パレンケ1320年のテルマ

2012年04月09日 05:01

■惑星の月5日 (G4/8) KIN210 白い月の犬(by D)

関西での最初の「ドリームスペル乗船配布会」を翌日に控えた太陽の月10日(G3/16)、手紙を整理していて、長い間どこに行ったか分からなくなっていた小さいスケッチブックが見つかった。そこには、13年前のちょうど今頃訪れたマヤ遺跡、パレンケとチチェン・イツァに関するメモがあった。

銀河ツール『テレクトノン』で、マヤが最も繁栄した10バクトゥン目と対応する10日にそうしたメモが見つかっただけでも、なかなか面白いシンクロだと思ったが、それが吹き飛んでしまうくらいの驚くべき発見がその後続いた。相当長くなるので、以下読まれる方はご覚悟を(笑)。

パレンケのスケッチは、「碑銘の神殿」の階段の数に関するメモで、ピラミッドの外側は上から9、13、19、19、9の合計69段で、考古学者アルベルト・ルスによって1952年に封が解かれたパカル王の墓室までの内部階段は、上から45(44)、22の合計67(66)段とあった(内部階段は一段だけ中途半端なものがあったので2つのメモがある)。

大阪でのセミナーを終えた私は、KIN190(G3/19)に、驚くべきシンクロに導かれて京都散策をした(この日の話は長くなるので機会を改めることにする)。KIN190がパレンケにご一緒した滝元さん(『マヤン・ファクター』監訳者)の誕生KINで、太陽の月13日(→9/13)が、『テレクトノン』において「碑銘の神殿」が完成したとされる長期暦の日付、9.13.0.0.0とシンクロしていることに気付いた私は、階段の数も日付なのではないか?と思いついた。

しかし、9.13.19.19.9という日付は、実際にはありえない。何故なら、右から2桁目(ウィナル)の数は、18になると桁上がりしてしまうので、表記としては17が最高になるからだ。しかし、これを無理矢理9.13.19.17.9より2ウィナル(40キン)分長い日付、つまり9.14.0.1.9の変形バージョンと見なすと、何とG暦712年1月1日となることが分かった。しかもこれを「13の月の暦」のツォルキンで換算すると今年2012年1月1日と同じKIN113になる!

2012–712=1300=52×25なので、計算上同じになるのはもちろん不思議ではない。しかし、2012年のこのタイミングにメモが見つかり、その階段の数から導いたKINが、マヤ長期暦が終わると騒がれる2012年の元旦と完全にシンクロするのはやはり驚きだ。だが、話はまだ終わらない。

日本で年度が変わるG4/1(KIN203)、東京での「ドリームスペル乗船配布会」を終えた私達は、会場から徒歩で行ける代々木公園に立ち寄った。ドリームスペル制作チームの岩田隆さんご夫妻が、ヘンプいやしやとして出展していたからだ。その時、立ち話の中で、関西の吉田さんという方が彫ったパカルのレリーフの事が話題になった。私がそのレリーフについて初めて耳にしたのは、先の関西出張時で、チャクラのオーナー夫妻(誕生KINの合計が銀河の同期と同じ164になる)から教えてもらったばかりだった。

帰宅すると、驚くべきことに、FBのニュースフィードトップに、まさに話題にしていたそのレリーフがバーンと現れたのだ!FB上の友人は、その時点で90名前後だったので、Yさんの投稿がトップに登場することだってそうある訳ではないのに、よりによって噂していたパカルのレリーフそのものが登場したものだから、私は心底驚いた(そこにもともとは存在しないアラビア文字が彫ってあることも色々と関係するのだがここでは割愛する)。
pacal.jpeg ★吉田さん作のパカルのレリーフ(ご本人に許可を得て掲載)

投稿内容を読むと、吉田さんご自身に生じた全く別なシンクロで、昔彫ったそのレリーフの写真を改めてUPされたご様子。これには流石に「パカルかホゼの仕業か?」と勘ぐりたくなってしまった。翌、KIN204(G4/2)は、アグエイアス夫妻に大きな影響を与えたニコライ・レーリヒの193回目の銀河の誕生日。193という数字をKINにおきかえ、さらにそれを長期暦と対応させると、これまた9.13.0.0.0となる。

