■電気の月2日(G9/21)KIN16 黄色い電気の戦士(by D)
『13の月の暦』のツォルキンで、最初のウェイブスペル(13日間)が完了するKIN13(G9/18)、私は大阪チャクラで天真体道瞑想と暦のクラスを行っていた。暦のクラスで例題に立候補して下さったのは、この日行われた全てのクラスに参加された唯一の方で、誕生キンはKIN63(11・夜)であった。
直近で巡って来るKIN63はG11/7で、その260日後は2017年のG7/25=「時間をはずした日」である。この日、私はのぞみ201号11号車7番で大阪入りしており、「時間をはずした日」は、チャクラのすぐ近くで
天神祭が行われるタイミングである(*KIN201は『20の銘板』における「時間を外した月」にも対応する)。
『13の月の暦(ドリームスペル)』提唱者であるアグエイアス夫妻は、2001年の「時間をはずした日」(KIN203)に、その
天神祭に参加した事があるので、大阪天満宮から至近距離にあるチャクラでのクラスで、次の
天神祭に誕生キンが巡って来る方が例題に立候補された事には、多次元的な意味があると思われた。それは、次の事からも推察できる。
KIN63(11・夜)の方はG7/20生まれで、その目の前に座っていたのはKIN228(7・星)でG7/30生まれの方だったのだ。つまり、この2人は「時間をはずした日」を挟んで前後5日の関係にあり、「時間をはずした日」と地球家族の関係にあったのだ。また、それぞれの「銀河の音」は、11号車7番やG11/7ともシンクロしていた。
加えて、この日は私の「神秘のパートナー」(キン番号の合計が261になる関係)でもあるKIN20(7・太陽)の方も参加していて、それはちょうど「7・星」のガイドキンにもなっていた。そして、のぞみ201号にそのKIN20を加えたKIN221の方も、会場にはいらしたのだ。これらを、ただの数字遊びと見なすのは簡単である。事実、私は遊び感覚でこういうシンクロを発見している。
しかし、それは同時に、「暦を替える平和の運動」を意識している者とって、時空の調整作業、あるいはクリーニングのようなニュアンスも含んでいるのだ。例えば、アグエイアス夫妻が
天神祭に参加したのは、15年前の「時間をはずした日」であり、その48日後にあの「911テロ」(KIN251)が起こっている(*「時間をはずした日」を1日目とすると49日目が911テロ)。
思えば、今回のチャクラでのイベント案内も、ブログの911番目の投稿記事だった。この事に気付くと、ここ最近、連発で体験していた15日ズレの現象も、ある種、伏線ようなものだったと理解できるのである。『13の月の暦』では、365日暦と260日暦が15年で15日ズレるという関係があるのだ。具体的に、最近の例を2つ示しておこう。
私が人体科学会の合宿に合わせて上田城を初めて訪問したのはKIN251(G8/27)。先に書いた通り、KIN251は、15年前に911テロがあった日付と同じだが、そこから15日後のKIN6(G9/11)、大河ドラマ『真田丸』では、上田城での合戦のシーンが放映された。911テロと直結する2つの日付、G9/11とKIN251の両方が「上田城」で結びつけられていた事に、私は強いサインを感じていた。
もう一つは、12:60システムの総本山とも言えるヴァチカンとの関係。KIN255(G8/31)、私達はサンピエトロ大聖堂の中で、ミケランジェロの傑作「
ピエタ」に心奪われていた。そこから15日後のKIN10(G9/15)。『
ジョジョの奇妙な冒険』の作者、荒木飛呂彦氏の79回目の銀河の誕生日に、第8部ジョジョリオン電子板の13巻を入手。何とその中に「
ピエタ」と”全く同じポーズ”の吉良ホリーの姿が描かれていたのだ!15年前のG9/15は、911テロの4日後だから、もちろんKIN255である。
