コペルニクス生誕地の「星の下の家」

2017年11月30日 01:44

■倍音の月15日 (G11/29) KIN190 白い銀河の犬 (by D)

ポーランドの首都ワルシャワの北西に、コペルニクスの生誕地として知られる街トルンがある。中世の面影を色濃く残すこの街の旧市街は、1997年に世界遺産に登録され、名物の焼き菓子ピエルニク(ジンジャーブレッド)はショパンの大好物だったとも言われている。10月下旬に縁あってこの街を訪れる機会があったので、印象が鮮明なうちにその時の事をまとめておきたいと思う。

実は、割と最近まで、私はトルンという街を知らなかった。コペルニクスが生まれた街というのも、昨年、天真書法塾を通じて「トルン東洋美術館展」という書展に出品した関係で初めて知ったくらいである。出品作品が美術館収蔵品に選定された事で(その経緯については過去記事参照)一気に親近感が湧いたが、ポーランドについての知識が殆ど無く、他に強い動機も無かった私達は、「いずれ訪れてみたい」と思いつつも具体的な事は何も考えていなかった。

そもそも、今年は既にイタリア、NY、ネパールと海外への予定が立て込んでいたので、そんな計画を考える余裕も無かった。しかし、当初は10月下旬とされていたNY国連本部での「12賢者会議」が11月下旬にズレ込み、続いて行われる予定だったシンポジウムが来年に持ち越しとなった事で、賢者の一人に選ばれた青木先生に同行させて頂くという話も流れ、10月下旬にぽっかりと時間が出来た。

それが判明した時点で既に9月に入っていたのだが、Lが「来年は来年で既に色々と予定があって、まとまった時間が取れるチャンスは無いかもしれない」と言うので、いくつかの候補を検討し、最終的にはシンクロサインからポーランド行きを決めたのだった。幸い、書展コーディネーターである国際書道文化発展協議会の岡田伸吉氏のご縁で、博物館担当者の方とも連絡が取れたので、訪問の日時を伝え、現地で作品を見せてもらえる流れとなった。

IMG_5952.jpg 

軸装前の状態で出品してそのまま収蔵となった上、正面から撮られた写真も無かったので、どんな感じに仕上がっているのかを間近で見られるのは楽しみでもあった。G10/25(KIN155)、ワルシャワから鉄道でおよそ2時間半、トルン駅からバスで15分ほどでトルン旧市街に到着。流石に世界遺産だけあって雰囲気のある街並みだが、半日あれば大体見て回れてしまうくらいの規模。

IMG_2674.jpg 

コペルニクス像のある旧市庁舎の角を曲がると、「House under the Star(星の下の家)」という名を持つ東洋美術館が見えて来る。通常は入館料が必要なのだが、この日は街の博物館が無料で見られる日(毎週水曜)に当たっていて無料で入場。知らずに来た私達は、それだけで勝手に歓迎されている気分になる(笑)。

受付で事情を伝えると、しばらくして担当者の女性が現れた。挨拶を交わし、歴史を感じさせる木の螺旋階段を昇って上階にたどり着くと、何と、一室に自分の作品を含む天真書法塾生の収蔵作品がまとめて展示されているではないか!

IMG_2593.jpg IMG_2595.jpg 

常設展示されている訳ではない事は了解していたので、収蔵庫から出してテーブルの上にでも開いて見せてもらえたら有難い思っていた。だから、こんな風に綺麗に並べてもらっているとは想像してもいなかったのだ。しかも、塾生の作品については、日時の確認などをする中で「もし可能であれば書法塾の仲間の収蔵作品も見せて下さい」とだけ伝えてあり、特に返事も無かったので、見せてもらえるのかどうかも分からないままだったのだ。

聞けば、案内して下さったKatarzynaさんは、この東洋美術館の責任者(Curator Far East Art Collection)で、何と、収蔵作品を選んだ張本人である事が判明。誰がどう選んでくれたのかも全く知らなかったので、こちらはもう感激しきりである。しかも、私が使用した石州和紙の薄く青みがかかったテイストも気に入って下さったようで、それを聞いただけでポーランドに来た甲斐があったと思えてしまった。

IMG_5959.jpg「From words of the ancient Japanese name and Pascal」

たまたま展示の関係で一室空いていたので、そこに準備して下さったとの事だったが、Katarzynaさんもはるばる日本から自分が選んだ作品の作者が訪ねて来た事を喜んで下さっていたようで、その後も、館内を色々と解説しながら案内して下さったのだった。もともと、700年近い歴史を刻んできたこの建物自体が博物館のようなもので、扉や天井の寄木細工なども見所の一つと言える。

