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《時の魔法・ドリームスペル展》のお知らせ

2016年09月27日 01:03

電気の月8日(G9/27)KIN22 白い太陽の風(by DL)

《時の魔法・ドリームスペル展》開催のお知らせ
10/29 ・10/30(東京渋谷)

時の魔法展 

来る自己存在の月13日KIN55(G10/30・日曜日)に、特別なタイミングが巡ってきます。

広島ゼロポイントからぴったり100銀河スピン、ハーモニック・コンバージェンスから41銀河スピン。
そのタイミングに美しくシンクロして『ドリームスペル日本語版』正式窓口からの配布もフィナーレを迎えます。しかもそれは、20の銘板の数え方で、KIN251(911)に相当するひと月の中で起こるのです。その一度きりの地球の時別な時間を記念し、昇華させ、祝すために、《時の魔法・ドリームスペル展》を開催します。

私たち個人の人生にとっても「13の月の暦」から受けた恩恵や影響は計り知れないものがあります。
「13の月の暦」とは、改暦による平和の運動でもあるのです。
例えばそれは NPOクリカのボランティア活動とも無関係ではありません。

『真実の信仰は、地球の信仰である。』
『もしあなた方が手段と富を持っているなら、そしてあなた方がこれらの言葉を聞くなら、あるいはあなた方自身に12:60の時間の呪いと13:20の時間の祝福を説明するなら、その時それを疑うことなく、慈善を行うのだ。戦争によって孤児となった子供達の暮らしを支え、地球の再構築に備えれば、芸術と文化の実践が再び花開くことだろう。』
ーテレクトノン 予言を語る石より。ー

この時別なタイミングを、共にお祝いさせていただきたくご案内いたします。

《時の魔法・ドリームスペル展》

日時:
G2016年10月29日(土曜日)13:00~20:00(KIN54)
G2016年10月30日(日曜日)11:00~17:00(KIN55)

会場:
渋谷区文化総合センター2F/ギャラリー大和田
http://www.shibu-cul.jp/access.html

内容:
・13の月の暦の提唱者である、ホゼ・アグエイアス氏の圧巻のコラージュ作品群25点を特別展示。
(1997年の来日時に日本で公開された作品で、高橋夫妻から私逹クリカが預かったもの。普段は非公開。新しい時間の使者、ホゼ・アグエイアス氏のエネルギーに、作品を通して直接会いにきてください。)

・小原蘭禅、小原天迅による、ドリームスペルをテーマにした今回限りの記念書作品約30点の展示。
(特別オーダーのビルマの手漉和紙を使用。ビルマのゼロファイター:井本勝幸さんが少数民族支援の一環として立ち上げた事業で、ミャンマーの少数民族の方々が一枚ずつ丁寧に和紙を製作しています。シャン州の楮(こうぞ)が原材料です。)

・ゼロポイント瞑想会を会場にて行います。
 G2016年10月29日(土曜日)14時と17時より。
 G2016年10月30日(日曜日)12時と14時より。

参加費:
入場無料。ご来場予定の方は、お気軽に、事前にメールでご一報いただけると嬉しいです。
(お名前とご来場日時をお知らせください。)

会場での販売物はありません:
小原蘭禅、小原天迅による書作品は、全て今回のための限定一点もので販売用ではありませんが、条件にご賛同いただける方々にお譲りいたします(原則としてお一人様一点まで)。作品は先着順にお選び頂きます。希望される方は、直接会場で蘭禅か天迅にお問い合わせください。2人とも会期中は在廊しています。

会場で皆様と特別な時間をご一緒できることを楽しみにしています!

主催:時間芸術学校クリカ
www.kulika.com/
小原大典&小原蘭禅

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小原大典 
『ドリームスペル』ほか、アグエイアス夫妻が提示した全ての日本語版銀河ツールの制作・配布に関わる。
著書に『宇宙の暦は13ヵ月・新装版』など。 天真書法塾 弐段師範(国際コンペティション入賞多数)。
NPOクリカ理事として、チベットサポート活動にもあたっている。

小原蘭禅
『ドリームスペル』日本語版代表世話人、『PAN JAPAN LIBRARY』管理運営をボランティアで務めている。
ホゼ&ロイディーン・アグエイアス夫妻の日本エージェントを、高橋徹&いづみ夫妻からの依頼で担う(2005年まで)。
天真書法塾 無鑑査師範(個展・海外展、国際コンペティション入賞多数)。
NPOクリカ理事として、チベットサポート活動にもあたっている。





