真っ当な流れ

2009年10月03日 22:50

電気の月14日 (G10/3) KIN73 赤い銀河の空歩く者 (by D)

昨夜、ブログ記事をUPした頃には、「五輪候補地から東京落選」という情報は掴んでいたが、睡魔に襲われて何処に決定したのかまでは確認しないで寝てしまった。もともと、既にオリンピックそのものに殆ど興味を失っているのが最大の原因だが、これでも私は、体育が得意科目の一つだったし、「将来はオリンピックにも出てみたい」などと卒業文集に書いた記憶もある程、スポーツはやるのも観るのも好きだった。いや、今でも好きである。

だが、大人になって、金メダルを取った人が本当の実力トップではない事が分かって来たり、経済活性のためのカンフル剤的役割や、国威発揚に利用される側面の方が、競技そのものよりも重要視されているのが見えてきたりして、オリンピックに対しての興味は徐々に失われて行った。だから、昨年の北京などは、ごく一部の競技を除いて殆ど結果すら知らない。
 
どんな競技でも、最高レベルのフォーマンスには興味があるが、それなら各競技の世界選手権みたいなものを見れば済んでしまう話であり、全競技のメダル数を争う五輪という形は、もはや必要性を感じ無いのである。スポーツやれば、礼儀正しくなり人間性が高まる、なんていうのも現実を見れば幻想に過ぎないし、そろそろ五輪という巡回出店(でみせ)も店じまいして良い頃ではないかと思う。
 
ただ、今回のように、今まで開催したことのない国で行なうのなら、まだ多少は意味もあるかもしれない。そういう意味では、今回リオが選ばれたのは、至極まっとうな結果だと思う。南米大陸で一度も行なわれていないのに、同じ国で2度も3度もやろうとしている時点で、政治経済(要は欲と金)がらみのイベントという腐臭がプンプンしてくる。石原都知事は、その発言や態度の諸々が、前世紀的な下品オヤジという印象があるが(やってることも実際そうだが)、オリンピックが多少なりともまともな形になって行くとしたら、決して東京などで開催されてはならなかったのだ。
 
実は、暦の流れからみても、今回は、ブラジルが選ばれるのが自然だった。決戦投票が行なわれた日付は、コペンハーゲン時間では(というか極東以外ではほぼ)KIN72=「7・人」に対応していた。「人」の紋章は、惑星ホロンで南米大陸の殆どをカバーし、ブラジルは国全体がその中にすっぽり収まっているからだ。惑星ホロンは、アグエイアス夫妻がインスピレーションで地球を20のエリアに区切ったもので、明瞭な学術的根拠はないが、ワールドカップなどの勝敗の行方を眺めていると、結構、相関が見られて面白い図だ。
 
自民党の大敗、ポニョの舞台の裁判の行方、オリンピック開催地の結果・・・このいずれもが示すように、今、地球では、これまでに見られなかったように「真っ当な流れ」がどんどん加速しているような気がする。私はアセンションという言葉があまり好きになれず(現実逃避タイプの人が使うケースが多いので)、スピリチュアルな分野で語られ始めた10年以上前から、(ある部分意識的に)使うことを避けているが、もし、その言葉が示す何かが具体的にあるとしたら、それは特殊な現象を指しているのではなく、今、起きているこうした流れの事を指しているのだと思う。

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