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パカル王からの呼びかけー日本とメキシコを繋ぐ「時の魔法」

2016年10月15日 23:36

電気の月26日(G10/15)KIN40 黄色い磁気の太陽(by D)

天真書法塾の道友にMさん(KIN38)という方がいる。もともと『13の月の暦』を通じて知りあったのだが、数年前にLの個展にいらして下さった後くらいに、本部クラスに入塾された。私達とはクラスが違うので、普段、顔を合わせることは無いのだが、10/10(KIN35)、天真会のメーリングリストにとても興味深い投稿をされていた。

NHK BS1で放映された特集番組「チャスラフスカ もう一つの肖像 ~知られざる激動の人生」を見ていて、青木天外塾長(KIN245)の書が、チャスラフスカさんの自室に飾られていたのを目にしたという内容だった。ベラ・チャスラフスカさんは、その優美な演技により東京五輪の名花と讃えられ、メキシコ五輪と合わせて女子体操で2度総合優勝し、計7個の金メダルを獲得したチェコ代表の体操選手。
希望 
2012年に書の展示と剣の演武でチェコを訪れた事と、その時にチャスラフスカさんにお会いした事は、『霊性のアート』に、彼女の誕生キンがKIN165で、チェコ訪問時の青木先生の道筋(KIN165)と完全にシンクロしていた事と共に記しているが、今年の夏(8/30)に彼女が癌で亡くなっていた事は、Mさんの投稿によって初めて知った。
先生と 
民主化運動を支持していた関係で、共産主義政権下で非常に困難な人生を歩み続け、更に、離婚した夫が次男とのトラブルの末に死亡するという事件などもあって、長い間うつ状態であったとも言われている。共産党体制崩壊後は、ハベル大統領のアドバイザー及びチェコ・日本協会の名誉総裁に就任し、後チェコオリンピック委員会の総裁も務められていたが、直接お会いしてみて分かったのは、何より人として素晴らしい方だという事。やはり、その人の生き様というのは、存在感に現れるものなのだ。
ベナトキ 
上記のような背景から、青木先生は激励の意味も込めて、日本語とチェコ語で「希望」と書いて贈ろうとされていたのだが、チェコ訪問時には法的にそれが叶わないという事情があって、諦めていたとのこと。そんな訳で、チャスラフスカさんがその書を自室に飾っていた事は、今回のMさんからの報告があるまで全くご存知なかったというのだから、人の機縁とは不思議なものである。
大 
Lが主宰しているシャンバラ教室は、その天真書法塾の支部教室に当たり、私も瞑想体操の指導で関わっているのだが、チャスラフスカさんの話を知る1週間ほど前、教室生のOさんが、世田谷美術館利根山光人による拓本「パカル王の石棺」が展示されている事を教えて下さった。以前、ジュエリーデザイナーの北村公晴さん(KIN10)に、雑誌に掲載された赤い拓本を見せていただいた事がある(「7つの世代の書」とカミーノ)ので、現物があるなら見ておきたいと思ったし、《時の魔法・ドリームスペル展》前なので、タイミング的にも完璧だ。

今回は10/23までの展示との事なので、それまでにと思っていたら、KIN37(G10/12)のシャンバラ教室で、今度はIさんから「パカルの拓本」を見たと、興奮気味に教えられた。OさんもIさんも、実は企画展の「志村ふくみ展」を見に行っていて、拓本の方は思いがけず目にしたとの事だったが、Oさんは『テレクトノン』における唯一の「パカルの特別な数字」(石棺の縁の日付と関連)であるKIN78だし、Iさんはパレンケの「赤の女王」(「碑銘の神殿」の隣のピラミッドに埋葬されていた)と結びつけられるKIN185(ホゼの最後のパートナーだったステファニーのKINでもある)。

もともと、KIN38(冒頭のMさんの誕生KINだ)に訪れるつもりでいたところに、この2人から話を聞いたことで、私はパカル(&ホゼ)が「早く来い」と使者をよこしたかのように思えた。実は世田谷区民になって12年、何と世田谷美術館は初体験。最初に「志村ふくみー母衣(ぼろ)への回帰」で絹糸の色と織の美しさを堪能し、それから2Fで行われていた「神々の森」へ。

そこに待ち受けていた「パカル王の石棺拓本」は、思っていた以上の大きさと迫力があった(色が赤ではなく墨色だったのもちょっとした驚きだった)。他にボナンパクとチチェン・イツァ(のジャガーと鷲)、そしてパレンケ十字の神殿の拓本があったが、やはりパカルの拓本が圧倒的だった。私もLも、現地で実物を目にしているのだが、墓室の中で水平に置かれた石板を見るのと、その拓本を縦向きに軸装したのとでは印象が全く異なる。拓本だと細かいデザインもはっきり見えて、マヤ文明が最も洗練されていた頃の芸術とそのエネルギーを、じっくりと味わう事が出来た。

