fc2ブログ

青い鷲のシュタイナー

2015年01月29日 22:08

共振の月20日(G1/29)KIN196 黄色い磁気の戦士(by D)

先週末、表参道リビーナで開催された第13回天真書法塾発表会は無事終了。お忙しい中ご来場下さった皆様、ありがとうございました(シャンバラ教室生の作品を中心に整理したアルバムはこちら)。

さて、その1週間前に発表会場のすぐ傍で行われた講演との不思議なシンクロについては、「青山善光寺(表参道)の仏縁」と「明恵の夢見と華厳の教え」にまとめた通りだが、その後も思いがけない展開があって、今のうちに整理しておかないと、次の波がどんどんやってきて書き留める機会を失いそうなので、以下に手短にまとめておこうと思う。

発表会の初日に、ご自身も二子玉川「ラサ」でチベット仏画展を開催中の飯野博昭さんが来て下さって、少し話をした。絵の師匠がネパール在住のチベット人というのは耳にしていたが、詳しく聞いてみると、どうもNPOクリカで支援をしている子供達が通うマナサロワール・アカデミーのすぐ近く(徒歩圏)に住んでおられる様子。カトマンズ市内ならまだ分かるが、ボダナート地区というのはピンポイント過ぎだろう。

この時、コパン・ゴンバ方面という話を聞いたせいか、そこから5日後の昨日(KIN195=13・鷲)、家から「ラサ」に向かう途中のビルに「コパン音楽教室」という看板を見つけてしまった。後で調べてみたら、カトマンズのコパンともマヤ遺跡のコパンとも違うフランス語のスペルだったが、何故か「コパン」という言葉とは縁がある(大学の学食も、もしかしたらフランス語由来だったのかもしれない・・・)。

飯野さんの仏画は、虹の身体のブッダや、ダムニェン(チベットの楽器)を手にした弁財天など、これまで見たことの無いスタイルのものが含まれていて、美味しいお茶を味わいながら興味深く観させて頂いた。この時、ラサの石川さんが、唐突にシュタイナーの事を聞いてこられたので、知っている範囲で話をさせてもらったのだが、この偶然の問い掛けが、実はこの日の全てを繫ぐ鍵だったことに、帰り道の途中で気付いたのだった。

帰り際、今日が「石川さんにとって大切な方の命日」だったことを教えて下さった。20年前なら「青い鷲」になるが、ひょっとして…とiPhoneのドリームスペル計算アプリ「KIN3D」で確認すると、やはり直感通りKIN175(6・鷲)になった。KIN175は、シュタイナーの誕生KINであり、カトマンズにいる道友・木村悟郎さんの誕生KINでもある。

青い鷲の蒼天 ★ラサを訪れた日、青い夜のウェイブスペルの最終日「青い宇宙の鷲」の蒼天

実は、飯野さん、石川さんとの会話の中で、私達は悟郎さんの事も話題にしていた。何故なら、天真書法塾の塾長は新体道(天真体道)の創始者・青木先生であり、悟郎さんはマナサロワール・アカデミーで、その天真体道(新体道)を週一で教えくれてもいるからだ。さらに、ボダナートにあるマヤ・ベーカリー・レストランのオーナーの一人でもあるので、あの辺りの事となれば、必然的に話題に登る。

これだけでも既に十分な感じがするのだが、もっとスゴイのは、悟郎さんがかつて、立川にあるシュタイナー学校(東京賢治シュタイナー学校)で新体道を教えていた経験があるということだろう。現時点でも、日本には数えるほどしかシュタイナー学校は無い。カトマンズのボダナートにチベット仏画(タンカ)の師を持つ日本人だって、飯野さん以外にいるかどうか・・・。

そして、「ラサ」というお店の主にとって、大切な方の命日から20年というタイミングだとは知らずにそこを訪れた私達と、これまで何度もお会いしていながら今回初めてシュタイナーの話をして来た石川さん。まさに、私が書法塾発表会に出品した「因陀羅網」そのものだ。余談だが、次の太陽暦誕生日から、私はKIN131(=宮沢賢治)の道筋に入る。賢治が「インドラの網」という作品を残していたのを知ったのも最近のことだったが、東京賢治シュタイナー学校の「賢治」も、もちろん宮沢賢治由来だ。