IMG_2604.jpg 

刀や鐔、伊万里などの陶磁器のほか、インド、チベット、タイの仏像などもコレクションされていて興味深かったが、冷たい小雨が降っていたからか、お昼の時間帯だったからか、来館者は限られていて、おかげでかなりゆったりと鑑賞させて頂けた。思いがけず、名物のピエルニクと世界遺産としての街の見所をまとめた豪華な本まで頂いてしまって(こちらもちょっとしたお土産は持って行ったが)、何だか申し訳ない気分で「星の下の家」を後にした。

IMG_2621.jpg 

これも時間をかけて交流を続けて来られた岡田氏の活動があっての事と思うが、私としても、せめてこの街の素晴らしさを伝える事で、博物館や街に対して何がしかの貢献ができればと思っている。その後、旧市庁舎内にある博物館やコペルニクスの生家なども訪ねたが、その辺りの事については、2018.1.8に開催予定のスペシャルイベンド「スープ王国ポーランドの秘密(仮題)」やメルマガなどで改めて報告したいと思う。

最後に一つ、帰国後の驚きをシェアしたい。コペルニクスを世界的に有名にした本『完訳 天球回転論 コペルニクス天文学集成』が、私たちがトルンを訪れるぴったり1週間前の10/18(黄色い倍音の星)に発刊されていた事を、FBの友人の投稿を通じて知った。しかも、そのカバー絵には、旧市庁舎内で何気なく撮影した写真に写っていた図と全く同じ図が使われていたのだ。

コペルニク 

書作品を通じてそれまで無縁だった土地(コペルニクス生誕地)との繋がりが出来、それをきっかけに、今、訪れることになったのと完全にシンクロして、コペルニクスを世に知らしめた本の完全邦訳が出版されるという驚き。毎度のことながら、誰がこの出来過ぎた物語の脚本を書いているのかと思う。本当はずっと前からそれが誰かを私は知っているのだが、今は「その物語はこの文を目にする方とも関係している」とだけ記しておくことにしよう。

フクロウからクジャクへ/NPOクリカ10年の旅

2017年11月21日 18:59

■倍音の月7日 (G11/21) KIN182 白い宇宙の風 (by L)

3日ほど前にネパールから戻りました。

誰かの幸せを祈ることは、とても素敵なことだと思います。
心が喜びで満ちるから。
人間は本来、互いの幸せを祈り合う様にできているのだと思います。

ストゥーパ 

NPOクリカ(時間芸術学校クリカのボランティア活動)では、チベット難民の子供たちの教育支援を行っています。ネパール在住のチベット難民の子供たちに、学校に行くための奨学金を支給しており、そのため毎年現地を訪問しているのです。

私たちの活動は、今から10年前、2007年に始まりました(法人登記はその一年前)。最初に取り掛かったのは、直接自分たちで現地ネパールに行き支援先のリサーチをすることでした。(何故ネパールかの詳細は長くなるので今回省きますが)ネパールには、ヒマラヤを越えて逃げてきたチベット難民たちのコミュニティーがいくつもあります。彼らをめぐる状況は、ダライ・ラマ法王猊下がいらっしゃりチベット亡命政府の置かれているインドよりも、(インドと中国に挟まれた)ネパールの方がさらに複雑と言えるのかもしれません。

私たちのNPOはとても小さいものです。理事は全員本業を持ち、運営は100%ボテンティア。大きな宣伝活動をするかわりに、自分たちが直接見聞きしたことをお伝えしています。そして縁のある方々から寄せられた資金を最大限に活かす。それを貫いてきました。私たちが大切にしているのは、誠実さ・丁寧さ、そして縁(シンクロ)の力です。

10年前、チベット人の友人の案内で、約2週間の日程で、ネパールの数カ所に散らばるチベット人キャンプ、チベット関連施設を20箇所ほど訪問しました。その際、可能な限り現場の責任者の方に会い話を聞かせていただきました。どこもみな、気が遠くなるほどの援助を必要としていましたが、最終的にNPOクリカの支援先を、カトマンズ、ボーダーの
マナサロワール・アカデミー」に決めるのに、全く迷いはありませんでした。

