イーストウッドの美学

2017年12月30日 22:28

律動の月18日 (G12/30) KIN221 赤い宇宙の竜 (by D)

クリスマスイブにイーストウッドの『許されざる者』を観た。我が家で「何を観よう?」となった時に役立つのは『荒木飛呂彦の超編愛!映画の掟』。荒木先生(KIN10)のツボは私達とかなり被っているので、この本を参考にすればまずハズレは無い。他の要素はどうあれ、ツボさえ押さえられていれば「いい映画だった」という感想になる。

もちろん『許されざる者』もそうだった。モーガン・フリーマンやジーン・ハックマンなどの共演者もいい味出していたが、それ以上に「何を重んじているか」「何を描こうとしているのか」という所に納得感がある。多分、そこにこそイーストウッドの美学があるのだと思うし、それが私達にも響くのだ。

この映画、公開日に関する面白いシンクロがあった。米国で1992.9.7(KIN51)、日本で1993.4.24(KIN51)。つまり、米国公開からぴったり260日後の同じKINに日本で公開されたのだ。G4/24はダ・ヴィンチ(KIN186)の太陽暦誕生日でもあるのだが、ここから色々な繋がりが見つかったので、以下、自分用にメモしておく。

許されざる者』は、イーストウッドが2人の師に捧げた映画で、その一人は何と『荒野の用心棒』の監督セルジオ・レオーネであった!『荒野の用心棒』は、「11・嵐」の年の「12・嵐」の日にフィレンツェで体験した劇的シンクロがきっかけとなって注目した映画で、その縁に刺激されてフィレンツェから戻って4日後の2016.9.10(KIN5)には観ていた、という経緯がある。この映画で主人公を演じたイーストウッド(KIN233)が、レオーネをそこまで尊敬していたとは全く知らなかった。

フィレンツェの旅でのキーマンは、ダ・ヴィンチとモリコーネで、二人はKIN186という時間で繋がっていた。現地で滞在最後の夜に思いがけず耳にした生演奏が、モリコーネによる『荒野の用心棒』のテーマ曲だったと判明したのは、帰国してからの事。ダ・ヴィンチの生誕565周年とLの79銀河スピンが重なった2017.4.24(KIN231)は、『許されざる者』の日本公開24周年でもあった訳だ。そして、その上映時間(131分)は、この映画を見た時点でのLの「運命の道筋」(KIN131)ともシンクロしていた。

荒野 ★『荒野の用心棒』のワンシーン

ところで、1929.1.3(KIN240)生まれのレオーネは、『荒野の用心棒』を始めとするマカロニ・ウェスタンのシリーズだけでなく、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』という映画も監督している。大学入学時のオリエンテーションの場で「好きな映画は?」と聞かれた時に、思わず口にしたタイトルがこの映画だった事だけやけに鮮明に憶えているのだが、自分にとって「映画らしい映画」という印象が強いのは今も同じである。

イマジネーションを刺激する音楽、それと見事にマッチする映像、描かれている時代や人物、そして物語の中の時間経過の見せ方。そういうところに、私は「映画らしさ」を感じているのかもしれない。今回、改めてレオーネについて調べる機会を得たおかげで、私は驚きの発見をした。何と、レーオネとモリコーネは、小学校の同級生だったというのだ!歴史に残るような音楽家と監督のこの関係は、それだけで映画になりそうな話だ。

さて、昨夜はアマゾンプライムのお試し期間の宣伝にまんまと乗せられて『グラン・トリノ』を観る事になった。荒木先生が紹介しているイーストウッド作品なら何でも良かったのだが、無料で観られる作品である事と、タイトルに惹かれるものがあるという理由で何となく決まった。

にもかかわらず、イーストウッド演じる今回の主人公は、何とポーランド系米国人のコワルスキーという人物だった。かなりいい加減な根拠で選んだ映画だったのに、またまたポーランドが来てしまうのは、年明け最初のイベントを「スープ王国ポーランドの秘密」にした事と関係しているのかもしれない。

グラン・トリノというのが、フォードの車名だというのが分かったのは劇中での事で、その車名がイタリアのトリノに由来するものだというのは、映画を見終えた後に確認して分かった事だった。自分が初めて訪れたイタリアの街がトリノだったから、それもあって何となく選んだ映画ではあったが、フィレンツェでの劇的体験から巡り巡ってこう繋がって来るとは思っていなかっただけに、新鮮な驚きがあった。