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911テロから15年後の時空調律

2016年09月21日 21:38

電気の月2日(G9/21)KIN16 黄色い電気の戦士(by D)

『13の月の暦』のツォルキンで、最初のウェイブスペル(13日間)が完了するKIN13(G9/18)、私は大阪チャクラで天真体道瞑想と暦のクラスを行っていた。暦のクラスで例題に立候補して下さったのは、この日行われた全てのクラスに参加された唯一の方で、誕生キンはKIN63(11・夜)であった。

直近で巡って来るKIN63はG11/7で、その260日後は2017年のG7/25=「時間をはずした日」である。この日、私はのぞみ201号11号車7番で大阪入りしており、「時間をはずした日」は、チャクラのすぐ近くで天神祭が行われるタイミングである(*KIN201は『20の銘板』における「時間を外した月」にも対応する)。

『13の月の暦(ドリームスペル)』提唱者であるアグエイアス夫妻は、2001年の「時間をはずした日」(KIN203)に、その天神祭に参加した事があるので、大阪天満宮から至近距離にあるチャクラでのクラスで、次の天神祭に誕生キンが巡って来る方が例題に立候補された事には、多次元的な意味があると思われた。それは、次の事からも推察できる。

KIN63(11・夜)の方はG7/20生まれで、その目の前に座っていたのはKIN228(7・星)でG7/30生まれの方だったのだ。つまり、この2人は「時間をはずした日」を挟んで前後5日の関係にあり、「時間をはずした日」と地球家族の関係にあったのだ。また、それぞれの「銀河の音」は、11号車7番やG11/7ともシンクロしていた。

加えて、この日は私の「神秘のパートナー」(キン番号の合計が261になる関係)でもあるKIN20(7・太陽)の方も参加していて、それはちょうど「7・星」のガイドキンにもなっていた。そして、のぞみ201号にそのKIN20を加えたKIN221の方も、会場にはいらしたのだ。これらを、ただの数字遊びと見なすのは簡単である。事実、私は遊び感覚でこういうシンクロを発見している。

しかし、それは同時に、「暦を替える平和の運動」を意識している者とって、時空の調整作業、あるいはクリーニングのようなニュアンスも含んでいるのだ。例えば、アグエイアス夫妻が天神祭に参加したのは、15年前の「時間をはずした日」であり、その48日後にあの「911テロ」(KIN251)が起こっている(*「時間をはずした日」を1日目とすると49日目が911テロ)。

思えば、今回のチャクラでのイベント案内も、ブログの911番目の投稿記事だった。この事に気付くと、ここ最近、連発で体験していた15日ズレの現象も、ある種、伏線ようなものだったと理解できるのである。『13の月の暦』では、365日暦と260日暦が15年で15日ズレるという関係があるのだ。具体的に、最近の例を2つ示しておこう。

私が人体科学会の合宿に合わせて上田城を初めて訪問したのはKIN251(G8/27)。先に書いた通り、KIN251は、15年前に911テロがあった日付と同じだが、そこから15日後のKIN6(G9/11)、大河ドラマ『真田丸』では、上田城での合戦のシーンが放映された。911テロと直結する2つの日付、G9/11とKIN251の両方が「上田城」で結びつけられていた事に、私は強いサインを感じていた。

もう一つは、12:60システムの総本山とも言えるヴァチカンとの関係。KIN255(G8/31)、私達はサンピエトロ大聖堂の中で、ミケランジェロの傑作「ピエタ」に心奪われていた。そこから15日後のKIN10(G9/15)。『ジョジョの奇妙な冒険』の作者、荒木飛呂彦氏の79回目の銀河の誕生日に、第8部ジョジョリオン電子板の13巻を入手。何とその中に「ピエタ」と”全く同じポーズ”の吉良ホリーの姿が描かれていたのだ!15年前のG9/15は、911テロの4日後だから、もちろんKIN255である。
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こういう流れがあった上で、15年前の「時間をはずした日」に意識を向けさせるような出来事(KIN63の方に天神さんの近くで出会った)が生じたので、私は尚更911に注意を向けざるを得なくなったのである。それが、KIN14のアースダイビング(古い時代への地層へのダイブ)にも響く事になるのだが、その前に余談をひとつ。私の書の雅号は天迅(てんじん)で、実はチャクラにある「蔵」という額は天迅作である。

さて、KIN13(G9/18)は東京も大阪も雨の予報で、実際、チャクラで天真体道をやっている最中にかなり降って来て、それから夜までほぼずっと雨のようだったが、家から二子玉川駅までと、南森町駅からチャクラまで、そして夜にチャクラからホテルに向かうまでの間は、降っても霧雨程度で、結局傘を指す必要は一度も無かった。

