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白い魔法使いの年の白い魔法

2015年07月30日 02:20

磁気の月4日(G7/29)KIN117 赤い宇宙の地球(by D)

白い惑星の魔法使いの年」が始まって早4日。新年に入ってから、まだブログをUPしていなかったので、まずはご挨拶を。銀河新年、あけましておめでとうございます!

『13の月の暦』では、磁気の月1日(=G7/26)に同期する260日暦の日付が、一年の名前になる。マヤ暦における「年の担い手」と同じやり方だが、この暦はマヤ暦とは発想も使い方も異なる。だから、ただ誰かが発信している日々のメッセージをチェックしたり、他者に占ってもらったりしているようでは、ホントの所は何も分からない。

という訳で、G暦日曜とも同期した今年の元旦は、「白い魔法使いの学校-114白熱教室」でスタートを切ってみた。参加者同士に生じる様々なシンクロは毎度の事だが、流石に元旦に焦点を合わせて参加された方達だけあって、その密度はかなり濃かった。

まず、開始早々7/5(KIN93=2・空歩く者)に横浜ナディアで行われた暦クラスに参加された方お二人が、驚きの再会。時間ギリギリに到着したOさん(KIN193=11・空歩く者)が座れる席は、Hさん(KIN173=4・空歩く者)の隣しか無かったのだが、何とお二人の誕生KINは、ツォルキンの中でもお隣同士!しかも、約束していた訳でもなく3週間ぶりに顔を合わせたというのだから、当人同士の驚きは想像に難く無い。

後に、Oさんとのやりとりで分かった事は、現在32才のHさんの誕生KIN(KIN173)が、Oさんの32才の時の「運命の道筋」だったという事。今というタイミングで、互いにこれだけ引かれ合うのも納得できる。実際、お二人には色々と共通点があるらしい。

他のテーブルでも同じような事が起きていて、あるテーブルでは天真書法塾の別な支部教室の人同士が、そうと気付かず一緒になっていたり、他のテーブルでは全員が同じ地球家族だったりと、互いに何も知らずに好きな席に座るのに、最初から綺麗に分けられていたかのように配置される。いつもの事とは言え、毎回「不思議だな〜」と思う。

午前のクラスの終盤で、私が橿原神宮とキトラ古墳に関する最近のシンクロ体験(「飛鳥(アスカ)から日向(ヒムカ)へ」&「金星・空海・キトラ古墳」の内容の一部)をシェアしたところ、一番前にいらしたNさんが、「実は私、実家が橿原神宮の近くで、ブログを読んであまりに色々シンクロしていたので今日の参加を決めました」と、自ら話して下さった。

この方の誕生キンが、暦の提唱者の1人・ロイディーンと同じKIN22だったので、私の中では「ああ、新年のお祝いにロイディーンが流れを促してくれたのだな」と勝手に受けとめていた。私がブログに書いたからこそNさんは参加された訳だし、その場のインスピレーションで、橿原神宮に関する事を私が口にしたからこそ、Nさんは、クラスの中で自ら参加動機を公表してくれたのだろう。

この橿原神宮に関するシンクロというのは、7/17(KIN105)に神宮から案内冊子が届き、その趣旨が、来年4/3(KIN105)に神武天皇2600年大祭を行うというものだったのだが、午後から参加されて、Nさんのすぐ傍の席に座られたKさんは、まさにそのKIN105が誕生KIN。また、モロに「白い惑星の魔法使い」(KIN114)が誕生KINという方も午後から参加され、教室は益々白熱。

しかし、個人的に最も驚いたのは、チベット繋がりでご縁の出来たIさん(KIN75)が、そのお友達のSさん(KIN245)と参加して下さった事。しかも、お二人揃って出羽三山から戻ったその足でというのだから驚かずにはいられない。というのも、KIN245は、剣武天真流宗家・青木先生の誕生KINであり、剣武が生まれたきっかけは、近藤等則氏の「地球を吹く」が出羽の羽黒山で行われた時に、先生がゲストとして剣で演武をされた事にあるからだ。

それに、私は前日「時間をはずした日」に行われた剣武の審査会でも、その数日前の宮崎(日向)での奉納演武でも、青木先生とご一緒していたし、お二人が泊まった宿坊は、ぴったり1年前の「時間をはずした日」に「魂振りNight」でご一緒した、星野尚文先達の所だったというのだから、このシンクロには痺れた。

だが、元旦のクラスを終えた日の夜、私はもっと驚くシンクロを体験するのだった。ふと思い出して「時の楽譜」展でトークもして頂いた宮本神酒男さんのサイトを見ていた時だ。スピティのキー・ゴンパに関する記事を読んでいた所、同時にウィンドウを開いていたFBで、Iさんから友達申請とコメントが入ったので、すぐに承認してIさんのページを見に行くと、何とキー・ゴンパらしき寺院がカバー写真に使われているではないか!!

念のため確認してみると、やはりキー・ゴンパであった。宮本さんの記事は、先のトークイベントでお話下さった内容をより詳細に記述して下さっているもので「チベットの理想郷を探して」というタイトルで、どんどん更新されている。その最初の「円錐形の丘に立ち並ぶチベット寺院」という記事の冒頭は、ニコライ・レーリヒ(KIN204)の絵から始まっている。
レーリヒ 
実は、この絵は、トークイベント(G6/27=KIN85)の時にも宮本さんがノートPCで見せて下さったものなのだが、その時にも強烈なシンクロがあった。私は、イベントの当日の朝、宮本さんに何かお土産をと思って、NYのレーリヒ美術館で手に入れた絵ハガキが良いのではないか?と考えていた。するとLも同じ事を言うので、何枚かある中から、私が直感で一枚を選んだのだった。

もちろん、その日のテーマが、レーリヒとかシャンバラとかだったので、レーリヒの絵が登場してもおかしくは無かったのだが、宮本さんがチョイスした絵と、私が選んだ絵ハガキとが完全に一致したのには、会場にいた誰もが驚いた。多分、その中でも最も驚いていたのは、宮本さんと私達だったのではないだろうか。

そんな事を思い出しながら読み進めて行くと、そこに登場するゴンパ(寺院)の殆どが、ラダックのゴンパである事に気付いた。その時は、あまり気にしていなかったのだが、翌日Lから、「ダライ・ラマ法王は、今ラダックにいらっしゃるみたいよ」と聞いて、公式サイトで確認してみると、何と7/27(KIN1115)からラダック入りされて、スピトゥク・ゴンパ等に立ち寄られている様子が報じられている。

これまでにも何度も書いて来ているが、ダライ・ラマ法王14世の銀河の署名は「白い磁気の魔法使い」(KIN14)である。全くもって魔法使いの年の始まりに相応しいシンクロではないか!

