おきなわ祈りの旅「参入」

2014年07月04日 15:25

宇宙の月8日(G7/4)KIN247 青い宇宙の手(by D)

6/26から始まる天真会の瞑想セミナーに参加するにあたり、私は前日の25日(KIN238)に沖縄入りした。ガウディ生誕162年でもあったその日、羽田16:20発のJAL923便は8番ゲートから出発予定になっていたが、搭乗時間直前に欠航が確定。那覇からのフライトが遅れた関係らしいが、およそ1時間半後に発つ次の便を、大きな機種に変更して対応するとのことだった。待ち時間用にと配られた飲食券をカフェで使わせてもらって読書。

Web予約していた55Kの席が、前夜突如36Kに変更される通知があった時から感じていた「奇妙なゆらぎ」が、まだ続いているようだ。55-36=19は19番目の鷲のウェイブスペル「ヴィジョンの力」への注目を促しているようでもあるし、55+36=91でアートラボ主催者の香奈さん(KIN91)を指しているようでもあったが、925便の50Kへとさらに変更され、搭乗ゲートも8から9へと変更になった。KIN9は、間もなく始まる新しい年の元旦だし、座席番号の合計141(=55+36+50)は、5日前の暦クラスで例題になって下さった方の誕生KINだ。おきなわ圏と絡む新しい時空への参入角度が、微調整されているのだろうか。

22日前のKIN216に、翻訳者の白川さんから頂いた『ハバナ奇譚』も、どうもこの旅と繋がっている気がして、移動中ずっと読み続けていた。搭乗直前に登場したエドワード・リーズカルニなる人物は、話の本筋とは関係ないにも関わらず、マイアミにコーラル・キャッスルという巨石を使った城を一人で建てたことが記されていて妙に気になった。スマホで調べてみると、実在の人物で、エジプトやインカの人々の石の扱い方を再発見したと言っていたらしい。実際、誰にも分からない手法で巨石を動かしていたのだから興味深い。
霊的光 
列島全体の天候が不安定だったこの日は、空の状態も何か特別な感じで、日が暮れるまでの間、機窓からは神秘的な光景が見え続けていた。欠航したのはこれを目にするためだったのか!と思いたくなる程の荘厳さで、異次元的なヴィジョンが重なって見えているかのようだった。着陸時に読んでいたP320には、「赤いドラゴン」という言葉まで登場。自分の誕生KINでもある3日後の「赤い共振の竜」の日に、斎場御嶽と首里城で奉納演武を予定している私としては、何とも幸先の良い徴だ。
虹の輪 
那覇空港の22番ゲートから入った私は、沖縄復帰42年の5/15満月(ウエサク)に71才を迎え、その翌日のKIN198(3・鏡)に3次元の宇宙服を脱ぎ捨てた銀河の母・ロイディーン(「13の月の暦」「ドリームスペル」提唱者)の事を思わずにはいられなかった。なぜなら22は、そのロイディーンの誕生KINで、それはマヤの言葉でボロン・イクとなる「9・風」に相当する日付だからだ。羽田の9番から飛び立って那覇の22番に到着したのが、ロイディーンの他界からぴったり40日の同じ「白い鏡」の日だったことも振り返れば、この旅がロイディーンと深く関係していることは、もはや疑えなくなる。
天空の梯子 
翌6/26の朝、音の響きが気に入って訪れてみたオハコルテベーカリーで、コーヒーを飲みながら『ハバナ奇譚』を読み進めていると、P333から第五部「赤い戦士の季節」が始まった。『ドリームスペル』では、まさに今、五番目の「魅惑の緑の中央の城」(52日間)と「赤い銀河の季節」(65日間)を進んでいる最中で、「赤い季節」の方は、きんきシンクロニック・アートラボが完了するKIN249(G7/6)まで続く。やはりこの本は魔術的だ。

奇しくも、天皇皇后両陛下の沖縄訪問と完全同期する形になったこの日の午後からが、沖縄瞑想セミナーの本番。青木先生による開式が行われた後、外間先生と野原先生のお話を伺う。現世の仕事と並行して、沖縄の霊性を受け継ぐ仕事(廃藩置県以降失われてしまった聖所を復活させると共に人々の信仰心を取り戻す活動)をされているこのお二人の話は、『ドリームスペル13の月の暦)』と全く同じことを伝えていて、深い感動と共感を覚えた。

特に1985年に52才で天の創造神との出会いを体験されたという外間先生は、「2012年以降は我々一人一人が直接神と繋がり、神の姿に帰って行く」とチャネリング状態でおっしゃっていて、あまりにドリームスペルとの親和性が高いので、思わず後で誕生日をお聞きしてしまった。すると誕生KINはKIN206(11・世界の橋渡し)で、今の道筋はKIN26(13・世界の橋渡し)であることが判明。私は間もなく「13・世界の橋渡し」の道筋に入るので、私の誕生日からぴったり260日前が外間先生の誕生日という事だ。

新月の直前だったこの日は、イェイツの『ヴィジョン』を元にした「月の28相」システムで言えば、私が生まれた時と同じ28相の状態だったが、誕生の瞬間から数えれば555朔望月が経過したタイミングであった事を、2日後、誕生KINを祝う高橋徹さんからのメールで知った。また、沖縄の梅雨明けもこの日だったことを、夜のニュースで知った。
万座毛 ☆万座毛

晴天に恵まれたKIN240(6/27)は、万座毛と知念岬の二カ所で剣武の奉納演武と祈りの瞑想を行われた。何も知らずに見ていたら、ただただ美しいだけの風景の背後に、沖縄戦やそれ以前の悲しみの歴史が横たわっている。野原先生が涙ながらに語って下さった当時の状況と人々を想いつつ、さらに古い時代にもあったであろう様々な記憶が解放され、平和の波がここから世界に広がって行くことを願いながら演武をさせて頂いた。
知念岬 ☆知念岬

道友達が駐車場の木陰で涼む子猫達を愛でている時、私はその後ろの車のナンバーが気になって仕方がなかった。何故なら、137は13:20マトリクスのツォルキンにおいて中心7列目の「7・地球」で、「地球の主」とも言われる日であり、52は全ての人にとってのカレンダーラウンドであるだけでなく、外間先生が天の創造神と出会った年だからだ。そして、その半分の26は、誰にとっても運命の道筋が反転する年であり、同時に外間先生の現在の道筋(=次の私の道筋)でもあったからだ。
ナンバー 
その夜泊まったユインチホテル南城のユインチは「寄満」と表記され、「世界中の恵みや宝、豊穣が集まるところという意味で世界遺産 斎場御嶽の最も高い位置にある場所です。元々は琉球王府用語で”王の台所”という意味であり首里城にも存在しています。」と説明されていた。確かに、そこから見える風景は見事で、特に温泉からの眺望は宝そのものだった。自分の62銀河スピンの最後の瞬間をそういう場所で迎えられた事に感謝しながら、「宇宙の月」の初日、そして新月の夜は静かに過ぎて行った。


※この旅の様子については、引き続きここに書いて行く予定だが、そこからの流れと深い連続性があると思われる「きんきシンクロニック・アートラボ」では、琉球、日本、地球の変換プロセスについて、具体的なアート(暦の使い方、瞑想の技法など)と共にシェアするつもりだ。

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