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「白い月の魔法使い」の福山雅治

2015年09月28日 21:25

■電気の月9日(G9/28)KIN178 白い太陽の鏡(by D)

福山雅治さんと吹石一恵さんが、本日付けで結婚を発表した。芸能関係の動向にあまり関心が無い私も、福山人気の凄さは知っているので、このニュースを目にした時「ガックリ来た人が相当いるだろうな」と思わず想像してしまったが、同時に、この人気者は「どういう時を選ぶ人なのか」に関心が湧いた。

というのも、13才年下の吹石さんの33歳の誕生日である今日を、入籍と結婚発表の日にしていたからだ。以下、あくまでネット上の情報に依るという条件付きで、2人の「銀河の書名」(『13の月の暦(ドリームスペル)』のツォルキンでの誕生日)に関して、ちょっとメモをしておこうと思う。

・1969年2月6日生まれの福山さんは、「2・魔法使い」(KIN54)
・1982年9月28日生まれの吹石さんは、「2・空歩く者」(KIN93)

「2」という数字は、『13の月の暦』では「月の」という名を持つ「銀河の音」に対応するので、「月」で響き合っている二人が満月(それもスーパームーン)に結婚というのは、なかなか美しい。しかも、この暦で今日は、3番目の月である「電気の月9日」(365日暦)&「9・鏡」(260日暦)という日付。

「鏡」は、「太陽の紋章」のコード番号「18」であるから、上記を数字だけで表記すれば3月9日(9・18)となり、全て「3」の倍数となる。その日に吹石さんは33という、3の倍数の中でも特別な数字の年を迎え、その日が結婚記念日となるのだから、これまた素晴しい事であると言えよう(13才で芸能界入りした彼女は芸能生活20年目でもあるらしい)。

そして、現在の「運命の道筋」は福山さんが「9・種(KIN204)」、吹石さんが「9・鏡(KIN178)」。「銀河の音9」は「太陽の」という名を持つので、もともと「2(月の)」の二人が「9(太陽の)」のタイミングで結婚したという意味でも、月と太陽が地球に対して対極の位置にある満月の日が選ばれたのは、完璧と言える。
写真 1

しかも、今年全体が、「現れを仕上げる」という力を持つ「白い惑星の魔法使いの年」。もともと「白い魔法使い」の福山さんは、こういう事を知らずとも、自然に銀河時間の波に乗れてしまう何かを持っているのだろう。というより、『13の月の暦』は自然と同調する暦なので、自然体の人は、別にその知識がなくとも自ずと同期してしまうものなのだ(逆に筋違いの知識を吸収してズレまくっている人もいる)。

『13の月の暦(ドリームスペル)』は、人の相性を観る目的で使用するものでは無いのだが(従ってそこに囚われていると真の働きを体感する事は困難である)、「以下のような見方も可能」という事で、例示しておこう。

例えば、二人の「太陽の紋章」とガイドキンの「太陽の紋章」の関係を、『ドリームスペル』旅程盤の「銀河-太陽 0-19コード」に基づいた惑星軌道で見て行くと、互いに交差する興味深い関係にある(尚、マルデクというのは、ドリームスペル創世記において現在の小惑星帯にあったとされる惑星の事である)。

・福山さんの「2・魔法使い」(マルデク)ーガイドキン「世界の橋渡し」(火星)
・吹石さんの「2・空歩く者」(火星)ーガイドキン「蛇」(マルデク)

ドリームスペル創世記や『テレクトノン』において、マルデク(性、生)と火星(死)は、「誤用される力」の象徴でもあり、人類の集合意識に根強いトラウマを残している領域とも関係している。しかし、逆にこの領域がクリーニングされて行けば、物質主義の流れで狂ってしまった「生と死」の2つの働きを正常化できる可能性もある。そういう意味で、今回のお二人の結婚には、より大きな流れが関係しているようにも思える(どちらも太陽の預言的な流れに誕生キンがある事も含め)。
写真 2

また、お二人共に「交差の白い北の城」(52日間の領域)の最初と最後のウェイブスペル(13日間)に属していて、旅程盤のかなり近い場所に誕生キンが位置している事にも注目しておきたい。福山さんの「2・魔法使い」は、「空歩く者のウェイブスペル」に属しているので、どちらかというと、吹石さんの方が福山さんを支える(場合によっては尻に敷く)という関係性があるかもしれない。

