アポロ11号の月面着陸とパレンケの扉

2012年08月29日 06:09

月の月7日 (G8/29) KIN93 赤い月の空歩く者(by D)

8/26(KIN90)の朝、アポロ11号の船長として人類史上初めて月に足跡を残したニール・アームストロングが、その前日(KIN89)に他界したというニュースを目にした。『13の月の暦』の365日暦で「月の月3日」、260日暦で「11・月」という日に旅立たれたという事実は、アームストロング船長が確かに「月」と縁の深い方だったこと、そして「13の月の暦」が宇宙的共時性を記す暦として優れていることを示唆している。

1930年8月5日生まれという船長の「銀河の署名」を調べてみると「青い宇宙の嵐(KIN39)」。何と、ニュースを見た日(8/26)のサイ時間単位だった。また、今年の船長の「運命の道筋」は「4・月(KIN69)」で、82才の誕生日からぴったり20日後の「11・月(KIN89)」にこの世を去っている。KIN89は、その520日前に『13の月の暦』提唱者の一人、ホゼ・アグエイアス(KIN11)が他界した日でもある。アポロ11号の船長がKIN11のホゼと同じ「11・月」に旅立ったのだから、このシンクロは強烈だ。

さらに「月の月3日」のサイ時間単位は、『13の月の暦』のもう一人の提唱者、ロイディーン・アグエイアス(今も元気で時々連絡を取っている)の誕生KINであるKIN22だった。つまりアームストロング船長は『13の月の暦』を生み出した、アグエイアス夫妻の誕生と死にまつわる日に、この世を去ったのである。これだけでも、人類で初めて「月」に降り立った人物と「13 MOON CALENDER」に深い繋がりがあることが見て取れるが、話はまだまだ続く。

8/25(KIN89)の夜、13年前にマヤ遺跡(テオティワカン、パレンケ、チチェン・イツァ、ウシュマル等)を巡った滝元さんから、「先日、実家の整理をしていたら、一緒にいったメキシコのビデオ映像がでてきました。強引にデータを落として、YOUTUBEにアップしました」というメールが入った。滝元さんは、ホゼの『マヤン・ファクター』(VOICE刊の完全版)の監訳もされた方だが、出会ったのは江本勝氏のところでだった。ちなみに、ニュースを目にしたKIN90は江本氏の誕生KINで、ひと月ほど前に69才(船長と13才差)になられたのだが、奇しくも船長の今年の道筋KIN69とシンクロしている。

また、パレンケはもともとラカンハ(大いなる水の場所)と呼ばれていたようで、有名な「碑銘の神殿」の中央には69段の階段がある。水の伝道師として知られる江本氏との繋がりも面白いが、滝元さんと私は「6・月」の年の「6・月」の日に、その神殿の中にあるパカル王の墓室に降り立っている。太陽の紋章の「赤い月」はコード番号9なので「6・9」年の「6・9」の日であったとも言える。既に、別な記事で触れているが、ホゼが強い影響を受けたパカル王の銀河の署名は、何と滝元さんと同じ「白い銀河の犬(KIN190)」である。

ところが、実際にパカル王の石棺に彫られている王の誕生日は「8アハウ」(古代マヤのツォルキンに通し番号は無いがKIN60に相当)。長期暦と連動する当時のツォルキンの数え方は、今もキチェ・マヤの人々に伝承されているが、『13の月の暦』のツォルキンとはカウントしている日付も意味も呼び名も異なる。しかし、日本で「古代マヤ暦」や「マヤ神聖暦」等と呼ばれているものの殆どは「13の月の暦」のツォルキンを中途にパクったもので、マヤ暦でもなければ「13の月の暦」でもないまがい物である(とはっきり書いておく)。

さて、パレンケアポロ11号との関係はこれだけではない。アームスロトング船長が、イーグルと名付けられた月着陸船で月面に降り立ち、人類最初の一歩を踏みしめたのは、1969年7月20日。「白い惑星の鏡(KIN218)」だった。一方、「碑銘の神殿」の地下に封印されていたパカル王の墓室の扉が1260年ぶりに開けられたのは、1952年6月15日で、この日もまた「白い惑星の鏡(KIN218)」だったのだ!