振り返れば、元旦の夜、キー・ゴンパの記事の前に、私は宮本さんのサイトで「トゥルンパ死者の書」という記事に目を通していた。「自分たち自身の像をどのように見るかという見方からすべてのものは存在しているのです」というトゥルンパの言葉は、日中「魔法使いの学校」の中で中心的に語っていた事そのものである。

そして、このトゥルンパとは、『13の月の暦』提唱者のホゼが『マヤン・ファクター』を捧げた相手、C・T・ムクポことチョギャム・トゥルンパ・リンポチェ(KIN37)のことであり、ホゼ(KIN11)とロイディーン(KIN22)のチベット仏教の師である。

『13の月の暦(ドリームスペル)』は、決してマヤ暦からの情報だけで生まれたのでは無い。その本質を理解しようするなら、アグエイアス夫妻の思想的背景を強力に支えているチベット仏教にも目を向けてみる必要があるだろう。加えて、彼らはニコライ・レーリヒの「文化による平和」の運動の後継者とも考えられていることを忘れてはならない。

実際、「13の月の暦・手帳」の冒頭「銀河の7方向への祈り」の上部に出ている五十鈴マークような赤い三つの丸を赤い円で囲んだ図は、「レーリヒ平和の旗」と呼ばれるもので、ニコライ・レーリヒに由来するものである。

という訳で、今年の元旦は、『13の月の暦』にまつわる人々がオールキャストで登場したような賑わいようだった。1年の始まりをこれだけ盛り上がって過ごせたのは、この一年が最高に面白くなるという徴である。そういう場を共に創り上げて下さった「魔法使いの学校」参加者の皆様に感謝したい。

おそらく、参加された皆さんも、この一年、ぐんぐんとシンクロ体験を加速させて行かれる事だろう。最初に思いきり加速してしまえば、あとは慣性の法則のようにシンクロ状態に入れるからだ。

ハーモニック・コンバージェンス28周年の8/16(KIN135)には上野毛で「銀河シンクロ教室」が、8/28(KIN147)には横浜ナディアで暦レクチャーが、そして8/29(KIN148)、30(KIN149)には、大阪チャクラで「白い魔法使いへの道」が開催される。この1年をシンクロと楽しみで満たしたいと思う方は、是非、これらの機会を活用して頂ければと思う。
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飛鳥(アスカ)から日向(ヒムカ)へ

2015年07月25日 01:57

宇宙の月28日(G7/24)KIN112 黄色い銀河の人(by D)

剣武天真流の奉納演武ツアーは、本来7/17(KN105)から始まる予定だった。しかし、台風11号の接近で宮崎へのフライトが危ぶまれた為、出発を遅らせる事が決まり、現地で予定されていたミーティングも、西荻窪の天真会事務所で行われる事になった。

事務所のベランダにある月下美人のつぼみを見て、青木先生が「今晩か明日位には咲きそうだね〜」とおっしゃっていたのがどこかに残っていたのか、ひと通りの話し合いを終えた辺りで、「あ、今つぼみが開いた気がする」という感覚がやって来た。窓際にいた丸山師範に確認してもらうと、確かに開き始めているという。
月下美人 
そこで、植木鉢を部屋のテーブルの上に置いて、皆でしばし観賞する事になった。1時間程の間にみるみる開花して行く様は、美と驚きに満ちていて、飽きることが無かった。しかも、この花は一夜限りで散ってしまうというのだから、ツアーメンバー全員が揃っているタイミングに開花したのは奇跡的だ。

この日は、宮崎が梅雨明けしたというニュースも入って来て、幸先の良い徴に満ちていたが、それは帰宅してからも続いた。郵便ポストに届いていたのは、何と橿原神宮(神武天皇が御祭神)からの案内だった。大分前に何かで寄付をしてから、年に数回案内が届くようになったのだが、今回のは内容もタイミングも凄かった。
橿原 
何しろLは、まさにこの日(7/17)の朝、橿原神宮に参拝しており、私は翌日から日向国へと向かうスケジュール。私とほぼ同じ時間帯に奈良から戻ったLに、久米寺や天武持統陵の話(「金星・空海・キトラ古墳」を参照)なんかを聞きながらこの案内をめくると、以下のような文章が目に入って来た。

”御祭神 神武天皇様は日向国高千穂宮をお発ちになり、熊野灘を経て大和橿原の地にはじめて都を定められました”

普段だったら何と言うことの無い一文なのだが、台風11号の影響で和歌山県南部に大雨が降り、熊野川が氾濫した事を知った青木先生が、事務所から熊野在住の方に電話をかけて安否を確かめられていたので、私は、このタイミングでこの文章を目にした事に驚かざるを得なかったのだ。だが、今、再確認していて気付いた驚きがもう1つあるので、同じく冊子より引用してみよう。

”来る平成二十八年、御祭神 神武天皇様 崩御二千六百年の式年を迎えることとなり、同年四月三日に「神武天皇ニ千六百年大祭」を厳粛且つ賑々しく御斉行申し上げます”

つまり、この冊子の趣旨は、来年4/3の大祭のお知らせだった訳だが、2016年4月3日を調べるてみるとKIN105で、何と冊子が届いた7/17と同じ「赤い磁気の蛇」だったのだ!月下美人もこの冊子の件も、予定通りに7/17に宮崎に飛んでいたら直接は見られなかったものだと思うと、台風11号の動きにも、何か大いなる働きを感じてしまう。

ところで、紀元ニ千六百年と言えば1940年に盛大に祝われたはず…と思って調べると、今回のは崩御2600年で、1940年の時は即位2600年だった事が分かった。私の両親は共にその紀元2600年の生まれで、新婚旅行も熊野那智〜橿原神宮だったと聞かされて来たから、このシンクロには個人的に強く響くものがある。

ちなみに、Lが飛鳥で入手して来た『新改訂・キトラ古墳と壁画』は平成18年3月27日の発行で、気になってその発行日を調べてみるとKIN88だった。四国八十八ヶ所からの流れ、国際天文学連合が定めた全天88星座とも見事にシンクロしていたが、同時にそれは父の誕生キンでもあるのだ。

そんな流れで、前日から大いに盛り上がっての宮崎行き。翌7/18(KIN106)に羽田から乗ったのはANA603便28。台風11号が経過しての603と来ると、どうしてもパレンケ11代王パカルの事を意識せずにはいられない。ちょうどマヤでパカル王が活躍していた頃、日本では天武・持統天皇がこの国の基礎を創っていた。おそらく、神武天皇が神話の中に位置づけられたのもその頃だろう。

宮崎空港からレンタカーで日向の大御神社に向かう。前日、梅雨明けしたと報じられた割には曇り空で、東京よりも涼しい。大御神社の御祭神は天照大神なので、レンタカーのナンバー「11-38」も、「猿」「鏡」に見えてしまう(紋章コード番号変換で)。

神社の駐車場に付くと、今回の奉納演武の諸々をご手配下さった刀匠の松葉さんが迎えに来て下さっていた。そして門をくぐると、嬉しい事に、6月一杯二子玉川ラサで「時の楽譜」展を共同開催し、TIMESCOREを共同制作したMiyokoさんが、延岡からお友達と駆けつけて下さっていた。ちなみに、Miyokoさんは7月の誕生日を迎えてから「青い宇宙の猿」の道筋を歩まれている。

本殿で正式参拝をしてから、海に面した広い場所で奉納演武をさせて頂いた。お天気が危ぶまれたものの神社に到着した頃からは青空が広がって、とても気持ちの良い風が吹き続けていた。演武終了後、新名宮司が境内の「さざれ石」や「龍の玉」「龍宮」などを、発見時のエピソードを交えながら案内して下さり、大変充実した時間を過ごさせて頂いた。ここに改めて感謝申し上げる次第である。

もしかしたら、高千穂から海に出られた神武天皇は、この辺りから東に向かったのかもしれない、とそんなイメージが浮かぶ、何とも清冽で気持ちの良い神社だった。その後は、松葉刀匠のお宅に伺って、試し斬り大会。松葉先生の指導を受けつつ、奥様やお弟子さんにもお世話になって、大いに学ばせて頂いた。ちょうど、試し斬りが終わった頃に雨がポツポツ降り始め、その後は結構な降りに。

翌7/19(KIN107)も、お天気はグズついていて、雨雲レーダーの予想では、午前中一杯、鵜戸神宮の辺りは雨雲がかかっているような状態だったが、これも現地に付くと晴れて来て、正式参拝を終え、演武をする海辺の広場に出ると、日の光がパーっと差し込んで来た。

松葉さん曰く「青木先生の神通力を信じてますから、雨は全く心配してなかったですよ」との事。確かに、私も晴れ男ではあるが、先生の晴れ男ぶりには敵わないかもしれない。実は10年以上前に、私はこの鵜戸神宮を訪れていて、今回演武をさせて頂いた辺りから亀石に向かって「運玉」というのを投げている。

