日のKIN76(=1959年3月10日=チベット民族蜂起の日)。最終日の10/31は、ラサのご主人石川さんの誕生キンであるKIN106。チベットの首都ラサで「ダライ・ラマ法王を護ろう」として起きたのが民族蜂起であったことを振り返ると、この美しいシンクロも偶然の産物とは思えなくなる。

そもそも、「2012年冬至」や「銀河の同期」(2013年7月26日)という特別なタイミングに、二子玉川という場所で、クリカとラサが位相を揃えて存在していること自体が魔術的なのだが、今回はその繋がり(縁)がより強力になった期間だったとも言えよう。

期間中、来場された方の中には、人の姿をした魔法使い(その道の達人)も多数含まれていたのだが、そういう人々を何気なくもてなしてしまう魔術師・石川さんをも唸らせたのは、我らが師匠、青木宏之先生であった。

興味深いことに、ちょうどギャラリー展の完了とシンクロするように、トランぺッターの近藤等則氏へのインタビュー映像「近藤等則新体道を語る」が公開された。近藤さんは新体道の大先輩に当たる方だが、昨年の剣武天真流演武発表会(今年は12/20午後)でもお世話になるなど、今も様々な場面で天真会や新体道にご協力下さっている。これも青木先生への深い敬意があるからこそ、ということが映像を見ると分かるだろう。


★近藤さんの背後で唸っている書は、青木先生の作品。

タイトルの通り、剣武天真流や天真書法の土台となっている新体道(天真体道)の本質について、様々なエピソードを交えながら語って下さっている訳だが、私が最も感銘を受けたのは、何のために新体道をやり始めたのかという「動機」についてだった。そこに、このインタビューの核心があると言っても良いかもしれない。

従って、新体道や近藤さんに一切関心が無くても、何かを学んだり稽古したりしている方にとっては、大いに参考になる映像だと思う。少なくとも私にとっては「宝」である。この文章を読んで、僅か10分余りの映像すら見てみようと思わない方は、縁なき衆生としか言いようがない。

これとシンクロするように、もう1つ大変貴重な記事が公開された。「21世紀に生きるエドガー・ケイシーの教え」というインタビューシリーズの第14回目として、青木先生ご自身がロングインタビューに答えられているのだ。インタビュアーの光田菜央子さんは、ケイシー関連の商品を扱っているテンプルビューティフルという会社の代表で、短期間ではあるが、私も稽古でご一緒させて頂いたことがある(実は、会社のスタッフの方とも色々と面白い繋がりがある)。

かなり長い記事だが、その内容は歴史的に意義あるものとして、将来、貴重な研究資料の扱いを受けるようになるのではないかと思う。後半には、道を歩む全ての人にとって役立つアドバイスも含まれているので、是非、じっくり時間をかけて読まれることをおすすめしたい。古から伝わる各宗教の経典群も、発表された当初は、きっとこんな感じに普通に読める文章だったのではないだろうか。人類にとっての普遍的な宝は、古来、自然な流れの中で開示されて来たのかもしれない。

ところで、この記事(第14回インタビュー)が公開されたのを知ったのは、『13の月の暦』での14週目の終わりの自己存在の月14日であった。先刻見た番組の中で、ゴールドベルク変奏曲を作曲したバッハは、14という数にこだわっていたというのを初めて知ったが、このブログの冒頭に登場したダライ・ラマ法王は現在14世で、まるでマンガのようにKIN14に誕生されている。

思い出したので、ついでに書いておくと、先頃他界された江本勝氏が世界中に広めた水の結晶実験。その最初期に行った「音楽を水に聴かせる」という実験で、クラシックとヘビメタを比較した時、クラシック側の音楽として選んだのは「ゴールドベルク変奏曲」であった。選曲したのは私で、その根拠は青木先生が御著書の中で瞑想に良いと書かれていたからだった。その辺りの詳しい経緯は『霊性のアート』の第1章にも記してあるので、興味のある方は参照して頂ければと思う。

尚、青木先生のインタビュー記事も、近藤さんのインタビュー映像も、まだ続編があるらしいので、何か感じ取られた方は、リンク先に注目しておくと良いだろう。お二人ともベートーヴェンに似ている気がするのは、偶然なのか、髪型のせいだけなのか、それも今後のインタビューで明らかになるかもしれない。

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