パカル王、9と13の太陽フレア

2012年07月11日 02:42

■宇宙の月14日 (G7/10) KIN43 青い自己存在の夜(by D)

ダライ・ラマ法王の77才のお誕生日を素晴しいシンクロと共にお祝いした翌日の7/7、私は、のぞみ215(7・鷲)号で11:33に新大阪に到着した。関西での『オロ』公開も、ちょうどこの日から。七夕、そしてマザー・テレサの誕生KIN(1・太陽)でもあったこの日に、「ドリームスペル時間船地球2013」への乗船を果たした方は、きっと天の川(銀河)の流れに同期できていたのだろう。ちょうど乗船配布会の会場近くを流れる大川では、LED電球を使った天の川が生み出されていたらしい(橋にいた人だかりの理由はこれだったのだ)。

ここ数日、太陽活動が活発になって来ていたので、私は配布会の途中で「今頃、太陽が大きな爆発を起こしているかもしれません」と伝えていたのだが、後で調べてみたら、やはりこの日の8時頃、X1.1のフレアが起きていた。フレア(太陽面爆発)の分類上最大級に属するX級は、G3/7のX5.4以来4ヵ月ぶりとのこと。世界標準時で詳しい日時を確認すると、3/7は0時、この日のものは7/6の23時ということになっていた。ここで私は大変興味深いことを発見した。

X級フレアのあった両方の日付を『13の月の暦』で見ると、「太陽の月」の「白い太陽の鏡」と、「宇宙の月」の「青い宇宙の嵐」、つまり9(太陽)と13(宇宙)の「魔術の亀の日」だったのだ。マヤの世界観において9は冥界の数、13は天界の数として特に重要視されている。加えて「13の月の暦」では、その基本骨格とも言えるウェイブスペルにおいて、「塔」と「門」という要所を押さえる数でもあるのだ。その両方の「魔術の亀の日」に太陽が大爆発しているのは、ただの偶然だろうか。

パカル王ことキニチ・ハナーブ・パカル(太陽盾)からのテレパシーを受けて生まれた『ドリームスペル』は、「銀河の盾」がその箱の表紙を飾っている。パカル王が活躍し、パレンケ王朝が最高潮に達したのは、9バクトゥン13カトゥン(長期暦表記で9.13.0.0.0)の頃のこと。そして、今まさにそのマヤ長期暦は、ひとつの大きなサイクルの完了を目前に控えている。このことに気付いた今日から正確に164日後が冬至だというのも、ただ事とは思えない。何故なら、『ドリームスペル』の目標点は2013年7月26日(KIN164)だからだ。

さらに、X1.1はダライラマ法王の77才のお誕生日でもあった。13も19(嵐)も、マヤの数字体系では最大数に当たる(20の絵文字は0ー19でコード化されている)。観測史上最大の太陽フレアX28は、そのダライ・ラマ法王(KIN14)が伊勢の内宮(天照大神)を参拝した2003年11月4日(KIN255)に起きている。チベットの人々に観音菩薩の化身と信じられている法王の雰囲気は、まさに太陽そのもの。だから、太陽神が自分自身に出会うことを喜んで爆発するのかもしれない。

ところで、七夕の乗船会後、最後まで残って話をしていた方は、『マヤのリズム』の装丁画を描いて下さったみよこみよこさんと生年月日が全く同じKIN101の方だった。翌日の「時空のサーファークラス」で、例題に立候補して下さった方は、8/6(広島原爆の日)生まれで、「13の月の暦」のツォルキンだとKIN90の方だった。初秋に共著が出る予定の江本勝氏と同じKINだ。(この日は他にKIN164の方や2012年1月1日とシンクロするKIN113の方もいた)。

江本氏は、冬至にユカタン半島で行われるイベントに、ジェームズ・レッドフィールドらと共にゲストスピーカーとして呼ばれた唯一の日本人で、間もなく迎えられる誕生日には、KIN55(広島原爆のKIN)の道筋に入る。ちょうど、7日の新幹線の中で「行動の原点はヒロシマ」という記事を目にし、浜田省吾の名をそこに見た私は、広島出身で浜ショーファンだった大学時代の友人に久々のメールを送ったりしていたし、出張直前に書いていた江本氏の会報誌原稿の内容もまた「放射能の影響を中和する」だったから、この流れは自然なものだった。