理由は二つ。一つ目は学校の存在の素晴らしさ。

このチベット人学校の生徒たちは、ぶっちぎりに輝いていたのです!創設者の女性校長たちに大きな情熱と夢があり、それが子供達を照らしているのだとすぐにわかりました。何よりも子供達一人一人がとても大切にされていて、この学校はいわば大きな家族のようでした。校長自身もTCV出身でありカリキュラムもTCV直結。チベット仏教を土台に置き、伝統文化・芸能を重んじているのです。(しかし政府系の学校ではないため行政からの援助は受けていません。)

もう一つは、もちろんシンクロです。

マナサロワール・アカデミーを訪れる日の早朝、それまで滞在していたポカラの宿のバルコニーにフクロウが来て、私とバチッと目があい、朝食をとりながら旅の仲間たちにそれを思い切り吹聴しました(その後、午後からのリサーチに集中したため忘れていました)。午後カトマンズに飛び、学校訪問。授業見学と校長インタビューを終えて挨拶を済ませ、帰り際に校舎を振り返ると、壁にババーーーン!とフクロウの絵!「見て見てっ!」と教えてくれたのは旅の仲間でした(吹聴しておくものですね)。

この10年の間、チベットを巡る情勢は残念ながら良くなったと言えません。中国共産党の圧政に抗議するチベット人の焼身者はすでに150名(!)を超えました。2008年の北京オリンピック開催への抗議デモの際には、この学校の女性の先生達も参加しネパール警察からボコボコに殴られたといいます。そして日本もネパールも、かつて経験したことのないような大きな災害に見舞われました。しかしどんな状況の中にあっても、その度、互いに励まし合い、乗り越えて来られたことは幸いといえるでしょう。

一般財団法人天真会の道友、木村悟郎さん(10年前からネパール在住/NGOマヤネットワーク運営)も、私たちの友人として毎年の学校訪問に同行し親交を深め、今では週に一度、子供達に天真体道(と少し日本語)の号令をかけてくださっています。よってこの学校の子供達は天真五相などの極意を知り、私たちと体技を通じた共通言語を持っています。とても嬉しいことです。

私たちはこれからも、子供たちの成長を見に、現場の方々を励ましに、そして私たちの顔を見せに現地に行きます。短い滞在時間ではあっても「自分たちを応援する人がいる」と実感してもらうために、わざわざ行くことが大事だと考えているのです。支援していた子供達の何人かは既にこの学校を巣立ち、私たちの訪問時にはサプライズで会いに来てくれます。フクロウに出会ってから10年。まさに時間の贈り物です。ちなみに校舎の壁にフクロウの絵があったのはあの時一度きりでした。

ところで13の月の暦では、フクロウは自己存在の月のトーテムで、「私の奉仕はどのような形になるのか?(What is the form my service will take?)」と問いかけます。この10年、主に自己存在の月を選んでネパールを訪問してきました。今年は縁あって、思いがけずバクタブル(リトルブッダの撮影地で、ネワール彫刻最高傑作と称される「孔雀窓」がある世界遺産の街)を10年ぶりに訪れることができたのですが、今回ネパールでの全ての予定を終えて帰国の途につく際、カトマンズ・トリブバン空港の壁にそのレプリカを発見して驚きました!そうです、クジャクに見送られての出国です。クジャクは倍音の月のトーテムで、「自分自身に最高の権限を与えるには?(How can I best empower myself?)」と私たちに呼びかけます。

私たちの活動も10年を経て、「形を定義する」フクロウから「輝きを授ける」クジャクへと移行の時期が来たのかもしれません。支援活動というと一方的に助けることのように思われるかもしれませんが、実は全く逆だと肌で感じています。もちろん、私たちは専門家ではありませんから、運営にあたって素人ゆえの苦労や小さな煩わしいことは普通にあります。時間も作りださねばなりません。それでも、私たちの方がこの活動によって支えられ、たくさんの喜びを与えられているのは確かです。「人は助けるものに助けられ、大切にするものから大切にされ、愛するものから愛される」という我々の師、青木宏之先生の言葉の通りです。今までは、ひたすら夢中で行ってきた活動ですが、これからは、私たちの経験をより広く分かち合って行けたらという希望をもっています。

さしあたり、来年2018年4月から、マナサロワール・アカデミーのおチビさんの教育支援枠をあと3名増やそうと決めました。その子供達にも今年会いましたが、みんな目の中に入れても痛くないほど可愛い子たちばかり。支援にご関心をおもち方はお問い合わせいただけたら幸いです。いつも私たちの活動を支えてくださる方々、ご関心を持ってくださる方々に、心からの感謝を捧げます。合掌。