こういう流れがあった上で、15年前の「時間をはずした日」に意識を向けさせるような出来事(KIN63の方に天神さんの近くで出会った)が生じたので、私は尚更911に注意を向けざるを得なくなったのである。それが、KIN14のアースダイビング(古い時代への地層へのダイブ)にも響く事になるのだが、その前に余談をひとつ。私の書の雅号は天迅(てんじん)で、実はチャクラにある「蔵」という額は天迅作である。
さて、KIN13(G9/18)は東京も大阪も雨の予報で、実際、チャクラで天真体道をやっている最中にかなり降って来て、それから夜までほぼずっと雨のようだったが、家から二子玉川駅までと、南森町駅からチャクラまで、そして夜にチャクラからホテルに向かうまでの間は、降っても霧雨程度で、結局傘を指す必要は一度も無かった。
KIN14は、恒例のシンクロ小旅行をと思っていたものの、台風接近で天気も更に崩れそうだし、特に行ってみたい場所も思いつかなかったので、今回はフィレンツェ繋がりで(京都と姉妹都市)、京都市役所前にあるというヴェロッキオのプッチーノ像(レプリカ)だけ確認して、後は、落ち着けるカフェにでも寄って早めに帰ろうと考えていた。
しかし、KIN13の朝「観音菩薩の化身とされる
ダライ・ラマ法王14世の誕生キンでもあるKIN14なら、西国三十三所観音霊場14番札所を訪れてみるのも良いかもしれない」と思いつき、調べてみると、大津の近くにある
三井寺であることが判明。京都からもそう遠く無く、遅くならないうちに戻れそうだったので、その夜、ホテルに着いてから、
三井寺→
天智天皇陵→京都市役所という大ざっぱな順路だけ考えて、眠りに就いた。
KIN14(G9/19)も予報は雨だったが、午後くらいまでは何とか持ちそうな気配だったので、まずJRで膳所駅まで行き、そこで京阪に乗り換えて
三井寺駅へ行く事にした。新快速に乗った関係で大津のホームで一度降り、次の電車を待っていると「
三井寺まで徒歩20分」という看板を発見。そんなに近いならと、膳所まで購入していたチケットは放棄して下車。

★手前に13、左奥に14
歴史を振り返れば当たり前なのだが、大津は趣のある建物が多く、散策するのが楽しい街並。おまけに、数字のシンクロが凄い。これをやり始めるとキリが無いので、最近はなるべく数字を見ないようにしているのだが、見えてしまうものは仕方が無い。新しいウェイブスペルへの魔術飛行を示す13、14が同じ駐車場に止まっているかと思うと、その先には前日のKIN13に注目した725(時間をはずした日)。
途中から琵琶湖疎水に沿って歩くも、
三井寺の敷地が広過ぎて入口が分からず、最初に目に入った
三尾神社に参拝する事からスタート。ご祭神を知らないまま参拝するのは、私にしては珍しいケースだが「まずはここから」というインスピレーションがあった。やたらと兎が目につくので、何か兎に関する神様かと思ったら、何とご祭神は伊弉諾尊。
イザナギが降臨してこの地の地主神となったのが起源らしい。その神は常に赤・白・黒の腰帯をつけており、その姿が三つの尾をひくのに似ているところから三尾明神と呼ばれるようになったのだとか。腰帯は赤尾神、白尾神、黒尾神となり、最初の赤尾神が、卯の年、卯の月、卯の日、卯の刻、卯の方角から
三井寺山中に出現した関係で兎を神使とし、神紋が「真向きの兎」となったようである。
それにしても、赤、白、黒とは面白い。それぞれ古代マヤでは東、北、西に対応する色で、『ドリームスペル』においては、ちょうど東の「赤い城(52日間)」で最初の「赤いウェイブスペル(13日間)」が終わり、次の「白いウェイブスペル(13日間)」に入ったタイミング。しかも、スマホで調べてみると、何と住所は大津市園城寺町251。911のKINそのものだった!
ウサギは『13の月の暦』で12番目の月のトーテムアニマルなので、私はKIN12に何があったかを思い起こしていたが、後で確認してみると、NYで911を思い出させるような爆破事件(米国はどうしてもテロとは呼びたくないらしい)があったのが、まさにKIN12(G9/17)だった。また、先に記した通り、今年のG9/11はKIN6で、これは現在NYに滞在している安倍首相の誕生KINでもある…と思ったら、今日が首相の62才の誕生日!