その時、確か2回分チャレンジして最後のひとつが亀石に入ったと記憶しているが、今回、こういうタイミング(トーテムが亀の宇宙の月23日、KIN107)に鵜戸神宮で奉納演武が出来たのも、もしかしたら、その時の願いがある形で成就したのかもしれない。何しろ10年前には考えられなかった青木先生との組手まで、その場でさせて頂けたのだ。しかも、「念流」や「陰流」の開祖が、剣の奥義を悟ったとされる場所でだ。

演武終了後、地元メディアの取材を受けられていた青木先生の横で、今回の演武を佐賀から見に来られた矢山先生と少しばかりお話をさせて頂いた。20年以上前に『気の人間学』という本を読んで注目していた先生と、このような場でお会い出来たのも、青木先生、松葉先生のお陰であるが、お話しているうちに空海の研究をかなりされていた事を思い出して伺ってみた。
矢山先生 ☆矢山先生と

すると『超訳 空海の人間学』という本を、割と最近出版された事を教えて下さった。「金星・空海・キトラ古墳」に書いた通り、ここ最近の流れには、空海がずっと絡んでいる。帰宅後、改めて調べてみると、矢山先生の御著書は、何と剣武天真流のDVDも出して下さっているクエストから発売されていた。何と言うご縁だろうか。

鵜戸神宮では、その後、社務所で松葉刀匠が復元、奉納された「鵜ノ丸太刀」を見せて頂くなど、こちらも大変長い時間に渡って本部宮司はじめ神社の方々にお世話になった。宮崎日日新聞に奉納演武の案内や報告が細かに掲載されたのも、松葉刀匠と本部宮司のお陰である事は言うまでもない。この場を借りて深く御礼申し上げたい。

もっとも、これも青木宗家と吉田事務局長が、松葉さんと時間をかけて交流を深めて来られたというベースがあっての事。全くもってありがたいご縁、そして先生方に、ただただ感謝するのみである。

ちなみに、鵜戸神宮の御祭神は鸕鷀草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)で、神武天皇の父に当たる方である。そして鸕鷀草葺不合尊の父が彦火火出見尊(ヒコホホデノミコト)こと山幸彦、母が豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)という流れになっているのだが、豊玉姫命は、出産の際に八尋和邇(やひろわに)の姿になっているのを山幸彦に見られたため海に帰って行ったという。

興味深い事に、太平洋を挟んだメキシコのオアハカにも、「ワニの花嫁」という伝説がある。といっても、これもごく最近になって知った話で、きっかけは、「時の楽譜」展最初の来場者となったOさんが、岡本太郎美術館で竹田鎭三郎展が行われていることを教えて下さった事にある。

その時の経緯は「サカダワ満月のパカル王」にまとめてあるが、6/23(KIN81)に展示会場へ行き、『ワニのお嫁さんとハチドリのお嫁さん』という絵本を目にした。実はその日は、ホゼ(KIN11)がウォールストリート・ジャーナルの一面を飾った日からぴったり28年目に当たる日だったので、私は往路のフライトが603便で28という席だったのにも特別なものを感じていたのだった(帰りはSNA56便17で11番ゲート)。

その絵本は、オアハカ先住民の伝統行事「人間の村人が、生きたワニと結婚式をあげるお祭り」にヒントを得て、清水たま子さんが創作され、竹田鎭三郎さんが絵を描かれた作品だったが、そういう話に意識を合わせていたからか、7/8(KIN96)には「花嫁はワニ!?豊漁祈願の伝統儀式 メキシコ」というネットニュースを偶然目にする事にもなった。この記事が公開されたのが13:20というのも驚きだが、私は日本神話との類似性に改めて心ひかれる思いがした。

古事記や日本書紀での和邇(ワニ)は、サメの事だとも言われているが、因幡の白兎と同型の神話が東南アジアなどにもあり、そこではサメではない所謂ワニが登場するので、和邇ももしかしたら普通のワニを指しているのかもしれない。

鵜戸神宮の海岸側の参道は、私達が訪れる10日程前まで崖崩れの影響で通行止めになっていたようだし、演武を終えて車で移動している途中からは、かなりの土砂降りにもなったりしたので、今振り返っても、無事神宮にたどり着けた事や、演武の時に晴れていた事が、特別にありがたいことのように思える。「世界の平和を祈り、この国を創って来た人々に感謝する」という動機に、天が呼応してくれたのだろうか。

大御神社、鵜戸神宮での演武の様子は、天真会のFBアルバムとユーチューブの動画で公開されているので、それぞれのリンクを辿って頂ければと思う。

尚、10月には大阪で、本部大阪道場開設を記念する体験ワークショップが予定されており、宗家をはじめ、今回の演武メンバー一同が訪問する予定なので、実際に剣武をやってみたい、体験してみたいという方は、早めに申込みをされる事をおすすめしたい(リンク先のお知らせ欄参照)。日本から世界に発信できる身体文化、身体芸術を是非、その心身で味わって頂ければと思う。

金星・空海・キトラ古墳

2015年07月22日 08:08

■宇宙の月26日(G7/22)KIN110 白い律動の犬(by D)

金星が最も強く輝いていた7/10(KIN98)、四国の善通寺という所からセッションにいらした方がいた。遠方であるだけでなく、珍しい住所だと思って、その10日程前に申込みがあった時にその町の由来を調べてみた。すると、空海生誕の地とされ、町の名も空海の父の法名に由来する事が分かった。

ちょうどその頃行われていた「時の楽譜」展の最終日がKIN88だった事もあって、四国88ヶ所との繋がりも感じ、空海の事をまた少し調べてみようという気になった。KIN88の父を持ち、KIN11の銀河の父(ホゼ)を持つ私にとって、空海がその父に捧げたお寺のある町に国道11号が通っていると知った事もその気持ちを後押しした(ちなみに善通寺は陸軍第11師団が置かれていた地でもある)。

そこで、Lがかつて天真書法塾発表会で第1回天真大賞を受賞した記念にと、友人の安元さんからプレゼントされた『若き空海の実像』(安元さんが編集された)を引っ張り出して来た。著者の飯島氏は専門の書の切り口から大変興味深い指摘をされていて、思わず引き込まれ、すぐに氏の『空海入唐』も注文して入手。

そういう流れがあっての7/10。この日、郵便局で最初に目にした待ち番号806は、空海が唐から戻って来た年だったし、久しぶりに雲の無い夕暮れ時を迎えた西の空には、最大光度で輝く金星と、横に並ぶ木星まで目にする事が出来て、見えない領域から空海が迫って来ているような感じがしてならなかった。

その5日後の7/15(KIN103)、シャンバラ教室でOさんが『日本とアジアの未来を考える/対話・総括』という奈良県が出した分厚い報告書を貸して下さった。最初は「量も多いし後でゆっくり読ませてもらおう」なんて思っていたのだが、Oさんの「P333に橿原考古学研究所所長の菅谷先生の記事がありますよ」の言葉に誘われて、パラパラとめくってみると、これが面白い!