NPOクリカfacebookに、今年2017年の訪問記録と写真が UPされていますので、よろしければ是非合わせてご覧ください。

プレゼントMAおチビさん達チベタンダンス
天真体道D握手握手レッスン 

卒業生達と全員集合ヒマラヤ

★追記1:マナサロワール・アカデミーを卒業した一人、ティンレーが「この学校の何もかもが恋しい。できることなら戻りたいくらい!」と話してくれた。卒業してから、自分は本当に素晴らしい学校に通っていたんだなと気づいたそうだ。

★追記2:

10年前、マナサロワール・アカデミーを最初に訪れた時には、チベット系住民たちの住む集合住宅ビルの中の数室を借りて、授業が行われていました。ところが数年前に突然、ビルのオーナーが建物を売りに出すと言ってきたのです。買い取らなければ学校ごと追い出されることになるという、学校存続自体の危機もありましたが、世界中の複数の支援団体からの資金協力もあり、奇跡的にマナサロワール・アカデミーが建物を買い取ることができました。結果として、建物全体の使用が可能となり教室のキャパが増え、今では生徒総数が当時の二倍以上。500名近い子供達が学べる環境が整っています。その際にお心を寄せて下さった皆様には、この場を借りて深く感謝申し上げます。

また、2年前のネパール大地震の際には、カトマンズでは山間部ほど被害が大きくはなかったものの、私たちの支援する子供達の一部も家屋崩壊などの被害にあい、野宿やテント暮らしを余儀なくされたり、校舎の一部も修理が必要な状況となりました。その際にも、呼びかけに応えてくださり、少なからぬご寄付を寄せて下さった皆様お一人お一人に、心から感謝申し上げます。その際は、カトマンズ在住の天真体道の私たちの道友、木村悟郎さんが、私たちのかわりに即、動いてくださり、物心両面でマナサロワールの子供達、教員の方々を支えて下さいました。悟郎さん、いつもありがとうございます!

ちなみに、この学校の校舎として使われている建物はロの字型で、真ん中が(吹抜でトップライトの)明るい中庭となっているのですが、この中庭は超マルチスペースであります!私たちを迎えてくれるチベタンダンスや歌の舞台となり、毎日の朝礼も読経も、天真体道や音楽も、ランチや試験も、すべてこの中庭で行われます。中庭に面して校長室とキッチン、3歳児達の教室が回廊型に配置されており、学年があがると教室も2階、3階へと移って行くのですが、それぞれの階の回廊から中庭を眺められる構造になっています。つまりは、誰もが中庭という中心で繋がっている素晴らしい学び舎!まるで水晶の円卓(笑)!

この学校で過ごした子供達は、この【へその緒】的な中庭空間を生涯絶対に忘れることはないのだろうな、といつも思うのです。

地球に感謝し、叡智を讃える平和の瞑想

2017年11月07日 00:58

自己存在の月20日 (G11/6) KIN167 青いスペクトルの手 (by D)

「地球に感謝し、世界に伝わる叡智を讃える平和の瞑想」が、11/26(KIN187)に呼びかけられている。



今では珍しくなくなったこの手の呼びかけ(世界同時◯◯)に対し、私は時間感覚の変容もあって(特定の時計時間に合わせる事に馴染まなくなり)、シェアしたり呼びかけたりする気持ちが起こらなくなって久しい。しかし、今回はシンクロニシティが幾重にも重なり、自然とシェアしたい気持ちになった。という訳で、まずはイベントの概要から整理してみたいと思う。

【実施日】11/26(KIN187)。
【趣 旨】この日、ル・シエル財団が主催する会議がNY国連本部で行われ、財団によって世界中から選ばれた「地球の叡智を伝える12賢者」が集う。この12人のマスター達と共に世界平和のための瞑想を行い、地球に感謝し、地球上のあらゆる叡智の伝承に賛同するという明確なメッセージを送る。重要なのは共通の意図でひとつになることであり、誰でも、どこから参加するのも歓迎。
【方 法】
同じ日に同じ意図で瞑想する事がポイントであり、細かい手法は特に定められていないし、瞑想の専門家である必要もない。趣旨に賛同する方は、リンク先ページに情報を記入する事で、それを世界に向けて表明し、集いを呼びかける事もできる。

ページには、記入状況が視覚化される世界地図があるので、私達も日時と場所を決めて近日中に記入するつもりでいる。参加者が一人でも二人でも、書き込む事で共鳴場が広がって行くと思うからだ。地球そのものと自然に対する先人の知恵に敬意を払い、人類の精神的調和を望むのであれば、是非、この記事を読まれている皆様にも記入をおすすめしたい(どこまでの情報を書くかも自由に選べるようになっている)。もう少し詳しい背景を知りたい方は、財団のサイトを読んで頂ければと思う。