ところで、一昨日、共振の月18日(KIN194)は、『13の月の暦』で私の毎月の誕生日だった。青山善光寺の講演以来、ゾンサル・ケンツェ・リンポチェの動画を見つけて来ては視聴していたLが、ちょっとした勘違いから別なスペシャル映像を見つけ出して来てくれたのが、ちょうどその日だった。何とその動画は、『シンクロニック・ジャーニー』にもご登場頂いているディルゴ・ケンツェ・リンポチェの生涯がまとめられたもので、まだ出来てから半年位の作品だった。

丁寧に作り込まれたその作品には、ダライ・ラマ法王、カルマパ16世、トゥルシック・リンポチェ、チョッギャム・トゥルンパ・リンポチェ、メレン・ティチェン・リンポチェ、シェチェン・ラブジャム・リンポチェ、ゾンサル・ケンツェ・リンポチェ、ジグメ・ワンチュク前ブータン国王、マチウ・リカールなどなど、キラ星のごとく霊性のマスター達が登場している。

『シンクロニック・ジャーニー』の中で、失礼にもクリ坊呼ばわりしていたシェチェン・リンポチェが、どんな法統の方なのかが分かって驚き、『13の月の暦』の誕生に多大な影響を与えたチョッギャム・トゥルンパ・リンポチェが登場してまた驚き、ナレーションがリチャード・ギアだと分かってまたまた驚き、という具合に、ひたすら驚きに満ちた映像なのだが、最も驚いたのは、何と言ってもディルゴ・ケンツェ・リンポチェの存在感そのものだった。

実は、20年前の出来事をきっかけにチベット仏教徒となった石川さんの師も、この映像の中に登場されている。だから、後から判明したこととは言え、20年前の昨日が「大切な方の命日」だった石川さんに、この映像のことを昨日お伝え出来たのは、とても嬉しいことだった。

シュタイナーの誕生キンであるKIN175については、他にも驚嘆すべきシンクロを次々に発見してしまったのだが(今まさに起きていることの中に)、もう収拾がつかなくなりそうなのと、カーラ・チャクラやハーモニック・コンバージェンスとも絡んで来るので、週末の【銀河のマヤの共振技術】(特に「シンクロ・ラボ」と「シンクロのマイスターへの道」)で整理しつつお伝えしたいと思っている。
スポンサーサイト



明恵の夢見と華厳の教え

2015年01月22日 22:28

共振の月13日(G1/22)KIN189 赤い共振の月(by D)

昨年、高倉健が他界したことがきっかけとなって、Lが健さんの本『あたなに褒められたくて』をiPadにダウンロードした。オムニバス形式の内容なので、私も気の向いた時にポツポツと読みはじめ、「なるほど、あの存在感はこうして育まれたのか」などと一人勝手に納得しながら、数日前に「善光寺詣り」という項を読み終えた。

ちょうどゾンサル・ケンツェ・リンポチェの講演が、青山の善光寺(長野の善光寺に関係している)で行われていたタイミングでもあったので、タイムリーだなーなんて思っていたのだが、その前後のわずかな期間に次々と明らかになった背景は、その繋がりがもっと奥深いものであることを示していた。鍵を握っていたのは、夢日記で有名な鎌倉時代の僧・明恵だった。

健さんの「善光寺詣り」を読んでいた頃、あるカフェで水木しげるの『神秘家列伝・其ノ参』を見かけて、食後のコーヒーと共に出口王仁三郎の話だけ一気読みした。その日、カフェの近くのギャラリーで出会ったのは、時永さんという印象的な名前の方で、芳名録でひとつ前に記されていたのは、小原さんだった。その2日後、大分前に手に入れて読み終えていた『神秘家列伝・其ノ壱』を引っ張り出して来て、面白かった記憶のあった明恵の話を読み返してみた。

