奈良の鹿野苑

2012年08月23日 04:23

■磁気の月28日 (G8/22) KIN86 白い銀河の世界の橋渡し(by D)

例年なら、夏休みとかお盆で各地が混雑する時期は、都内でおとなしく仕事をしているのだが、今年は珍しく8月10〜12日の3日間を奈良で過ごした。少し前に簡単に報告した通り、東大寺で行われた日印国交樹立60周年記念イベン「日印交流のはじまりと未来」(インド大使も来られた公式なもの)のひとつである写真展用に、Lが題字を依頼されていたからだ。

主な目的は、それを直接会場にセッティングに行くことだったのだが、ちょうどその日程が私の誕生日とも重なっていたので、ついでに奈良観光もさせてもらおうという魂胆だった。何しろ2012年の冒頭から、いや、実際にはそのひと月前位から、既に「奈良の風」は吹き始めていたのだ。

12/19(KIN100)に大徳寺大仙院で思いがけず出会った尾関宗園和尚(※)は奈良出身で、その翌日に、KIN100の方が贈って下さった美しい亀のお正月飾りは、奈良に本店がある中川政七商店(現社長は13代目らしい13+7=20も13×7=91もマヤの重要な数)のもの。さらに、年明けにお会いした『オロ』の岩佐監督もまた、奈良のご出身だった。

細かいものを挙げれば他にも沢山あるのだが、そういう流れの中で、写真家の松本榮一さんご夫妻がわざわざ声を掛けて下さったのだから、ここで波に乗らなければシンクロサーファーとは言えない。しかも写真展のタイトル(つまり題字)は「仏陀の智慧の道」。松本さんと出会ったのは10年前のブッダガヤで、今回の会場は東大寺。裏手にはシルクロードのお宝が眠る正倉院もある。

そんな訳で、松本さんからのオファーがあった時点で奈良行きは決まっていたのだが、これが多次元的に目出度いイベントだということが、既に7/22(KIN55)にLの夢でキャッチされていた(後で松本さんの奥様、恭さんの誕生日でもあったことが判明)。以下に、その頃ツイッターでつぶやかれていた文を抜粋してみよう。

【ダライ・ラマ法王によるカーラ・チャクラの灌頂儀式が東大寺のお堂で行われていた。美しい水晶の玉座で法を説く法王。だんだんお顔が虹色に輝き、透明な虹の光になりお堂中が大小様々なキラキラ輝く虹の球体で響き合い、法王の水晶の玉座も虹に。やがて法王のお身体は、虹からソリッドなゴールドに変容凝縮し、全方向に目映い光を放射していました。その光はその場にいた人全て(何故か十数人。少ない!)を射抜きました。その様子の一部始終を、玉座の目前で、本当に幸せな気持ちで観ていました。】

後日、銀河アルケミスト教室でシンクロシェアをした時に、ほぼ同じタイミングで別な二人も美しい虹の夢を観ていたことが分かった。ちなみに、今年のチベット暦では7/23(KIN56)が仏陀が最初の説法をされた日としている。初転法輪が行われたインドのサルナートは、鹿が多くいたことから鹿野苑(ろくやおん)とも言われる。そういえば、東大寺も鹿で有名だ。

松本さんが「仏陀の智慧の道」のスライド講演(ここでもLの題字を使って下さった)をされた金鐘ホールは、昨年末、ダライ・ラマ法王の法話でこけら落としが行われた場所だし(おそらく高野山の灌頂の前後だろう)、松本さんと出会った10年前のブッダガヤというのは、実は唯一法王の体調不良で中止となった27回目のカーラチャクラでのことだから、夢は決して無関係ではないのだ。

さて、9日は天真書法塾師範科クラス終了後、片付けもそこそこに早めに退室させて頂き、Lは初体験(日本では)という深夜高速バスで奈良に向かった。前日も睡眠不足だったのだが、あまり眠れないまま夜が明けて、会場前で松本夫妻と待ち合わせ。その後、イベント全体の主催者である長谷川時夫さん(ミティラー美術館館長)親子や日印協会の方らと共に会場設営を行った。