KIN14は、恒例のシンクロ小旅行をと思っていたものの、台風接近で天気も更に崩れそうだし、特に行ってみたい場所も思いつかなかったので、今回はフィレンツェ繋がりで(京都と姉妹都市)、京都市役所前にあるというヴェロッキオのプッチーノ像(レプリカ)だけ確認して、後は、落ち着けるカフェにでも寄って早めに帰ろうと考えていた。

しかし、KIN13の朝「観音菩薩の化身とされるダライ・ラマ法王14世の誕生キンでもあるKIN14なら、西国三十三所観音霊場14番札所を訪れてみるのも良いかもしれない」と思いつき、調べてみると、大津の近くにある三井寺であることが判明。京都からもそう遠く無く、遅くならないうちに戻れそうだったので、その夜、ホテルに着いてから、三井寺天智天皇陵→京都市役所という大ざっぱな順路だけ考えて、眠りに就いた。

KIN14(G9/19)も予報は雨だったが、午後くらいまでは何とか持ちそうな気配だったので、まずJRで膳所駅まで行き、そこで京阪に乗り換えて三井寺駅へ行く事にした。新快速に乗った関係で大津のホームで一度降り、次の電車を待っていると「三井寺まで徒歩20分」という看板を発見。そんなに近いならと、膳所まで購入していたチケットは放棄して下車。
IMG_9256.jpg ★手前に13、左奥に14

歴史を振り返れば当たり前なのだが、大津は趣のある建物が多く、散策するのが楽しい街並。おまけに、数字のシンクロが凄い。これをやり始めるとキリが無いので、最近はなるべく数字を見ないようにしているのだが、見えてしまうものは仕方が無い。新しいウェイブスペルへの魔術飛行を示す13、14が同じ駐車場に止まっているかと思うと、その先には前日のKIN13に注目した725(時間をはずした日)。
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途中から琵琶湖疎水に沿って歩くも、三井寺の敷地が広過ぎて入口が分からず、最初に目に入った三尾神社に参拝する事からスタート。ご祭神を知らないまま参拝するのは、私にしては珍しいケースだが「まずはここから」というインスピレーションがあった。やたらと兎が目につくので、何か兎に関する神様かと思ったら、何とご祭神は伊弉諾尊。
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イザナギが降臨してこの地の地主神となったのが起源らしい。その神は常に赤・白・黒の腰帯をつけており、その姿が三つの尾をひくのに似ているところから三尾明神と呼ばれるようになったのだとか。腰帯は赤尾神、白尾神、黒尾神となり、最初の赤尾神が、卯の年、卯の月、卯の日、卯の刻、卯の方角から三井寺山中に出現した関係で兎を神使とし、神紋が「真向きの兎」となったようである。

それにしても、赤、白、黒とは面白い。それぞれ古代マヤでは東、北、西に対応する色で、『ドリームスペル』においては、ちょうど東の「赤い城(52日間)」で最初の「赤いウェイブスペル(13日間)」が終わり、次の「白いウェイブスペル(13日間)」に入ったタイミング。しかも、スマホで調べてみると、何と住所は大津市園城寺町251。911のKINそのものだった!

ウサギは『13の月の暦』で12番目の月のトーテムアニマルなので、私はKIN12に何があったかを思い起こしていたが、後で確認してみると、NYで911を思い出させるような爆破事件(米国はどうしてもテロとは呼びたくないらしい)があったのが、まさにKIN12(G9/17)だった。また、先に記した通り、今年のG9/11はKIN6で、これは現在NYに滞在している安倍首相の誕生KINでもある…と思ったら、今日が首相の62才の誕生日!