やはり興味深い話に満ちていたが、今回は「ただひとりこの説だけはどうしても認めるわけにはゆかぬ」と浄土宗の開祖・法然を厳しく批判したという下りが妙に気になった。改めて調べてみると、明恵は華厳宗中興の祖で、菩提心を重視していたので、「ただ念仏を唱えることによって救われる」とする法然の教えに対して「発菩提心」が欠けていると非難したようだ。

しかし、そう思うと、青山善光寺でゾンサル・ケンツェ・リンポチェが「入菩薩行論」について講演されたことが、より意味深く思えて来る。何故なら、青山善光寺は法然の直系とも言える浄土宗のお寺で、リンポチェはまさに「菩提心」の重要さを説いていたからだ。形だけの菜食や瞑想、マントラ唱和、「ピ〜ス、ハピネ〜ス」みたいなノリを揶揄しながら、仏教においては「空性の理解こそが最重要」であることを説く姿勢は、まるで明恵のようである。

一方、天真書法塾では、西安にある華厳寺に般若心経を奉納することが過去何度か行われていて、今年の年頭には、会員向けメールの中で、青木天外塾長が「華厳」について書かれてもいた。だからこそ、明日から始まる書法塾発表会の会場が、青山善光寺のすぐ隣というシンクロにも、深みが出てくるのである。ちなみに、私が作品のテーマを決めたのは昨年の秋頃で、まだリンポチェの来日についても知らない頃だったが、出品するのは華厳の教えと深く関係する言葉「因陀羅網」である。

思えば、Lが東大寺でのイベントに書で協力した関係で、43才の誕生日は東大寺境内にある華厳寮で迎えている(コチラを参照)のだから、華厳宗との繋がりは多次元的である。それで気になって、昨夜、東大寺公式サイトを見てみたら、リンク先に何故か鶴岡八幡宮が含まれているのを発見。他の寺社はともかく何故八幡宮?と思っていたら、ふとマンガの中で、明恵が北条泰時と六波羅探題で対面し、その後、深く交流したことが描かれていたのを思い出した。

それが理由かどうかは知らないが、華厳宗総本山の東大寺、華厳宗中興の祖である明恵、そして明恵と会った後、鎌倉幕府第3代執権となった北条泰時。この繋がりは、おそらく無関係では無いだろう。ところで、健さんの「善光寺詣り」には、祖先として北条篤時という人物が登場する。その篤時が、第14代執権北条高時と共に、鎌倉の東勝寺で自害したことが書かれているのだが、このお寺は、何と3代泰時が建立した北条氏の菩提寺だという。

善光寺がこのタイミングで出てくるだけでも驚きなのに、明恵と繋がりのあった泰時が建てた東勝寺や、そのすぐ近くで、かつて北条氏当主の館があった場所に建つという宝戒寺の事まで書かれているのだから、驚きの度合いは増すばかりである。しかし、私は鎌倉市内の中学、高校に通っていたのにも関わらず、それらの寺がどこにあるのか、今一つイメージ出来なかった。そこで、昨夜ネット地図で検索してみると、驚いたことに、中学から500mほどの場所であることが分かった。

鶴岡八幡宮のすぐ横にあるその中学に通う際、鎌倉駅から段葛を歩いたものだが、鎌倉幕府終焉の地がそんな近くにあったとは、全くもって分かっていなかった(あるいは例のごとく単に忘れただけかもしれないが…)。もっとも、その幕府を開いた源頼朝が生まれたのが、熱田神宮のすぐ側であったことを知ったのも、昨年10月に熱田神宮のすぐ隣で暦のクラスを行った(コチラを参照)からこそという面があるので、これらは、一連の流れの中で意識化することに意味があるのだろう。

本日発売の週刊モーニングに『ジパング深蒼海流』という作品(かわぐちかいじ作)が連載されているのだが、ちょうど信州を舞台に源頼朝と義仲が出会うシーンで、セリフの中にも「善光寺」が出て来るというタイミングだった。これだって、今、私が置かれている状況で読むからこそ面白いのだ。ちなみに、文字シンクロで思い出した事をひとつ。2013年7月26日=KIN164「銀河の同期」のタイミングに、新宿プロムナード展(明治安田生命ビルB1前)に出品した私の作品は「蒼海」であった。
蒼海 
そして、今日は「豊かさを夢見る」青い夜のウェイブスペルの中心、7の月の7の日で、銀河の音「7」が重なる「魔術の亀の日」。『13の月の暦』の元旦(G7/26)「赤い太陽の月」からぴったり180日のタイミングだ。まさに夢見の達人「明恵」について書くに相応しい日だったと言えよう。