もとより、私はそういう手伝いをするつもりで参加してはいたのだが、猛暑の中、狭い階段を使ってかなり重さのあるボードを何往復もして運ぶには、少々睡眠が足りな過ぎた。後半かなりへばったが、中村直人さんというその道の達人が中心になってバリバリ作業を進め、何とか時間内に完成。実は、その場で松本さんが直接かけあって、Lの題字の位置も決まった。超ぶっつけであるが、これが楽しい。

スタッフの宿は、何と東大寺境内、戒壇院のすぐ側にある華厳寮という日本家屋。後で、インドから来日した古典声楽のグループもここに一緒に泊まった。翌朝(KIN75)、中村さんと話していると、千葉県の佐原市(香取神宮、鹿島神宮の近く)にハーブガーデン(ケルトの暦と連動した樹を植えているとか)を造っておられるとか、花博の時にはマヤのデザインを彫刻されたとか、興味を引かれる話題が次々に出て来た。

梅粥の朝食後、私達は正倉院の近くまで行って、そこから西に向かって一条通りをテクテク歩き始めた。バスかタクシーで法華寺に向かう予定だったが、大き目の通りに出てもなかなか来ないので歩く事にしたのだ。だが、そのおかげで思いがけず佐保山(聖武天皇陵、光明皇后陵)に参拝することが出来た。東大寺だけでなく、国分寺、国分尼寺を全国に造った方々だ。奇しくもLは東京国分寺の生まれで、私も大学時代は国分寺駅を利用していた。

ちなみに、前日の8/10にレスリング3連覇を成した吉田沙保里はKIN100。私達が奈良に行くことを知らないはずなのに、大仏のお身ぬぐい(年に一度)があった8/7(KIN71)に、またまた奈良の老舗、池田含香堂の扇子を贈って下さったのもKIN100の方。「黄色い太陽の太陽」は、まさに毘盧遮那仏そのものだ。道のりの半分くらいまで来た時に運よくバスに乗れて、まずは光明皇后が国分尼寺の総本山にされたという法華寺へ。

その後、法華寺にほど近く、遣唐使と関係の深い海龍王寺(隅寺)にも参拝した。空海の隅寺心経で知られるこの寺は、光明皇后も相当量の経典を書写されたらしく、書の稽古人には見逃せないお寺だが、「13の月の暦」で海王星軌道に対応する「赤い竜」でもある私は、特に千夜一夜リーディングの最初が遣唐使だったこともあって、色々と繋がりを感じる場であった。

午後は、金鐘ホールで松本さんの講演「仏陀の智慧の道」を拝聴。まさにタイトル通りの貴重な遺跡のスライド写真ばかりで、その中には、青木先生の「煩悩即菩提」の書が掲額されている西安・草堂寺の舎利塔も含まれていた(『シンクロニック・ジャーニー』にその経緯が書いてある)。講演終了後、奈良に到着して初めて大仏殿へ参拝し、おみくじをひくと、Lは12の大吉で「金がますます輝く」という先の夢とシンクロするような内容。私はカーラチャクラとシンクロする27の吉だった。

二月堂などを巡って、夜に中門前で行われる奉納コンサートまで、少し腹ごしらえでもしておこうと入ったお店で、偶然、また松本さんご一行とバッタリ再開。一緒にいた女の子が「みろくちゃん」という名前だったのが印象深かった。何故なら、私は『マヤのリズム』の中で、近鉄奈良駅前の国道369号のことを天照大神の数霊とリンクさせて紹介しているし、今回の宿は369号にほど近いのだ。

奉納演舞は、雨乞いの踊りを踊った方にシャーマニックな力があったのか、実際にかなりの雨が降って来てしまったが、無事に全演目が終了。私達は、駅の近くの「一条」という居酒屋で晩ご飯にありついた。朝、一条通りを歩いていたことがこんなところに響くとは思っていなかったが、リーズナブルなのに味はかなり良かった。美味しいものシリーズは、前夜に頂いた蕎麦の「喜多原」とか他にも色々あるのだが、既に大分長くなっているので、細かいことはLに任せるとしよう。