許されざる者』と『グラン・トリノ』の終わり方は全く違うようでいて、その筋は、場面設定が違うだけで、殆ど同じ事を描いているように思える。そして、その原型は『荒野の用心棒』にあるとも言えよう。レオーネモリコーネ、イーストウッド。本人達の私生活については知らないが、彼らが作り出したものや作品を通じて描こうとした所には、深く共感できるものがある。

映画についてのメモはここで終わりで良かったのだが、自分がトリノについて書いた記事が何かあったはずと検索してみると、トリノの学校でKIN118(1・鏡)に剣武天真流の演武をした事を、KIN131(1・猿)にUPした記事が見つかった(魔術都市トリノの聖なる引力)。

今日のサイ時間単位はKIN118で、2017.1.1(KIN118)ともシンクロしていたので、「白い鏡」から始まった1年の終わりに、年の初めの時間と、トリノという空間にアクセスするサーフィンを楽しめた事に感謝しつつ、このメモを終える。


追記:「青いスペクトルの嵐の年」の間に、思いがけず2回訪れる事になったフィレンツェ。2回目最後の滞在日は20
17.5.31(KIN8)で、イーストウッドの87歳の誕生日に当たっていた。

「最古の聖書」とクムランの暦

2017年12月28日 23:10

律動の月16日 (G12/28) KIN219 青いスペクトルの嵐 (by D)

4日前の日曜夕刻、気分転換を兼ねてPC作業をさせてもらおうとツタヤ家電に赴いた。席を確保し、コーヒーもゲットして「さあ始めるか」と思って眼前の注書きをふと見ると「土日祝日のPCの利用はご遠慮ください」の文字!なにィーーーッと思いつつ、パッと切り替えて気になっていた本を読む事にする。

が、その本の検索結果は「在庫なし」。仕方がないので店内の近場を適当に流していると、講談社学術文庫のコーナーで『死海写本最古の聖書」を読む』というが目に止まった。クリスマスイブという事で無意識的に「聖書」に反応したのかもしれない。

長居するつもりは無かったので、全7章のうち第4章の「クムラン宗団の思想」(P137~177)だけ読もうと決めた。ちなみに、クムランとは死海の北西にある丘陵地の名だ。荒野の40日とシンクロする40ページのうちの後半10ページは、何とクムラン宗団(エッセネ派)の暦についての話だった。

そこには、1年364日(7日52週)の太陽暦を基礎としつつ、354日の太陰暦も考慮された太陰太陽暦(3年に一度30日の閏月が入るタイプ)だった可能性がある事が記されていた。終末論とも結びついていたこれらの暦は、神学的営みそのものでもあったという。

バビロン捕囚の期間が70年で、そこから終末までが490年と見なされていたというのもその一例と言える。70週=490年(ここでは週=7年の意)という表記もあり、70がキーナンバーとして様々な所に登場する事も書かれていた。奇しくも2017年は写本発見からほぼ70年。最終的に972見つかった写本のうち、最初に発見された死海(クムラン)写本は7つ。

その日の「13の月の暦(ドリームスペル)」ツォルキンは「7・鷲」で、その神秘のパートナーは「7・白い世界の橋渡し」だったが、「世界の橋渡し」のキーワードは「死/等しくする/機会」。まさに神秘の働きで、全く予期せず『死海写本死海文書)』を40ページだけ読む機会を得たのだった。

念のため「あとがき」だけは目を通したが、そこではっきりしたのは、「聖書」が完成形の教えとして唐突に出現したのでは無かったという事。著者の土岐氏は、その事を以下のように表現されている。

”紀元前後頃、あるいはもう少し後まで、ユダヤ教にせよキリスト教にせよ、固定化された「聖書」は存在しておらず、「聖書」についての考え方は非常に柔軟であり、流動的であった、と言うことができる。”

おそらく、ほぼ全ての聖典や「教え」は、そうしたプロセスを経て徐々に形成されたもので、ある時点で(政治的に)力のある強い立場の者から強制力が働いた時に固定化された、と考えるのが自然だと私は思う。

そもそも人間は、同じ出来事に遭遇し、同じ言葉を聞いていても、各人の背景(成長過程での体験その他)によって、それを全く異なった意味合いで受けとってしまう事がありうる存在である。この事は、何かの探求をするに当たって、常に念頭に置いておく必要があるポイントだと思う。

地図 ★フィレンツェ・ラウレンツィアーナ図書館のプトレマイオス図(今回の内容とは直接関係はないが死海の位置はこの地図の中央左付近)