…なんて話は、ザッと『13の月の暦(ドリームスペル)』の情報を知っていれば、誰でも無限に拡げて行けるもので、「運命が決まっている」等という発想とはまるっきり違うという事は、はっきり書いておこう。多くの人が、こういう話を好むのと、私も個人的に関心が湧いたので、今回は少し遊んで書いてみたが、あくまでひとつの切り口に過ぎず、暦の使い方としては末節的なものである。

ここに記した情報は全て『ドリースペル』という箱形キットにその由来があり、『13の月の暦』は、それをより一般的な(私達に馴染みのある)形にしたものである。そして、私が「銀河シンクロ教室」でお伝えしている内容を大雑把に知っていれば、誰でもそれなりに読み取れることばかりである(もちろん一回参加しただけで全部一気に理解できるかどうかは別だが)。

ちなみに、世間で「マヤ暦」と信じられている情報の殆どは、『13の月の暦(ドリームスペル)』から一部をパクって、後付けの個人的解釈をむやみに付け加えた別物である(元締めは1名だったが分裂とコピーを繰り返して現在はもうどうなっているか分からない位色々ある)。しかも、そこで伝えられている諸々は、元情報とは真逆に近い性質を持ち、学ぶ人を盲目にする側面が強い。

そもそも「銀河の音」とか「太陽の紋章」「ウェイブスペル」という言葉自体、全て『ドリームスペル』用語なのだ。使うほど見方が広がり自由になるはずの『ドリームスペル』も、その一部だけを断片的にパクって後からごちゃごちゃ意味をつければ、人の意識を縛る道具に早変わりする。上記用語を用いながら「マヤ暦」「マヤ占い」「マヤ鑑定」なんて言っている人がいたら、要注意である。

そういう人々の殆どは、「自分で調べることをしない」受け売りロボットと化した○○講座受講者なのだが、少しでも自分で探求してみようという気がある方、そして、聞きかじった「マヤ暦」と「古代のマヤ暦」「13の月の暦(ドリームスペル)」のどこかどう違うのかを知りたい方には『マヤのリズム』をおすすめしたい。また、江本勝氏との共著である『銀河のマヤ』にも、『ドリームスペル』の要点と共にその違いを記してあるので、参考になるだろう。
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鎌倉みちのく魔術紀行(6)四重虹

2015年09月17日 01:39

■月の月25日(G9/16)KIN166 白い惑星の世界の橋渡し(by D)

江島神社から鶴岡八幡宮へと反時計(ウェイブスペル)回りに巡った誕生日巡礼を無事完了した私達は、小町通りにあるカフェでひと休みしてから、横須賀線、東横線、大井町線と乗り継いで二子玉川に戻った。しかし、そのまま帰宅する事はせずに、三軒茶屋のシバカリー・ワラへ直行。

お昼に(定休日で)オクシモロンに行けなかったリベンジ的側面も無いとは言えないが、生来カレー好きの私が、今、最も美味しいと感じるお店であるだけでなく、そのとびきりのカレーを作ってくれるラムジーも、この日が誕生日(彼が4才年下)というのが主な理由で、今年もシバカリーで祝杯を上げる事にしたのだった。

もともと、スパイスが活きているカレーには、私の体調を高めてくれる力があるのだが、同じタイミングに「1・猿」の道筋に入ったラムジーのカレーには、普段にも増して魔術的なパワーが満ちていた。それに、ここは、私が直接関わってきたスピリチュアル情報のエッセンスを全て詰め込んだ本、『霊性のアート』の完成記念イベントで三茶を訪れた時に知ったお店であり、色々と縁起の良い場所なのだ。

『ドリームスペル(13の月の暦)』旅程盤に由来を持つ反時計回り(ネジを緩める方向)のウェイブスペルの動きは、「偽りの時間」(12か月の暦)が生じたとされる約5125年前から現在までの時間を、解放(浄化)しながら再構築するプロセスを示してもいる。今回の日帰り紀行は、それを個人史に応用したもので、江島神社→鶴岡八幡宮→横須賀線上り(帰路)という地理的な反時計回りと、高校→中学→小学校という時間的逆行とをシンクロさせ、その時々に混入した(無自覚な)12:60的影響を解放するという試みでもあった。

これが具体的にどのような働きを持つのかについての結論を急ぐと、それこそ12:60(物質主義・成果主義)に絡め取られてしまうが、誕生日からぴったり4週間後の「毎月の誕生日」に当たる18日(=第7週の4日目)に、【4重の虹(7色)】が眼前に出現したのは、その前夜に魔術紀行(4)をUPしたというタイミングからも、「虹」がスペクトル(解放)主義の象徴であることからも、「地球の魔法使い」としての仕事がそれなりに果たせたという徴、と受けとめる事が出来た。
四重虹1 ★内側に三つ+外に薄く1つ