日本中が激しい嵐に見舞われた翌G4/3(KIN205)、リクエストされていた翌日のテレクトノン・ワークショップに向けて、「碑銘の神殿」完成の日付について裏付けを取ろうと、あれこれ資料を調べる中で、ビックリする発見が2つあった。そのひとつは、9.13.0.0.0をG暦に直すと692年3月16日になるということだった。3/16は、まさにパレンケの階段に関する自分のメモが見つかった日である!

『テレクトノン』では、「碑銘の神殿」にパカル王が封印された692年から、1260年が経過した1952年に墓室が発見され、1320年が経過する2012年に長期暦はその大周期を終えることを、以下のように説明する。即ち1260とは、物質主義を加速させた12ヵ月の暦とその細分化である時計の比12:60を象徴するもので、1320は、自然との調和を促すマヤのツォルキンの比13:20を象徴するものである。神殿は、そういう比が示されるタイミング(692)を選んで造られた「時間の法則に関するテルマ(埋蔵経典)」なのだ、と。

私自身、この話を10年以上に渡って何度もして来ていながら、9.13.0.0.0がG暦で正確に692年の何月何日かまでは意識していなかったので、埋められていたメモ(まさにテルマ)が、碑銘の神殿の完成から1320年後、それも一日のズレもない「まさにその日(3/16)」に見つかっていたという事実に驚愕した。

もう一つの驚きは、パカル王の正確な誕生日がG暦で603年3月24日だと判明したことである。長期暦に直すと、9.8.9.13.0 8アハウ 13ポプで、王が埋葬されていた石棺の縁に彫られた誕生日8アハウともきちんと整合する。ところで、この日付を「13の月の暦」のツォルキンで計算してみると、何とKIN190(8・犬)になることが判明した!これは私をパレンケに実質一人添乗員状態で導いて下さった滝元さん(旅行関係の専門家でもある)の誕生KINだ!

つまり、私は4次元的には、パカル王自身にパレンケに連れて行ってもらったことになる。確かに、ちょっと面白いことがあった。街から少し離れた所にある遺跡には、乗り合いタクシーで移動するのだが、開門時間前に到着した私達は、実際の開門時間をオーバーしてしばらく待たされた後(この間、白い犬がやって来たことを覚えている)、「トラブルで券売機が街から届かないので、今ここにいる人達はそのまま入っていい」と言う事になって、何と無料で遺跡内に入れたのだ。

しかも1999年当時は、神殿内部の階段を下りて墓室の前まで誰でも入る事が出来た(今は遺跡保護のために神殿に登る事すら出来ないらしい)。『テレクトノン』英語版を携えて行った私は、顔立ちもパカル王にちょっと似ているところがある滝元さんと一緒に、まさにその舞台となる「碑銘の神殿」の上で、「6・月」の年の「6・月」の日(つまりG暦4/12)にテレクトノンの駒を置いてプレイしたのだった(京都散策をしたKIN190に私は「月と六ペンス」というカフェを見つけて入っている)。

話が大分飛んでしまったが、9.13.19.19.9、計69段の階段の区切りの件が気になった私は、自分でそれなりに調べた上で、みんぱくの八杉先生にメールで教えを請うた。この区切りは長期暦と何か関係があると考えられているのか、そして、無理矢理 9.14.0.1.9と読み替えた場合、9.13.0.0.0からほぼ1カトゥン(7200キン)+1朔望月→20年弱の経過日数に、どういう意味があると考えられるのかについて。

翌朝(KIN206)、先生は早速、簡潔な返信を下さった。そこには、直接的な回答ではなく、逆、つまり下から 9.19.19.13.9と読めは、長期暦のルール違反にはならない事が示唆されていた(69がパカルの生涯だという説を唱えた論文があることも別途教えて下さっていた)。もし、それが日付であるのなら、『テレクトノン』において「失われた7つの世代」が終わる10.0.0.0.0(144万キン)まで、あと91(13×7)というタイミングを示していることになる。