ちなみに、「最古の聖書」で検索すると、「レニングラード(サンクトペテルブルク)写本」とか「アレッポ写本」などが多くヒットする。「死海写本」がヘブライ語聖書(旧約聖書)の最古の写本を含んでいるのは確かだが、今回、私が手にした本で主に取り上げられていたのは、現在「旧約聖書」として知られているものには含まれていない、当時のクムラン宗団の「教え」であった。

それ故、『死海写本最古の聖書」を読む』というタイトルに対しても、著者が「あとがき」で注意を促しているのだが、「売り上げ」につながるタイトルを付けたがるのは出版社の性みたいなもので、読者の側がそれを理解していないと、そこから「勘違い」が拡散して行く事になるのである。

「13の月の暦」をパクって、あちこちの解説文をゴッタ煮的にツギハギしただけの「偽・マヤ暦」が、日本では「マヤ暦」として広まってしまっているのも、情報の受取手である読者が、何の疑いもなしに本のタイトルや中身を鵜呑みにしてしまう事に、ひとつの要因があると私は思う。

情報が複雑化している現在、最低限の調査と検証くらいはして「見る目」を養って行かないと、騙されている事にすら気づかないまま、偽情報の拡散に無自覚に加担してしまう事になるだろう。各宗教の聖典が共通して「欲」の抑制を訴えているのは、それが「思い込み」を増長させ「目を曇らせる」ものであることを、見続けて来たからではないだろうか。

最後に、死海写本(文書)の一部は、写本を保管しているイスラエル博物館のサイトで閲覧する事が可能である事をメモしておく。

時空間の楽譜

2017年12月26日 22:57

律動の月14日 (G12/26) KIN217 赤い太陽の地球 (by D)

今日のお昼、行きつけの「Time&Space」に行くと、入り口に近い席に漫画家(タレント?)の蛭子能収さんがいて目が合ってしまったので、思わず「蛭子さん、こんにちは」と挨拶した。少し前に実家で「ぐるナイ」の「ゴチになります」というのを見ていて、蛭子さんが全額を支払うシーンを目にしていた関係で、最近会った気になっていたのかもしれない(笑)。

気になって調べてみると、その放映は12/14(KIN205)で、蛭子さんはゴチ第22戦のゲストだった事が判明。普段は全く見ない番組なのでゲストかどうかも知らなかったが、「13の月の暦」では今日が22週目の最終日。KIN22は、この暦の提唱者の一人ロイディーンの誕生KINでもあるから面白い数字シンクロだ。

そこで蛭子さんの誕生日を調べると、1947.10.21のKIN81(3・竜)。何と、今の私の「運命の道筋」とシンクロしている!1947年は2日前に出会った「死海写本」情報(これについては改めて書く予定)とも絡むし、長崎の天草出身というのも、同じく2日前に届いた『日本武術達人列伝』(本書の最後に青木先生が登場されている)の著者・長野峻也氏と重なる。私の中では、前夜Eテレで放映されていた『ソラリス』との繋がりも感じるのだが、キリがなくなるので本題に入ろう。 

TS外 

クリスマスに「13の月の暦 TIMESCORE」を共同制作しているみよこみよこさん(KIN101)から、来年どこかで展示会がやれたらいいねという話があり、今日、出掛けにLの閃きで「Time&Spaceに聞いてみよう」という事になった。日によって混み具合がまるで違うのだが、私達が訪れた時は、幸い蛭子さんと連れの方以外おらず、そのお二人もすぐに店を後にされたので、色々な事を一気に確認する事が出来た。

TS壁 TS中央 

詳細は時を見て改めてお知らせするが、2018年6月に「Time&Space」で「TimeScore展」を行う事はほぼ決まったので、速報としてここに書いておく。実は、この場所で「13の月の暦」関連の展示ができるのは、私達にとって大変感慨深い事なのだ。

何故なら、この地に「時間&空間」という名のこの店が生まれたのは2013.7.5(KIN143)で、『ドリームスペル 時間船地球2013の旅』を含む全銀河ツールの目標点だった2013.7.26(KIN164)「銀河の同期」の21日前の事。まさに「銀河連盟は静かにやって来る」を地で行く出来事であった。

ちなみに、その開店記念日は、現在6名いる「時のからだ塾」の塾生・近藤さんのカレンダーラウンドの日でもあった事が後に判明。KIN143だけでも凄い確率だが、カレンダーラウンドまで同じという事は、近藤さんとTime&Spaceは、365日暦で見ても260日暦で見ても「同じ時間的存在」という事になる。