それにしても、利根山氏の事を最初に教えて下さったのがKIN10の北村さんだったのは、何とも興味深い。何故なら、前日配信した最新のメルマガ(vol.64)では、KIN10の荒木氏と台風10号の事を書いていたからだ。美術館からの帰り道、10-10ナンバーの車と11ナンバーの車をそれぞれ2,3度見てしまったのは、単に自分がその数に注目していたからなのだろうか(後から考えるとG10/10もリンクしていたように思える)。

このパカル王石棺の拓本が世田谷美術館の所蔵だと言う事は、今回の展示を通じて初めて知ったが、昨年、この美術館に至近の病院に11日間も入院する事になったのも、もしかしたら何か関係があったのかもしれない。何故なら、パカルはパレンケ王朝11代目の王で、KIN11のホゼはそのパカルの声を聞いて『ドリームスペル』を生み出したからだ。ちなみに、KIN11は「銀河の音」も「紋章コードNo」も11である。

気になって利根山氏の誕生キンも調べると、KIN179(10・嵐)で生まれKIN146(3・橋渡し)で死んでいる。メルマガでは、KIN186(4・橋渡し)で生まれKIN219(11・嵐)で死んだダヴィンチの事を書いたが、どちらも生死の間が33キンであり、嵐ー橋渡し、橋渡しー嵐という反転の関係になっている。従って、どちらも「銀河の音」の差は「7」で、「紋章コードNo」の差は「13」である。そして、パカルの石棺には「3つ玉」のデザインを11見出す事ができる。

利根山光人は、茨城に生まれ、メキシコを題材とした作品を多く残し「太陽の画家」と呼ばれたらしいが、晩年は岩手の北上で過ごして、「鬼剣舞」を題材にした作品も製作されていたようである。私が鬼剣舞について知ったのは、宮沢賢治(KIN131)を通じて、昨年の自分の誕生日直前になってから(鎌倉みちのく魔術紀行(2))。誕生日当日(KIN131)は、江ノ島、鎌倉をウェイブスペル回りに巡る魔術的小旅行を実施したのだが、その時、遥かな空間を越えてシンクロした人物と、今日、久しぶりにお会い出来たのも不思議な縁である。

また、志村ふくみさんがKIN245(11・蛇)と分かったのも、大いなる驚きだった。何故なら、青木先生と同じ誕生キンであり、青木先生が開かれた天真書法塾の縁で、今回、チャスラフスカさんやパカル王の拓本との繋がりも発見されたからだ。この流れをきっかけに1964年の東京五輪を調べたら、何とMさんが天真会MLに投稿した10/10(KIN35)のピッタリ52年前の10/10(KIN35)〜10/24(KIN49=7×7)が開催期間だったと判明。つまり、今と全く同じ周期(365日暦も260日暦も)の52年前に、チャスラフスカさんは東京五輪で活躍していたのだ。

この流れは全て、2週間後に渋谷で行われる《時の魔法・ドリームスペル展》と密接にリンクしている。展示予定のホゼのコラージュ作品には、当然「パカル王の石棺」が含まれているし、会場最寄り(徒歩5分)の渋谷駅には、岡本太郎の巨大壁画「明日の神話」が設置されている。この作品は、もともとメキシコ五輪とリンクして制作されたものであるだけでなく、太郎が以下のような意図を込めたものなのだ。「原爆が爆発し、世界は混乱するが、人間はその災い、運命を乗り越え未来を切り開いて行く―といった気持ちを表現した」。
時の魔法展 
ドリームスペル展は、広島原爆投下(KIN55)から『13の月の暦』のツォルキン(260日暦)が100回巡ったタイミングに開かれる。それは、単にホゼの作品を公開するだけの場ではなく、同じKIN55に、ホゼとロイディーンによって呼びかけられた平和の祭典「ハーモニック・コンバージェンス」、あるいは「明日の神話」の意図とも重なる「災いの反転と、調和的未来への祈り」が込められた「時の魔法」の実践的な行為でもあるのだ。
ホゼ作品 
そして、このタイミングにチャスラフスカさんに焦点が当たった事も、おそらく深いレベルで関係しているのだと、私は考えている。何故なら、彼女が合計7つもの金メダルを手にしたのは、東京五輪とそれに続くメキシコ五輪での事だったからだ。利根山光人が拓本を取ったパレンケ遺跡はメキシコにあり、「明日の神話」はメキシコで数奇な運命を辿って東京渋谷に戻って来た。その作者、岡本太郎は、多摩川の対岸、我が家から数百mのところで生まれている。

以上、何とかここ数日の間に生じた出来事を整理してみたが、今日、ある方から10/10(KIN35)にご家族が他界されたという連絡があった。80才というその年齢は、まさにパカル王の生涯と重なる。そして「電気の月26日」のサイ時間単位はKIN218(10・鏡)。1952年6月15日に「碑銘の神殿」でパカル王の墓室が発見された、まさにその日に対応する。この一連の流れを「パカル王からの呼びかけ」と感じた方は、2週間後、渋谷でお会いする事になっている方であろう。

*KIN38のMさんが広島出身だったと気づいて、また驚かされた
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