2015年01月29日 22:08
■共振の月20日(G1/29)KIN196 黄色い磁気の戦士(by D)
先週末、表参道リビーナで開催された第13回天真書法塾発表会は無事終了。お忙しい中ご来場下さった皆様、ありがとうございました(シャンバラ教室生の作品を中心に整理したアルバムはこちら)。
さて、その1週間前に発表会場のすぐ傍で行われた講演との不思議なシンクロについては、「青山善光寺(表参道)の仏縁」と「明恵の夢見と華厳の教え」にまとめた通りだが、その後も思いがけない展開があって、今のうちに整理しておかないと、次の波がどんどんやってきて書き留める機会を失いそうなので、以下に手短にまとめておこうと思う。
発表会の初日に、ご自身も二子玉川「ラサ」でチベット仏画展を開催中の飯野博昭さんが来て下さって、少し話をした。絵の師匠がネパール在住のチベット人というのは耳にしていたが、詳しく聞いてみると、どうもNPOクリカで支援をしている子供達が通うマナサロワール・アカデミーのすぐ近く(徒歩圏)に住んでおられる様子。カトマンズ市内ならまだ分かるが、ボダナート地区というのはピンポイント過ぎだろう。
この時、コパン・ゴンバ方面という話を聞いたせいか、そこから5日後の昨日(KIN195=13・鷲)、家から「ラサ」に向かう途中のビルに「コパン音楽教室」という看板を見つけてしまった。後で調べてみたら、カトマンズのコパンともマヤ遺跡のコパンとも違うフランス語のスペルだったが、何故か「コパン」という言葉とは縁がある(大学の学食も、もしかしたらフランス語由来だったのかもしれない・・・)。
飯野さんの仏画は、虹の身体のブッダや、ダムニェン(チベットの楽器)を手にした弁財天など、これまで見たことの無いスタイルのものが含まれていて、美味しいお茶を味わいながら興味深く観させて頂いた。この時、ラサの石川さんが、唐突にシュタイナーの事を聞いてこられたので、知っている範囲で話をさせてもらったのだが、この偶然の問い掛けが、実はこの日の全てを繫ぐ鍵だったことに、帰り道の途中で気付いたのだった。
帰り際、今日が「石川さんにとって大切な方の命日」だったことを教えて下さった。20年前なら「青い鷲」になるが、ひょっとして…とiPhoneのドリームスペル計算アプリ「KIN3D」で確認すると、やはり直感通りKIN175(6・鷲)になった。KIN175は、シュタイナーの誕生KINであり、カトマンズにいる道友・木村悟郎さんの誕生KINでもある。
★ラサを訪れた日、青い夜のウェイブスペルの最終日「青い宇宙の鷲」の蒼天
実は、飯野さん、石川さんとの会話の中で、私達は悟郎さんの事も話題にしていた。何故なら、天真書法塾の塾長は新体道(天真体道)の創始者・青木先生であり、悟郎さんはマナサロワール・アカデミーで、その天真体道(新体道)を週一で教えくれてもいるからだ。さらに、ボダナートにあるマヤ・ベーカリー・レストランのオーナーの一人でもあるので、あの辺りの事となれば、必然的に話題に登る。
これだけでも既に十分な感じがするのだが、もっとスゴイのは、悟郎さんがかつて、立川にあるシュタイナー学校(東京賢治シュタイナー学校)で新体道を教えていた経験があるということだろう。現時点でも、日本には数えるほどしかシュタイナー学校は無い。カトマンズのボダナートにチベット仏画(タンカ)の師を持つ日本人だって、飯野さん以外にいるかどうか・・・。
そして、「ラサ」というお店の主にとって、大切な方の命日から20年というタイミングだとは知らずにそこを訪れた私達と、これまで何度もお会いしていながら今回初めてシュタイナーの話をして来た石川さん。まさに、私が書法塾発表会に出品した「因陀羅網」そのものだ。余談だが、次の太陽暦誕生日から、私はKIN131(=宮沢賢治)の道筋に入る。賢治が「インドラの網」という作品を残していたのを知ったのも最近のことだったが、東京賢治シュタイナー学校の「賢治」も、もちろん宮沢賢治由来だ。