それにしても、この【四重の虹】は驚きに満ちた現象だった。これまでも「ミッション完了」というタイミングには、虹(暈、環水平アーク、彩雲などを含む)を見る事が多かったし、特技に「虹の発見」と書く位、虹とは縁が深いという自覚はあるが、流石に目の前で分裂して行くのを目の当たりしたのは初めてで、最初は「目がおかしくなったのか?」と思う程だった。僅か1、2分の出来事だったが、今のところ同じ日に東京で同じ現象を目にした人は、ネットで探してみてもL以外には見当たらない。
分裂 ★内側の虹が分裂する途中

日中は別行動をしている事も多い私達が、二人揃ってこの【四重虹】を見られたのも、ある意味奇跡的である。二人の「運命の道筋」が520(40×13)日差で同期するのも、JAL123便の520名と無関係には思えない。この「特別な虹」に対する私の受けとめ方は先に記した通りだが、LにはLの文脈で、非常に興味深い出来事が起きていた。これについては、いずれ本人が書くタイミングが巡って来るだろう。

シバカリーで締めくくったG8/12(KIN131)の夜、私は鎌倉幕府の置かれていた位置について、改めて調べていた。1180年、源頼朝が大蔵の地に邸を設けたことで、その後46年間幕府の中心となる「大蔵幕府」。1225年、三代執権北条泰時の代に宇津宮辻の地に造営した「宇津宮辻幕府」。その11年後の1236年に若宮大路の地に置かれ、98年続いた「若宮大路幕府」とあった。

いずれも正確な場所まではわからなかったが、おおよその位置で言えば、大蔵幕府は附属中の近辺、宇津宮辻幕府はよく分からないが、最も長い間政治の中心であった若宮大路幕府は、宝戒寺や丸山珈琲のあった辺りで間違いなさそうである。こんな事も、今回のような巡り方をしなければ、ずっと知らないままだったのではないかと思う(今回色々調べてみた中でとても役立ったのはコチラのサイト)。

と同時に、この魔術紀行は、鎌倉時代との繋がりだけでなく、他の時空間とも様々な形でリンクしていたことを、翌日のニュースが思い出させてくれた。という訳で、8月13日17:14のAFP BB NEWSの記事をそのまま添付してみよう。

”中国北部・天津(Tianjin)の工業地帯で12日深夜に起きた大規模爆発で、国営新華社(Xinhua)通信は13日、死者数が44人に増えたと報じた。新華社は救助当局からの情報として、死者には消防隊員12人が含まれていると伝えている。また、520人が病院に搬送され、うち66人が重傷という。”

その後の報道は、この事故がより深刻なものであった事を伝えているし、そもそも新華社が事実をそのまま伝える可能性は極めて低いので(高速鉄道の事故車両をそのまま埋めて隠蔽してしまう国の国営放送だけに)、実際の被害状況は闇の中だが、このタイミングに520という数が出て来る事に、私は驚きを禁じ得なかった。520部制作された『時間の法則の20の銘板』が、KIN44(黄色い倍音の種)から16年間かけて易の64卦を意識化するツールだったのと同時に、以下のような関係もあったからだ。

パカル王の石棺が開封された11/27(KIN123)が、宮沢賢治(KIN131)の「永訣の朝」が詠まれた日(KIN93)から正確に30年後だったと知ったのは8/11の深夜。天津港7号卡子門で起きた大爆発は、JAL123便の事故からぴったり30年後の8/12(KIN131)の深夜に起こった。このタイミングに30年という単位が何を意味するのか、現時点では不明だが、いずれ分かるだろうということで深追いはしないでおく。

一方、自分の誕生キンであるKIN241(7・竜)をサイ時間で見ると「磁気の月23〜25日」に対応する(当初のサイ時間の表には「1.23」とだけ書かれていた)。その中日でもあった24日(=G8/18=KIN137)に、私はもうひとつパカル王とリンクするシンクロを発見する事になった。きっかけは、Wikiの「蝦夷(えみし)」について書かれた長い解説の中に、以下の文章を見つけたことにある。