安倍さんが初めて首相に就任した時(52才と5日)の事を『
シンクロニック・ジャーニー』に書いていたのがきっかけで、偶々それを読まれた昭恵さん(首相夫人)とご縁が出来たのだが(その経緯は『
マヤのリズム』『
霊性のアート』に記してある)、その昭恵さんは、先刻、まさにNYのグラウンド・ゼロで献花された事をFBに投稿されていた。何と言うシンクロ率の高さだろうか。
話を大津に戻そう。神社を出て割とすぐの場所にあった受付で境内の巡り方に関するアドバイスを受け、まずは14番札所である観音堂へ。線香を5本供えてお参りした後におみくじを引くと、恵比寿さん付の9番大吉だった(これを書いている今は9週目で月日で「銀河の音3」が重なる(3×3=9)魔術の亀の日)。展望台から見渡せる琵琶湖の風景は素晴しく、無粋なビル群が邪魔をしていなければ、さぞ風光明媚であっただろうと往時を偲んだ。
その後、
三尾神社をコルラ(右繞)する形で三井寺境内を巡ったが、特に印象に残ったのは八角形の輪蔵を収納した一切経蔵、弁慶の引き摺り鐘、国宝の金堂に安置されていた尊星王像(頭に鹿が乗っていた)、ゴポゴポと音を立てて水が湧く場所を囲った閼伽井屋(あかいや)など。そもそも、三井寺というのは、天智・天武・持統の三天皇の産湯に用いられた霊泉「御井(みい)」に由来するもので、閼伽井屋はその泉の上に建てられている。
三井寺の正式名が園城寺で大津市園城寺町246(123×2)にある事を認識したのは、お昼を食べている時だった。三井寺も
三尾神社も郵便番号は同じ「520-0036」。520は『時間の法則の20の銘板』の制作部数で、16才の誕生日に高天原山に墜落した日航123便の犠牲者の数。36は、ホゼ(KIN11)とその母エセル(KIN241)の現在の「運命の道筋」であり、山岡鉄舟の誕生キン。この日(KIN14)が
ダライ・ラマ法王14世の114回目の銀河の誕生日でもあったと知ったのは、帰宅してからだった。
大きな交差点にいきなり出現する不思議な浜大津駅から京阪に乗り山科へ移動。そこから徒歩で「
天智天皇陵」へ。京都府道143号に面した参道の前で信号を待っていると、23の車が殆ど間をあけずに2台。国道23号は伊勢内宮に通じる道であり、KIN23は第266(=260+6)代ローマ教皇フランシスコの誕生キン。19日前に、教皇お膝元のヴァチカンでも23番のバスに連続で出会った事が思い出される。続いて331の車。これもダ・ヴィンチ空港に迎えに来た(&翌日全く別な場所で驚異的な再会もした)タクシーのナンバーだ。何か強力な時空の働きが関与しているのを感じる。
何しろ、かつて「天武・持統合葬陵」を訪れた時は、ネットで調べる事さえ出来なくなってしまった場所(過去記事
「天上の虹から書の魔法へ」参照)。天気も不安定だったので、現地で大嵐なんて事も無いとは言えない。しかし、今回は「三井寺の閼伽井屋を経由すれば問題無く訪れる事が出来る」という直感があって、当日になって訪問を決めた場所だった。長い参道を進むと、奥まったところで緑が濃くなり高い樹々が森のような領域を作っている。
森の近くは物理的にも気温が下がるが、ここからは次元の異なる領域である事が肌で感じられる。さらに森の中の参道を進むと、白い玉砂利が敷き詰められた陵墓が見えて来た。天武・持統合葬陵と同じ八角墳らしいが、今は小山にしか見えない。幸い誰もいなかったので、自分なりの礼を尽くした儀式を行った。
天真五相の「ア」の時に鳥が天空を横切り「ウン」の直後に風がサーッと吹き抜け、さらに、雲間から太陽も姿を見せてくれたので、私は「よろしい」という時空からのサインと受けとめた。この日、太陽が見えたのはこの瞬間だけだった。
