虹の柱

2009年12月22日 05:55

律動の月10日 (G12/22) KIN153 赤い惑星の空歩く者 (by D)
 
私が、『虹の階梯』という本に出会ったのは、高校生の頃だっただろうか。ラマ・ケツン・サンポ氏と中沢新一氏に導かれ、私は、初めてチベット仏教の世界に触れ、その魅力に引き込まれた。それは、実質的に私とチベットとの出会いでもあった。ニンマ派に伝わるゾクチェンの深遠な教えは、私の心の奥に、何かとても重要なものを植え付け、その種が育って行く過程で、ダライ・ラマ法王をはじめとするチベットの人々との縁も深まって来たように思う。
 
私達が、チベット人の友人、ドルマと個人的に話すようになったのは、4年前の秋、『ヒマラヤを越える子供たち』の上映会があった頃からだった。パタゴニア渋谷店での上映会の帰り道、ケツン・リンポチェの『虹の階梯』との出会いが、チベットとのご縁の始まりだったと伝えたら、彼女は興奮しながら、彼(後に夫となるペムシ)が、今まさに、そのリンポチェの元で修行しているんだと、教えてくれた(電気の月「素晴しさの伝達様式」参照)。そして、持ち歩いていたリンポチェの写真を見せてくれたりしたのだった。
 
その2年後の2007年、NPOクリカとしての活動を始動するに当って、ネパールにリサーチに行った折、ついに、ケツン・リンポチェと直接お目にかかるチャンスが巡って来た。当時カトマンズに居たドルマのお兄さんにガイドをしてもらって、カトマンズ郊外のスンダリジャルにあるリンポチェのゴンパ(お寺)でお会いしたのだ。この時の詳しい様子は、かつて書いたメルマガ記事に譲るが、帰りにゴンパの方を振り返ると虹がかかっていた事、そして、その日からピッタリ7週間(49日)後に来日され、東京でもリンポチェの法話に参加出来た事などが、印象深く思い出される。
 
そして、ほぼ一ヶ月前のKIN122(G11/21)、今年も支援している子供たちに会いに、カトマンズへ行った私達は、ちょうどインドでのリトリートを終えてカトマンズに滞在していたペムシと、タイミング良く落ち合う事が出来た。今回の滞在は、NPO活動のためだけの短いものだったが、この日の午後は、時間通りに事が運ばない可能性が高いネパールの状況を考慮して、特に予定を入れずに空けてあった。前日、ペムシから、「リンポチェに会えるかもしれないよ」と伝えられていたので、思いがけない展開に喜んでいたのだが、何かが当ったのか、前夜一睡も出来ない程に激しくお腹を壊してしまった私は、午前中の子供たちとの面会に気力で立ち会うのが精一杯で、午後はホテルの部屋から出られない状態になってしまった。
 
程なくして、ペムシから、リンポチェも急に体調を崩されて、今日は面会が難しくなってしまったとの連絡が入った。思えば、この時の身体の感じを最初に味わったのは、2002年初旬にブッダガヤで行なわれたカーラ・チャクラの時だった。その時は、儀式を執り行われるダライ・ラマ法王が体調を崩され、中止になってしまったのだが、私も完全に体調を崩し、半分以上寝て過ごした経緯がある。後から考えれば、そのお蔭で、グラーツのカーラ・チャクラに参加する事になり、後の様々なシンクロへと発展する種を受取った訳だが、ブッダガヤで苦しんでいた時には、そんなことは想像すら出来なかった。
 
結局、今回は、台湾を経由して帰国するまでにほぼ体調は回復し、その後も怒涛のシンクロウェーブに乗り続けて、あっという間に2週間が経過。KIN138(G12/7)、石濱先生のブログで、ケツン・リンポチェの体調が思わしくないので、緊急告知という形でマントラを唱える呼びかけがなされているのを知る。この時、Lが、2年前にスンダリジャルを訪れた際のことを書いたブログ記事を見に行くと、何故か、そこに添付してあった虹の写真のデータが消えていた(その前後の写真は問題なく残っているし、自分達で消した覚えも無いのに)。今だから書くが、その時、「もしかしたら、リンポチェはもう肉体を離れられたかもしれないね」と私達は話していた。
 
果たして、その2日後のKIN140、石濱先生のブログを見に行くと、12/5には逝去されていたらしいとの報が掲載されていた。この日の早朝、ソウルに滞在していたLは、太陽と同じ方向(の大分離れたところ)に短く垂直の虹が出ているのを見つけて写真に収めていた。虹の身体になったリンポチェが、チラリとその姿を見せて下さったのだろうか。12/5(KIN136)は、今年最後の瞑想カレッジで、青木先生が1年のまとめなる極めて重要な教えを伝授して下さった日であり、KIN136は、7年前、私達がオーストリアのグラーツで、最初のカーラ・チャクラの灌頂を授かった日付(満月)でもあった。夜に、NHKでハトシェプスト女王についての番組が放映されていたことも、私には、大きなシンクロのように思えたが、ここでは、それをメモするだけに留めておこう。
 
私は、2年前に2つの質問をリンポチェにさせて頂いた。一つは、先に書いたメルマガに書いてあるが、もう一つは、「リンポチェが学び、マスターされた様々な貴重な教えは、次の世代の人々に全て伝えられたと思いますか?」というものだった。リンポチェは、「はい、伝えられたと思います」とおっしゃられたので、私は、何かホッとした気持ちになって、それ以上、質問する事が思い浮かばなかった。今、私は、リンポチェの記された『虹の階梯』を読み返している。リンポチェが伝えて下さった貴重な教えを、しっかり学んで心に刻むことが、供養になるのではないかと想像するからだ。
 
私は、バルドという言葉も、多分この本を通じて初めて知ったような気がする。ひとつの生から次の生への移行期間という意味で、日本的に言えば49日のことだが、KIN136に遷化されたのであれば、バルドが終わるのは、ちょうど「13の月の暦」での1年の前半の完了ポイント(1/23)とシンクロすることになる。『知恵の遥かな頂』という本を残して下さったリンポチェの遷化が、「知恵がわき起こる」というテーマでコード化された週の完了日にシンクロしたのも、おそらく偶然ではないだろう。こういう美しいタイミングにピタッとはまってしまうのは、自然と一体化した人々の、大きな特徴の一つなのだ。日本とも縁が深く、チベットに伝わる宝のような知恵を伝えて下さったリンポチェに、心のからの感謝を捧げつつ、冬至とシンクロしたこの記事を終わりにしたい。

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