”森嘉兵衛は、和人との何代かにわたる婚姻で骨格は日本人化していたが、精神や葬祭の慣行はアイヌ的なものが変わらず残っていたのではないかとしている。 奥州藤原氏が源頼朝率いる関東地方の鎌倉政権によって滅ぼされると、幕府は東北地方各地に東国武士を派遣し、ここに蝦夷と全く無関係な鎌倉幕府(関東政権)による支配がはじめて東北北端にまで及ぶことになる。”

ここに登場する森嘉兵衛という人の名が気になって追跡し、もしかして遠戚に当たるのでは?と母(KIN93)に電話で確認してみると、やはり祖父の従兄弟ということが判明。私からは大分遠いが、親戚である事に違いはないし、母は子供の頃に何度か会った事もあるという。嘉兵衛氏は1903年6月15日生まれのKIN13(13・空歩く者)で、私の365日暦の誕生日(磁気の月18日)をサイ時間変換するとKIN13になるので、暦的な繋がりもあると言える。

もしかしたら、母方の本家に当たる「ござ九」さん(盛岡の観光名所にもなっている商家)が、鶴岡八幡宮と同じ1-31という住所で、私の新しい道筋であるKIN131とシンクロしている事も、このタイミングでこうした繋がりに気付くことと、関係があるのかもしれない。

嘉兵衛氏の誕生日からぴったり49年後の1952年6月15日(KIN218)は、パカル王の墓室が発見された日だが、そこからぴったり20年後(=嘉兵衛氏誕生日から69年後)は弟の誕生日に当たる。「碑銘の神殿」の中央階段の数が69段だという事を知っていると(私は現地でも実際に数えてみたが)、身近な人々の誕生日間の関係性にも不思議さを感じる。

G6/15という日付は、魔術紀行(1)の冒頭で触れた三陸地震にも絡んで来るので、ここでもう一度整理しておきたいと思う。宮沢賢治が生まれる73(=1年の1/5)日前の1896年6月15日(KIN58)に明治三陸地震が発生。そのぴったり7年後(KIN13)が森嘉兵衛氏の誕生日。そこからぴったり49(7×7)年後(KIN218)がパカル王の墓室発見日、さらに20年後が弟の誕生日(KIN238)となる。

KIN238が江島神社の住所2-3-8と同期するのも興味深いが、キリが無いので、この「鎌倉みちのく魔術紀行」シリーズも、今回でひとまず締めくくりとしたい。それに相応しい区切りと思えるのは、サイ時間のKIN241に対応する3日間の最終日である「磁気の月25日」だ。

ちょうど今日から28(7×4)日前のこの日は、G暦での8/19に当たる。単なる数字遊びとも言えるが、この日付が、古代マヤの世界観における天界の数(13)と地上の数(7)と冥界の数(9)の積「819」とシンクロしている事はメモっておこう。その日の夜、私は、甲子園の決勝が東海大相模(神奈川)と仙台育英(宮城)になった事を知った。

その試合の行方については本シリーズ(1)の終わりに記した通りだが、鎌倉幕府と奥州藤原氏が密接に絡むこの一連の体験をした後で、高校野球の頂点を決めるこの2校の組み合わせを知れば、誰でも多少は何かを感じるのではないだろうか。時間の許す方は(1)〜(6)をザっと読んだ後で、もう一度(1)に戻ってみて欲しい。
四重虹 ★内側に3重の過剰虹副虹

誕生日の8/12(KIN131)から1週間後が8/19(KIN138)であり、その3週間後が9/9(KIN159)で【4重の虹】が出た日である。【4重虹】は、実際には1つの副虹と3重に分かれた主虹(の干渉虹)から成っていたので、この日付の区切りとも綺麗にシンクロしていたと言える。そして、そこにさらに虹色(7日)分の日付を加えた今日、このシリーズの「現れを仕上げる」ことが出来るのは、何とも嬉しい流れである。

何故ならKIN166は、(2)にご登場いただいた天野氏(9・橋渡し)と共に制作した『マヤのリズム』の発刊記念KINであり、その日は、同時に天野氏の誕生日ともシンクロしている日だったからだ。それに、奥州藤原氏や「蝦夷(えみし)」は、天野氏からの情報で親しむようになった分野である。「鎌倉みちのく魔術紀行」の締めくくりに、「10・世界の橋渡し(6)」(惑星ホロンも日本に対応)が巡って来たのも、きっと偶然ではないのだ。(おわリ)

鎌倉みちのく魔術紀行(5)

2015年09月11日 22:02

月の月20日(G9/11)KIN161 赤い倍音の竜(by D)