振り返ると、この波は天皇誕生日の12/23(KIN214)に一つの発端があるように思える。この日、私は「調波と(コドン)」というタイトルで、特別バージョンの暦クラスを行なっていた。この日のサイ時間は、みよこみよこさんと同期するKIN101。参加者にはKIN143の近藤さんも含まれていた。

041Book_Front.jpg 

世間に出回っている「マヤ暦絡みの情報」は、ほぼ全て『時間の法則の20の銘板』(以下「銘板」)という銀河ツールに由来を持つ。自分で情報の出所を調べない人は、こうした事実も知らずにデタラメな説明を無自覚に、そしておそらくは「自分は良いことをしている」と信じて流布しているが、「銘板」のマニュアルには以下のような一文がある。

”「普遍生命の書」の64のウル・ルーンとコドン・キーは、『経』の64のまったく新しい施し(体制)であり、それはちょうどドリームスペルやテレクトノンがマヤ暦の新しい施しであるのと同様である。”

つまり、『13の月の暦』にマヤ暦的解釈を混入したり、『銘板』に経の解釈を混入させるのは、全くの見当違いなのだ。誕生のプロセスを知るために古典を当たるのは良いが、そのツールが何を目的にしてどう使うものなのかを押さえておかないと、結局、本質を見失う事になる。

事実、『銘板』では、陽のを「時間」、陰のを「空間」として、その土台から新体制を構築しており、64の名前も意味も古典そのものとは直接的には関係が無い。ポイントは13:20のリズムを通じて、を特定の手続きで意識して行くところにこそあるのだ。

この「銘板」を16年に渡る実践期間の間、弛まずプレイし続けて来た私にとって、その総仕上げのタイミングに「Time(時間)&Space(空間)」という名のお店が自宅から至近距離に誕生した事は、それだけで十分すぎるほどのOKサインであったが、以降、週一以上のペースで通うようになるほど、感覚的にも響く場所になるとは思っていなかった。

また、みよこさんと共同制作している「13の月の暦」にTIMESCOREという名を付けた背景には、「銘板」の中に16枚あるスコア(総譜)が念頭にあったので、今回、そのTIMESCORE関連の展示をTime&Spaceで行えるのは、もう本当に望外の喜びなのだ。しかも、以下に示す通り、そのタイミングも完璧である事が後からわかった。

まず、T&S店主のSさんはG12/8生まれのKIN154(11・魔法使い)で、これは私達が結婚し二子玉川に越して来た時の年であり、先のポーランドの旅の初日でもある。現在のSさんの道筋はKIN199で、これは「銘板」が発表された「時間の法則に関する世界会議」が東京で開催された年である。

こよみ屋さんの『13の月の暦・手帳』(以下「手帳」)では、今日までの1週間はP114に掲載されているが、これはジョン・レノンの誕生KIN114とシンクロしており、ジョンが他界した1980.12.8(KIN214)はSさんの誕生日とシンクロし、そのKINは「調波と(コドン)」クラスを開催したG12/23ともシンクロしている。そして今日のサイ時間KIN104は、日本にこの暦の情報を紹介して下さった高橋徹さんの誕生KINだ。

さらに、展示予定期間は、2018.6.1(KIN114)〜6.30(KIN143)だから、ジョンで始まり、会場の誕生7銀河スピンの日に完了という事になる。ちなみに、KIN143はマイケル・ジャクソンの誕生KINでもあり、思いがけず出会った蛭子さんの現在の道筋はKIN151で、『ドリームスペル』の配布受付開始日でもあった。

きっかけとなったメールからたった2日で決まった話の中に、これだけのシンクロが詰まっていたら、もはや見えざる次元からの銀河的な指令として受け止めるしかないだろう。計画は「13の月の暦」の6月(律動の月)、実施はグレゴリオ暦の6月。

「完全数」の「6」についてFB「水晶の円卓」で書いたのは、明日のKIN218「神殿瞑想」に絡めての事だったが、ここでもやはり「6」が来ていて、Time&Spaceから多摩堤通り経由で帰宅する僅かな距離の間に、11-66,66-66,666というナンバーの車を続けて見た時には「もう十分です」という気分になっていた。


追伸:『20の銘板』の裏面にスコア(総譜)があり、表面にはクロノグラフがある。そのクロノグラフの数え方を続けた場合、今月はKIN6(6・橋渡し)に対応する。6・橋渡しは6•6と書ける。