ところで、一昨日、共振の月18日(KIN194)は、『13の月の暦』で私の毎月の誕生日だった。青山善光寺の講演以来、ゾンサル・ケンツェ・リンポチェの動画を見つけて来ては視聴していたLが、ちょっとした勘違いから別なスペシャル映像を見つけ出して来てくれたのが、ちょうどその日だった。何とその動画は、『シンクロニック・ジャーニー』にもご登場頂いているディルゴ・ケンツェ・リンポチェの生涯がまとめられたもので、まだ出来てから半年位の作品だった。
丁寧に作り込まれたその作品には、ダライ・ラマ法王、カルマパ16世、トゥルシック・リンポチェ、チョッギャム・トゥルンパ・リンポチェ、メレン・ティチェン・リンポチェ、シェチェン・ラブジャム・リンポチェ、ゾンサル・ケンツェ・リンポチェ、ジグメ・ワンチュク前ブータン国王、マチウ・リカールなどなど、キラ星のごとく霊性のマスター達が登場している。
『シンクロニック・ジャーニー』の中で、失礼にもクリ坊呼ばわりしていたシェチェン・リンポチェが、どんな法統の方なのかが分かって驚き、『13の月の暦』の誕生に多大な影響を与えたチョッギャム・トゥルンパ・リンポチェが登場してまた驚き、ナレーションがリチャード・ギアだと分かってまたまた驚き、という具合に、ひたすら驚きに満ちた映像なのだが、最も驚いたのは、何と言ってもディルゴ・ケンツェ・リンポチェの存在感そのものだった。
実は、20年前の出来事をきっかけにチベット仏教徒となった石川さんの師も、この映像の中に登場されている。だから、後から判明したこととは言え、20年前の昨日が「大切な方の命日」だった石川さんに、この映像のことを昨日お伝え出来たのは、とても嬉しいことだった。
シュタイナーの誕生キンであるKIN175については、他にも驚嘆すべきシンクロを次々に発見してしまったのだが(今まさに起きていることの中に)、もう収拾がつかなくなりそうなのと、カーラ・チャクラやハーモニック・コンバージェンスとも絡んで来るので、週末の【銀河のマヤの共振技術】(特に「シンクロ・ラボ」と「シンクロのマイスターへの道」)で整理しつつお伝えしたいと思っている。
先週末、表参道リビーナで開催された第13回天真書法塾発表会は無事終了。お忙しい中ご来場下さった皆様、ありがとうございました(シャンバラ教室生の作品を中心に整理したアルバムはこちら)。
さて、その1週間前に発表会場のすぐ傍で行われた講演との不思議なシンクロについては、「青山善光寺(表参道)の仏縁」と「明恵の夢見と華厳の教え」にまとめた通りだが、その後も思いがけない展開があって、今のうちに整理しておかないと、次の波がどんどんやってきて書き留める機会を失いそうなので、以下に手短にまとめておこうと思う。
発表会の初日に、ご自身も二子玉川「ラサ」でチベット仏画展を開催中の飯野博昭さんが来て下さって、少し話をした。絵の師匠がネパール在住のチベット人というのは耳にしていたが、詳しく聞いてみると、どうもNPOクリカで支援をしている子供達が通うマナサロワール・アカデミーのすぐ近く(徒歩圏)に住んでおられる様子。カトマンズ市内ならまだ分かるが、ボダナート地区というのはピンポイント過ぎだろう。
この時、コパン・ゴンバ方面という話を聞いたせいか、そこから5日後の昨日(KIN195=13・鷲)、家から「ラサ」に向かう途中のビルに「コパン音楽教室」という看板を見つけてしまった。後で調べてみたら、カトマンズのコパンともマヤ遺跡のコパンとも違うフランス語のスペルだったが、何故か「コパン」という言葉とは縁がある(大学の学食も、もしかしたらフランス語由来だったのかもしれない・・・)。
飯野さんの仏画は、虹の身体のブッダや、ダムニェン(チベットの楽器)を手にした弁財天など、これまで見たことの無いスタイルのものが含まれていて、美味しいお茶を味わいながら興味深く観させて頂いた。この時、ラサの石川さんが、唐突にシュタイナーの事を聞いてこられたので、知っている範囲で話をさせてもらったのだが、この偶然の問い掛けが、実はこの日の全てを繫ぐ鍵だったことに、帰り道の途中で気付いたのだった。