オープンしたての丸山珈琲でリフレッシュした後、段葛が終わる三の鳥居まで行ったところで右折して、それをそのまま突き当りまで東に向って歩き続けると、宝戒寺に行き着く。附属中の正門から真っ直ぐ南に150m程しか離れていないのに、高倉健(13・魔法使い)の本を通じて関心を持つまで、この寺の名前も場所も全く知らずにいた。健さんの『あなたに褒められたくて』には、当時の住職の言葉を借りて以下のような説明がなされている。

”ここ宝戒寺はかつて、代々の北条家当主の館、得宗屋敷のあったところだという。鎌倉幕府の執権として、幕政の実権を掌握した北条時政から高時まで、十四代が住まいとした地である。”(中略)”宝戒寺は、この高時以下の怨霊弔祭のために建武二年(1335年)、後醍醐天皇が開基となり、足利尊氏に命じて、小野亭と呼ばれた得宗館跡へ建立したのだそうだ。”

歴史上これだけ重要な場所であれば、当然どこかで教わったり耳にしたりしている可能性はあるのだが、少なくとも私の記憶には何も残っていなかった。しかし、鎌倉幕府の執権が十四代住み続けた地に、現れを仕上げる「白い惑星の魔法使いの年」(紋章コード番号14)の、しかも自分の誕生日に、初めて意識的に訪れる事になるとは、まことに魔術的である。本シリーズ(1)に書いた通り、江ノ島鎌倉巡りをしようとした主なきっかけは他にあったのだから、もし健さんの本を読んでいなかったら、宝戒寺については未だに知らいままだった可能性が高い。

”建久元年(1190年)- 北条時政、江の島に参籠、一族の繁栄を祈願する。この時、龍神の残した3枚の鱗をもとに、北条氏・「三鱗」の家紋と定めた” と魔術紀行(1)で引用した内容に、どこまでの信憑性があるのかは知らないが、宝戒寺の門にも、江島神社で見られたのと同じ北条氏の家紋「三つ鱗」が、はっきり見て取れるように使われていたのは確かである。世間では「萩寺」として親しまれているらしく、実際、参道も境内も萩が生い茂っていたが、まだ花の季節ではなかったし、半ば生え放題のような印象もあって、正直あまり風情があるとは思えなかった。

境内をひと巡りしてから門を出、段葛に並行する道を海の方に向かって(丸山珈琲の裏手の方へ)進むと案内板が見えて来る。そこを左折して滑川に架かる東勝寺橋を渡ると、住宅地の合間を抜ける坂道は次第にキツくなり、程なくして左手にフェンスで囲まれた広い空き地が現れる。それが東勝寺跡であった。三代執権・泰時(→明恵上人とも交流があった)が北条氏の菩提寺として建立した東勝寺は、1333年の新田義貞の鎌倉攻めによって灰燼に帰したという。真夏の昼間だというのに、何とも寂しげな所で、ハイキングコースから降りて来た賑やかな集団が居なかったら、きっともっと寂しい雰囲気だったに違いない。

滑川を渡った辺りから場が変わったというLは、それ以上先に進もうとしなかったが、私は「高時腹切りやぐら」の案内がある所まで進み、洞窟みたいな横穴の前に立つ卒塔婆が見える位置まで近付いてみた。しかし、そこまでの道が雑草で殆ど塞がれていたのと、卒塔婆の上を一匹(頭)の黒アゲハがヒラヒラふわふわと舞い続けているのを目にして、何となくそれ以上近付くのは止めた方が良い、という気分になった。それで、心の中で般若心経を唱えてから、来た道を戻ったのだった。

それにしても、北条氏の一族八百七十余名が自害して果てたという場所のすぐ側で、普通に生活されている方々がいらっしゃるのには驚かされた。もちろん、そういう事をいちいち気にしていたら、どこにも住めなくなってしまうが、あの独特の雰囲気は、Lみたいな感覚の持ち主でなくても、何かしら感じるものがあるのではないだろうか。まあ、どんな環境もそれが当たり前になっていると、意外と何でも無いのかもしれない。

