仮想の幸福感

2010年11月17日 23:59

倍音の月3日 (G11/17) KIN223 青い月の夜 (by D)

Lが移動時用の文庫本を2冊を手に入れて来た。一冊は『桜井章一の「ぶれない生き方」』(桜井章一著/PHP文庫)、もう一冊は、『ユダヤ人大富豪の教え 幸せな金持ちになる17の秘訣』(本田健著/だいわ文庫)。どうしてこの2冊になったのかは、Lの直感としか言いようがないが、これがなかなか絶妙な選択だったことが後で分かった。

前者は、普段から頻繁に話題にしている”雀鬼”(裏麻雀20年間無敗の伝説を持つ)こと桜井氏の本で、よく見たら以前メルマガでも紹介した『雀鬼流』に加筆・訂正されたものだったし、後者もかつて漫画版を読んでいたことが判明。しかし、この2冊、非常によく似たメッセージを発信しているのにも関わらず、私の中では全く印象が異なるのだ。

実際、殆どの著書に目を通し、WEB上の日記も欠かさず読みに行く程のファンである雀鬼に対して、本田氏の方は、実質漫画一冊しか読んだことが無い。そこで今回は、「何がそう感じさせるのか?」という疑問を解くために、後者をじっくり読んでみることにした。それに、今日はG暦17日で、「13の月の暦」でも17週目。数字もそちらを推薦しているようだ。

結論から言えば、一気読みしたお蔭で自分なりにその原因がはっきりし、とてもスッキリした。以下にその点をメモするが、私の内面的な気付き等もリンクしているので、読んで頂いても「よく分からない」という方も多いかと思う。その点についてはどうかご容赦頂きたい。

本田氏のことを知ったのは随分前の事で、「幸せな小金持ちへの8つのステップ」という小冊子をあちこちで薦められたことに端を発する。正直、薦めて下さる人たちが、私にとっては(←これ重要)魅力を感じない方ばかりだったのと、冊子のタイトルにも全く引かれなかったので、結局目を通した事は無かった。それから大分経って漫画が出た時に、ようやく「ちょっと読んでみようかな」という気が起きて読んでみた。確かに素晴しい内容で、「なるほどなー」と思うところが沢山あったが、どうしてもどこかに違和感があって、結局それ以上探求する気にはなれなかった。

今回じっくり読んでみて、「ここが引っかかるんだ」とハッと気付いたのは、以下の点である。まず、P60の本田氏とその師のゲラー氏のやりとりを見てみよう。
 
「働かずに金持ちになるなんて、なんか、ずるくないですか?」という問いに対して「現在の世の中は、経済価値や喜びを与えた人間が豊かになるようになっているんだよ」とゲラー氏が答える。すると、本田氏は「そうか、人を喜ばせている分だけ、見返りにお金を受け取っていると考えればいいんですね」と簡単に納得してしまう。だが、私が引っかかったのは、まさにここだった。なぜなら、その「喜び」は、与えた者にとっても受取った者にとっても、「仮想の幸福感」であって、「無明」を増大させてしまうものが殆どだからだ。しかも、それは「仮想」故に、いくらでも創り出すことが出来る。これこそユダヤ式錬金魔術の核ではないだろうか。

自然の中の循環だけで、物質的にも精神的にも豊かに暮らしていたネイティブ社会に、「もっと便利で楽で豊かになれる方法がありますよ」と、本来必要の無いものを次々に売り込んで中毒にして行くのも、急成長する発展途上国で銀行がガンガン融資をするのも、家や車をローン購入させるのも、皆同じ構図ではないだろうか。それらは、一時的に「仮想の幸福感」をもたらしはするが、実は決してウィンウィンではない。仮に、最高にうまく機能してウィンウィンになっていたとしても、それはあくまで人間同士までの話であって、動植物や地球環境まで考慮して包括的に見ると、やはりバランスを崩す「無明」なる方向へと人々を向けてしまうように思える。

それから、各所で「お金を追うな」と書きつつも、ゲラー氏が定義する自由人と不自由人の分類法には、しっかりとお金が絡められているし、P63にある「金持ちになれば、多くの人を助けることができるということだ。お金に縁の無い人にはその力はない」というセリフなど、本の端々に「お金があれば」「お金がないと」という呪文がサブリミナルに効かせてあるのも、私には非常にひっかかった。もっとも、最初から「幸せな金持ちになる」というタイトルの本なのだから、そこにツッコミを入れる方がおかしいのだが、私はあくまで、本田氏の本に対して自分が感じる違和感の源を探っただけなので、そこは押さえておいてもらいたい。
 
ちなみに、上記の呪文は「幸福の前提条件としてお金は外せない」という考えを、巧みに潜在意識に刷り込む訳だが、かつて世界各地の先住民は別にお金がなくても十分過ぎるほど幸せに暮らしていたし、誰もが「多くの人を助けた」と認めるであろう釈迦やキリストだって、その布教時代にお金持ちだったという話は聞かない。つまり、私は「幸福」と「お金」を巧妙に絡ませているその書き方に「ひっかかり」を感じたのだと分かったのだ。

実質、雀鬼の本と異なる部分はそこだけかもしれないという位に、他は、素敵なエピソードや教えがちりばめられている。「自分が受取ったものを次の世代に無償で引き継ぐ」という偉大な智恵などは、先住民のそれとも何ら変わらない。だから「心だけでなく物質的にも豊かに」と本田氏に憧れを抱く人が一定数いるのも分からなくはない。しかし、その核心部分は雀鬼のそれとは決定的に違うし、私には、まさにそこにウソが潜んでいるように感じられた。最終的に、心が本当に自由に解放されるのはどちらのやり方なのか、そこをじっくり考えてみたいものでる。

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