トルナトーレ&モリコーネ

2014年05月22日 22:34

スペクトルの月21日(G5/22)KIN204 黄色い太陽の種(by D)

鑑定士と顔の無い依頼人』(原題:The Best Offer)を観たのは、ちょうど一週間前、満月のKIN197「赤い月の地球」(G5/15)だった。『13の月の暦』提唱者の一人、ロイディーンの71才の誕生日でもあったこの日(確かカール・コールマンの誕生日でもある)、私達は、下高井戸シネマで午前中の1回だけ上映されていたその映画を観に行った。

半年以上も前に公開され、ロングランを続けていたこの映画も、都内での上映館は既にそこだけになっていて、しかも最終日は翌5/16に迫っていた。ノーマークだったこの映画の存在に気付かせてくれたのは、『霊性のアート』『マヤのリズム』のカバー絵でお世話になっているみよこみよこさんのFBの書き込みだった。

それを見たLがどうしても観たいと言っていたのは、実はひと月以上前だったが、個展の準備などもあって、のびのびになっていたのだ。『ニューシネマ・パラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレエンニオ・モリコーネのコンビというだけで、私は内容に関わらずOKだったが、その期待を裏切らない見事な作品だった。

映画ならではの映像と音楽、見終えた後に誰かとこの映画について語らずにはいられない構成。文化を生む活力を持った作品を創ろうとしている監督の、映画と映画業界に対する深い愛を感じた。

〜以下、ネタバレ情報を含むので、これから観てみようという方は、その点をご了承頂きたい〜

本物とは何か?真実とは何か?を問うという意味では、”美”を題材にした『マトリックス』のようにも思えた。映画の中で、全体の流れをデザインし、ひとつの作品としてクリエイトしていたのはロバートだったのかもしれないが、この映画を観る観客の心理や想像力までもを見通し、さらに一歩引いた視点で設計したアーキテクトは、もちろん監督である。

しかし、今回、KIN101のみよこさん(Lの反対のパートナー)の情報に刺激を受けたKIN231のLの誘いでこの映画を観ることになった私は、劇中に登場するキーナンバーが「231」だと分かった時点で、この現実世界の設計者が誰なのかを、思わず問いたくなってしまった。そして、映画終了後にLの指摘で改めて2012年のプラハ訪問時の自分の運命の道筋を調べてみたことで、その思いをさらに強くした。
プラハ時計 
何故なら、私は、自分の運命の道筋がまさにそのKIN231の時にプラハを訪れており(今生初)、ラストシーンに出て来る時計塔の前にも何度も足を運んでいたからだ。ある意味、他の誰よりも衝撃を受けながらこの映画を観ていたと思う。

ちなみに、トルナトーレ監督の今の道筋は、日本に『13の月の暦(ドリームスペル)』を紹介した高橋徹さんと同じKIN104、モリコーネの今の道筋は、その暦の提唱者の一人ホゼと同じKIN11、映画を観た日は、そのパートナーだったロイディーンの誕生日だった。さらにトルナトーレ監督(KIN99)は、間もなくやって来る5/27から『ドリームスペル』の極めて重要なポイントのひとつ、KIN209(1・月=月の創世記)の道筋に入る。
カフカの家22 カフカ(KIN11)が過ごしていた22番の家

上映時間の131分(2時間11分)は、「月の創世記」のひとつ前の「猿の創世記」の入口であるKIN131(1・猿)、2:11はホゼの息子ジョッシュの誕生KINとも読める。また、モリコーネは、ハーモニック・コンバージェンスに賛同したオノ・ヨーコと同じKIN186だ。2013年を最重要目標点にしていた『ドリームスペル』とこれだけ絡んでいるのを知ると、公開が2013年になったのも自然なことと頷ける。
図書館 映画の屋敷とちょっと似ているプラハ、ストラホフ修道院の図書館

暦以外の観点でも、私にはグッと来るところがあって、例えば、主人公ヴァージルを彷彿させる目利きの達人を私達は実際に知っているし、特異で孤独な生き様を思い出させる別な人物(KIN181)にも実際に出会っている。映画の各シーンに強い印象を受けたのは、そういう現実とオーバーラップするところが多々あったからだと思う。

そして、私が今まさに、そのKIN181の道筋を歩み、Lが同じKIN181から「書の魔法」をスタートさせたことを思うと、この現実世界での絶妙なる配役や、完璧なタイミングでの物語展開は、一体どういう仕組みで成り立っているのだろう?と思わずにはいられないのだ。

ここまで特殊な状況でこの映画を観た人は、もしかしたら他には居ないかもしれないが、それを抜きにしても、映画の中から始まって、映画の外、そして今、私達が体験している現実の外にまで視点を移動させる潜在力が、この映画にはあると思う。映画が映画である意味が熟考されている、特別な作品。そんな風に思える。

もちろん、話の全体像を理解してから改めて考えてみると、ツッコミどころは結構ある(彼らの付き合いはいつ頃からなのかとか)。しかし、ジョジョと同じく、サスペンスを駆使した物語の推進力が圧倒的だと、そんなことはどうでも良くなるし、むしろ、客に自由に推測させる余白としてあえて残してあると、好意的に理解したくなるものだ。

だから、後味が悪いという評は、私にはどうもピンと来ない。ヴァージルに仕掛けた連中は、決して成功が約束されてはいないこと、それも長期の準備と忍耐を要することを、それぞれどういう動機で行ったのだろうか?とか、監督は作品を通じて何を語ろうとしたのか?という「動機」に注目すると、それまでとは全く違った、非常に面白い側面が見えてくると思う。

「恨みを晴らす」とか「お金」というありきたりな”動機”で片付けてしまうことも出来るのだが(パンフにはそんなことも書いてあるが)、よく観察し考察する者なら、「もし、それだけが動機なら、もっと確実で別な方法を取るはずだ」と気付くに違いない。主人公の最後の行動も含め、様々な場面で登場人物の「動機」を考えさせるよう作ってあるところに、この映画の醍醐味があるのではなかろうか。


追記:ロイディーン(KIN22)が他界した翌5/16(3・鏡)、高橋徹さんが訳されたルハン・マトゥス著『第三の眼を覚醒させる』のP99を観ていたら、7歳と33年間という数が出て来た。7×33=231。そういえば、西国33箇所第7番札所・岡寺で引いたおみくじは3番だった。そしてトルナトーレ監督はKIN99である。

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