安倍さんが初めて首相に就任した時(52才と5日)の事を『シンクロニック・ジャーニー』に書いていたのがきっかけで、偶々それを読まれた昭恵さん(首相夫人)とご縁が出来たのだが(その経緯は『マヤのリズム』『霊性のアート』に記してある)、その昭恵さんは、先刻、まさにNYのグラウンド・ゼロで献花された事をFBに投稿されていた。何と言うシンクロ率の高さだろうか。
14番 
話を大津に戻そう。神社を出て割とすぐの場所にあった受付で境内の巡り方に関するアドバイスを受け、まずは14番札所である観音堂へ。線香を5本供えてお参りした後におみくじを引くと、恵比寿さん付の9番大吉だった(これを書いている今は9週目で月日で「銀河の音3」が重なる(3×3=9)魔術の亀の日)。展望台から見渡せる琵琶湖の風景は素晴しく、無粋なビル群が邪魔をしていなければ、さぞ風光明媚であっただろうと往時を偲んだ。
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その後、三尾神社をコルラ(右繞)する形で三井寺境内を巡ったが、特に印象に残ったのは八角形の輪蔵を収納した一切経蔵、弁慶の引き摺り鐘、国宝の金堂に安置されていた尊星王像(頭に鹿が乗っていた)、ゴポゴポと音を立てて水が湧く場所を囲った閼伽井屋(あかいや)など。そもそも、三井寺というのは、天智・天武・持統の三天皇の産湯に用いられた霊泉「御井(みい)」に由来するもので、閼伽井屋はその泉の上に建てられている。
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三井寺の正式名が園城寺で大津市園城寺町246(123×2)にある事を認識したのは、お昼を食べている時だった。三井寺も三尾神社も郵便番号は同じ「520-0036」。520は『時間の法則の20の銘板』の制作部数で、16才の誕生日に高天原山に墜落した日航123便の犠牲者の数。36は、ホゼ(KIN11)とその母エセル(KIN241)の現在の「運命の道筋」であり、山岡鉄舟の誕生キン。この日(KIN14)がダライ・ラマ法王14世の114回目の銀河の誕生日でもあったと知ったのは、帰宅してからだった。
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大きな交差点にいきなり出現する不思議な浜大津駅から京阪に乗り山科へ移動。そこから徒歩で「天智天皇陵」へ。京都府道143号に面した参道の前で信号を待っていると、23の車が殆ど間をあけずに2台。国道23号は伊勢内宮に通じる道であり、KIN23は第266(=260+6)代ローマ教皇フランシスコの誕生キン。19日前に、教皇お膝元のヴァチカンでも23番のバスに連続で出会った事が思い出される。続いて331の車。これもダ・ヴィンチ空港に迎えに来た(&翌日全く別な場所で驚異的な再会もした)タクシーのナンバーだ。何か強力な時空の働きが関与しているのを感じる。
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何しろ、かつて「天武・持統合葬陵」を訪れた時は、ネットで調べる事さえ出来なくなってしまった場所(過去記事「天上の虹から書の魔法へ」参照)。天気も不安定だったので、現地で大嵐なんて事も無いとは言えない。しかし、今回は「三井寺の閼伽井屋を経由すれば問題無く訪れる事が出来る」という直感があって、当日になって訪問を決めた場所だった。長い参道を進むと、奥まったところで緑が濃くなり高い樹々が森のような領域を作っている。
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森の近くは物理的にも気温が下がるが、ここからは次元の異なる領域である事が肌で感じられる。さらに森の中の参道を進むと、白い玉砂利が敷き詰められた陵墓が見えて来た。天武・持統合葬陵と同じ八角墳らしいが、今は小山にしか見えない。幸い誰もいなかったので、自分なりの礼を尽くした儀式を行った。天真五相の「ア」の時に鳥が天空を横切り「ウン」の直後に風がサーッと吹き抜け、さらに、雲間から太陽も姿を見せてくれたので、私は「よろしい」という時空からのサインと受けとめた。この日、太陽が見えたのはこの瞬間だけだった。
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こういう体験に意味を持たせようと思えば、いくらでも持たせられるが、大事なのは、どういう動機や意図でその場に臨んだかだろう。帰り、参道の両脇にある琵琶湖疎水に沿って歩いていると43-43の車を発見。これは現在の「電気の月」の最初の3日間に対応するサイ時間(KIN43)だ。また、天皇陵の近くで目にした143、23、43は、いずれも「青い夜」のKINナンバーである。
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御陵駅から地下鉄に乗り京都市役所前へ。最初の目的だったヴェロッキオのプッチーノ像が見当たらず探していると、何と工事用の囲いの中にある。どうやら市役所の建て替え工事が始まるらしく、一緒に囲われてしまっていた。もとよりレプリカだし、既に大仕事を終えた気分でもあったので、「チラっとでも見られて良かった」という感じだったが、もしこの「イルカを持った天使」を一番の目的にしていたら、さぞガッカリした事だろう。
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いよいよ天気が怪しくなって来たので、そこから割と近くにあるカフェを調べ、フランス語で「5」を意味する「CINQ(サンク)」という店へ。三井寺でも5番目の月のトーテムである孔雀にに出会ったりしていたが、締めに「銀河の第五の力」を感じさせる五角形を目に出来たのは嬉しかった。ただ、市役所の掲示板にも大雨洪水注意報が出ていたので、今回はここで切り上げて早めに京都駅に向かう事にした。
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まだラッシュの時間には早いような気がするのだが、妙に人が多い。よく考えたら、この日は「敬老の日」で三連休の最終日だったのだ。そんな訳で、回数券で指定を取ろうとするも、目の前でどんどん希望の列車が埋まって行く。止む終えず1時間半以上先の48号を指定したが、台風も迫っているので、ホームに並んで2,3台やりすごし、座れそうな自由席で帰る事にした。結局、のぞみ40号1号車10番で帰路へ。