今日中に何とかここまで整理できて、ちょっとホッとしている。何故なら、明日から3日間は、さらにとてつもないシンクロや出会いが続くことが予想されるからだ。来週末に大阪チャクラで行われる【銀河のマヤの共振技術】では、こうした「シンクロに導かれながら発見し続ける世界」へと入る、普遍的なコツについてお伝えする予定だ。そのうちの一つだけ公開しておくと「決意が早いほど自由度は上がる」である。

青山善光寺(表参道)の仏縁

2015年01月22日 00:43

共振の月12日(G1/21)KIN188 黄色い律動の星(by D)

今年もシャーンティデーヴァの『入菩薩行論』の講演でゾンサル・ケンツェ・リンポチェが来日して下さった。会場は2013年夏に続き青山の善光寺。映画監督でもあるリンポチェの作品『ザ・カップ:夢のアンテナ』は、初めてLと2人で観に行った映画でもあるので、「豊かさを夢見る」青い夜のウェイブスペルの始まり(KIN183=1・夜)と完全にシンクロして行われた今回の講演には、何か特別なものを感じていた。
善光寺 
自分達が主催するイベントや剣武の稽古等もあって、私自身が実際に出席できたのは、3日間の日程のうち、2日目の午後の時間帯だけだったが、それで十分と思えるほど素晴しい講演(法話)だった。内容や環境など様々な条件が異なるので、単純な比較は出来ないが、おそらく、これまで体験したあらゆる法話の中で、最も引き込まれた特別な時間だったと思う。

何しろ、リンポチェのしゃべり方、しぐさ、存在感、間合い・・・そのいずれもが驚きに満ちていて自然なのだ。海や風、野生動物たちが示すダイナミックな変化を、エレガントに表出しているとでも言ったら良いだろうか。通訳を介したやり取りも、それを感じさせないほどベストなタイミングで話を区切り、質疑に対する応答も明快この上ない。現代という時代に則し、その人その人に応じた喩えを使いながら、王道である「ものごとの真のあり様(空性)を観る智恵」に向けて一切ブレること無く迫って行く。

これほど現代に相応しい形で、しかも様々な角度からの見解にも十分な検討を加えながら仏教の本質を説ける方が、他にいらっしゃるだろうか?もちろん、ダライ・ラマ法王をはじめ、世界には他にも素晴しい僧侶、教師は沢山おられる。しかし、映画という表現手法を方便として使える優れた感性と縁を持ち、複数の法統と血統を統合する立場も大いに活用しながら、それにとらわれることなく仏教の本質を伝えている方は、なかなか見当たらない気がする。

もちろん、昨年も素晴しいと思ったが、今年は言語的な面だけでなく、様々な教えにも通じておられる永沢哲さんが通訳をされた事も大きかったのだろう。リンポチェは法話の中で「空海」の名を何度か出されていたが、私が永沢さんとのびっくりシンクロを体験したのは、『霊性のアート』P113や過去記事にも書いた通り、高野山大学でのダライ・ラマ法王による金剛界マンダラの灌頂の時だったので、そこにも「通りの良さ」を感じる見えないご縁があったのかもしれない。