8/12、私の43才の誕生日は、インドの古典楽器が置いてあるすぐ横で目覚めた。KIN76「黄色いスペクトルの戦士」は、チベット民族蜂起(1959年3月10日)からちょうど75銀河スピンのタイミングでもある。コーヒーを飲みながら、松本夫妻と代替医療とか水の結晶写真の話などをしてから出発。まず、興福寺の国宝館で阿修羅像にご挨拶。他にも見事なお宝がゴロゴロあった。

その後、猿沢池の近くにある「遊 中川」で、麻の機織り体験をし、茶房でお重ランチを頂くという贅沢な時間を味わった。大麻の正しい歴史や現状も学べるこの手紡ぎ手織り体験は、非常に素晴しく、子供達から大人までお薦めしたくなる内容だったし、ランチは文句無く美味しかった。中庭には蓮の花が凛と咲いていて、何とも贅沢な時間だった。

その後、奈良漬の今西本店や池田含香堂に寄り、猿沢池の亀達に挨拶してから、尾関和尚が子供の頃、泣きながら登ったという(それにしては割と楽な)52段の階段を登って、そのまま興福寺の境内を東大寺方面に散策した。あまりの暑さに飛鳥園というカフェで休憩。お土産コーナーで売られている仏像のカードはどうやら殆どここで造られているようだ。住所も登大路町59と「青い共振の嵐の年」にシンクロしていて美しい。

実は、この時まで、春日大社への参拝は考えていなかった。以前、参拝したことがあったし、あまりに暑くて移動する気力が湧かなかったからだ。しかし、飛鳥園でガイドブックを読み直して、やはりこれは行かねば!という気になった。何故なら、鹿島神宮から迎えたタケミカヅチノミコトと、香取神宮から迎えたフツノヌシノミコトが御祭神として祀られていることに気付いたからだ。

deer.jpg 
この地に鹿が沢山いるのも、仏教(鹿野苑)の縁というよりは、タケミカヅチノミコトの分霊を白い神鹿が背に乗せて来たことに由来するものだ。それに、剣武天真流を学んでいる私にとって、誕生日に、雷神、武神、刀剣の神様をお参り出来るなんて、これ以上の事は無い。すっかり忘れていたが故に、この発見にはフレッシュな喜びがあった。そのエネルギーと共鳴したのか、おみくじも1番大吉、Lも24の大吉だった。

その後、写真展をやっていた金鐘会館小ホールで少し立ち話をして、「仏陀の智慧の道」の軸を撤収。一度宿に戻って荷造りをし、お世話になった寮母さんにタクシーを呼んでもらって玄関に行くと、ちょうど古典声楽ドゥルパッドの一団も、大仏に開眼供養をした菩提僊那(シャーマンでもあったようだ)と縁の深い霊山寺に奉納演奏に向かうところだった。おかげで、長谷川さんにも挨拶が出来たし、ここでシンクロしたおかげで16日のインド大使館(九段下)でのコンサートにも行く事が出来た。

ところで、鹿島神宮と言えば、地震と関係があるとされる「要石」というのがある。翌8/13は、ちょうど311から2銀河スピンのKIN77で、長谷川さんの誕生日でもあったから(それに遊中川の住所も31-1だった)、何か色々な次元での繋がりがあるように感じられて仕方が無かった。それは、東日本大震災の49(7×7)日法要を護国寺でして下さったダライ・ラマ法王が、カーラチャクラの86代目の継承者でもあり、今日がちょうどKIN86であることも含めての話だ。

早いもので、「磁気の月」もあっという間に最終日28日。サイ時間単位はKIN260だから、最初の月の最後は、4次元的な意味で周期の始まりと終わりに関係していると見ることも出来る。そして、私が東大寺と春日大社で引いたおみくじを合計すると、私の誕生した時の月の相でもあり、「13の月の暦」のひと月の数でもある28となる。

だから、朝方になろうとも夜明け前は前の日の続きという方式で、私は今日このブログをどうしても書きたかったのだ。それが、こういう物語りを紡ぎ続ける時間魔術の大事な技法のひとつだと思うからである。

(※)尾関和尚については、下記メルマガの「Enjoy Surf!」を参照。 
http://archive.mag2.com/0000184705/20120212001510000.html

コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    最近の記事