こういう体験に意味を持たせようと思えば、いくらでも持たせられるが、大事なのは、どういう動機や意図でその場に臨んだかだろう。帰り、参道の両脇にある琵琶湖疎水に沿って歩いていると43-43の車を発見。これは現在の「電気の月」の最初の3日間に対応するサイ時間(KIN43)だ。また、天皇陵の近くで目にした143、23、43は、いずれも「青い夜」のKINナンバーである。
御陵駅から地下鉄に乗り京都市役所前へ。最初の目的だったヴェロッキオのプッチーノ像が見当たらず探していると、何と工事用の囲いの中にある。どうやら市役所の建て替え工事が始まるらしく、一緒に囲われてしまっていた。もとよりレプリカだし、既に大仕事を終えた気分でもあったので、「チラっとでも見られて良かった」という感じだったが、もしこの「イルカを持った天使」を一番の目的にしていたら、さぞガッカリした事だろう。
いよいよ天気が怪しくなって来たので、そこから割と近くにあるカフェを調べ、フランス語で「5」を意味する「CINQ(サンク)」という店へ。三井寺でも5番目の月のトーテムである孔雀にに出会ったりしていたが、締めに「銀河の第五の力」を感じさせる五角形を目に出来たのは嬉しかった。ただ、市役所の掲示板にも大雨洪水注意報が出ていたので、今回はここで切り上げて早めに京都駅に向かう事にした。
まだラッシュの時間には早いような気がするのだが、妙に人が多い。よく考えたら、この日は「敬老の日」で三連休の最終日だったのだ。そんな訳で、回数券で指定を取ろうとするも、目の前でどんどん希望の列車が埋まって行く。止む終えず1時間半以上先の48号を指定したが、台風も迫っているので、ホームに並んで2,3台やりすごし、座れそうな自由席で帰る事にした。結局、のぞみ40号1号車10番で帰路へ。
往路の201号11号車7番と合計すると241号12号車17番となる。時間魔術を遊ぶ私は、これをKIN241(4次元の時間)とG12/17(3次元の時間)に分けて見る。前者は自分の誕生キンで、後者はフランシスコ法王の誕生日である。ちなみに、フランシスコ法王は現在79才で、その法王が居るヴァチカンの
ピエタ像とシンクロした荒木先生は現在79銀河スピンだ。
そういえば、先のイタリア旅行で唯一雨が降ったのは、ヴァチカンに居た時だけ。もの凄い雷雨で、一時足止めをくらい、チャクラのあっちゃんとメッセージのやりとりをしていた。今回の大阪、京都は流石に傘が必要かもしれないと、折り畳み傘を携帯していたが、結局最後の最後まで一度もそれを開く機会は無かった。新横浜やあざみ野で乗り換えた時などは、ザーザー降っていたのにも関わらず、二子玉川に着くと止むのである(辺り一面ビショビショなので直前まで降っていたのだろう)。
15年というテーマもあって、出来ればKIN15のうちにUPしたいと思っていたが、昨夜は、剣武天真流蒼天道場の審査会などもあって、これだけの内容をまとめる余裕が無かった。何しろ、ちょっと書き始めると色々発見してしまって収拾がつかなくなるし、現象面もさらに加速して止まらなくなるのだ。昨夜、マンションの宅配ボックスに届いていたものを出そうとしたら、何と、その暗証番号まで「911」が指定されていた!しかもその内容は、10月末に行われる「時の魔法展」(広島100スピン&H・C41スピン記念)でホゼの作品展示に使う備品だった。
しかし、安倍昭恵さん(KIN223=2・夜)がグラウンド・ゼロに献花したのが分かったのは、今日KIN16になってからだったから、やはりこのブログを仕上げるのは今日で良かったのだろう。そして、一連の出来事は、やはり911と関係しており、その時空調整をするのにちょうど良いタイミングだったという事だろう。このブログを読んだ方がどう思うかは自由だが、少なくとも私は、そのように理解している。