上記の日付を長期暦と連動する古代からのツォルキンで計算すると、月面着陸の日は「4アハウ」(KIN160に相当)で、パカルの墓室が開いた日は「13キブ」(KIN156に相当)となり、2つの日付に繋がりは見えなくなる。つまり、「13の月の暦」のツォルキンでないと、人類の月面への第一歩と、パカル王の墓室への第一歩の間の繋がりは見出せなくなるのだ。これが古代のマヤ暦と「13の月の暦」のツォルキンの違いである。

当然、古代のツォルキンだからこその発見もある。「4アハウ」は良く知られているように、長期暦の始まりである紀元前3114年8月11日、そして終わり(=次の始まり)である2012年12月21日の日付だ。つまり、アームストロングとオルドリンが踏みしめた人類の月面への一歩と、長期暦の始めと終わりの日付は、古代マヤのツォルキンだと全く同じ日付になるのだ。逆にこれは「13の月の暦」のツォルキンでは見えてこないものだ。私は古代のツォルキンは普段は意識していないので、この繋がりを今回初めて発見し、かなり興奮を覚えた。

アームストロング船長が月面に降りた時の「運命の道筋」は、KIN129「赤い水晶の月」で、「協力/捧げる/普遍化する」というキーワードを持つ流れの時だった。この「運命の道筋」は、365日暦の誕生日に入ってくる260日暦の日付で決まるもので、船長が生まれた時は「13・嵐」だった(これは生涯引き受ける役みたいなもので「銀河の署名」という)が、月面に降り立った時は「12・月」、他界した時は「4・月」の流れの時だった。

当然のことだが、古代のツォルキンは、グレゴリオ暦のことなど全く考慮していないので、G暦を基準に(運命の道筋のようなものを)調べてもあまり意味は無いのだが、仮に船長の誕生日である8/5を基準にしてみれば、生まれた時は「10チュエン(KIN231に相当)」、月面に降り立った時は「6チュエン(KIN71に相当)」、他界した時は「9イク(KIN22)」となる。「9イク」は、パレンケの碑文によく登場する重要な日付で、ある時代の支配者を示すものであったとも考えられている。という訳で、ここでも船長はパレンケと深い繋がりを見せているのである。

ところで、船長が他界したKIN89に、13年前のメキシコ旅行の映像をユーチューブにアップしたと知らせて下さった滝元さんは、8月21日が誕生日。私が8月12日、船長が8月5日生まれだから、全員、獅子座である。そして、今年の滝元さんの道筋はKIN85である。大変興味深いことに、この日(KIN85)、パン・ジャパン・ライブラリーに『The Call of Pacal Votan』というテキストの暫定的な試訳が、一部ではあるが掲載された。ずっと前から準備されていたものが、何故かこの日になったのだったが、今なら理由が分かる気がする。

上記の通り、「13の月の暦」のツォルキンでみればその見方なりに、古代のツォルキンで見てもその見方なりの繋がりを見つけることができる。だが、結局のところ、両方をきちんと識別した上で、同時に意識できる者が、より深い楽しみを発見できるのである。実は、KIN89には、先にLが記事を書いたように、写真週刊誌『フライデー』でも面白い発見をしている。

ついでだから書いてしまうが、そのP40、41(合計81)に写っていたのは、安倍昭恵さん(青い月の夜=2・夜)と飯田哲也さん(青い月の鷲=2・鷲)のお二人だった。私がこの写真を見つけた日は「太陽の紋章」が「赤い月」の日だったが、このお二人は「銀河の音」が「月の(2)」で揃っていた。しかも飯田さんは「イーグル」である。フライデーは金曜日に発売されているが、私が珍しくその写真週刊誌に手を伸ばしたのは、イーグルに乗って月に降り立ったアームストロング船長が他界した土曜日(KIN89)だったのだ。

かように、全てのタイミングは完璧であり、全ては繋がっているのである。この一連の出来事を記している今日が「赤い月の空歩く者」(月の月最初の魔術の亀の日)であるのも偶然ではない。実は、他にも東大寺と平清盛と金澤翔子さん(書家)、さらには美智子皇后、マザー・テレサとも繋がってくるのだが、あまりにとっちらかるので、書にまつわる部分はLに任せるとして、ひとまず本稿はここまでとしたい。

パレンケの扉の開放はKIN218を通じて人類の月への扉を開き、月への第一歩は「4アハウ」を通じて次の大周期への時間の扉を大きく開いた。そして今、時間はその流れを加速させながら冬至のシンクロポイント、「13.0.0.0.0 4アハウ 3カンキン」(=12/21=KIN207)へと向かっている〜

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