往路の201号11号車7番と合計すると241号12号車17番となる。時間魔術を遊ぶ私は、これをKIN241(4次元の時間)とG12/17(3次元の時間)に分けて見る。前者は自分の誕生キンで、後者はフランシスコ法王の誕生日である。ちなみに、フランシスコ法王は現在79才で、その法王が居るヴァチカンのピエタ像とシンクロした荒木先生は現在79銀河スピンだ。

そういえば、先のイタリア旅行で唯一雨が降ったのは、ヴァチカンに居た時だけ。もの凄い雷雨で、一時足止めをくらい、チャクラのあっちゃんとメッセージのやりとりをしていた。今回の大阪、京都は流石に傘が必要かもしれないと、折り畳み傘を携帯していたが、結局最後の最後まで一度もそれを開く機会は無かった。新横浜やあざみ野で乗り換えた時などは、ザーザー降っていたのにも関わらず、二子玉川に着くと止むのである(辺り一面ビショビショなので直前まで降っていたのだろう)。

15年というテーマもあって、出来ればKIN15のうちにUPしたいと思っていたが、昨夜は、剣武天真流蒼天道場の審査会などもあって、これだけの内容をまとめる余裕が無かった。何しろ、ちょっと書き始めると色々発見してしまって収拾がつかなくなるし、現象面もさらに加速して止まらなくなるのだ。昨夜、マンションの宅配ボックスに届いていたものを出そうとしたら、何と、その暗証番号まで「911」が指定されていた!しかもその内容は、10月末に行われる「時の魔法展」(広島100スピン&H・C41スピン記念)でホゼの作品展示に使う備品だった。

しかし、安倍昭恵さん(KIN223=2・夜)がグラウンド・ゼロに献花したのが分かったのは、今日KIN16になってからだったから、やはりこのブログを仕上げるのは今日で良かったのだろう。そして、一連の出来事は、やはり911と関係しており、その時空調整をするのにちょうど良いタイミングだったという事だろう。このブログを読んだ方がどう思うかは自由だが、少なくとも私は、そのように理解している。

ダヴィンチ・フィレンツェ・チブレオ・モリコーネ

2016年09月10日 23:10

月の月19日(G9/10)KIN5 赤い倍音の蛇(by D)

イタリアの旅については、メルマガでゆっくり7回位に分けて報告して行こうと考えていたのだが、帰国後も発見が続いていて、後から自分のメモを解読する自信もイマイチ持てないので、どうしても記録しておきたい事を、先にまとめておこうと思う。

今回の旅が始まる直前に、私はレオナルド・ダ・ヴィンチがKIN186(4・橋渡し)で生まれ、KIN219(11・嵐)で死んだ事を知った。メルマガ Vol.63の【 ルネサンスの都へ(1) 】に記したように、今回の旅は、ダ・ヴィンチと切っても切れない関係にあり、それは終盤になるほど加速した。

旅程はKIN254(G8/30)〜KIN1(G9/6)。奇妙な動きを見せていた台風10号は、直前まで進路がはっきりせず、私達の出発日を知っていた人々は、飛行機が飛ぶかどうかを心配してくれていた。関東に上陸する可能性も十分あったし、たとえ上陸はしなくとも暴風域が広ければ飛行機は飛ばない。実際、東北、北海道方面の国内線は殆どが欠航していた。
丸虹 
しかし、私達は二子玉川で自宅からリムジンバスに乗るまでの間も傘いらずで(乗車直後に雨)、飛行機も定刻通りに飛び立ってくれた。それどころか、KIN243(G8/19)に誕生し、ウェイブスペル回りに移動しながら観測史上記録的な長寿台風となった10号は、虹を添えて私達を送り出してくれたのだった。
虹道  窓虹 
旅立ちの日に、日本の生態地域(橋渡し)に台風(嵐)が来ただけでも、ダ・ヴィンチとの繋がりを感じるのに、レオナルドという名が、ラテン語 の”leo(ライオン)”とゲルマン語の”harti(堅い)”に由来することを知ると、その台風が「ライオンロック(獅子岩)」という名だった事も偶然とは思えなくなる。