さて、以下は、このイベントにまつわるシンクロメモである。と同時に、今回、財団からの呼びかけをシェアし、積極的に協力する気になった背景でもある。ル・シエル財団は、文化的、精神的、環境的プロジェクトを通じて、世界規模で調和と生態を回復させるという使命をもって設立された財団である。この財団が、私達の天真体道(剣武・天真書法・瞑想・新体道)の師である青木宏之先生を12賢者の一人に選び、幹部メンバーが来日した経緯については、「エクスカリバーと水晶の円卓 & The Twelve」という記事にまとめた通りである。

その後、予定の一部が変更となり、当初10月下旬とされていた会議が上記の通り11月となり、会議と連続して行われる予定だったシンポジウムは来年に持ち越しとなったが、それとリンクする形で私達は急遽ポーランド行きを決めた。幾つかの候補地の中から、最終的にポーランドを選んだのは、以下の理由による。

(1)コペクニクス生誕地で世界遺産の街トルンの美術館に収蔵された自分の書作品「葦」を見に行く
(2)コペルニクスが学んだ古都クラクフにあるダ・ヴィンチの作品「白貂を抱く貴婦人」を見に行く

(1)の背景については【トルン市東洋美術館収蔵作品「葦」】にまとめた通りで、(2)の方はメルマガで連載中のフィレンツェ・ダヴィンチシンクロの流れから来ているものだった。さらに、ポーランドに関するシンクロが重なったのも理由の一つだ。

ちょうど260日前のKIN167(G2/19)、ル・シエル財団のメンバーは東京で青木先生へのインタビューを行っていた。前日(G2/18)の剣武天真流体験時のものを含む何枚かの写真を、後日(ヴォーグ誌等で世界的に活躍している)カメラマンとして同行していたメンバーの一人、ティンコがまとめて送ってくれたのだが、その時、文末に添付されていたリンクを何気なくクリックしてみると、何と彼はもともとポーランドにルーツを持つ貴族のプリンスである事が分かった。加えて、G2/18(KIN166)の剣武稽古には、財団とは全く別なルートで体験参加したポーランド人女性もいた。

それまでの人生で、ポーランドの方と絡んだ覚えは無いのだが、トルンへの出品をきっかけに回路が開いたかのようだった。実際、ポーランド航空のワルシャワ直行便が2016年のLの誕生日から開通したばかりである事や、『レオナルド・ダ・ヴィンチの秘密』の翻訳者である上野真弓さん(味やコスパに厳しい方)が書かれた、ポーランド料理を絶賛する記事を目にするなど、様々なシンクロが続いたのだ。

そして、いつもの事ではあるが、ポーランドへのフライトチケットを押さえた後も、そうしたシンクロは加速し続けた。しかも、思いがけないような形で。G10/2(KIN132)『ドリーム』という映画を見た日に、私達が管理しているFBページ「ドリームスペル時間船地球2013の旅」に「dreamspell journey by valum votan & bolon ik」というページが「いいね」をして来た(リンクを辿ると「時間の法則財団(FLT)」が始まる前まで公式サイトとされていたトルトゥガ・コムのFB版である事が分かった)。

それをLに知らせ、Lが自分のPCで検索をかけると、何とPAN-Polandという名前が上から2番目に出て来た!ちなみに、PANとはPlanet Art Networkの略で、「13の月の暦」ユーザーによる自律的運動体の事を指す。確かに、この暦の使用者は世界中にいるが、ポーランドに仲間が居る事など今まで知らなかったのだから、このタイミングに登場するのは驚き以外の何物でもなかった。おそらく直前にdreamspell journeyの記事を彼らが引用した事と関係して上位に表示されたのだと思われるが、今、同じ検索をしてみても出て来ないのだから、まさに針の穴を通すようなシンクロだったと言える。

そこで、せっかくならとメッセージを送ってみると、クラクフで会おうという事になった。ただ、彼らもクラクフからかなり離れた場所(北西方面に車で10時間余りの所)に住んでいるらしく、ノリも「流れに任せて〜」みたいな感じなので、本当に会えるのかどうかは、半々な感じであった。何しろ、私達がクラクフに到着した時点でも、具体的な会合の日時はまだ決まっていなかったのだ。