予定していた作業そっちのけで、P333からの《「ユーラシアスコープ」で東アジアの古代史を見つめ直す》と、続くP369からの《古代における日本と西アジアのつながりは不思議》を、教室の片隅で一気に読んでしまった。【持統天皇と「八」の秘密】に書いた通り、菅谷先生の事を知ったのは、今年の2月末の事だったが、講演時の印象に通じる気合いのようなものが、文章からも感じられて思わず引き込まれてしまうのだ。

その夜、PCを落とす直前にヤフーのトップページで【<キトラ古墳天文図は紀元前後中国で観測された星の可能性】というタイトルのニュースが目に飛び込んで来た。私は驚愕した。何故なら、数時間前に読んでいた報告書のP362に、その「キトラ古墳内壁画『天文図』」があったからだ!(ちなみにこのブログは『13の月の暦』で元旦から362日目に当たる日にUPする事になった)

そこでは、キトラ星宿図は北緯38度の天空であり、埋葬されたのが百済の王だという説が紹介されいた(菅谷先生とは別な先生の説)のだが、私はどうもピンと来なかったのだ。だからこそ、数時間後に見たニュースの中で「キトラの天文図が紀元前1世紀半ば頃の星の配置で、円や星の位置関係などから紀元後4世紀に北緯約34度地点(洛陽や長安があった辺り)で観測したものらしい」という報告されているのを見て、尚更驚いたのだ。

それにしても、600ページもある報告書とは別に1000ページの資料まで一緒に持って来て下さったOさんのタイミングの良さには驚かされる。しかし、もっと驚くのは、その翌朝からLが仕事の関係でキトラにほど近い場所に行く予定が入っていたという事実だ。

13月20日(G7/16)の朝、Lは奈良に向けて出発した。その後、私は精神科医の名越さんのツイート”今週の週刊新潮、後ろのグラビア「私の奈良」見てね。弘法大師が若かりし頃、このお寺の塔内で大日経を発見し驚愕。空海が空海になった瞬間” というのを目にして、コンビニで立ち読みしてみる事にした。何しろ、今、私には空海の風が吹いて来ているのだ。

が、その記事は私をもっと別なところで驚愕させた。何と空海が若かりし頃、大日経を発見したお寺というのは、橿原神宮前の久米寺という寺だったのだ!Lがその日宿泊する予定の宿は、その駅前の橿原ロイヤルホテル!住所は橿原市久米町!何と言うピンポイントなシンクロだろうか!!流石に今年最後の「魔術の亀の日」にして新月の13月20日(KIN104)。

しかも、続けて甲野善紀さんのツイートを流し読みしていたら、前日の夜、つまり私がキトラシンクロで興奮していた頃、名越さん共々二子玉川に来ていた事が判明(整体協会に定期的に来ているのは前から知っていたが)。そこで、私はLに、名越さんのツイートの事と、週間新潮を今日どこかで見た方がいいという事をメールで伝えた。

ちょうどその頃、Lは近鉄に乗り換えていて、空海ゆかりの東寺が見える付近を走っている、という返信があった。台風11号直撃が予想されていたのにも関わらず、雨に降られる事もなく、天武・持統陵を参拝し、久米寺にも行く事が出来たというのだから、この一連の流れには、強い必然性を感じてしまう。

本来なら奉納演武に向けて宮崎に出発しているはずだった翌7/17(KIN105)。台風を避けてフライトを一日ズラした関係で、私は天真会事務所で打ち合わせをしてから帰宅したのだが、おかげで、月下美人が咲く瞬間を初めて直に見られたし(事務所で)、ほぼ同じ時間帯に奈良から戻ったLに、久米寺橿原神宮の話を聞く事も出来た。
玄武 ★『新改訂・キトラと壁画』より。玄武は「宇宙の月」のトーテムアニマルである「亀」と、現在の「ウェイブスペル」の主である「蛇」が絡まったデザイン。

キトラは現在、中が見られるようにはなっていないし、今回の用事は全く別な事だったから、わざわざキトラを訪れることはしなかったとの事だったが、飛鳥駅前の総合案内所で『新改訂・キトラ古墳と壁画』(※)という冊子を手に入れて来てくれた。星宿図についてもかなり詳しく書かれていて、何故、百済王説が出るのかも多少理解できた。

が、その冊子はあくまで壁画に関する資料で、誰が埋葬されていたのかについては触れられていなかった。ちなみに、Wikiによれば、キトラ古墳へ埋葬されていた人物の候補は、天武天皇の皇子、もしくは側近の高官の可能性が高いと見られ、阿部御主人、弓削皇子、高市皇子などが挙げられているようである。里中さんの『天上の虹』を読んでからグッと身近になった世界だ。

実は、ここから、宮崎へと繋がるシンクロが色々とあるのだが、それはまた別にまとめることとして、最後に、その冊子で知ったキトラ古墳の住所についてだけ、書き留めておきたいと思う。冊子冒頭の「はじめに」は「キトラ古墳は奈良県高市群明日香村阿部山字ウエヤマ136番地の1に所在する」という一文で始まっている。

実は、キトラシンクロの発端となったシャンバラ教室のOさんは、KIN136(6・戦士)が誕生KINなのだ!しかもその日付は、私達が初めてダライ・ラマ法王からカーラチャクラ灌頂を受けたKINでもある(グラーツで)。古代日本の天文図に関する情報を、驚くべきシンクロを通じて受け取れたのには、この136という数字が強く関与しているのかもしれない。

そしてこれは、今読み進めているユングとパウリによる『自然現象と心の構造』とも関係しているように思える。なぜなら、パウリはこの本の中で、ケプラーの宇宙論について詳しく言及しており、そのケプラーがグラーツに滞在していた事も記しているからだ。

しかし、その話も詳しく分け入ると、また別な流れに入ってしまうので、今は、このキトラ天文図のシンクロが、空海や金星と連動してやって来たことにだけ再度注目して、本稿を締めることにしたい。

(※)『新改訂・キトラ古墳と壁画』は平成18年3月27日の発行。気になってその発行日を調べてみるとKIN88だった。四国八十八ヶ所からの流れ、国際天文学連合が定めた全天88星座と見事にシンクロしていた。

【白い魔法使いへの道・大阪】

2015年07月16日 23:13

宇宙の月20日(G7/16)KIN104 黄色い宇宙の種(by D)

 魔法使い 

白い惑星の魔法使いの年」にちなんで、新年最初の関西出張クラスは、「白い魔法使い」を目指す方のための2日間集中講座を、8/29.30に大阪チャクラにて行います。
 
ここで言う「白い魔法使い」は、『13の月の暦』の「太陽の紋章」だけを意味している訳ではなく、ホワイトマジックや時間魔術、つまり「意識の自由度を上げる魔法」に通じている存在、というニュアンスを含んでいます。スターウォーズのジェダイマスターみたいな感じ、と言えば分かり易いでしょうか。

本来、『13の月の暦』の基本から外れなければ、誰でもそうなって行くはずなのですが、根本の部分がすっぽ抜けていたり、自分で検証する姿勢を失ったりすると、ダークサイド(思い込み状態)に落ちてしまう可能性が高くなります。

そこで、今回は『13の月の暦』の基礎から、光の剣とも呼ばれる『テレクトノン』、時空のサーファーの原典『ドリームスペル』までを一気に学び、そこからさらに銀河意識へと量子的飛躍をもたらす「シンクロ・ラボ」も特別開催します。

この2日間は、「銀河の活性化の正門」が連続で開き続けているだけでなく、ツォルキンとサイ時間単位が「反対のパートナー」の関係にある、非常に特別な期間です。ここに書いてある事はちっとも分からないけれど、何か引かれるものがあるという方は、潜在意識が参加を促しているのかもしれません。

もちろん、1クラスだけの単発参加も可能ですが、チャクラという暦情報が多層的に積み重ねられて来た「場」と、次元間通路が開いている「特別な期間」が重なるこの「時空の力」を、思いきり活用しない手はないと思います。「白い魔法使い」を目指す皆様のご参加を、心からお待ちしています。

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【白い魔法使いへの道・大阪】

会 場:チャクラ(京阪&地下鉄北浜or地下鉄南森町から徒歩8分)