レーリヒ「平和の旗」と「13の月の暦」

2017年12月13日 23:03

律動の月1日 (G12/13) KIN204 黄色い太陽の種 (by D)

『13の月の暦』では、今日から6番目の「律動の月」に入った。28日周期の暦で5ヶ月、20日周期の暦で7ヶ月、すなわち元旦から140日が経過したこのタイミングには、2つの暦の関係が、元旦と同じ「1日、黄色い種」という状態に戻る(*1)。

20日周期は古代マヤのハアブ(365日暦)に順じたもので、こよみ屋さんが出しているA3カレンダーの裏面にも掲載されているが、あくまで区切り方が同じというだけで、古代のものがそのまま継承されているのでは無い事に注意する必要がある(*2)。

今日から始まった8番目の「モル月」に添えられた「断片のすべてを統一し」という一文も、私の知る限り『テレクトノン』のマニュアルに掲載された情報が初出である。ちなみに、テレクトノンパレンケの「碑銘の神殿」と関係が深い銀河ツールだが、今日のサイ時間KIN69は「碑銘の神殿」の中央階段69段とシンクロしている。

さて、KIN204となった今朝、私が最初に思い浮かべたのは、ニコライ・レーリヒリョーリョフ)というロシアの人物だ。シャンバラを探し求めて中央アジアを旅した探検家にして画家で、その「文化による平和」の精神は、「平和の旗」と共にアグエイアス夫妻の「13の月の暦に替える平和の運動」にも引き継がれた。

事実、アグエイアス夫妻がこの暦の情報を携えて世界中を巡っていた時、会場には常に「レーリヒ平和の旗」が掲げられ、2001年にはその活動を讃えたアルタイ共和国が夫妻を招いている。思い出したが、それはまさに「黄色い太陽の種の年(KIN204)」の始まりで、出発前に日本に寄った夫妻に、何故かLが私の写真を渡した関係で、私は写真を通じて二人と共にアルタイを訪れている(笑)。

その後、アグエイアス夫妻が使っていた「平和の旗」が、高橋夫妻を経由して私たちの手元に届けられた事は、『シンクロニック・ジャーニー』に記した通りである。そんな事もあって、今日はレーリヒ誕生からどれくらい経過したのかを、計算してみたくなった。そして、その結果、今日そうしたくなった理由が分かった。

レーリヒの生没年は1874.10.9(KIN204)〜1947.12.13(KIN134)。つまり、ぴったり70年前の今日、この世を去っていたのだ!レーリヒが生まれた日(KIN)から201銀河スピン(201×260)というタイミングでもあった今日は、レーリヒの生と死の時間が重なる、極めて特別な日だったのである。この現象は52年に一度しか起きず、少なくとも「13の月の暦」が誕生してからは初めて生じた事である。

DSC01782.jpg ★レーリヒが最晩年を過ごした家で「平和の旗」と

しかも、70年前のその日に他界した場所は、ヒマヤラのクルー渓谷。『シンクロニック・ジャーニー』P137に私と写っている「平和の旗」は、13年前に訪れたレーリヒメモリアルトラストという場所で撮影したものだが、それはまさに、クルーにあったレーリヒの自宅跡をそのまま活用したミュージアムであった。

さらに、「201」という数にも私は驚きを隠せなかった。何故なら、3日前のKIN201に行われた「時のからだ塾」で、冒頭伝えたのは、『7:7::7:7』におけるKIN201は「時間をはずした月」(2012年冬至を含む「律動の月」=5年前の今日を含む28日間)という特別なひと月に対応する、という話だったからだ。

関連で、もう一つ書き添えておきたい事がある。今日、午前中の天真体道瞑想クラスでは、PANポーランドのYaro(KIN239)から預かった双剣水晶と共に瞑想したのだが、45日前にポーランドで出会った時、彼がクラクフ中央広場にプロジェクターで投影した数枚の映像の中にも「平和の旗」は含まれていた。

IMG_3080.jpg IMG_3085.jpg ★世界遺産の古都クラクフ中央広場にて

「平和の旗」にある3つの円は、科学、芸術、宗教を表しているという(*3)。昨年、渋谷で開催した《時の魔法・ドリームスペル展》で展示した「平和の旗」は、もちろんアグエイアス夫妻から継承されたものだが、然るべき機会があれば、できるだけ公開して、より多くの方に「平和の運動」としての「13の月の暦」の使用を喚起したいと思っている。