帰り際、今日が「石川さんにとって大切な方の命日」だったことを教えて下さった。20年前なら「青い鷲」になるが、ひょっとして…とiPhoneのドリームスペル計算アプリ「KIN3D」で確認すると、やはり直感通りKIN175(6・鷲)になった。KIN175は、シュタイナーの誕生KINであり、カトマンズにいる道友・木村悟郎さんの誕生KINでもある。

実は、飯野さん、石川さんとの会話の中で、私達は悟郎さんの事も話題にしていた。何故なら、天真書法塾の塾長は新体道(天真体道)の創始者・青木先生であり、悟郎さんはマナサロワール・アカデミーで、その天真体道(新体道)を週一で教えくれてもいるからだ。さらに、ボダナートにあるマヤ・ベーカリー・レストランのオーナーの一人でもあるので、あの辺りの事となれば、必然的に話題に登る。
これだけでも既に十分な感じがするのだが、もっとスゴイのは、悟郎さんがかつて、立川にあるシュタイナー学校(東京賢治シュタイナー学校)で新体道を教えていた経験があるということだろう。現時点でも、日本には数えるほどしかシュタイナー学校は無い。カトマンズのボダナートにチベット仏画(タンカ)の師を持つ日本人だって、飯野さん以外にいるかどうか・・・。
そして、「ラサ」というお店の主にとって、大切な方の命日から20年というタイミングだとは知らずにそこを訪れた私達と、これまで何度もお会いしていながら今回初めてシュタイナーの話をして来た石川さん。まさに、私が書法塾発表会に出品した「因陀羅網」そのものだ。余談だが、次の太陽暦誕生日から、私はKIN131(=宮沢賢治)の道筋に入る。賢治が「インドラの網」という作品を残していたのを知ったのも最近のことだったが、東京賢治シュタイナー学校の「賢治」も、もちろん宮沢賢治由来だ。
ところで、一昨日、共振の月18日(KIN194)は、『13の月の暦』で私の毎月の誕生日だった。青山善光寺の講演以来、ゾンサル・ケンツェ・リンポチェの動画を見つけて来ては視聴していたLが、ちょっとした勘違いから別なスペシャル映像を見つけ出して来てくれたのが、ちょうどその日だった。何とその動画は、『シンクロニック・ジャーニー』にもご登場頂いているディルゴ・ケンツェ・リンポチェの生涯がまとめられたもので、まだ出来てから半年位の作品だった。
丁寧に作り込まれたその作品には、ダライ・ラマ法王、カルマパ16世、トゥルシック・リンポチェ、チョッギャム・トゥルンパ・リンポチェ、メレン・ティチェン・リンポチェ、シェチェン・ラブジャム・リンポチェ、ゾンサル・ケンツェ・リンポチェ、ジグメ・ワンチュク前ブータン国王、マチウ・リカールなどなど、キラ星のごとく霊性のマスター達が登場している。
『シンクロニック・ジャーニー』の中で、失礼にもクリ坊呼ばわりしていたシェチェン・リンポチェが、どんな法統の方なのかが分かって驚き、『13の月の暦』の誕生に多大な影響を与えたチョッギャム・トゥルンパ・リンポチェが登場してまた驚き、ナレーションがリチャード・ギアだと分かってまたまた驚き、という具合に、ひたすら驚きに満ちた映像なのだが、最も驚いたのは、何と言ってもディルゴ・ケンツェ・リンポチェの存在感そのものだった。
実は、20年前の出来事をきっかけにチベット仏教徒となった石川さんの師も、この映像の中に登場されている。だから、後から判明したこととは言え、20年前の昨日が「大切な方の命日」だった石川さんに、この映像のことを昨日お伝え出来たのは、とても嬉しいことだった。
シュタイナーの誕生キンであるKIN175については、他にも驚嘆すべきシンクロを次々に発見してしまったのだが(今まさに起きていることの中に)、もう収拾がつかなくなりそうなのと、カーラ・チャクラやハーモニック・コンバージェンスとも絡んで来るので、週末の【銀河のマヤの共振技術】(特に「シンクロ・ラボ」と「シンクロのマイスターへの道」)で整理しつつお伝えしたいと思っている。
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