★8/29(土)13:20〜

【W1】魔法使い入門ー潜在意識と暦 13:20〜15:20(定員16名)
(参加費:予約 3,000円/直前 4,000円)+1ドリンク注文
暦が意識に与える影響はとても大きく、個人の潜在意識レベルだけ
でなく集合意識レベルにも働きかけて、強力な「場」を形成します。
暦の由来とその働きを知り、目的に沿った使い方を押さえておけば、
「意識の自由度を上げる」のが容易になり、毎日が楽しくなります。

【W2】魔法使いの実践ーお告げの読み解き方 15:40〜17:40(定員16名)
(参加費:予約 3,000円/直前 4,000円)+1ドリンク注文
13の月の暦』でサインを読み解くやり方は無数にあり、意識の
自由度に比例して、シンクロや楽しみに気付く機会も増えて行きま
す。今回は、初心者でもすぐに応用可能なやり方を、その場で即興
的に例示しながら、シェアする予定です。

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★8/30(日)10:00〜

【W3】ドリームスペル(原典に触れる)10:00〜12:30 (定員16名)
(参加費:当日カンパ制/ドリームスペルは無償配布されます(※))
銀河のマヤからの贈り物『ドリームスペル』。「13の月の暦」情報の
源であるこの箱形キットを手にし、実際に動かしてみる事が、銀河
意識という未知領域にアクセスする第一歩となります。今回はキット
の扱い方のコツと、「銀河の羅針盤」の使い方を中心に解説します。

【W4】テレクトノンと「サイ時間単位」 13:30〜15:30(定員8名)満員御礼受付終了
(参加費:予約 4,000円/直前 5,000円)+1ドリンク注文
テレクトノンは、テレパシーを活性化させる銀河ツールで、13個ある
コマを動かすことで、暦が持つ多次元的リズムを体感して行く事が
出来ます。また、類似、反対、神秘、ガイドの関係性を動的に把握し
たり、サイ時間についての理解を深めたりするのにも役立ちます。

【W5】シンクロプレゼン・ラボ 16:00〜18:00(定員8名)残席1
(参加費:予約 4,000円/直前 5,000円)+1ドリンク注文
パレンケでのテレクトノン体験や現在進行形の多重シンクロについて
シェアしながら、参加者と共にシンクロ場を高めます。銀河ツールや
『アルクトゥルス・プローブ』の疑問があれば、そこも探求します。
参加資格は、共有する気持ち、未知を楽しむ気持ちを持つ事だけ。
→ http://www.kulika.com/index.php?page=Synchro-Labo

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※8/26(水)までに「申込手続きの全て」を完了された方は予約扱い(8/27日以降は直前料金)となります。ただし、定員になり次第受付を締切らせて頂きます。

※予約申込者(当日カンパ制の【W3】クラスを除く)は、137部限定制作の「13の月の暦《TIMESCORE》」(2200円+送料360円)の同時申込みを受付けます(1名1冊)。ただし、在庫が無くなり次第、受付を終了致します。

※『13の月の暦・手帳』(こよみ屋)をお持ちの方は、ご持参下さい(必須ではありません)。尚、書籍類と手帳は、当日数部ずつ会場でも販売する予定です。

※『ドリームスペル』は「銀河の贈り物」であり、商品ではありません。

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★お申込み方法
お手数ですが、下記の項目をコピー&ペーストなさり、必要事項(※)をご記入の上、必ず事前にメール(←クリック)にてご本人がお申し込み下さい。その際、お申込みメールのタイトルを【大阪魔法使い】として下さい。追って受付メールを返信いたします。

【参加希望クラス】 【 】で囲まれた部分だけで結構です
【お名前】
【〒ご住所】
【お電話(携帯)番号】
【TIMESCOREの申込み】必要な方のみ「希望」とお書き下さい

※【W3】で『ドリームスペル』の当日配布を希望される方は、下記の全項目(〜〜〜で上下囲まれた部分)も必ずコピー&ペーストしてご返信下さい(この部分が無い場合は既に手元にあると見なし、当日の配布は致しません)。既に受取り済の方は結構です。尚、二重受取は出来ませんのでご注意下さい。
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<私は以下の全てに同意します>
・このツールを売買しない事を約束します。
・このツールを占いや鑑定の道具に流用しない事を約束します。
・このツールをマヤ暦という名で呼ばない事を約束します。
・個人的な解釈を公式見解として伝えない事を約束します。
・このツールの入手を希望する人には、公式配布窓口を知らせる事を約束します。
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*お寄せ頂いた個人情報はいかなる場合においても外部へ漏らす事はございません。
*敏速な返信を心がけておりますが、通信事情等により、ごくまれにメールが届かないケースがございます。 お申込をお送り頂いた後、2日間経ってもこちらから返信が届かない場合は、 大変お手数ですが、再度メールをお送り頂けますようお願いいたします。
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お願いとご注意
@yahoo.co.jpのアドレスからクリカにメールをお送り頂く場合、残念ながらこちらに届かないケースがあるようです。恐れ入りますが、できるだけ他のアドレスからお送り頂けると幸いです。携帯メールの方は、こちらからの返信メ-ルが届く設定にしておいて頂けますようお願いします。また、ezwebの方は、設定に関わらずこちらからのメールが届かないことがありますので、返信が無い場合は、お手数ですが、別なアドレスからお問い合わせ下さい。

観音菩薩の化身と「時の輪」の教え

2015年07月14日 00:46

宇宙の月17日(G7/13)KIN101 赤い惑星の竜(by D)

4月12日(日)・13日(月)に昭和女子大学人見記念講堂で行われた、ダライ・ラマ法王による「般若心経・菩提心の解説・観音菩薩の許可灌頂」は、想像以上に素晴しい機会だった。その後も、強烈なシンクロが続きまくっていて、なかなかブログにまとめる時間が取れないまま今に至ってしまった。このままだと、「13の月の暦」で年を越してしまいそうなので、メモを繫げることだけでもしておこうと思う。

ただ、法話と灌頂については、私の怪しい記憶に頼るより、チベット学者・石濱裕美子先生のブログ「観音の千本の手」「哲学・修道・結果(法王法話)」をご覧いただく方がずっと役立つと思うので、是非、リンク先を辿られることをおすすめしたい。今回の灌頂の深い意味が、チベット仏教の歴史という文脈から読み解かれていて、大変勉強になる。

そんな訳で、以下は、この2日間にまつわる私の個人的な驚きメモである。12日(KIN9)の法話の時に、石濱先生が割と近い席に座っていらっしゃる事に気付いた私は、観音菩薩の灌頂が予定されていた翌日(KIN10)、先生が訳された『ダライ・ラマの密教入門』をお坊さんバッグに忍ばせて機を伺っていた。「クリカ」「カルキ」の表現について、先生ご自身がどういう見解をお持ちなのか、前々からお聞きしたいと思っていたからだ。

昼休みに入ったところでチャンスが巡って来たので、ちょっと割り込ませてもらってお聞きしてみると、「立て板に水というのはこういうこと」と思わせる滑らかさで、明快に回答して下さった。とは言え、あくまでも私の個人的なリクエストに対して、立ち話で手短に回答して下さったものなので、以下のメモも「私なりの理解」を自分用にまとめたものであることを、予め断っておきたい(何か問題があったとしたら私に責があるということ)。

即ち、底本で英訳&編集をしたJeffrey Hopkinsは、ダライ・ラマ法王の間近で長年研究していた学者で、カーラチャクラにも当然詳しい。その Hopkinsが書いていたそのままを、手を加えずに訳しただけである。また、綴り違い等の指摘は以前からあったが、そういう事を言い出すなら、他にも色々と修正すべきところは沢山あるし(サンスクリット・チベット翻訳では珍しくない)、何より、当時チベットのお坊さんたちもクリカと言っていたのだから、あえてそこにツッコミを入れる必要は無いんじゃないか、というような事だった。

