橋渡し

2008年08月13日 00:35

磁気の月18日 (G8/12) KIN176  黄色い共振の戦士 (by D)
 
2008・8・8(KIN172)の朝、仕事の関係もあって前夜から実家に泊まっていた私は、出掛けに母から「へーっ!」を連発するような話を幾つか聞かされた。どういう流れでそういう話になったのかは忘れたが、以下、手帳にメモった順に書いてみたいと思う。

私の祖父(母の父・故人)は、早稲田での学生時代、嶺さんという方と大親友になったらしく、後年、母が大学生活のため上京した際にも、よくその嶺さんの御宅に祖父からの土産物を運んだ事があったそうだ。そうした時に、何度か会った事のあるお嬢さんの一人が、何と現首相夫人、福田貴代子さんだと言う。それだけでも、かなりビックリな話なのに、その時テレビ画面には、まさに福田首相夫妻が映し出されたのだ!北京五輪開幕の日とは言え、あまりにタイムリー。しかし、これはまだ序の口だった。
 
話はさらに母の小学校時代へと遡り、1年から3年まで同級生だったチエコちゃんという人の話題になった。何でも、最近本家(盛岡の「ござ九」という雑貨屋さんで、NHK連続テレビ小説の76作目に当たる「どんと晴れ」ではロケ地にもなったらしい)に、そのチエコちゃんが久しぶりに訪れたとかで、7/6消印の母宛のハガキに、その事が書かれていたのだ。7/6と言えば、ダライ・ラマ法王14世(KIN14)のお誕生日。「13の月の暦」で1月14日(1・14→1・魔法使い→KIN14)に当たる日に、こんな話を聞く事になるのも面白い。
 
さて、そのチエコちゃん(と母の立場で呼ばせて頂くが)、聞けば、すえもりブックスの代表、末盛千枝子さんその人だと言うではないか!これには、「何だってー!」と声を出して驚いてしまった。なぜなら、私は、この出版社から出されている皇后美智子様のご講演録『橋をかける-子供時代の読書の思い出』を、数年前に行われた映画『マザー・テレサ』のロイヤルプレミア(美智子皇后ご臨席)の時に、参加者プレゼントとして頂いていたからだ。しかも、このロイヤルプレミアを主催したベルテック社は、仕事で扱わせてもらっているVIVOという水の製造・販売元であり、ちょうど実家にも、その数日前、ニューボトルが届いたばかりだったのだ。
 
それだけではない。すえもりブックスは、ダライ・ラマ法王のご縁で繋がった写真家の松本榮一さんとも(間接的に)関係があり、以前、松本さん宅を訪れた時に、その話題で盛り上がった事があるのだ。そんな状況で、半ば興奮したまま実家を後にしたのだが、日中の仕事を終えて自宅に帰った後も、さらにシンクロは続いた。LSD映画に刺激を受けて急に手に入れたくなった『現代人のためのチベット死者の書『アネモネ9月号』の見本誌が届いていたのだ。
 
死者の書』は、ユマ・サーマンの父で著名なチベット仏教学者のロバート・サーマンが解説したもので、ゾクチェン独特のリズミックな言い回しが何とも言えず、思わず声に出して読みたくなってしまう名著なのだが、何と、その口絵は、松本さんによるタンカ絵写真で飾られていたのだ!しかし、そもそもこの本は、LSD映画を観なければ、このタイミングで手にする事は無かったものだ。振り返ってみれば、あの映画に行くきっかけをつくったのは、『ダライ・ラマ ハートフル・メッセージ』を翻訳された鈴木さんだった。彼女がハワイの情報を求めていた事から、Lが友人のあまねさんと連絡をとったことで、直前に上映情報を知ったのだ。こうしてみると、ここでも法王にご縁を繋いで頂いているのがよく分かる。
 