これを書いていて思い出したが、ナムカイ・ノルブ・リンポチェの支援でスタートしたのが、カトマンズにあるマナサロワール・アカデミーで、私達はその流れを全く知らずに別なご縁でNPOクリカとしてマナサロワール・アカデミーの子供達を支援しはじめたのだった。この繋がりに気付けたのは、2012年サカダワ満月にナムカイ・ノルブ・リンポチェの来日講演に参加させて頂いた時で、もちろん、その時も永沢さんが通訳をされていた(リンポチェの著書の殆ど全ても永沢さんが翻訳されている)。
NNR.jpg 
確か、中学高校時代の同級生だった高松佐和子さんが、永沢さんと古い付き合いがあるという事を知ったのも、その前後のことだったと思う。ちなみに、彼女は今、自由が丘駅前で「さわこ未来クリニック」を開設していて、オープン直後くらいのタイミングに購入して下さったLの書作品をセットしに訪れたことがある。これもその少し前に、随分久しぶり(多分20年ぶり位)に中学の同窓会に顔を出したことがきっかけだったのだから、人の縁は面白い。

ついでだからもうちょっと書いておくと、『シンクロニック・ジャーニー』でその不思議なご縁について書いたディルゴ・ケンツェ・リンポチェは、ケンツェの系譜ということで、当然ゾンサル・ケンツェ・リンポチェとも深い関係がある。実際、私達は2008年に、ディルゴ・ケンツェ・リンポチェの転生活仏ケンツェ・ヤンシ・リンポチェが、カトマンズのシェチェン寺を訪れた時に偶然その場に居合せ(この時にあった色々な事は過去記事にメモってある)、そこにはゾンサル・ケンツェ・リンポチェもいらしていたのだ。
DJK.jpg ★2008年11月18日=KIN14(=ダライ・ラマ法王の誕生KIN)。シェチェン・ラブジャム・リンポチェとゾンサル・ケンツェ・リンポチェ。

話が飛んでしまったが、青山善光寺での講演は、シッダールタズ・インテント・ジャパンの主催。来場者の半分以上が台湾や香港などからの方々だったのは、リンポチェの活動拠点との関係もあるのだとは思うが、せっかく来日して下さっているのに、日本人がその法話を耳にしないのは大きな損失であると、私は真剣に思ってしまった。未だに欧米の真似しか出来ない人々が多い日本では、ジム通い、マラソン、自転車、ヨガなんかが20年遅れ位で流行ったりしているが、どうせ猿真似するならダライ・ラマ法王やゾンサル・ケンツェ・リンポチェの講演も聞いたら良いのに、なんて思ってしまう。

それはさておき、リンポチェの講演とぴったり7日ズレた関係となる明後日1/23(金)〜25(日)に、いよいよ天真書法塾の発表会が行われる。驚くべきことに、今年の会場は13回目にして初めての表参道リビーナ。何と青山善光寺の敷地のすぐ隣(裏)なのだ!しかも、書題にそういう決まりは無いのに、何故かLも私も仏教関係の言葉を作品化している。このことに関して、さらに不可思議な繋がりを発見してしまったのだが、話が長くなりすぎるので、一旦ここまでにして、明日にでもまた続きを書こうと思う。

ひとつ言えることは、今週末に表参道リビーナで行われる「天真書法塾発表会」と、その次の週末に大阪チャクラで行われる「銀河のマヤの共振技術」にいらっしゃる方は、いずれ「大いなる驚き」を体験するだろうと言うことだ。今、起きていることは、とてつもない広がりを持った現在進行形の物語だからだ。

追記:ゾンサル・ケンツェの来日講演を最初に私達に教えてくれたのは、天真書法塾シャンバラ教室で学んだでいた友人ドルマだったが、マナサロワールも、考えてみたら校長先生のサンモさんが、TCV時代にドルマの同級生だったからである。

七番目の月の「ゾクチェン七鏡の教え」

2015年01月14日 03:40

共振の月4日(G1/13)KIN180 黄色いスペクトルの太陽(by D)

『13の月の暦(ドリームスペル)』では、3日前のG暦1/10から、13ヵ月の中心に当たる7番目の「共振の月」に入った。そこにピッタリシンクロする形で「ゾクチェン七鏡の教え」の法話会が、3日連続で行われることを知った私達は、2014年末にその開催が発表された時点で申込みを済ませていた。

