フライト・チケット

2008年08月25日 14:35

月の月3日 (G8/25) KIN189  赤い共振の月 (by D)

磁気の月(G7/26~8/22)の終わりに、私達は、伊豆の松本榮一ご夫妻の新居を訪ねつつ、思い切り夏休みな時間を過ごして来た。1泊2日とは思えないような濃密さで、一回で書くのには少々無理があると思われるので、まずは初日のシンクロ・ダイジェストから。

伊豆高原駅から車で10分程の大室山の麓、緑の木立に囲まれた素敵な場所に、松本さんのお宅はあった。お昼にはまだ少し早い時間だったが、荷を解き、海の見える気持ちの良いテラスでお茶を頂いているうち、ランチの時間となった。カレー好きの私にはたまらないインド仕込みのベジカレーを頂きながら、話に花を咲かせていたとき、おもむろに、松本さんがお財布から1枚の紙片を取り出して「カワカミさんのだよ」と言いながら見せて下さった。そこには、「123便 8/12 18:00」という数字が並んでいたが、私は頭の中で「あれ?自分の誕生日だ・・・」と思いながらも、しばらくの間、それが日航機事故の生存者、カワカミ・ケイコさんのフライト・チケットのコピーだとは気付けなかった。それくらい唐突な感じだったのだ。

聞けば、それはお守りのようなものらしく、コピーにコピーが重ねられたせいか、線も文字も随分とゆがんでいる。しかし、到着してすぐのこのシンクロには相当驚かされた。何故なら、あの事故は、私の暦の活動とも深く関係しているように感じられるからだ。16歳の誕生日に起きたあの事故からほぼ16年後の2001年5月、自分が制作世話人をしていた『時間の法則の20の銘板』(日本語版)が完成した。易の64卦とDNAをリンクさせながら活性化させる、というこのツールには、「16年間のテレクトノン」というサブタイトルが付いている。

基金へのカンパ額から、約500部の制作が計画されていたのを、マヤ暦のツォルキン(260日暦)にちなんで520部にした時点では、日航機事故との繋がりは意識されていなかった。だからこそ、後に、4枚の「預言の銘板」を含む『20の銘板』の制作部数が、事故の犠牲者の数と一致していたのを知った時には、何か計り知れないものを感じたものだった(PCUで1.23に当たる日がツォルキンでKIN241=自分の銀河の署名であると知った事も含め)。そして、その時の4名の生存者の一人が、カワカミさんなのだ。松本さんが何故、急にそのコピーを見せようと思われたのかは聞きそびれてしまったが、少なくとも上記のような暦活動の背景についてご存じないはずだ。23年と9日前に、123便にトラブルが発生した相模湾上空を見渡せる場所で、思いがけず目にする事になったチケットを前に、私は静かなる衝撃を受けていた。

食後、強い日差しと共に青空が広がり始めて来たので、早速、海へ繰り出すことに。車で連れて行ってもらったのは、地元の人たちも重宝するという赤沢海岸。「赤い銀河の季節(KIN185~249)」の始まりの「3・赤い蛇」の日にピッタリの名前だ。50m程の可愛い砂浜に、ちょっとした岩場、海を見渡せる所には無料の温泉まであって(ただし日中駐車場代がかかる)、至れり尽くせりなビーチだ。この日の伊豆は、朝から肌寒く「海はちょっと無理かも」という気配だったらしいが、お陰様で程よい強さの陽射しが雲間から注ぐ感じで、ヤケドする事もなく、シュノーケリングを存分に楽しませてもらえた。海中の多様な生き物達に、普段以上に親しみを憶えたのは、「崖の上のポニョ」を観たせいだろうか。

夜は、再びテラスで恭さんお手製のご馳走を頂く。外で食べるのは本当に気持ちがよく、自然と食も進む。食べ終わる頃に小雨が降ってきたが、その後、また雲が途切れて星が見え始めて来たので、歩いて1,2分の所にある星空鑑賞ポイントを教えてもらい、満腹状態で道に寝転んでみた。東京では観られない数の星々が瞬き、人工衛星がスーッと横切って行く夜空には、ボンヤリと天の川も観て取れる。かと思うと、晴れ上がった星空が雷光で全体にパッと明るくなったりもする。何とも不思議な光景だ。しばらくすると、その雷光の源である雲があっという間に天を覆って来たので、部屋へ戻る事にした。家に辿り着いて間もなく、急に激しい風が吹き始め、雨脚が強くなった。「晴れ間」にライディングするこういう感覚も「時空のサーフィン」の一つと言えるかもしれない。

その夜、アンモナイト型のキャンドルを灯した部屋で、パイナップルを頂きながら伺ったディープなインド・チベット話は、私の記憶メモリーを大幅にオーバーする内容だったので、その辺りに興味のある方は、是非『ホテル・ガンジスビュー』他、松本さんのご著書を当たってみて頂ければと思う(つづく)。

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