御嶽山の噴火と伊勢

2014年10月04日 00:34

■電気の月14日(G10/3)KIN78 白い宇宙の鏡(by D)

G9/27(KIN72)、私は横浜ナディアで暦のクラスを行っていた。午前中の初心者クラスで例題に立候補されたOさんはKIN234の方で、午後に予定されていた《『13の月の暦』で観る伊勢と出雲》というテーマ別クラスの内容にあまりにも直接繋がっていたので、私は一人興奮を抑えるのに苦労しながら、クラスを進行させなければならなかった。

何故なら、私が何に興奮しているのかを理解してもらうためには、土台となる最低限の知識だけは必要で、それ無しにいきなり話をしても意味が通じないからだ。

出雲大神宮から杵築大社へー国道9号」でも書いたように、私はツイッターの10500ツイート目に、「KIN234は、第125代今上天皇と、シンクロニシティという言葉を生んだユングの誕生KIN」という内容を、それが何ツイート目かを全く意識せずに書いていた。

後から気付いて、何となく10500が125で割れそうな気がして、遊びでやってみたら綺麗に84で割り切れてしまって、それがちょうど現在の出雲国造の代の数だと後に判明したのだ。

加えて、今年のKIN234は夏至で、私の手帳には、その日10000ツイートに達したことがメモされていた。10500ツイート目のシンクロを受けてテーマ別クラスの内容を決めた私にしてみれば、そのクラスに参加する方のKINが、またツイッターがらみの特別な日だったのは、驚きだった。

それだけではない。そのKIN234のOさんは、現在ある方から依頼されて伊勢神域内のご神木で曲玉のアクセサリーを制作している最中だと言うのだから、何とも出来過ぎた話だ。また、午後にいらしたYさん(KIN68)は、ご自分の誕生KINでもあった秋分の日と、その翌日(=実はOさんの365日暦の誕生日だった)に、伊勢に参拝されて来たばかりの方だった。

そして、午後に当日飛び入り参加されたもう1人OさんはKIN78で、ご出身は出雲。そのことは以前から知っていたのだが、この日初めて、斉明天皇が出雲国造に命じて修造させたのが、出雲大社の遷宮の始まりと言われていることを教えて下さった。ちなみに斉明天皇は37代天皇で、その日のサイ時間もKIN37だった。

伊勢つながりのOさんはKIN234(13・魔法使い)、出雲繋がりのOさんはKIN78(13・鏡)。ということは、この二人は、「白い宇宙の魔法使いの年」の元旦と「時間をはずした日」の関係!このお二人が並んで座っていたとは、何と言う美的関係性だろうか!

だが、真の驚きは帰宅してからの方にあった。ネットのニュースで、ちょうど暦のクラスをやっていた頃に木曽の御嶽山が噴火したことが報じられていたのだ。御嶽山伊勢式年遷宮とも関係があることを『シンクロニック・ジャーニー』に書いている私は、このタイミングでの噴火にただならぬものを感じた。

と、同時にこの日の暦のクラスに参加されていた方が、「白い宇宙の魔法使いの年」の始めと終わりの日付の組み合わせになっていたことも気になって、一番最近のその年が何時だったのかを調べてみた。すると、それは1979年7月26日〜1980年7月25日の1年に対応していた。

一方、御嶽山が有史以降最も活発な活動をしたのは何時なのかを調べると、何と1979年!しかも、今回のような大規模水蒸気爆発が起きた正確な日付は、1979年10月28日。秋分の日に伊勢に参拝して来られたYさんの誕生KINと同じKIN68だ!一日のズレも無い。

つまり、御嶽山が噴火したまさにその日の暦クラスに参加されていた3名の方は、1979年の御嶽山噴火と、年も日付も完全にシンクロしていたという事になる。伊勢の式年遷宮に用いられる御用材は、現在、木曽御嶽山の麓から切り出されていることを振り返ると、やはりこのシンクロはただ事とは思えない(だが安直に読み取りたくも無い)。

午前中から参加されていたKIN205のYさん(お名前は明後日結婚される高円宮さまと同じ典子さん!)は、御嶽山とは直結しなかったが、参加者の中で唯一、二子玉川の「ラサ」に訪れたことがある方だった。ラサでは、10/1(KIN76)から「天真書法塾シャンバラ教室ギャラリー展」が始まっていて、10月一杯開催されるのだ。
ラサ 
KIN78のOさん(出雲出身)は、実はシャンバラ教室生で、そのギャラリー展に作品も出されている。しかも、会期中の本日10/3(KIN78)が、カレンダーラウンド!(おめでとうございます!)それを記念するかのように、伊勢では今日、内宮宇治橋前の大鳥居が新しくなった。

明日は名古屋で暦のクラスがあるのだが、この話は、さらにそこにも繋がって行く事がはっきりしている。明日、初めてこういう話を聞く人の中は、ちょっとコワいと感じる人もいるかもしれない(あまりに現実との結びつきが高過ぎるシンクロだけに)。しかし、「畏れ」を感じることは、今の時代、とても大切なことだと私は思う。

同時に、一連のシンクロは、別に見えざる存在が私達を脅そうとしている訳では無い、ということも私は体感的に知っている。20年近くの連続シンクロ体験の中には、それ自体に「畏怖」を感じるものも沢山ある。しかし、それらは全て、自分自身が深淵なる大自然と切れ目の無い存在であることを、ありありと思い出す時に生じる感覚なのだ。きっと、明日も多くの方がそういう体験することだろう。

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