平和の旗 ★昨年の《時の魔法・ドリームスペル展》より

この根本の精神さえ押さえていれば、細かい使い方など後からどうにでもなる、というのが長年この暦について伝えて来た私の率直な感想だ。10日後のKIN214(G12/23)に行われる「時空のサーファークラス」も、初心者にはちょっと?なところがあるかもしれないが、「文化による平和」「改暦による平和」というコンセプトにピンと来る方なら、全くの初心者でも心配はいらない。

尚、クルー渓谷にあるミュージアムについて、私たちが知っている最新情報は、2013年にNYのレーリヒ美術館を訪れた時の様子をまとめたメルマガに詳しく書いてあるので、そちらを参照頂ければと思う。そして最後に、没後70周年を記念する情報を一つ。『シンクロニック・ジャーニー』P70には、アグエイアス夫妻がアルタイに招かれた経緯が、レーリヒと関連付けて書かれている(今発見した)。


(*1)13ヶ月の「惑星奉仕のウェイブスペル」で見ると、1-6-11という「倍音パルサー」に対応する月にこの現象が生じる。

(*2)365日暦の元旦をG7/26で固定しているのは『13の月の暦(ドリームスペル)』であり、古代のハアブでは、異なる日付に元旦が巡って来る。この辺りの事は『マヤのリズム』に詳しく整理してある。

(*3)確認のために開いたレーリヒ著『シャンバラの道』(中央アート出版社)のP397に驚くべき記述を発見したのでメモしておく。「アメリカのドル紙幣の裏側に印刷されている目が描かれたピラミッドの絵(フリーメーソンの象徴)は、レーリヒ発案になるものだという。」(引用おわり)。前にも読んでいるはずだが、今日、新たに発見した気分。

トークイベント【スープ王国ポーランドの秘密】1月8日

2017年12月09日 00:07

倍音の月25日(G12/9)KIN200 黄色い倍音の太陽(by DL)

新春トークイベント【スープ王国ポーランドの秘密】
〜2018年1月8日(祝・月)14:00〜16:30〜

トマシャのおじさん クラクフ1のポンチキ コペルニクスのスープ
by Daisuke & Rangzen Obara

旅に出ると、そこでしか味わえないシンクロを「これでもか!」という位、沢山体験させてもらえます。そしてそれは魂の変容を加速させるのです。

2017年秋、私たちは、ワルシャワ直行便の就航から急速に注目を集めつつある国ポーランドを旅しました。多重シンクロに導かれた旅で知ったのは、想像以上に食べ物が美味しく、人の優しい美しい国だという事。聖地、聖剣、ダ・ヴィンチ作品など、絶対に見逃せない情報と、シンクロを見出し、紡ぎ出す手法を、現地の映像・数々の写真を交えながら皆さまにお伝えします。どうぞお気軽にご参加下さい。


スケジュール
【日時】2018年1月8日(祝・月)14:00〜16:30
【場所】東京/九品仏(東急大井町線)お申込の方に詳細をお送りします。
【参加費】3,300円(クリカ稽古会員2,200円)
*定員がありますので、参加ご希望の方はお早めにお申込みください。

お申込み方法
お手数ですが、下記の4項目をコピー&ペーストなさり、必要事項をご記入の上、メール(←クリック)にてお申し込みください。その際メールのタイトルを【ポーランド】として下さい。追って受付メールを返信いたします。

1【お名前】
2【〒ご住所】
3【お電話(携帯)番号】
4【クリカの稽古会員の方は、稽古クラスをお書き添えください。】

*お寄せ頂いた個人情報はいかなる場合においても外部へ漏らす事はございません。
*敏速な返信を心がけておりますが、通信事情等により、ごくまれにメールが届かないケースがございます。申込メールをお送り頂いた後、2日間経ってもこちらから返信が届かない場合は、大変お手数ですが、再度メールをお送り頂けますようお願いいたします。





ソラリスにコンタクト

2017年12月06日 02:43

倍音の月21日 (G12/5) KIN196 黄色い磁気の戦士 (by D)

アンドレイ・タルコフスキー監督の『惑星ソラリス』がソ連で公開されたのは1972.3.20(KIN151)。それからおよそ40年(正確には40年-40日)後の2012.2.8(KIN151)、『ドリームスペル』日本語版(第2刷)の配布が公式窓口で始まった(2016.11.4=KIN60に窓口からの配布は終了した)。

日本に『ドリームスペル13の月の暦)』を紹介された高橋徹さんが、しばしばご著書の中でタルコフスキーについて取り上げられていたので、「青い銀河の猿(KIN151)」を通じたこの繋がりには、興味深いシンクロを感じる。