ダ・ヴィンチ空港から始まったローマでも、もちろん沢山のシンクロがあったが、ここではフィレンツェ入りしたKIN256(G9/1)以降の事を書いておきたい。Lが見つけてくれた宿は、フィレンツェのシンボルとも言えるドゥオーモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)にほど近いLe Stanze del Duomo。快適かつ便利な宿だったが、中庭に面した部屋から見えるのは、同じ建物の壁に区切られた青空と、大聖堂の頂きに輝く十字架黄金球のみ。
十字架 
フィレンツェカードを手に入れて最初に訪れたのもドゥオーモのクーポラで、まさにその黄金球の真下まで近付いたのだが、その球を制作し、1471年にクーポラ天頂部に据え付けたのが、アンドレア・デル・ヴェロッキオとその弟子レオナルド・ダ・ヴィンチだったと知れば、「部屋からそれしか見えない」事にも特別な意味を感じてしまう。

その日(KIN256)、アルノ川の南側で晩ご飯を済ませた私達は、あまりの満腹状態に、少し歩いて腹ごなしをしてから、別の店でドルチェだけ頂く事にした。アンテナに引っかかったのは『ことりっぷイタリア』P27に出ていたチブレオ・カフェ。そのコーナーに掲載されていたカフェの中で、最も遅い時間帯まで開いていて、「下町にある」というのに引かれたのだが、それが今回の旅を最高に盛り上げてくれる場所になるとは、この時はまだ気付いていなかった。

到着した時点で、22時を回ろうかという時間帯だったのにも関わらず、通りに並べられたテーブルは、大勢の人で賑わっていた。最初、間違えて入ったのがイル・チブレオというリストランテで、カフェとは別にトラットリアもある事を知ったのは、後になってからだった。カフェに入ると、入口近くに居た日本人らしきバリスタが「こんばんは」と日本語で話しかけてくれた。
タルト 
店内の雰囲気も素敵だったが、殆どの人は外で食事を楽しんでいて、大いに盛り上がっていたので、私達も外に席をつくってもらって、ラズベリータルトひとつをシェアしつつカプチーノを頂く事にした。タルトを口にしたLが驚きの表情を見せたのは、その美味しさが想像を越えていたからだったが、私も食べた瞬間「これは並の店じゃない」と悟った。

帰り際、現場でテキパキと指示を出していた若女将みたいな人が「ユースケは最高のバリスタなのよ!」と褒めると、彼はちょっと照れていたが(その言葉をユースケさん自らが訳す事になったので)、このお店には、気持ちの通った何かがあって、舌だけでなく、心も満たされた気分で、まだまだ夜が更けきらないサンタンプロージョの通りを楽しみながら帰路に着いたのだった。

それから3日後のKIN259(G9/4)は、イタリアで過ごす最後の夜だったが、連日、かなりの距離を歩き続け、大量の名芸術作品に触れ続けた結果、流石に疲れ果てて、最後の食事をどこでするのかを考える気力も、殆ど無くなりつつあった。その時、ふと思い出したのがチブレオだった。

そこで、『地球の歩き方 フィレンツェとトスカーナ2015~16』を調べてみると、何と「イル・チブレオ」「トラットリア・チブレオ」「チブレオ・カフェ」が、それぞれ掲載されているではないか!しかも、トラットリアの説明には「レストランとほぼ同じ料理を手頃な料金で楽しめるのが魅力」とあり、カフェの方にも「夜はレストランと同じメニューも味わえる」とあった。

フィレンツェの名店のひとつ」と書かれているレストラン以外は予約不可で、相席の可能性もあるとの事だが、3日前の様子から想像するに、席が全く無いとは思えない。何よりレストランと同じメニューを手頃な料金で味わえるなんて、それだけで嬉しいではないか。ドルチェやカプチーノがあそこまで美味しければ、料理だって美味いに違いない。

そんな訳で、チブレオ行きが決定。宿でひと休みして、21時を回った頃に到着すると、外は変わらず賑わっていたが、カフェ店内には犬を連れたマダム(おそらく地元の人)しか居なかった。カフェの中をもう少しゆっくり見たかったと言っていたLにとっても好都合な状況で、今度は店内をチョイス。日本語メニューは無かったが、バリスタのユースケさんが(本来の仕事ではないのに)丁寧に説明して下さったお陰で、食べてみたいものを自分達に合った量だけ頂く事が出来た。
前菜 ナス 
もちろん、味は全て申し分無し。静かな所で雰囲気を味わいたい人にはリストランテが良いのかもしれないが、地元の人たちと同じノリで気取らず食事をしたいと考える私達にとっては、場所も最高だった。多分、日本人の中でも食べる量が少ない部類に入る私達の注文方法は、結構イレギュラーなスタイルだったのでは無いかと思うが、それをごく当たり前のような感じで受け、適切な形にアレンジしてくれたユースケさんには、この場を借りて改めて感謝したい。