だから、クラス終了後に「『GATE』という映画の情報を伝えても良いでしょうか?」と言ってこられた方にも、即座に「構わないですよ」と答えた。もちろん、そういう手順をきちんと踏む方だったからというのもあるが、内容的にもこの日伝えられるのに相応しいものだったのだ。「60年以上、祈りとともに絶やすことなく燃やし続けた原爆の火をアメリカに戻し、破滅の輪を閉じようという 仏教の教えに従う僧侶たちの祈りのドキュメンタリー」というのがその内容である。

暦のクラスや配布会の会場ではいつも、こうした、その時、その場でのシンクロが起こる。というより「起きていること」を見出す。乗船配布会では『ドリームスペル』マニュアルのP111にKIN40が出ていたのだが、翌日、最後まで残っていた方の一人(KIN170)は、近く西安に旅するとかで、手持ちのガイドブックを見せながら私に意見を求めた。私は西安で見た合計が111になる6×6魔方陣や、草堂寺(鳩摩羅什の墓の廟に青木先生の額がある)等を含めて紹介したのだが、KIN170といえば、私達がバルセロナに行くきっかけになった日(2011年6月12日)で、その時のサーファークラスに参加していた方は、今日のサイ時間単位とシンクロするKIN251だった。

今週末に予定されている仙台では、また別な、その場にふさわしいシンクロが生じ、それを見出すことになるだろう。これは、平行して起きている沢山の物語りを、ひとつの大きな物語りへと編み上げる作業でもあると、私はここのところずっと感じている。7/9(KIN42=3・風)に体験した小旅行にもそれは現れている。自分の記憶の為のメモなので、少々分かり難くなるがご容赦願うとしよう。

先に天王山周辺で様々なシンクロを体験した私は(これは未だ整理する余裕が無く手帳のに留まっている)、3つの川が合流するこの付近が気になって、離宮八幡宮に立ち寄ってから京都に向かった。ツォルキンの調波の中央、そして観音菩薩の化身の数として、ここのところチャンネルが合っているだけでなく、この日、サグラダファミリアで手に入れた合計が33になる4×4魔方陣Tシャツの着用もしていた私は、京都駅の3033というロッカーに荷を預け、三十三間堂へと向かった。単なる数字合わせで選んだ場所だったが、ここもにもまた驚くべきシンクロが潜んでいた。

何と、三十三間堂は第77代後白河天皇平清盛(1118~1181)に資材提供させて建てさせたものだったのだ!私が京都駅から三十三間堂まで使ったバスは208(ドリームスペルで宇宙の星、猿の創世記の完了)系統で、ナンバープレートは11-99だった。また、後白河上皇は1155年に天皇に即位し、1192年に六条殿にて66才で逝去している。ゾロ目も「遊びをせんとや…」ということなのだろうか。しかも、私はダライラマ法王77才の誕生日に、1192年に幕府が開かれた鎌倉の中学(源平池の横を通って通っていた)、高校(江の電で通っていた)で同級生だった友人と会っていたのだ。

その後、FBでヌートリアが出没することを知って、私は下鴨神社に近い鴨川の三角州の辺りを散策した。後から手帳を見て驚いたのは、ほぼぴったり1スピン前のKIN44(調波は11で完全に同じ)にも、私は岩清水八幡宮に寄った後、出町柳で降りてその付近を散策するという、ほぼ同じ行動パターンを取っていたこと。しかも、実は最初に岩清水八幡宮があった場所が離宮八幡宮だと、私はこの日初めて知ったのだ。だが、こうして平清盛の放映と完全にシンクロする形でこれらの場所を訪れたことで、私は平安末期の日本史を体験的に学ぶ事が出来た。

同時に、平氏と源氏、南朝と北朝、国津神と天津神など、あらゆる次元の二極構造の統合が、今、私の時間体験の中で進んでいるのを感じている。それは、冬至に向けて益々加速しそうな気配である。おそらく、時間船の乗船と構築に関わっている人なら誰でも、何らかの形で同じような体験をしていると思う。今後、さらに重要な局面が続くだろうが、気を抜かずに最高潮の波乗りを続けて行きたい。


追記:離宮八幡宮の御祭神は、岩清水八幡宮と同じ第15代応神天皇、神功皇后。三十三間堂には、ご本尊である11面千手千眼観世音1001体に、雷神・風神像、そして観音28部衆像がある。33=20+13、そして28という数は、まさに「13の月の暦」を示している。また三十三間堂は七条通りに面しているが、33×7=231は今の私の道筋(KIN231)である。また、この期間は調波11で、ロッカーの3033を3×33とすれば99で、11-99のバスとも繋がる。尚、KIN99は江本氏との共著の編集担当者の誕生KINでもある。

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