加えて、今日は日本で『惑星ソラリス』が公開された1977.4.29(KIN196)から、ツォルキンがぴったり57回巡ったタイミング。ソラリスについて書くには、もってこいの日だ。だが、何故、今『ソラリス』なのか?
ソラリス

きっかけは、今から40日前のKIN156(G10/26)にあった。時のからだ塾MLで、メンバーの近藤さんが映画『Ryuichi Sakamoto:CODA』の上映(G11/4〜)について知らせて下さったのだ。この日、私達はポーランドに居て、ワルシャワからクラクフへと鉄道で移動していた。

帰国後のKIN171(G11/10)に『CODA』を観に行き、坂本が『惑星ソラリス』から強い影響を受けていた事を知った。その昔、何となく観たような気はするが、内容は全く覚えていないので(もし観ていても理解出来なかったのだろう)、近いうちに観てみようという事になった。

世界瞑想」が行われたKIN187(G11/26)、兵庫島公園で一緒に瞑想を行ったメンバーとランチをする中で、ソビエト映画『惑星ソラリス』とアメリカ映画『コンタクト』が話題に登ったこともあり、翌KIN188(G11/27)、久しぶりにDVDを借りてみようと思い立つ。

どちらを先に借りようか迷ったが、原作者のスタニスワフ・レムポーランド人だという事をDVDのケースを見て初めて知り『惑星ソラリス』に決定。帰宅後、2つの映画とレムについて調べる中で、面白い発見が続いた。

レムは1921.9.12(KIN172)の生まれで、クラクフの名門ヤギェウォ大学に学び、2006.3.27(KIN88=10・星)にヤギェウォ大学病院にて死去。SFデビュー作の『金星応答せず』というタイトルが、本人の死とこの事を調べたKIN188(6・星)の両方にシンクロしていた事に驚く(ドリームスペルで「星」は金星軌道と対応する)。

さらにKIN88は私の父の誕生キンで、私達がKIN156(10/26)から4泊した宿は、ヤギェウォ大学から100mほどの場所にあった。もちろん、予約した時点ではレムとの関係など全く知らなかったし、恥かしながら私は(そしてLも)、この著名なSF作家の存在すら知らなかったのである。尚、クラクフに着く前日にトルンの「星の下の家」で自分の書作品に出会った事は、少し前の記事に書いた通りである。

CODA』の中で『惑星ソラリス』のシーンを見たのがKIN171(G11/10)で、日本での公開が1977.4.29(KIN196)だったと知った事で、私は「こちらが先で正解」というお墨付きをもらった気分になった。なぜなら、私達は2004.4.29(KIN171)に伊勢で結婚の報告をしているからだ。

潜在意識に響く映画『惑星ソラリス』の影響は殊の外大きく、使用されていたバッハの『イエスよ、わたしは主の名を呼ぶ』(BWV639)の旋律とも相まって、私達はある種の変性意識状態へと誘われた。それがほぼ落ち着いたKIN193(G12/2)、ようやく『コンタクト』を借りる気になった。

この日はシャンバラ教室があったのだが、教室への道すがら「帰りにコンタクトを借リよう」と、私は心に決めていた。すると、教室に来たIさんが「家を片付けていたら出て来たので」と、おもむろに『コンタクト』のDVDを手渡して下さるではないか!あまりのタイミングに驚きつつも、ありがたくお借りする事にした。

コンタクト

確かに、KIN187の「世界瞑想」にIさんが参加され時、『コンタクト』を薦められてはいたが、その時はDVDを持っている等とは一言も口にしていなかったのだから、この日、私が「DVDを借りよう」と決意していなくても、きっと驚いたと思う。

それに、もしKIN188(G11/27)に、私が『惑星ソラリス』のケースをよく見ず、先に『コンタクト』の方を借りていたりしたら、教室のある日に「借りよう」という決心はしていなかっただろうし、そういう状況でDVDを渡されても「ちょっと前に借りてしまって…」で終わっていた事だろう。

ものごとには「時」があるものだが、これほどタイミングと順番がピタッと来ると爽快な気分になる。『コンタクト』も『惑星ソラリス』に負けず劣らず長い映画なので、この日(KIN193)は半分くらいまで見て終了。翌KIN194(G12/3)、再び「時のからだ塾」の近藤さんがMLで、「NHK100分de名著」明日から「ソラリス」です、と驚きの情報をシェアして下さった。

クリカの会員として定期的にお会いしている人(というよりも会員になるような縁ある方)とは、自然とシンクロ率が上がるものだが、近藤さんやIさん級になると(他にも複数いるが)、そういうのに慣れている私達でもビックリさせられる。しかも、このタイミングで『ソラリス』とは!

