ワン・チャンス

2008年05月01日 22:58

惑星の月28日(G5/1) KIN73  赤い銀河の空歩く者 (by D)
ワン・チャンス(←彼のアルバムのタイトル)を掴み、ポール・ポッツコンサートを体験して来た。3日前にその存在を知ったばかりだと言うのに、私は舞台に立った彼に、何故かずっと前から知っていたような懐かしさを覚えてしまった。確かに、彼が「本当の自分になる」瞬間の映像を何度も見たし、ネットにもパンフレットにも、今日に至るまでの彼の軌跡が描かれてはいた。しかし、自分が感じた懐かしさは、おそらく、今や著名人となって世界を巡るようになった彼の中に、まだ最初の映像で出会った時と変わらぬ誠実さを見出せた事から来るものではないかと思った。

一番上の3階席からだったので、流石に表情までは見えなかったが、その動きや慣れない感じの素朴で暖かなMC、そして「カルーソー」や「誰も寝てはならぬ」(最初の映像の曲)などスケールの大きな曲で特に伸びやかに放射されるエネルギーは、紛れも無くあの番組で観たままのポール・ポッツだった。観客やスタッフはもちろん、東京で歌える事になった全ての流れと関わった人々に感謝していたのも印象的だった。終了後、「何だか応援したくなっちゃうんだよね」と皆で言い合ったが、こういう人はきっと、精霊達など見えざる存在からも応援されている事だろう。それに、経歴を調べればわかるが、チャンスを掴む人は、やはりいつでも飛び立てる準備をしているものだ。

それにしても残念だったのが、このコンサートを企画したキョードー横浜の演出。韓流女性3人組を売り込みたいのは分かるが、一曲華を添える位でないと、かえって印象が悪くて彼女達もかわいそうだ。ポッツに触れたいと思って来た人からすれば、詐欺と言って良いくらい彼女達の出番が多かった(しかも、チケットはもちろん、当日配布の曲目にも一切そのアナウンスは無かった)し、ポッツの素直さ、誠実さが滲み出ていたコンサートだっただけに、尚更、その作為的で強引な企画・演出は醜さを際立たせていた。
 
あの映像は、ポッツ自身、審査員、観客、それぞれの喜びと驚きが直に伝わって来るもので、その力は映像を紹介した人、された人にも伝染し、関係する全ての人が喜びに包まれるという素晴らしい連鎖を生み出す。なのに、それに触発されて足を運んだ人も多いであろうコンサートで、誰も本当の喜びを感じられないような演出をするとは、一体どういう思考回路なのだろうか。私達の前にいた2人組みの方々は、遠方から新幹線でわざわざ来られていたようで、時間の関係だろう、最後から3曲目位のところで「ああ、あの曲(おそらく誰も寝てはならぬ)はアンコール用なのね・・・」と残念そうに呟いて席を立ち去った。誰の為の企画なのか、誰のためのオリンピックなのか、構造は同じだ。

ところで、3日前にポッツの事を知らせてくれた友人とは、実は、私達のHP&当ブログにも使わせてもらっている「FREE TIBET」のイラストを描いた、よしだみよこ画伯(以下みよちゃん)なのだが、今回の件では、ポッツのコンサートだけでなく、シンクロの醍醐味をも共に味わわせてもらった。というのも、彼女がミクシィで映像を紹介するよりも前に、私達は4/30(KIN72)に打ち合わせも兼ねて会う約束をしていたのだ。その彼女が、自分でもどうやって見つけたのか分からない映像をミクシィで紹介してくれていたお陰でまず私が感動し、セッションを終えた直後のLに興奮してそれを見せ、さらにそれに触発されたLが他のミク友の記事を覗きに行き、その記事に対するコメント(直接は知らない方の)からポッツの来日を知ったのだった。
 
そして、深夜にネットでチケットを手に入れつつ、すぐさまみよちゃんにもメールを入れた事で、彼女も来日の事を知り、もともと予定していた打ち合わせの後、一緒にコンサートに行く事が出来たのだった(他の人から来日情報は入っていなかったとのこと)。つまり、彼女は「これは素晴らしい映像だ」と思ったものを観て直ぐにミクシィで紹介した事で、全くそんな事は予期していなかったにも関わらず、結果的に最高に盛り上がるタイミングでコンサートに行く事が出来、私達もまたそれに便乗させてもらえたのだ。もし、誰か一人でも「後で知らせればいいか」みたいな気持ちを抱いていたら、せっかくのワン・チャンスを逃していた可能性は高い。あるいは、1ヶ月前くらい前に知っていたら、少なくともこの一連のシンクロを通じた興奮は味わえなかっただろう。
 
人に素敵なものをいち早く知らせる事で、結局は自らが益を得る。実に仏教的な体験と言えないだろうか。そもそも、ちょうど昨年のGWに、護国寺でチベット・フェスティバルが開催された時に、チラシに可愛らしいイラストを描いていたのがみよちゃんだったのだから(私達はあのイラストのお陰で、これまでチベットや仏教に関心の無かった人が大勢集まったのだと信じている)、私達はチベットと仏教を通じて結ばれた仲だとも言える(もちろん他の友人も関係しているが、その友人も含め)。そう思うと、ポッツという徳ある人に完璧なタイミングで出会えたのも、もとはと言えば、仏教とそれを生活の中で守り続けて来たチベットの人々のお陰なのかもしれない。私達がチベットの人々に対して「何かしなければ」と思うのは、きっとポッツの事を応援したくなるのと同じような理由によるのではないだろうか。

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