そんな事を話しながら、再び宝戒寺の前を通ってそのまま北上し、学校の正門から部活で駆け回っていたグラウンドを眺め、敷地の南側の道を八幡宮の境内に向った。源平池の亀や鯉は、近くで餌が売られいるせいか妙に人間慣れしていて、岸に近付くだけで一斉に寄って来る。中には這い上がって来る亀までいたが、蓮で埋め尽くされた池の辺りは、通学当時の面影がそのまま残っていて懐かしい思いがした。
源平池 
5年前のG3/10(KIN231)、Lは自身の誕生キンとチベット民族蜂起51周年が重なるこの日に合わせて、天真書法塾シャンバラ教室をスタートした。驚くべき事に、同日、樹齢千年と言われる鶴岡八幡宮のご神木・大銀杏が倒れた。翌3/11に急遽状況を観に現地を訪れた事も含め、当時の事は過去記事まとめてあるが、みちのくと鎌倉の関係性も踏まえつつ今振り返ると、その1年後に生じた東日本大震災との繋がりについても考えたくなる。

もちろん、当時はご神木事件(木を弱らせる薬剤が注入されていた等)が各地で頻発しており、人為的な何かが関与した可能性も十分考えられるが、流石に倒れるタイミングまでは調整できないだろう。考えてみれば、八幡宮に参拝するのもあの時以来かもしれない。大銀杏の切り株からは、沢山の若芽がグングン成長していて、新しい世代が順調に育っているのが感じられた。階段を登り切ったところで後ろを振り返ると、若宮大路(段葛)が海の方まで真っ直ぐに伸びているのが一望出来る。

御正殿に参拝し、恒例のおみくじを引く。神籤箱を振ると、出て来たのは8番だった。隣で別な箱を振っていたLも同じく8番!八幡宮で二人揃って「八」というのは、それだけで縁起が良い気がするが、「運は始めから身の内にある」とか「願望:自然に叶って行く」など、まるでゾクチェンの任運成就のような書かれ方がしてあるこの神籤の運勢は「吉」。「千代経とも かくてあるべき 新しき 年の初めの 今朝のこころは」という歌も、新しい13年の始まりにピッタリで、ありがたく受けとめた。
88.jpg 
同時に、8+8=16とか8×8=64という数字は、私にJAL123便の事を思い起こさせるものでもあった。鎌高生だった16才の誕生日(KIN101)に、高天原山御巣鷹山は誤報道)に墜落した日航機には524名の方が乗っており、520名の方がお亡くなりになった。16年後の32才の時、私は易の64卦を『13の月の暦』の周期で意識化する銀河ツール『時間の法則の20の銘板』日本語版の世話人を引き受け、カンパされた予算から520部を制作&配布した(その当時の私は123便の目的地であった大阪に住んでいた)。当時、予算から500部前後が制作可能と判断され、それならツォルキンの倍数にしようと言う事で決まった数で、事故との関係は全く意識していなかった。

後にこの関係に気付いた時には流石にゾッとしたが、もし2つの出来事の間に何かしら関係があるのなら、『20の銘板』の配布には、きっと慰霊の働きがあるはずだ、と私は信じることにした。そして今回、新たに気付いたのは、おみくじにもある鶴岡八幡宮の「紋」とJALのシンボルマークが、共に「鶴丸」紋であるという事だ。調べてみると、JALは元々使っていたこのマークを、経営統合された2003年から再出発となった2011年までの8年間だけ使用していなかった。

以下、既に書いた事も含め、数字関連のメモをまとめておこう。誕生日の8日前G8/4のKIN123は、パカル王の石棺開封(1952年11月27日)から88銀河スピン(88×260日)のタイミングであり、石棺開封のぴったり30年前の1922年11月27日に、宮沢賢治(KIN131)はその日他界した妹とし子のために「永訣の朝」を詠んだ。JAL123便は、八幡宮を参拝したぴったり30年前の私の誕生日に、相模湾上空でトラブルが発生して高天原山に墜落した。
八重洲 
今日、このブログを途中まで書いて日中出かけた時、ふと目に入って来た住所は八重洲2丁目8-8だった。また、巡った順番とは違うが鎌倉の住所データは以下の通り。
丸山珈琲 :雪ノ下1丁目10-5
鶴岡八幡宮:雪ノ下2丁目1-31
附属中学 :雪ノ下3丁目5-10
各住所の前半は123便やKIN123とシンクロし、それ以下の数字はある種の対称性を示している。10+5=5+10=15は、鶴岡八幡宮の御祭神、第15代応神天皇とシンクロし、1-31は八幡宮を訪れた誕生日当日のKIN131とシンクロしている。八幡宮の住所が131とシンクロする事はG8/3(KIN122)の時点で気付いていたが、江ノ島弁財天をきっかけにした誕生日の巡礼参拝が、こんなに盛り沢山で多重な物語を呼び起こすとは思わなかった。