その6日前までスタニスワフ・レムの存在すら知らなかったし、テレビもほとんど見ない私達は「100分de名著」などという番組がある事も、この時まで知らなかったのだ。そういう状況で、観たばかりの映画『惑星ソラリス』の原作小説が4週に渡って取り上げられるという知らせは、衝撃的であった。それに、私達にとっては、レフが暮らしたクラクフの印象もまだ色あせていないタイミング。全くもって、驚くべき脚本家が居るものだ。

満月だった昨夜(KIN195)、『コンタクト』の続きを観てから、小説『ソラリス』を「100分de名著」の中で再体験し、『惑星ソラリス』日本公開日から57銀河スピンの今日KIN196に『コンタクト』を見終えた。ちなみに、『コンタクト』は1997.7.11(KIN29)に米国で公開され、同年9.13(KIN93)に日本で公開された(この日は父の57歳の誕生日と母の誕生KINがシンクロしていた日)。

このブログを書くにあたり、高橋徹さんが度々タルコフスキーについて触れていた事を思い出し、確認するために、まず『マヤン・カレンダー』のあとがきを開くと『タルコフスキー日記』からの引用をすぐに見つける事ができた。

次に『ワクワク・セカンドライフ』という本を適当にパラっとめくると、P138に「五十二歳の映画監督、イタリアでの亡命宣言」という見出しが目に飛び込んできた。その一行目は何と「ロシアの映画監督、タルコフスキー(1932〜1986)は、自分の五十二歳の誕生日にイタリアにいました。」だった!毎度の事ながら、この一発出し技にも自ら驚かされる。

ダ・ヴィンチ繋がりでイタリアからポーランドという流れがあった2017年、タルコフスキーからスタニスワフ・レムに繋がり、そこから再びタルコフスキーに戻ってイタリアに至るこの流れは、まさに時間魔術そのものだ。

ちょうど『ドリームスペル13の月の暦)』のツォルキンでは、今日から16番目の「戦士のウェイブスペル」に入った所。紋章コードNoとウェイブスペルNoが一致するのは、「基本の地球家族のウェイブスペル」の時に限られる。それは同時に、城とウェイブスペルとKINの色が一致し、多次元的に方位が重なる特別なポイントのひとつでもある。

そんな日に、ツォルキン7列目(調波33)KIN132生まれの羽生善治棋聖は、前代未聞の「永世7冠」を達成した。
『テレクトノン』における「失われた7つの世代」では今日が3日目。7日目のKIN200(G12/9)には、横浜ナディアでその「失われた7つの世代」を取り上げる暦のクラスがある。この文を目にしてピンと来る方なら、それがサインである。

秋の九品仏にチベットを発見!

2017年12月04日 01:16

■倍音の月19日 (G12/3) KIN194 白い水晶の魔法使い (by L)

2017年・秋の九品仏。二子玉川から10分足らず、オススメの紅葉スポットです。

いままで何度も訪れていますが、今年初めて、日本人として最初にチベットに入った僧、河口慧海の記念碑を見つけました。石碑に光が当たるタイミングに居合わせたせいです。キラリと光る「ヒマラヤ」の4文字が目に飛び込んできて、よくよく読んだら河口慧海の石碑でした。

後で調べると、彼に関する石碑は世界に3つあり、一つは私たちが毎年訪れているボーダーのストゥーパ。一つは書の稽古場の前の九品仏。もう一つは同じ世田谷区の桜新町(河口慧海の住居跡とのこと)。いずれにせよ、チベットを身近に感じた午後でした。

九品仏2017 

ちなみに調べると、僧侶であり探検家でもあった河口慧海の銀河の署名は KIN179/青い惑星の嵐。これは、吉村作治氏(エジプト学者)、刀根山光人氏(メキシコを旅した美術家。彼によるパレンケ、パカル王の石棺拓本は世田谷美術館に収蔵されている)と同じであり、そして私たちが今年カトマンズから帰国した日のキンなのでした。冒険家、探検家、新しい意識の世界へ旅する人のキン。来年6月にはその世田谷美術館で、天真書法塾シャンバラ教室の書の発表会を予定しているので、とても楽しみなことになってきました。

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