ケロちゃん

2007年03月24日 00:42

■太陽の月18日(G3/24)  KIN190  白い銀河の犬「ケロちゃん」(by D)

新体道の稽古や合宿から戻ると、いつもLに言われることがある。「ケロちゃんになっている」がそれだ。私は、「なんじゃそりゃ?」と思いながら、きっと若返っている様子をそう表現しているのだろうと、長いこと思い続けて来た。実際、稽古後は、自分で鏡を見ても驚く程に、肌がツヤツヤになって若返っているのが分かる(もちろん私だけでは無く老若男女問わずこの現象は見られる)。

しかし、ケロちゃんというのが、単に若返りを指しているのでは無かった事を、ハッキリと悟る事が先週あった。久しぶりの本部稽古に出席した時の事だ。この日は、春からフィリピンで指導をされる勝野先生が、ラスト号令を掛けらるという事だったので、用事で外に出ていたL共々会場へと向かった。大井先生と勝野先生の号令がいかに素晴らしいものであったかは、別途、見学していたLに書いてもらうつもりだが(私はただただ身体が柔らかく気持ちよく伸びて行くのを感じていた)、彼女はこの日、私がケロちゃんへと変容する瞬間も目の当たりにしたらしい。

しかし、帰りの電車でそう言われた時も、まだ私には何を意味しているのかが分かっていなかった。ところが、翌日、鏡を見たときにハッと気付いたのだ。前夜帰宅した時に見た顔と、僅かではあるが違う事に。それは主に目と鼻の周囲の様子で、表情という表現が相応しいかどうかも微妙なものなのだが、確かに前日は、その部分が”ケロッ”としていたのだ。喩えて言えば、その部分が丸裸というか、何も無い印象だった。それに対して、翌日の顔は、僅かながら社会的な表情(後天的に身に付いた表情)が、そこに見て取れたのだ。
 
これが気のせいでは無かった事を、5日後、ニコタマで行った新体道のクラスで確認する事になる。この日は、私が号令をかける側であったが、稽古後、やはりケロちゃんになっていた。当然、参加者もだ。新体道は心身をゼロ化するメソッドなのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが、外側から見て、それがこんなにハッキリ分かるものであるとは、恥かしながらこの年まで気付かなかった。と同時に、表情というのは、それがいかに微妙なものであれ、後天的なものであり、社会的な立場や感情的な引っかかり、諸々の習慣などによって身に付いてしまったものである事を実感したのだった。そして、赤ちゃんが無心で何かを見ている時の顔が、まさにケロちゃんなのだと改めて気付いた。
 
おそらく、リフレクソロジーと同じように、顔の表情に出る微妙な緊張や偏りは、内臓や身体の方の凝りとも深く関係しているはずだ。だから、顔だけリラックスさせようと思っても意外に難しいのだ。そういう意味で、やはり全身を解きほぐして行く新体道は、ケロちゃんへの一番の近道なのかもしれない。

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