後日談がまだ少し残っているが、911から14年、「白い惑星の魔法使いの年」(KIN114)、キチェマヤに伝わる古代からのツォルキンだと、ちょうど「10イシュ(ドリームスペル形式でKIN114に相当)」だった今日の内に書いておきたかったのは、この辺りまでである。

鎌倉みちのく魔術紀行(4)

2015年09月09日 01:29

■月の月17日(G9/8)KIN158 白い月の鏡(by D)

「猿の創世記」の始まりと「魔術の亀の日」が重なったKIN131(G8/12)の出来事について、途中まで書いたところでブログが10日以上も止まってしまったのは、横浜、大阪と密度の濃い暦クラスが続いたり、奈良でのシンクロ散策が強烈だったりしたからだが、それらについてはまた機会を改めるとして、まずはこのシリーズを完結させておきたい。シンクロを通じて浮上して来ている出来事は、できるだけ間を置かずに表現することで解放される(=潜在意識の自由度がUPする)という経験が、これ以上の放置は望ましく無いと訴えている。

加えて、体験を表現する行為は、このブログを読んで下さる方々の潜在意識や、より集合的なレベルでの意識の解放にも関与しているように思えるので(私の勝手な妄想ではあるが)、やはり中途なままにはしておけないのだ。例えば、今回のシリーズでクローズアップされているのは、宮沢賢治奥州藤原氏、鎌倉幕府(源氏・北条氏)、三陸地震、日航機事故等であるが、そこから何かを感じ取られる方は、どこかの次元でこれらの出来事とリンクしていて、その解放にも関わる立場にあるはずだ、という想いが私にはある。

ここ数年、そんな想いが強くなったのは、長年携わって来たウォーターセラピー(波動測定)の現場で体験する事と、シンクロに導かれて各地を訪れた時に体験する事の中に、ある種の共通性があると気付いたからだ。セラピーを通じて、多様な問題が解決して行く時には、大体、以下のようなプロセスがあり、それに対して顕在意識側から余計な解釈などしなくても(むしろしない事で)、事は自ずと展開して行くのである。

まず浮上して来たものをそのまま「見る」。次にその背景について内から「知る」。知った事によって何かしたくなったらそれを「する」。そして、この流れをただ「楽しむ」。すると、「銀河の七方向への祈り」の前半4つが自然に成就し、そのまま7番目の「愛の光」に向かって自ずから解き放たれて行くのである。これと良く似たプロセスが、シンクロ巡礼においてもしばしば起こるのだ。この辺りの事については、いずれ本にでもまとめてみたいところだが、今は雰囲気だけで良いだろう。

前置きが長くなったが、G8/12(KIN131)の続きを書こう。江ノ島巡礼中に思いがけず天気が良くなった事もあって、鎌倉駅に到着した頃には暑さでかなり体力も消耗し、腹ぺこ状態だった。お昼は段葛の「こ寿々」で蕎麦、と決めていたので駅から直行。かつて二子玉川で毎週のように通っていた「珠玉」のカレーは、村上愛子さんの拠点が鎌倉に移ったことで「オクシモロン」でしか食べられなくなっていたので、誕生日は是非そこでと思っていたのだが、KIN122(G8/3)に当りをつけた時に、ちょうど定休日である事が判明。その時に見つけたのが「こ寿々」だった。

桜の植え直し工事中の段葛にかつての面影は無く、それが残念ではあったものの、お蕎麦とわらび餅(この店の名物らしい)を頂いて一服し、そのまま100mほど八幡宮方面に移動すると、噂通り、この日プレオープンしたばかりの丸山珈琲がその姿を見せてくれた。軽井沢発祥のこのコーヒーショップは、近場だと、剣武の稽古をしている尾山台にある位で、まだそれ程あちこちで見かける訳ではないが、毎年、世界トップレベルのバリスタを排出している事でも知られている。
丸山珈琲 
実は、その辺りの事は、丸山珈琲と仕事上の繋がりもある二子玉川ラサの石川さんから教えてもらった事で(西麻布店ではラサのお茶が飲めるし茶葉の入手も可能)、鎌倉に店がオープンするというのも、石川さんのFBを通じて知った情報だった。当初は、8/14オープンとしか書かれておらず、「何ぃーーーっ!何て中途半端なタイミングにオープンするんだぁぁぁ!」と、獅子座俺様モードで叫んでいたのだが、それがテレパシーで届いたのか、直前になって 8/12プレオープン&無料サービスというのをLが見つけてくれたのである。