このタイミングは実に美しく、「7」で共振しているだけでなく、3日間の中日は「9・鏡」の日に当たり、日本では鏡開きの日として知られる1/11でもあった(ちなみに「ボンの九乗」という分類法では9番目がゾクチェンとされる)。さらに、この3日間のサイ時間単位は「7・蛇」で、会場はひとつ隣の駅(歩いても30分程度)と来たら、参加しない訳には行かないだろう。

もちろん、学生の頃からゾクチェンに関心を持っていた私にしてみれば、上記のようなシンクロを一切抜きにして、教えそのものに関心があったというのが一番の動機だった。しかし、その教えを説かれるリンポチェが、私達にとって馴染み深いカトマンズのティテン・ノルブッツェ僧院の方で、法話会の開催に中心的に関わっていたのが、二子玉川ラサでイベントをご一緒したこともある箱寺(森)孝彦さんだった事は、当然、無関係ではない。
P1060204.jpg 2010年にティテン・ノルブッツェ僧院を初訪問した時の写真

ティテン・ノルブッツェ僧院や箱寺さんとの出会いについては『マヤのリズム』(P165〜)に「2600日後の贈り物(ボン教との出会い)」という項でまとめてあるし、『霊性のアート』にも、箱寺(森)さんが翻訳された『智恵のエッセンス ボン教のゾクチェンの教え』からの引用を、P207以降でさせて頂いている。そういう繋がりが無ければ、私達もメルマガでアナウンスしたりはしない。
IMGP0011_2.jpg 今回来日された方とは別のリンポチェ。

IMGP0014_2.jpg 2012年に2回目の訪問。マナサロワールのサンモ校長と。

さて、今回の「七鏡の教え」は、ボン教ゾクチェンの大成就者デンパ・ナムカが著したものとされている。誓約があるので、詳しい内容をここに記す事は出来ないが、とても貴重な教えが沢山含まれていたのは言うまでもない。通訳が入って、質疑も殆ど無制限に受付けられていたため、テキストの半分くらいまでしか進まなかったが、中には思いがけない展開で聞けた話もあったし、主催者サイドも初めから全部を終えるつもりはなかったのかもしれない。
IMGP0015_2.jpg 

リンポチェから直に教えを聞ける良い点は、瞑想時にイメージする対象の大きさや動き、ポーズ、あるいは発声など、テキストだけでは伝わりにくい側面について、かなり明確かつ具体的に教えていただける点である。貴重な教えの詳細を伝えて下さっただけでなく、どんな質問にも丁寧かつフランクに回答して下さったリンポチェと、ゆっくりと分かり易い言葉で通訳して下さった箱寺さんに、まず心からの感謝を捧げたい。また、このような機会を作って下さった有志の実行委員会の皆様にも深く御礼申し上げる次第である。

ただ、次の機会のために勝手なリクエストを書かせてもらうと、質疑は一人ひとつとか時間枠を決めてとかにして欲しかったというのがある。ダライ・ラマ法王のように自ら仕切られて、下らない質問(本人が自己満足的に納得したいだけで他の参加者にとっては何ら益とならないものや質問にすらなっていない感想)にはNext!と言える方なら良いのだが、通訳を挟むのなら通訳者か司会者が仕切らないと、延々と枝葉末節なことで時間が浪費されてしまうことに成りかねない。実際、私にはそう感じられる場面が結構あった。

あるいは「心の本性」に留まっていれば「下らない」とか「時間の浪費」というような判断も存在しないのかもしれないが、メモする人を思いやってゆっくり通訳されるのであれば、他に質問したいと思っている方や、テキストの後半について知りたいと思っている方にも、もう少し気持ちを向けて良かったのではないだろうか、と素朴な疑問が残る。

もっとも、箱寺さんは、テキストの翻訳だけでなく、リンポチェの来日手続きや会場手配等の準備から告知、会場設営から現場での通訳、リンポチェや参加者一人一人への気遣い、後片付けまでのほぼ全てを中心的に担われていて、それどころでは無かったかもしれないし、有志で組織された実行委員会にも勝手が分からない事が多々あったであろうことは、推察できる。