ちなみに、『アネモネ』の方は、「受難と祈り、チベットを知る夏」のイベント情報を提供した事と、拙著『シンクロニック・ジャーニー』がプレゼントコーナーに掲載されている関係で送って頂いたものだったが、拙著の終盤には、松本さんと私が、中高時代の友人の裕君を通じて繋がった事が記されているので、やはりこのタイミングで届いたのは無関係とは言えまい。松本さんは、昨年、伊豆に引っ越しをされて、その後、何度かお誘いを頂いていたにも関わらず、なかなかタイミングが合わないまま今に至り、この夏、ようやくご新居に遊びに伺う予定が立った所だった。だから、尚更、このタイミングに、こんなシンクロを体験している事が面白く思えるのである。
 
ついでなので、『死者の書』シンクロをもう少し。この本が届いたのは、私が実家にいたKIN171(8/7)の夜だったのだが、このKINは、私達の結婚記念KINで、2004・4・29のKIN171からちょうど6スピンが経過したタイミングだった。LSDの開発者ホフマン博士は、今年の4/29(昭和天皇誕生107周年)に102才で他界されたのだが、そのホフマン博士の映画がきっかけとなって手に入れる事になった『死者の書』がKIN171に届くところが、また味わい深い。この日、ネットでは、ツタンカーメンの墓で(1922年の時点で)見つかっていた2人の胎児のDNAを鑑定する、というニュースが報じられてもいた。
 
私達がツタンカーメンの墓を訪れたのは、今年の3/3(KIN14=ダライ・ラマ法王)。そして、同日、新拠点マザーシップにお引越しした芳美さんのところで、オープニングイベントを行ったのが、ホフマン博士の他界した4/29であった。映画の事を伝えて下さったあまねさんは、この時のイベントに参加して下さってもいたのだ。『死者の書』と言えば、エジプトかチベットかと言われる位、世界的に有名になったその起源の場所が、日常体験の中でこうして繋がってくるのだから、興奮せずにはいられない。
 
ここで、もう一度8/8に戻ろう。五輪開会式を控えたこの日の早朝、北京では、面子にかけて晴天を維持するため、1104発もの消雨弾が放たれたという(余談だが会社事務所は1104号室)。同じ頃、日本では、皇太子様が、富士山に初登頂を果たされていた(20年前に8合目までは行かれたものの悪天候で引き返されているとか)。皇太子様の銀河の署名は「白い惑星の世界の橋渡し(KIN166)」で、現在の道筋は「1・世界の橋渡し(KIN6)」。安倍前首相の銀河の署名と同じである。五輪開会式への招待が打診されていた皇太子様が、このタイミングに日本の霊峰の山頂を極められた事に、私は特別な意味を感じている。
 
しかもそれが、中国に対して毅然とした(というか、普通にまともな)態度を取れた唯一の首相とも言える、安倍前首相の道筋の時に成された事にも、深い意味を感じざるを得ない。それが、美智子様のご著書『橋をかける』を強く意識させられた日の出来事であった事も・・・。そもそも「世界の橋渡し」は、惑星ホロンで日本のエリアに対応している上、キーワードは「死」「等しくする」「機会」である。この夜、五輪開会式に合わせて、世界中でキャンドルが灯されたのは、チベット問題を忘れない心ある人々の連携が、今も続いている証拠だ。そこにはもちろん、先のロバート・サーマンも関わっている。
 
今年の11/4、ダライ・ラマ法王はまた来日され、北九州で講演をされる。私達がこの春エジプトに行く事になったのは、昨年の11/4にツタンカーメンのミイラの顔が、一般公開される事になったのがきっかけだった。ダライ・ラマ法王が初めて伊勢に参拝されたのは2003年の11/4であり、私の父が他界したのは2001年の11/4である。縁起を担いで8の並ぶ日に行われる事になった北京五輪の開会式を観ながら、私は、「橋渡し」の象徴としての「死者の書」や「ミイラ」について、思いを馳せていた。日本は、そして私達は、これから何と何を橋渡しして行く事になるのだろうか。

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