私達は、先生がどう回答されるかに関わらず、クリカをカルキに変える気などサラサラ無かったのだが、翻訳に関わられた先生の見解は知っておきたかったし、長年気になっていた事でもあったので、その引っかかりが解けて非常にスッキリした。ある意味、自己満足のための素朴な質問にお手間を取らせてしまって先生には申し訳なかったが、丁寧に回答して下さった事にこの場をお借りして改めて御礼申し上げる次第である。

そのやりとりの直後、近くで先生を交えた記念撮影大会が行われ始めたので、私達も便乗して、灌頂で使われた千手観音のタンカ(仏画)を背に石濱先生と記念撮影(この時進んで撮影を引き受けて下さったのは台湾の女性だった)。せっかくだから、持参していた『ダライ・ラマの密教入門』と一緒に記念撮影をと思ってのことだったが、後からそのタンカも石濱先生が貸し出されたものだったと知って、大いに驚いた。
石濱先生と 
それが明らかになったのは2日後の4/15(KIN12)。先生がブログに「観音の千本の手」をUPされた事による。その日、改めて『ダライ・ラマの密教入門』の奥付けを見ると、発刊日が2001年1月15日で、何と、その日と同じKIN12だったという事も判明!14年も持ち歩いていたのに、発刊日を調べてみようと思ったのが、発刊日から19銀河スピン(19×260日)後の同じKIN12になるとは!

おまけに、同ブログの中で先生は「シンクロ」という言葉を連発されている(もしかしてクリカのサイトを見て下さったのか…)。この驚きの流れは、著者(法王)と訳者(石濱先生)が揃っている場(昭和女子大)に『ダライ・ラマの密教入門』を持参した事から始まっているのだろうか?いや、振り返れば、この本を手にした時点から既に始まっていたような気がする。

そもそものきっかけは、2002年1月に予定されていたブッダガヤでのカーラチャクラだ。参加を決めた私達に、ガイド役で同行する僧・吉沢さんが、式次第として持参を薦めて下さったのだ。実際、『ダライ・ラマの密教入門』は、殆どカーラチャクラの式次第そのものであり、実際に灌頂を受ける時に役立つものだと、後に実感する事になった。

吉沢さんの誕生キンが、ホゼと同じKIN11だと分かったのは、帰りの飛行機での事。ホゼの『マヤン・ファクター』(VOICE)を通じてカーラチャクラを知った私は、それだけでも驚きだったのだが、2004年に二子玉川に引っ越したことと結婚した事をハガキで報告したら、その返信に、もともと二子玉川の出身であることが書かれていて、さらに驚かされたのだった。

ブッダガヤに行った頃は、私達は二子玉川とは殆ど無縁(学生時代にバイトをした事はあったが…)だったのだから、何とも不思議な縁である。ちなみに、吉沢さんが通っていた小学校のすぐ近くに2009年に生まれたのが、先に「時の楽譜」展を開催した「ラサ」である。

思えば、石濱先生と記念撮影した時手にしていた『ダライ・ラマ密教入門』は、2001年12月24日に伊勢(神宮会館)でLが私にプレゼントしてくれたもので、現地で中止が判明した2002年1月のブッダガヤ、同年秋のグラーツ、そして2006年のアマラヴァティと、3回もカーラチャクラに一緒に参加した強者である。

その仕上げが、「魔術の亀の日」でもあった「白い惑星の犬」(G4/13)の千手観音の灌頂の場だったという事なのだ。この本に登場する「クリカ」を活動名としてして11年になる私達にとって、著者と訳者と図版を作った方の全てが同席している場で、観音菩薩の化身からその灌頂を受けられたのは、この上ない喜びだった。

12/24で思い出したが、今回の会場にまつわるシンクロにも相当不思議なものがあった。私が『ダライ・ラマの密教入門』を受け取った2001年の12/24から、ぴったり13年後の2014年12月24日、Lはお伊勢さんから呼び出しをくらって神宮会館に泊まる事になったのだった。「呼び出し」というのは、こういうことだ。

携帯からは何年もかけていないはずの神宮会館に、バッグの中に入れてあったiPhoneが勝手にコールしてしまったのだ!勝手にコール現象は、身近で何件か目にはしていたが、そのタイミングで神宮会館というのが驚きだった(履歴から考えても)。ちょうどクリスマス前後は、私が出張中ということもあって、Lは「これも何かのお導き」という感じで、神宮会館に改めて電話をしてみると、何と12/24だけ部屋が空いていたのだった!

そして、12/24(KIN160)に外宮の神楽殿で同席したのが「世田谷区太子堂の吉田さん」だったのだ。他に同席した方はおらず、祝詞で読み上げられる関係でご近所だと分かってしまったのだった。それだけでなく、翌朝、内宮神楽殿でもまた同席したのだという(この時はもう一組別な方もいたらしい)。

共に12/25(KIN161)に帰宅した私達は、翌12/26の夜、その世田谷区太子堂にある「シバカリー・ワラ」で晩ご飯を食べた。もちろん、伊勢でのシンクロが影響しているのは確かだが、もともと私達はこのお店の大ファンなので、年末断食の前に行っておこうという事になったのだったと思う。

そして、その2日後の12/28(KIN164=銀河の同期)に、チベットハウスからお知らせが届き、翌年4月の法王の来日法話は、昭和女子大(世田谷区太子堂)で行われる事を初めて知ったのだった。これまた大変な驚きだった。何故なら、この「世田谷区太子堂」という住所は、グーグルマップで調べれば分かるが、たかだか1キロ四方という非常に狭いエリアである。

私達にとって、こんなに近所(二子玉川から急行で一駅の三軒茶屋が最寄り)で法王の法話をお聞きするのは、少なくとも自分達が直接、法王の講演会場に足を運ぶようになってからは、初めてである。

そういえば、2013年「銀河の同期」からぴったり80日後のKIN244(10・種)に、『霊性のアート 心の豊かさを育む技』出版記念講演を、銀河アルケミスト教室生が中心になって開催してくれた場所が、そもそも世田谷区太子堂であった。そして、シバカリー・ワラの事を耳にして、いきなり行ってみたのも、まさにその日だった。

その時主催してくれたメンバーのうち、少なくとも4名は、昭和女子大の法王の法話にも参加されていたから、非常に手前味噌な捉え方をすれば、KIN244に撒いた種が、「般若心経・菩提心の解説・観音菩薩の許可灌頂」として、結実したようにも(個人的には)感じられる。そういう妄想をしたくなるだけの流れがある事を、ここまで読んで下さった方なら、少しは理解して頂けるのではないだろうか。

最後に、4/12(KIN9=今年一年でもある)に、これまた偶然出くわしたシンクロをメモして、そろそろこの記録を終えたいと思う。その日、昭和女子大の門前に到着すると、すでに長蛇の列がずーーーっと続いていた。ちょうど、台湾や韓国からの団体さんが到着したタイミングだったようで、持ち物検査もあったりして行列は中々進まない。

ようやく人見記念講堂の前に来たところで、係員に指示を出されて、仕方なく数mほど戻らなければならなくなった。と、ちょうど戻されたその場所に、黒塗りの車がやって来るではないか。騒ぎの様子からそれが法王を乗せた車である事がすぐに分かる。ご挨拶しつつも、すかさずiPhoneを取り出し撮影。絶妙のタイミングで並び直しをさせてくれた係員に感謝した(笑)。
法王車 
ナンバーの「61-25」は、二桁ずつ合計すると86で、一桁ずつ合計すると14になる。流石に、カーラチャクラの86代目の継承者でもあるダライ・ラマ法王14世(→誕生キンもKIN14)、そんなところまで自然にシンクロさせてしまうところが非凡である。