結局、滞在最終日となるG10/29(KIN159)の夜にヴァヴェル城の「竜の像」の前で会おうと、彼らが指定して来た。幸い、こちらも望んでいた事はほぼ全て終えられて、後は帰るだけ(翌朝チェックアウト後そのまま帰国)という状況だったので、タイミングは完璧であった。ただ、この日は明け方から天気が荒れていて、宿泊先から至近の公園でも暴風で大きな木が根こそぎ倒されるなど、非日常的な雰囲気にも満ちていた(ニュースでも中欧各地で死者が出た事が報じられていた)。

クラクフ木 ★ヤギェウォ大学前の公園にて

日中は多少落ち着いて、時折青空が見える事もあったが、雨混じりの冷たい風は夜になっても吹き続けていた。待ち合わせのヴァヴェル城は、夏に封切られた映画『ギングアーサー』のキャメロット城そのままのイメージで、王宮には戴冠式に使われたという「エクスカリバー」のような剣が展示されていて、城の地下には竜が棲んでいたと伝えられる洞窟がある。その洞窟の出口付近に作られた竜のオブジェの前で、私達は無事落ち合う事ができた。

PANPoland.jpg ★PANポーランドメンバーと。後ろの13は偶然。

嵐のKIN159(3・嵐)に、Yaro(5・嵐)、Julia(1・風)、Monika(7・風)という3人と会う事自体がシンクロだったが、彼らにしてみても「7・竜」の私に会うならヴァヴェル城の竜の前で、と思っていたらしい。Yaroも私もジョッシュ(KIN211)に捧げられた『時空のサーファー』に大きな影響を受けている事が分かったが、実はこの日(G10/29)は、私よりぴったり30日前に生まれたジョッシュ(KIN211)が他界してから、ぴったり30年というタイミングでもあった。

それは同時に、「時間の法則に関する世界会議(1997)」で、アグエイアス夫妻から未来の子供達を代表して「13の月の暦」を受け取る役を演じた丸山貴彦氏(剣武天真流本部正師範)が生まれてからぴったり30年である事も意味していた。さらに、私達にとっては、二子玉川で人生初の4重虹を見てから3銀河スピン(780日=火星会合周期)というタイミングでもあった。この日集った5人の「銀河の音」の合計が「30」になったのも、偶然ではないのだろう。

虹の橋 ★クラクフ中央広場Yaroが投影した虹の地球

Yaroがスマホで、黄色と黒のチョウがツォルキンのKIN260の場所から黄色と黒で描かれたフナブ・クの図に飛ぶ映像を見せてくれたので、私も『霊性のアート 心の豊かさを育む技』のP108に掲載した青い虫の写真(手帳の月の絵の所に飛来した)を彼らに見せた。その日付はKIN187で、当時はマヤ長期暦大周期の完了20日前のサインかと思っていたが、『霊性のアート』が完成した時、その中で一番記しておきたかった図がP187に掲載された事を知った。

青い虫 

「青い手」の日付にはカトマンズで偶然出会った「13人のグランマザー」との繋がりもあるので、以下に日付を整理してみる。
2012.11.11(KIN167=11・手)カトマンズで「13人のグランマザー」に偶然出会う(主催アマ・ボンポ)。
2012.12.01(KIN187=5・手)自由が丘駅で「青い虫」が「13の月の暦・手帳」に止まる
2012.12.21(KIN207=12・手)マヤ長期暦大周期の完了(13.0.0.0.0)

この「13人のグランマザー」と「12賢者会議」が、同じ関係者によって呼びかけられているのを知った経緯は、前出のブログ記事「エクスカリバーと水晶の円卓 & The Twelve」にも記してあるが、普段カトマンズにいるアマ・ボンポが、20日後の「NY12賢者会議」で青木先生と同じ場にいると思うと、不思議でならない。

ポーランドの3人に出会った日の朝、私達はテレビでクラクフ出身のヨハネパウロ2世の像が完成したというニュースを目にしていた。気になって調べてみると、ヨハネパウロ2世が第264代ローマ教皇に選ばれたのは1978.10.16(KIN211)。Yaroと私達を結びつけたジョッシュの誕生KINと同じだった。加えて、古都クラクフが最初の世界遺産「オリジナル12」に選ばれたのも1978年。それから39(13×3)年して青木先生が12賢者に選ばれた事になる。

