風のたより

2010年07月25日 02:46

宇宙の月28日 (G7/24) KIN107 青い電気の手(by D)

昨日、先に紹介した『やさしくわかるアセンションナビブック』(以下、ナビブック)の見本誌が届いた。今日、立ち寄った二子玉川の駅構内にある書店でも、目立つ形で置いてあったので、そろそろ各地の書店にも並んでいるのかもしれない。

navibook
 
本の中ででコメントさせて頂いた通り、正直言って、私は「5次元がどうのこうの」とかいう意味でのアセンションには全然興味が無いし、2012年だけを特別視する見解にも特に賛同はしていないので、本の全体像を知るまでは、実はちょっとドキドキしていたのだが、手元に届いた見本誌をパラパラとめくってみて、まずはホッと胸を撫で下ろした。
 
もちろん、私の意見に手を加えず、そのまま掲載して下さるという話を聞いた時点で、「それなら大丈夫だろう」と感じてはいたし、だからこそ協力することも決めたのだが、様々な人が関わる出版の世界では、最終的な形になってみないと分からない事も多々ある。また、一見良さげに見えても、方向性に疑問を感じる場合もある。しかし、本書に限っては、それらは全て杞憂だったようだ。
 
感性に直接語りかけて来るような古代遺跡や自然の美しい写真、調和的な印象の装丁、ページ数をそれ程割かずシンプルにまとめながらも、必要なポイントはしっかり押さえているというつくり。マヤ暦をはじめとする各種情報についても、かなり正確で偏りのない記述がなされているし、様々な見解をそのまま並列的に掲載している点もバランスが良い。もし、アセンションという言葉に何かを感じるのなら、この本を窓口にしてみることを強く薦めたい(自分が出ているとかに関係なく)。
 
ところで、私がこの本の制作に協力しよう思った理由は、上記の他にもう一つあった。本書の企画編集をした会社の名前が「リクパ」だったからなのだ。一つ前の記事にも書いたように、私はG昨年末からボン教の波を強く感じていた。ボン教と言えばゾクチェン。ゾクチェンと言えばリクパという位に、それらは密接に関わっているので、本書の件で「リクパ」という会社から連絡が来た時は、相当驚いたし、実は打診内容を読む前に、もうインスピレーションではOKしているところもあった。
 
そもそも会社の名前などいくらでも自由につけられると言うのに、よりによってこのタイミングでリクパと来られては、もう逃げようがないという感覚だった。ことは、NPOの活動でご縁が出来たチベット・ンガリ・アソシエーション(カトマンズ)代表のひとことから始まった。2009年11月21日(KIN122)に、カトマンズの聖地スワヤンブナート方面に向かう車の中で、代表は、自分がボン教徒であることを教えてくれたのだ。詳細は、「ボン教とドリームスペル」そして「2600日の時の輪」に譲るが、そこから一気にボンとの繋がりが加速していったのである。
 
帰国して数日後、『智恵のエッセンス・ボン教ゾクチェンの教え』が手元に届いた時だったか、もう少し後だったかは忘れてしまったが、この本の発刊日が2007年1月15日(KIN122)で、カトマンズでボン教と繋がったKINとシンクロしていた事に気づいた時、私はこの波が大きくなるのを予感した。そして、ナビブックが届いた昨日、早速奥付の発刊日を調べてみると、その2010年8月8日もまたKIN122だということが判明した。
 
つまり、『智恵のエッセンス』が発刊されて1300日(260日×5)後、そして、カトマンズでボン教の話を耳にしてからはちょうど260日というタイミングで、ナビブックは(奥付上ではあるが)形になったのだ。しかも、リクパという会社が大きく関与して。実は、カトマンズにいたKIN122は、コールマン博士の本が出来上がって我が家に届いた日でもあった(当然留守にしていたが)。今回のナビブックで、コールマン博士のマヤ暦解釈が、複数ヶ所で引用されいることも考えると、これらの全てと、時間のエネルギーには深い相関性があることが分かる。
 
さらに、KIN122(5・風)のキーワードは、「輝き・授ける・命ずる」「スピリット・伝える・呼吸」である。『智恵のエッセンス』と『やさしくわかるアセンションナビブック』は、いわば4次元的な誕生日(ツォルキンでの誕生日)が同じということになる訳だが、どちらの本も、共に「白い倍音の風」のエネルギーに乗って、この世界に現れたことを考えると、少なくとも、日本におけるこれらの本の働きには、共通する何かがあるのかもしれない。
 
最後に、『智恵のエッセンス』のP72から、リクパについての説明を引用してみたい。リクパは、「明知」とか「純粋意識」などと訳されることが多いが、コンテクストによっては、色々と異なる意味合いで用いられることもある。従って、以下は、あくまでゾクチェンの見解としてのリクパだということを忘れないようにしたい。【瞑想の修行をしているときも、瞑想の修行をしていないときも、またこのリクパのことを理解しているときも、理解していないときも、このリクパは常にそこに存在している。】

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