尚、この2日間に関する「13の月の暦」的観点については「9年後の観音菩薩許可灌頂」「キン9生中継!ダライ・ラマ法王来日法話」に既に書いてあるので、興味のある方をそちらを参照して頂ければと思う。

色々あり過ぎて、何だかとりとめの無い内容になってしまったが、最後の最後にもう1つだけ。今日は二子玉川ラサで「時の楽譜」展をご一緒し、「13の月の暦《TIMESCORE》」を共同制作した「みよこみよこ」さんの誕生キンでもあった(祝!)。みよこさんは、かつて「よしだみよこ」名で活動されていた事があったので、「世田谷区太子堂の吉田さん」ともある意味シンクロしている。

ここまで読み通せた方は、既にシンクロの波に乗れている方だと思うが、間もなくやってくる新年のビッグウェイブに乗って、さらに楽しみと驚きを加速させたい方には、「白い魔法使いの学校ー114白熱教室」への参加をお勧めしたいと思う。時の潮目を見抜いて波に乗るセンスを磨くには、乗れた経験を持つ者と、同じ目的を持つ仲間がいる場に身を置くのが、一番早いと思う。

持統天皇と「八」の秘密

2015年07月03日 21:12

宇宙の月7日(G7/3)KIN91 青い宇宙の猿(by D)

微細なサインを無視していると、次第にその呼びかけが大きく過激になって来るというのは、健康問題や人間関係に限らず、どんな事にも通じる面があるようだ。G暦3月中には何とか書き上げようと思いながら、日々シンクロに追われ続けて、気付けばもう7月。すると、「ついに」という感じで「時の楽譜」展の終了にぴったりシンクロする形で、強烈なサインがやって来た。

それは、奈良県磯城郡(かつては纏向、三輪、橿原、十市郡等も含んでいた)の方からLに仕事の依頼が入る、という形を通じて私達に示されたものだった。それだけなら、別に何と言うことも無いのだが、持統天皇を主人公にした里中満智子さんの作品『天上の虹』との、ここ1年くらいのシンクロを振り返ると、やはり驚きを禁じ得ない。

きっかけは、昨年のGWに行われたLの個展「書の魔法」にあったのだが、長くなり過ぎるので、ここではG2/28(KIN226)に有楽町マリオンで行われた飛鳥・橿原シンポジウム「藤原京物語〜持統天皇 その愛と戦いの生涯〜」以降の、インパクトがあった出来事についてだけ整理しておきたいと思う。
持統天皇 
橿原市が主催したこのシンポジウムでは、里中満智子さんと橿原考古学研究所所長の菅谷文則さんが、それぞれ素晴しい講演をされたのだが、より強い衝撃を受けたのは、失礼ながら実はあまり期待していなかった菅谷先生のお話の方だった。その要点は、持統天皇が神仙思想の影響を受けていて、同時代に活躍した修験の開祖・役小角とも直接交流していたのではないか、というものだった。

個人的見解であったとしても、研究所の代表という責任を負っている方にしては、中々大胆な発言だと思ったが、あるいは、満を持してこの機会に発表することを決めていたのかもしれない。その日の朝、入院先の病院から退院されたばかりで、念のため里中さんと講演順を変わってもらったとか、実際に山を歩き回って古代の記述通りに移動出来るか検証したとか、気合いの入り方が違うように思えたからだ。

それに、天武・持統合葬陵が八角形であることや、持統天皇が吉野宮へ33回も行幸した謎、役行者が文武天皇の時に伊豆に流されている事などを結びつけるなら、話の筋は通っている。加えて、持統天皇在位中に始まった伊勢の式年遷宮が、何故20年周期なのか?について、かつて不思議研究所の森田健さんが書かれていた「式年遷宮と金の三合局の関係」が頭にあると、菅谷先生の説がますます真実味を帯びて来るように思えるのだった。

実は、以上のメモは、講演を聞いたその夜か翌3/1(KIN227)までに既に書いていたもので、「金の三号局」について記したブログは、そこから5年前の同じ時期の深夜2:27にUPされていた。また、直近の式年遷宮は2013年に行われたが、シンポジウム当日のサイ時間単位がKIN164(=8・種=2013年銀河の同期)だった事もメモしておきたい。

シンポジウムで配布された資料には、八角形の復元図と共に、天武・持統合葬陵の写真も掲載されていたが、私はシンポジウムの93日前にその申込みをしており、昨年4月のKIN173にその陵墓を訪れている。そして、ここまでのメモをした3/1のサイ時間単位は168だった。この168と173、93と88は、神秘の四つ組を形成する特別な関係にある。

3/1(KIN227)の日中、私は横浜ナディアの暦クラスで、易の64(8×8)卦をツォルキンと統合したツール『時間の法則の20の銘板』について話をしていて、Lは元町アントショップで八角形の小鉢(チャーミングセール限定品)を2つゲットしていた。つまり88である。

話をシンポジウムに戻そう。菅谷先生は、修験道の開祖役行者(小角)の生誕地とされる御所市茅原の吉祥草寺で、毎年G1/14(L誕生日)に火祭りがあることや、2013年の式年遷宮はまだ続いていて、12別宮の最後の遷宮は、G3/15(KIN241)の風宮で完了すること等も話して下さった。

「入院中に般若心経を唱えていたら、えも言われぬ気持ち良さで恍惚となって、いつ死んでも良いと思った」なんて話をされたかと思えば、名誉大先達の称号を持つ山伏でもあるとの話も出たりして、興味は尽きない。退院直後とは思えない勢いで話をされる先生のことを、最前列の席から見ていると、身体を通じた深遠な体験をかなり豊富にされているのではないだろうか、という気がしてならなかった。

その菅谷名誉大先達によると、木曽御嶽山の山伏はかつて口寄せみたいなワザを使える方がいたらしく、羽黒の山伏は心の病を治すのが得意だったらしい(薬草との関係があるようだ)。蔵王権現は役行者が感得したと言われているが、ちょうどその夜、安倍昭恵さんがFBで蔵王スキー場からUPしてた写真が蔵王権現堂だったのは面白いシンクロだった。

翌3/1(KIN227)、横浜ナディアに行くと、ワークショップルームまでの移動用の紙袋が、いつもと違っている事に気付いた。気になってよく観ると、外宮表参道にある「せきや」のものだった。住所は伊勢市本町13-7。外宮の最初の遷宮が持統6年(692年)、則ちパカル王の眠る「碑銘の神殿」が完成した年だった(らしい)ことを振り返ると、このシンクロもかなりキテる。

そして、のびのびになっていたこの記事のUPが、13月7日になってしまったこと、この日が今年KIN91(=13×7)と同期すること(52年に一度しかない)、さらにそういう特別な日が、137部制作した「13の月の暦TIMESCORE」の共同制作者 Miyokomiyokoさんの誕生日であることを考えると、やはり興奮せずにはいられない。

4日後の3/5(KIN231=Lの誕生キン)に、天真書法塾新宿プロムナード展(6月)の打ち合わせがあり、私達のチーム(3名)は「日本の神話」を作品テーマにすることを決めた。実は展示の話があったその瞬間から、私は「刀」という字を書きたいと思っていたので、「三種の神器」をモチーフとして提案することで、その希望が叶うことになったのだった。

その日、私は「三種の神器」の全てに「八」が関わっている事に、はじめて(もしくは改めて)気付いた。八咫鏡・八尺瓊勾玉・草薙剣が、いわゆる「三種の神器」であるが、草薙剣は、スサノオが出雲国において天羽々斬剣でヤマタノオロチ(八岐大蛇)を切り刻んだ時に、その尾の中から出て来たとされるので、やはり「八」が関係しているのである。

そして、そのスサノオが詠んだ「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」が、和歌のはじまりだとも言われている(伝説的に)。これら一連のことを俯瞰すれば、少なくとも、記紀が編纂された時代、つまり天武・持統天皇の頃には、既に「八」が相当意識的に使われていたのが分かる。