『13の月の暦』的に言えば「失われた7つの世代の完了まで7ウェイブスペル」のタイミングを、碑銘の神殿の階段は、示しているかもしれないのだ。八杉先生から教えて頂いた論文の詳細は把握出来ていないので、学術的にそういう捉え方があるのかということについては結局はっきりしていないのだが、少なくとも『テレクトノン』プレーヤーにとっては、非常に興味深い話である。この日、横浜ナディアでのワークショップに向けて家を出て、最初に交差点で目にしたのは69ナンバーのトラック。ワークで私の隣に座られた参加者の方はKIN69だった。

それから2日後のKIN208(G4/6)、私はさらにしつこく、碑銘の神殿と9.13.0.0.0の関係について、pacalとかpakalとか入力しつつネットで調べものをしていた(※)。すると、何と八杉先生の「マヤ文字の分析Ⅱーパレンケー」という160ページにも渡る論文に突き当たった(ただし階段の事については触れられていない)。「パレンケに関してこんなに詳細な研究をされていた方に、またしても申し訳ないような質問をしてしまった」と冷や汗をかきつつ、素朴な質問にも即座に回答をして下さった先生に、ただただ頭が下がる思いだった。

思えばこれも、天真会の青木先生が、直接紹介して下さったからこそのご縁。この日、新しく開かれた天真体道本部道場での初稽古に向けて、(花見をするつもりで)九段下駅で下車したのも、駅に向かう途中でまた69ナンバーの車を見たのも、偶然ではないのだろう(碑銘の神殿は9層のピラミッド)。そして、この一連の流れの仕上げにやって来たのが、今日行った銀河アルケミスト教室(教室生にもKIN69の人がいる)での出来事だった。

名古屋から参加されているMさんが、トニー・シーラーの『Beneath The Moon and Under The Sun』を手に入れて、持って来て下さったのだ。13:20に配列された形で描かれたツォルキンは、焚書をまぬがれた絵文書や遺跡からは見つかっておらず、ホゼも元々このトニーから教えてもらったものだということを、『マヤン・ファクター』の中で書いている。

当然、私も手に入れようと探したが、何しろ1970年代の本。自分では見つけられないまま時間が経過していた。それが昨日(KIN209)になって、Mさんが「取り寄せてみた」と書かれていたので、今日は、その本に対面できることをかなり楽しみにしていたのだ。もちろんMさんは、「13の月の暦」にも引用されている、二項三つ組の模様が入った13:20配列のツォルキンのところ(P82)に付箋を貼って下さっていたのだが、私は別なページにパレンケのことが書いてあるのを見つけて、興奮を抑える事ができなくなっていた。

何しろP130、131には、まさに「碑銘の神殿」の階段の数に関する記述があったのだ。もっとも、長期暦と結びつける内容は見当たらなかったが、内部へ降りる階段が、私のメモのひとつと重なる44+22だと記されていたのは、大いなる喜びだった。何故なら、66は、私がカーラチャクラを受けた33才の時の運命の道筋であり、クリカの始まりとも密接に関係するKINであり、ツォルキンにおいて調波33を中心とした時に対称の位置にくる調波番号の合計(つまり13:20ツォルキンの基礎構造とも密接に関係する)数でもあるからだ。

そしてKIN130と131は、ツォルキンの中央の中央、調波33のその中心で、竜の創世記から猿の創世記への移行を示すポイントである。トニーの本の実物が見られると分かったのは、月の創世記の始まりである。無知からマヤ長期暦の完了ポイントを恐れる人々が未だにいるようだが、私にとっては全ての流れが美しくまとめあげられて来ているこの流れの極点のひとつが、今年の冬至だと思っている。

ちなみに、今週のコドン52「瞑想/神殿」の神殿とは、もともと「碑銘の神殿」のことである。

(※)結果として、どうやらホゼは、明確な学術的証拠を持たないまま、「碑銘の神殿」の完成タイミングを、9.13.0.0.0と書いているらしいことが分かった。

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