両剣水晶 ★上がYaroからの贈り物。下は今年横浜ナディアで手に入れた両剣水晶

「青い虫」をPANポーランドメンバーに見せ、Yaroから両剣水晶をプレゼントされた翌日(G10/30=KIN160)、ワルシャワで国内線から国際線に乗り継ぐ間に、ル・シエル財団のFB記事で、上記の呼びかけを目にした。呼びかけられている日付は「青い虫」からぴったり7銀河スピン(=5年-5日)目に当たるKIN187(5・手)。5年前も今年も、月日の「銀河の音」が重なる「魔術の亀の日」となるスペシャルデイである事が判明した。

ドリームスペル13の月の暦)』のツォルキンにおいて、地球軌道と対応する「青い手」のキーワードは「遂行/知る/癒し」、「倍音(5)」のキーワードは「輝き/授ける/命じる」。黄色い水晶の種(12・種)の年に「12人のマスター」を国連に集めるル・シエル財団も素晴らしいが、その一人が日本人だというだけでなく、青木先生だというのが私にとっては何よりもの驚きであり、喜びである。

思えば、「世界同時◯◯」の走りとも言える平和の祭典「ハーモニック・コンバージェンス」(1987)は、「13の月の暦」の提唱者であるホゼ&ロイディーン・アグエイアス夫妻が呼びかけたイベントだった。1990年に『ドリームスペル13の月の暦)』が発表されて以降は、毎年「時間をはずした日」(G7/25)に、集合的な祈りや瞑想、祝祭が呼びかけられて来た。

水の結晶写真で世界的に知られるようになった江本勝所長が、「水に愛と感謝を捧げる日」を「時間をはずした日」にシンクロさせるようになったのも、アグエイアス夫妻との交流があったからだが、その経緯は、2012年にヒカルランドから出た江本所長との共著『銀河のマヤ、聖なる時の秘密』に記した通りである。この本のカバー絵(シャスタ山の写真)は、偶然にもカトマンズで「13人のグランマザー」全員に見てもらっている。

そういう意味で、今回呼びかけられている「12賢者と共に行う世界平和の瞑想」は、私にとって、青木先生、江本所長、アグエイアス夫妻という先人達全てのエネルギーが収束した特別な意味を持つイベントなのだ。12人のマスターは、前日の11/25(KIN186)から会議をスタートする予定で、その日、丸山師範と私は「魂振りNight2017」のオープニングで剣武の演武をさせて頂く事になっている。

奇しくもこの日は、ダ・ヴィンチ(KIN186)の794回目の銀河の誕生日であり、上記『銀河のマヤ、聖なる時の秘密』の発刊7銀河スピンのタイミングに当たる。そしてそれは、来年の私の太陽暦誕生日の260日前にも当たっているのだ(来年の「運命の道筋」がKIN186になるという事)。

24年前に新体道の稽古を始めた時、22年前にIHM(江本所長の会社)に入社した時、21年前に『時空のサーファー』を通じて「13の月の暦」を知った時に、こんな日が巡って来るとは全く想像もしていなかった。しかし、時は来た。まずは、11/25(KIN186)の「魂振りNight」オープニングをしっかり務め、11/26(KIN187)には瞑想を通じてひとつに繋がりたいと思う。そして、KIN186、187にご一緒できる方は、是非、共に輝きましょう!

ポーランドの旅−カチンスキ大統領96スピン

2017年11月06日 01:08

■自己存在の月19日(G11/5)KIN166 白い惑星の世界の橋渡し(by L)

クラクフはとても美しい街だ。中央広場の聖マリア教会の高い塔(81m)からは、夜も休まず24時間毎時、時を告げるトランペットの演奏が聞こえてくる。その演奏は、あるところまで来ると「ピタッ」と中断される。この塔で、13世紀にモンゴルの襲来を告げるためにラッパを吹いていたラッパ兵が敵に喉を射られ、演奏の途中で命を落としたことを、市民たちが今も追悼し続けている行為なのだという。ポーランド市民の、祖国と同胞を思う気持ちは深い。

聖マリア教会.jpg ★クラクフ中央広場の聖マリア教会。左側がトランペットの塔。

ポーランドに関する多重シンクロは、これから少しずつ書き重ねていくだろう。しかし今日は、カチンスキ大統領のことを書こうと思う。今日でなければならないから。

2010年4月10日、レフ・カチンスキ大統領夫妻とポーランド政府要人・軍人を乗せた飛行機が墜落。96名の乗員全員が死亡する事件があった。飛行機は、「カチンの森事件(*)」70周年の追悼式現場(現ロシア西方)へと向かっていた。(*戦時中のソビエトによるポーランド人捕虜数万人の虐殺事件。正確なことは明らかにされてない)