この事に気付いた翌日(3/6)、佳子さまが成年(20才)の報告をしに、伊勢神宮(外宮・内宮)を参拝されたことが報じられていた。お一人では初めてとのことだったが、トータルでは三回目の参拝というのも、「三種の神器」と重なるようで興味深い。
三種 
実際、新宿プロムナードに作品をセッティングした6/6(KIN64=8×8)も、佳子さまは初の単独地方公務で、安徳天皇を祀った赤間神宮を参拝されているので、何か繋がりがあるのかもしれない。壇ノ浦で夭逝した安徳天皇は、「三種の神器」と共に語られることが多いので、最近【「三種の神器」と137】という記事にも書いたばかりだった。

4/4(KIN1)から始まった「惑星の月」は、『20の銘板』の見方だとちょうどKIN231に対応するので、Lはそれを意識して江戸川橋で「花のシャンバラ展」を開催した。この時、出品もしていたシャンバラ教室生で、飲食店を営まれているFさんから、Lはある依頼を受けているのだが、興味深いことに、Fさんのお店には「八」とか「仙」という文字が含まれていたりする。

また、この展示を観に来られ、6月になってから入門されたOさんは、何と、かつて菅谷先生と仕事をした経験のある方だった。2/28のシンポジウムまで、その存在すら知らなかった先生と直に交流していた方が、シャンバラ教室にこのタイミングで入門して来られるとは、全くもって驚くより他ない。

そしてKIN118(1・鏡)&KIN18(5・鏡)の増田「鏡」夫妻に薦められたガイドブック(みよこみよこさんがイラストを描いた『aruco台北』)を手に、台北にミニトリップに出たのが4/20(KIN17)。この旅についてはメルマガで報告中なので詳細は省くが、故宮博物院で「皇帝的鏡子」という特別展示が行われていて(この事は現地に着くまで知らなかった)、随の終わり頃から唐にかけての「鏡」が展示されていた。
皇帝鏡 
八咫鏡がどんな姿なのかは、実物を見た人が殆どいない現在、推測に頼るしか無いが、歴史の流れを省みつつ、遷宮ごとに調進されるご神宝の「御鏡」(←ご神体とは異なる)も参考にすれば、そんなに的外れにはならないと思う。故宮に展示されていた唐(=持統天皇の時代)の「鏡」と、ご神宝の「御鏡」がとても良く似ている事は、八咫鏡もそれに近いものである可能性を示唆している。

台湾での「鏡」シンクロも相当なものだったが、帰国直後にも、驚くべきシンクロがあった。私がウォーターセラピーで使用しているBAという機器は、製造元のアディック(現ウィリット)でその開発に携わっていた関係もあって、今も時々その機器の行方を耳にする機会があるのだが、GW直前に届いた情報は衝撃的だった。何と、二上山エリアの方が購入されたというのだ。

万葉集にも登場する二上山は、古来神聖な山とされ、持統天皇の甥に当たる大津皇子の墓もある場所。『天上の虹』は里中満智子さんの30年に渡るライフワークで、ちょうど先のシンポジウムの頃に最終23巻が完成し、私達の手元には3月中旬に届いた。その最終巻の終盤、鸕野讃良こと持統天皇がこの世を去る時、(物語の中で)最後に気に掛けていたのが大津皇子だったのだ。

登場人物の多い『天上の虹』だけに、もし、終盤にその名が登場していなければ、どういう人物だったかも思い出せなかったに違いない。だからこそ、このタイミングで二上山にBAが届けられたと知った時の驚きは大きかったのだ。多分、BA本体の組み立てを、かつて私自身の手で行っていたことも、この出来事に特別な感慨をもたらしたように思う。

6/10(KIN68)には、歴史秘話ヒストリアという番組の中で「よみがえる 持統天皇の都」と題して、藤原京の事が取り上げられていた。『天上の虹』の絵が使われていたお陰で親しみが持てたが、新たに知って刺激を受けたのは、持統天皇の命で生まれた藤原京が、『周礼』に記された理想の都を参考に建てられた可能性が高い、という話だった。

『周礼』は周王朝の理想的な制度について周公旦が書き残したものとされ、その周公は、父・文王と共に『易経(周易)』の成立にも関わったとされるが、いずれも伝説的な要素が入り混じっていて、史実かどうかは定かでない。ただ、藤原京の宮城を都の中心部に置いたのは『周礼』の影響、というのは間違いなさそうである。また、八角形の天武・持統合葬陵は、その宮城から真南の位置に建設されたのだと言う。

持統天皇の時代、全国に幅12mほどの直線道路が、6300キロ分も建設されたという話も初めて知って驚いたが、日本という国を支える諸々の基礎が、ほぼこの時代に固められたのは確かで、当時の人々にとってどうだったかは分からないが、現代の私達に至るまでの礎を作って下さったことに対しては、とにかく感謝し、敬意を表したいと思う。

そういえば、番組が放映された6/10は、安倍昭恵さんの誕生日でもあった。【「三種の神器」とKIN137】にも書いた通り、第81代安徳天皇と「三種の神器」の関係について教えて下さったのは、安倍昭恵さんである。昭恵さんはKIN81に四国の剣山に登られているのだが、今日、コンビニで思いがけず目にする事になったマンガは、何と剣山を舞台にした「聖櫃〜アーク〜」発掘史というタイトルの短編だった。

表紙が『北斗の拳』のラオウ風だったので思わず手にしたのだが、俗な話ばかり沢山詰まったペーパーバックを、パラパラとめくった時にチラっと目に入っただけで、表紙のどこにもアークの事など書かれていなかったから、驚くべき偶然である。もっとも、私はこういう感覚を磨く技術を研究して来ているのだから、これくらいの実用性が無いと困るのだが、全く予想外の働き方をするので、自分でも毎回驚くことになる。

しかもそのマンガ、日ユ同根論の流れで、剣山の次には祇園祭の事も描かれていて、今朝方のシンクロとも繋がっていた。昨夜(7/2)、「四国八十八ヶ所の結界で護られていると噂される剣山の頂上に御神輿を運ぶお祭りの日と京都の「祇園」祭の神輿渡御の日はともに今月の7/17ですよね」と、時空のサーファー仲間のJ氏がツイートの返信で教えてくれたので、ネットで祇園祭について調べていたら、その直後にヤフーのトップ画面の写真ニュースが、祇園祭の提灯になっていたのだった。

世界は広く、他にもっと大事なニュースはいくらでもあるだろうに、何故、ピンポイントで祇園祭なのだろうか。確かに私達は昨日、銀座の「ぎおん石」という天然石のお店を訪れてはいる(7/6まで北村公晴氏のアート&ジュエリー展が開催中)し、銀座の他には八坂神社前にしかそのお店がないことも知っている。そして、八坂神社の御祭神がスサノオであることも。

シンプルに考えれば、これこそが共時性秩序の働きであり、そこにどのような意味を見出すかは、前後のコンテクストによる、という事になろう。いずれにしても、キリの良いところでUPしておかないと、まだまだ続きそうなので、ここまでで一区切りとしたい。

ちょうど明後日は、横浜ナディアで「13の月の暦」のクラスがあるので、こういう毎日を過ごしてみたい方、あるいはここに書かれている用語の意味や、シンクロ発見のコツを知りたい方は、基礎クラスから参加してみると良いかもしれない。巷に散見されるデタラメな使い方とは全く異なるシンプルかつ、誰もが速やかにシンクロ次元に入れる銀河的アプローチをシェアする予定である。

元旦の「白い魔法使いの学校」で一気に加速して1年のスタートを切るのも良いが、新年の前に備えておけば、さらに波に乗りやすくなるのは、当たり前の話である。

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