名物のチーズケーキとエスプレッソで締めて、フィレンツェでの「最後の晩餐」を堪能した私は、出来たての剣武天真流の名刺を彼に渡しつつ、スマホで試し斬りの動画をチラッとお見せした。すると、わざわざ店長(オーナーが留守との事でその息子さん)を連れて来てくれたので、流れで記念撮影する事に。それで分かったのは、オーナーのファビオ・ピッキという方は、しょっちゅうテレビやラジオに出るような有名人らしいという事。このお店に感じられた「場」は、きっとそのファビオさんの思想(生き様)によるものなのだろう。
ユースケ 
最高に良い気持ちで通りを歩いていると、何とも魅惑的なメロディーが少し先の広場から聞こえて来る。どこかで聴いたような?と思って耳を傾けつつ近寄ると、何と、私が愛して止まないエンニオ・モリコーネの曲ではないか!!しかも、管楽器の生演奏だ。ダ・ヴィンチの誕生KINがモリコーネと同じKIN186だと知ったのは、「青いスペクトルの嵐」の年に入ってから。
五重奏 
旅の仕上げに、何という洒落た演出なのだろうか!一体、誰がこんなに盛り上がるタイミングで、無限の可能性の中からわざわざモリコーネの曲を選び、こんな形で聞かせてくれているのだろう!!そういう思いと、聞こえてくる感動的な曲調とが重なって、私は思わず泣きそうになってしまった。

チョンピ広場のロッジア(開廊)で演奏をしていたのは、割と若い5人組で、取り囲んでいる聴衆の中から時々人が歩み出ては、投げ銭(そっと置く感じ)をしている。最初に聞こえていた曲の次もモリコーネで、今回、ピサで再会した若き剣武の道友・ニコロも知っていた曲だった(前日私がモリコーネのファンだと言ったら口ずさんでくれた)。

モリコーネ特集なのかと思って、私も投げ銭をしてそのまま聴いていると、3曲目は全く違った曲(誰でも知ってるような曲だったがタイトルは失念)になってしまった。つまり、ちょっとタイミングがズレていたら、モリコーネの曲は聴けなかったのだ。本当に何と言う采配だろうか。あまりに嬉しくてウカレていたのか、珍しく道を間違えて、宿の方角とちょっとズレたレプップリカ(共和国)広場に出てしまった。

しかし、チョンピ広場のロッジア(イルカの彫り物等がある)が、元々はレプップリカ広場にあった魚市場のものだと知ると、導かれたようにも思える。ちなみに、そうした背景や、そもそもロッジアとは何か?を調べたのは、帰国後のKIN2(G9/7)になってからの事。この開廊は、ヴァザーリの作らしいのだが、最初にLが調べた時にヴォロッキオと勘違いして記憶していた事で、私はヴォロッキオについても調べる事になった。

だが、それが更なる驚きの発見へと導くのだから「予期せぬ働き」(「嵐」の出来事を神秘キンの「風」に調べて発見)は面白い。ダ・ヴィンチが弟子入りしたヴォロッキオの工房はどこにあったのか?を調べるうちに、「石田雅芳のフィレンツェ藝術逍遥」というサイトを見つけ、何とプリセッション的にダ・ヴィンチが住んで場所を知る事になったのだ。

そこに記されていた住所「Via de' Martelli7」をグーグルマップに入れ、出て来た地図を見た時の驚きと言ったらなかった。何故なら、それは私達が滞在していたホテルの殆ど真向かいの場所(同じ通り)で、フィレンツェを去るKIN260(G9/5)の朝、急にディスプレイされた本が気になって撮影した「まさにその場所」だったのだ!
本屋 
グーグルマップのストリートビューで角度を少し変えてみれば、そのディスプレイコーナーの真上に、確かに「ダ・ヴィンチはここに住んでいた」というような内容が「1919年5月、400周年忌」と共に刻印されているのを、誰でも観る事が出来る。私達は、まさかそんなプレートがそんな場所にあるとは知らずに、毎日その目の前を通っていたのだった。