しかし、「こ寿々」について調べた頃には、丸山珈琲が鎌倉に出来るなんて事は全く知らなかったし、想像もしていなかったのだから面白い。しかも、同じ通りの同じ側で100mも離れていない場所にオープンするなんて、何とも出来過ぎた話だ。こうなって来ると、今年の誕生日がオクシモロンの定休日と重なってしまった事も、なるほどと納得出来てしまう。もしオクシモロンが定休日でなかったら、私は「こ寿々」というお店に気付く事も、この楽しいシンクロを味わう事も無かったに違いない。

お店に入ると、普通に値段付きのメニューが出ていたので「無料は気のせいだったかな?」と思いつつ、暑さであまり考える気力も無かったので、冷えた飲み物を注文してお代を支払おうとしたら、「今日はオープン記念でサービスです」と快活な笑顔でスタッフが応えてくれた。今日がプレオープンだと知らずに入って来る人も多く、皆一様に「え、ホントに?」と顔をほころばせている。実際、思いがけないサービスは嬉しいものだし、味だって素晴しいのだから、お店の中には自然と喜びが満ちる訳だ。

中学の通学路でもあった段葛に面し、ラサや剣武を通じて縁も感じている丸山珈琲で癒された私は、「8/12の鎌倉」という時空から祝福されているのを、ひしひしと感じていた。そして、それが個人的な喜びを超えた、多次元的な解放にも繋がっているように思えてならなかった(それは後からよりハッキリした形で示されるのだが)。せっかく誕生日に鎌倉でプレオープンしていても、石川さんがFBでシェアして下さっていなかったら、あるいはLがそれに気付いてくれていなかったら、きっと後で「1度きりの特別なタイミングを逃したーーー!」と遠吠えしていたに違いない。

この日に(プレであれ一般客を入れて)オープンした丸山珈琲鎌倉店は、KIN131(青い磁気の猿)をその誕生キンと見なす事が出来る。ドリームスペルツォルキンの中心である調波33のさらに中心、魔術のウェイブスペル(13日周期)の始まりと、「目的/統一する/引きつける」のキーワードを持つ銀河の音「1(磁気の)」が月日で重なる「魔術の亀の日」が同期するという、特別なタイミングにオープンしただけでなく、『ドリームスペル』日本語版の制作チームリーダーであるLと、『13の月の暦』入門書を書いている私が、まさにその日に訪れてしまったのだから、このお店にはきっと、とてつもない「魔術的シンクロ磁場」が形成される事になるだろう。

少なくとも私達にとっては、特別な意味を持つシンクロスポットとして、今後も注目し続けるお店になるだろうし、鎌倉を訪れる際には、必ず立ち寄るようにしたい場所のひとつにもなった。もう1つ付け加えておきたいのは、この日、店内カウンターの上の黒板に《本日のエスプレッソ「ボリビア・アグロ・タケシ・ティピカ」》と記されていた事だ。というのも、鎌倉店のオープンについてシェアして下さっていたラサの石川さんのお名前が、まさに「タケシ」だからである。
タケシ 
この件について「名前が気になる」とFB経由で問いかけてみたところ、「世界で最も高い海抜でとれるとてもクオリティの高い豆です。香りの高さと果実を思わせる爽やかな酸味が特徴的ですw」とだけ返信されていたので、現時点では、ご本人との関係については不明のままである。まあ、近いうちにラサを訪れて直接聞いてみるとしよう。本当はもう少し先まで書くつもりでいたが、ここまでで一杯一杯な感じになってしまったので、続きはまた後日。

追記:今日のサイ時間単位がKIN30なので、やはりこの事だけは書いておこう。宮沢賢治(KIN131)の「永訣の朝」という作品の誕生(KIN93)からパカル王の石棺開封(KIN123)までは「ぴったり30年」(どちらもG11/27)。その事に気付いた日の翌日の8/12は、私の46の誕生日であり日航機事故(123便)から「ぴったり30年」で、それが今年は賢治の誕生キンであるKIN131と同期していた。

以上、「1(磁気の)」の「魔術の亀の日」の誕生日からウェイブスペル2巡分が経過した「2(月の)」の「魔術の亀の日」、365日暦の月の月17日、そして「白い鏡」の紋章コード番号18とシンクロする2つの台風(17号、18号)が列島に近付きつつある「鏡」から「嵐」にかけての深夜に記す。

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