カチンの森とカチンスキ大統領という名前の一致。同胞の追悼に向かった飛行機が、現場近くの森で墜落し乗員(ポーランド要人)全員が亡くなるという二重の悲劇。2010年の事件当時、ニュースで知って大きな衝撃を受けたものの、ポーランドとは特に接点もなく、この事件のことはその後すっかり忘れていた。しかし旅の下調べをしているうちに思い出し、この事件が、私たちがこれから向かう国で起こったことなのだと、急にリアリティーを感じる様になった。そして、以下の情報に触れた時には、正直戦慄を覚えた。

「大統領一行を乗せた飛行機は、ツポレフ154M型/機体記号101/96名全員が他界。」

今回の旅のスタートはKIN154から。KIN101は私の反対のパートナー、日航機123便事件当日のKIN、そしてD16歳の誕生日だ。また96は、シャンバラの数であり、Dの誕生日は8月12日(8×12=96)、私の誕生日(1月14日)のPCUは96。今回初利用のポーランド航空の日本就航は昨年の私の誕生日。ゆえにポーランド航空就航日PCUも96である。(成田ーワルシャワ直行便は、往路LO-79/帰路LO-80便と自分のメモのために書いておこう。ついでに昨年の誕生日に買った羽布団の羽がポーランド製だったことも。)

ところでこれを書いている今日は、皇太子殿下(1960年2月23日生)の誕生KIN166。81スピンの完了。お誕生日PCUは159(これが後で効いてくる)。
カチンスキ大統領(1949年6月18日生)も、誕生KIN166。存命であれば96スピンの完了。同じくPCUは240。
大統領夫人マリア・カチンスカさん(1942年8月21日生)は誕生KIN15(美智子皇后陛下と同じ)。PCUは260。

これら一連が何を意味するのかはわからないが、私たちが何故このタイミングでポーランドに行ったのかの材料が揃っている。少なくとも私たちにとって、カチンの森事件とカチンスキ大統領は記憶に刻まれる。知ってほしいと時空から呼びかけられたのだ。しかし世界中の誰もが普通に注目している事件というわけでも無いだろう。戦時中のカチンの森事件はソ連(現ロシア)にとっては自分たちの罪と認めたく無いし、敗戦国ドイツの仕業となすりつけたい。ドイツはドイツで、もちろん逆のことを言っている。戦後、周辺他国の影響下にあったポーランドでは、長年、強力な抗議もできなかっただろう。更に2010年の飛行機事故の原因は、ロシアによる暗殺説から、カチンスキ大統領のパイロットに対する無謀な着陸命令が事故原因という説まであり、真相はわからないままだ。

世界には、意図的に封印された、あるいは無きものとされた、我々の知らない様々な事件があるのではないか。しかし、あるものはことのほか大きく取り上げられ、あることは世界中が見て見ぬふりをする。無きものとされたり、逆に捏造されたりもする。国と国のパワーゲームの材料として、人々の苦しみや悲しみが政治利用されてる事柄があまりにも多いように思う。

私たちは今回「負の世界遺産」として世界中から見学者の集まるアウシュビッツに行くつもりは、最初から無かった。犠牲となった方々にはもちろん心からの哀悼を感じているし、子供の頃から私にとってクラクフといえば、アウシュビッツの代名詞だったほどだ。

しかし一方、たとえはカチンの森事件の扱われ方はどうだろう?
東京大空襲や原爆投下による大虐殺は?拉致被害者は?
今も戦火や圧政、独裁に苦しむ人々へ、世界の目は等しく向けられているだろうか?
中国はチベットに何をしつづけている?
アウシュビッツが悲惨でなかったとは決して言わない。しかし特定の「負の世界遺産」にギュッと人々の目を集めようする働きがあることも事実であろう。私はそこに意図的に偏った視点を植え付ける動きを感じてしまう。今の日本のマスメディアが行っている情報操作と同じではないか。

声を大にして言おう、クラクフは本当に美しい街だ。私にとってクラクフは、麗しい古都として記憶されつづける。食事、特にスープが美味しくて、人々は素朴で優しい。ポーランド=「平らな土地」を意味するというが、私はこの旅で平らかな視点を広げてもらえた様に感じている。

ヴァヴェル大聖堂 ★ヴァヴェル大聖堂

カチンスキ大統領夫妻は、現在クラクフのヴァヴェル大聖堂地下に埋葬されており、夫妻のお墓には、市民から色とりどりの大量の花々が手向けられていた。

(カチンスキ大統領96スピンに、とりあえず思いつくまま記録する。)


最近の記事