しかし、お手伝いしたいと思う気持ちを持ちながら会場に残っていた多くの参加者が、しばし何も出来ないままウロウロしていたのは、自主的、自律的に動こうにも、誰に何を聞いていいのかすら分からない状況があったからだと私は思う。どんな形であれ、何かを主催するからには、仕切り(号令者)は必要なのだということを改めて学ばせて頂いた次第である。

ところで、鏡開きの「9・鏡」の日は、剣武天真流本部の稽古初めでもあったので、その日は午前中だけ法話会に参加させて頂いて、午後は稽古に向かったのだが、今回、ゾクチェンの深遠なる教えを受けている最中に剣武の稽古をしてみて改めて感じたのは、剣武天真流や天真書法塾のベースにある天真思想とゾクチェンとの間の共通性や親和性についてだった。

本格的に学んでいないものを安易に結びつけることは避けるべきなのかもしれない。が、少なくとも私が見聞きし体験した限りでは、双方のエッセンスは実によく似ているのである。おそらく他の道や教えも、究極的なところまで行くとほぼ同じようなことを伝えているのだとは思うが、ある種の勢いだとかダイナミックさという点において、他とは違った近さをこの2つの思想の間には感じるのである。

と同時に、その境地が実現されているかどうかが明瞭に分かるという点においては、武道の形をとっている剣武の方に多少分があるようにも思う。これこれこういう体験をしたならばその境地に達している、というような表現がゾクチェン経典の中には良く登場するが、やはり経験豊かな師がいなければ、それが個人的な妄想なのかどうかを識別するのは難しいだろう。

一方、剣武では、ある種の気付き(悟り)が妄想かそうでないかは、実際に組手や組太刀を行ってみれば、たちどろこに分かってしまう。あるいは型を演じるだけで明らかになることもある。そこが厳しいところでもあり、道として優れているところでもあるのだが、一歩間違うとただのチャンバラになってしまう可能性もあるので、どの道を行くのであれ、優れた師のもとで学ぶに越したことは無い。

結局、何かひとつの道を深く探求して行けば、色々と観えてきて、他の道からも多くの事が学べるようになるものだが、そこには「覚悟」が深く関与しているように私は思う。様々な教えにおいて「戒」が果たす役割も、その辺りにあるのではないだろうか。根無し草的に上っ面だけ舐めてあちこち行くやり方をする人に本物感を感じないのは、本質(根)に向かう流れ、すなわち「覚悟」が感じられないからなのかもしれない。

薄っぺらくて表層的なものばかりが世にはびこるようになったのも、殆どの人が「楽ちんさ」と「簡単さ」を根無し草的に求め続けて来た結果であろう。しかし、薄っぺらいものは壊れやすく、真に心を満たしたり安定させたりする力は無い。心の充足を求めるのであれば、覚悟を決めて本質に向かうしかないのである。18日後の「鏡」の日から始まる【銀河のマヤの共振技術・大阪】も、「覚悟」のある人なら、きっと多くの気付きが得られるだろう。もちろん、らくちん簡単組もお客さんとしては歓迎である(笑)。

天真書法塾発表会のお知らせ1/23〜1/25

2015年01月03日 21:41

律動の月22日 (G1/3) KIN170 白い磁気の犬(by L)

私たちの所属する「天真書法塾発表会」開催間近です!今年は第13回目。会場は表参道ケヤキ並木に面した「アートスペース・リビーナ」。アクセスバツグン「表参道駅・A3出口」前のビルの4階です。

私が師範を務めますシャンバラ教室生を含む、天真書法塾本部支部教室生の全作品が並びます。もちろん、青木天外塾長の作品も、私たちの作品も展示されます。天真書法を始めてみたい、触れてみたい、という方にも絶好のチャンスです。是非、会場で直接そのエネルギーを体験して頂ければと思います。
(会期中は毎日15時以降に在廊の予定ですが、席を外している場合もありますのでご了承ください。)

●第十三回天真書法塾発表会
1/23(金)~25(日)
第十三回天真書法塾発表会

★会場はこちらです。
アートスペース・リビーナ 4F 港区北青山3丁目5-25
銀座線,半蔵門線,千代田線 「表参道駅」A3出口すぐ前

リビーナ地図




最近の記事