結局、ヴェロッキオ工房の方の正確な位置は分からずじまいだったが、チブレオでユースケさんが名刺代わりに(名前とメールアドレスを書き込みつつ)下さったお店のカードを裏返すと、カフェの住所が「Via A. Del Verrochio, 5r」となっている。これって、もしかしてヴェロッキオ通り!?と再びマップに入力して調べると、リストランテとカフェの間にある20〜30m程しかないあの通り(カフェの前のテーブルが置いてあった所)だと判明。

リストランテは「Via A. Del Verrochio, 8r」だが、トラットリアともう一つの系列店(演劇場)は、そこからほんの数mしか離れていないのに入口がその通りに面しているからか「Via de macci」となっている。wikiでヴェロッキオを調べると、「聖アンブロージョ教会地区で生まれた」とあるし(まさにチブレオのあるエリア)、名前もアンドレア・デル・ヴェロッキオだから、カフェの前の通りがヴェロッキオにちなんで付けられたものなのは間違いないだろう(生誕地かどうかは不明)。

ここまで来ると、ヴォロッキオとダ・ヴィンチに遊ばれているような気がして来る。よく見たら『地球の歩き方』にも同じ住所がちゃんと出ていたが、工房の場所を調べようという動機が無かったら、ここまで住所を追求することは無かったかもしれない。もし、この流れの全てを「偶然」で片付けられる人がいたとしたら、それはそれで面白いが、私達とはあまりに感性が違い過ぎて話が通じない気がする。

ダ・ヴィンチの住まいを、そうと知らずに撮影してから1、2時間後、私達はフィレンツェ空港内の書店に居た。カフェにも置いてあったファビオさんの本の英語版があって、写真も内容も素敵だったので、その場で手に入れる事にした。その後、待ち時間にネットでも色々調べてみると、この方は素晴しい芸術家であり、彼が生み出したチブレオは、フィレンツェはもとよりイタリア屈指の名店だという事を知った。
ふぁびお 
初日の夜に、何となく行ってみたお店を通じて、まさかこんな驚きの連続を体験させてもらえるなんて、夢にも思っていなかったが、予想できないこういう流れがあるからこそ、旅も人生も面白いのである。

ところで、通りで最初に聞こえて来たのが何と言う曲だったのか、実は私は知らなかった。『Cinema Paradiso: The Classic Film Music Of Ennio Morricone』というCDで何度も耳にしていたメロディーではあったが、どの映画のサントラなのかも知らなかったのだ。昨夜それを調べて、13曲目の「A Fistful Of Dollars」だと判明。そこで、今度はそのタイトルから映画について調べて、以下の情報を得た。

『A Fistful Of Dollars』は、クリント・イーストウッド(KIN233)が主演し世に知られるきっかけとなった、初のマカロニ・ウェスタンで、邦題は『荒野の用心棒』。しかし、YouTubeで英語タイトルを入れても、なかなかCDと同じ曲が出て来ない。それでやっと分かったのは、最も盛り上がるラストシーン、砂埃の中からイーストウッドが姿を現す時に使われた曲だったという事。どうりで、あのフレーズだけでグッと来るものがある訳だ。

ちょうど、その調べをしていた頃、MXTVで放映されていたジョジョ第四部でも、前半のクライマックス(吉良を追いつめるシーン)を迎えていた。そして、私は悟ったのだった。「ああ、承太郎のイメージは、やはりマカロニ・ウェスタンのイーストウッドから来ているのだ」と。実際、2012年、荒木飛呂彦が52才の時にイーストウッドと対談もして、承太郎の絵を贈った事が『JOJOmenon』に出ているし、「荒野に立つクリント・イーストウッドこそ、空条承太郎のモデルです」と明言もしている。

チブレオを出たあのタイミングであの曲を耳にしていなかったら、この発見もずっと後になっていた事だろう。やはり台風10号に送り出された今回の旅は、荒木先生(KIN10)とも深く関係していたようだ(メルマガに書いた通り、2013年にはフィレンツェで個展も開いている)。

最初は、色々発見したKIN2にブログを書き上げるつもりだったのだが、あまりに追加次項が多くなり、書き足し書き足しするうちに今日になってしまった。しかし、結局カフェ・チブレオの住所、そしてホテルの部屋番号(5)ともシンクロするKIN5になったのだから、これで良かったのかもしれない。

イタリアに滞在していた第6週目(13の月の暦で)の1週間は、ずっとこんな調子だったが、特に骨格となる体験を、記憶が混乱しないうちにここに書けてホッとしている。やれやれだぜ。

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