江本所長を追悼して-ツタンカーメンとパカル

2014年10月18日 01:35

電気の月28日(G10/17)KIN92 黄色い磁気の人(by D)

KIN89(G10/14)の朝、IHM時代の同僚だったMさんからFB経由で「まだのようでしたら、なるべく早く所長(※)のお見舞いに行ってください」というメッセージを頂いた。過去、何度か危機的な状況があった時も、何故か大丈夫な気がして、いつも気持ちは向けていたものの、私はこれまで病室までお見舞いに行ったことは無かった。

(※)江本氏は元スタッフからは当時の役職で呼ばれる事を好まれた

だが、Mさんの書き方がちょっと気になったのと、KIN89が『13の月の暦』提唱者のホゼ・アグエイアスが他界したKINで、ちょうどその2011年3月23日(KIN89)から『13の月の暦』のツォルキンが5回巡ったタイミング(=1300日)であったこと、さらに、そのホゼから遺品としてクリスタルスカルを託された江本所長の100回目の誕生KINを翌日に控えていたこと、そして、私もちょうど都心に用事があって、その日ならお見舞いに行ける時間があった事など、全てが重なって私は初めて所長のお見舞いに伺った。

夕方の時間帯、偶々病室には誰もいなかたったので、ナースセンターに断りを入れて入室。最初は眠っておられたが、看護師さんが血圧その他の確認に入ってくると、その問いかけに対して首を縦や横に振って意思をしっかり表明されていたので、意識ははっきりしている様子だった。水を飲ませて欲しいとゼスチャーで示されたので、看護師さんにやり方を見せてもらって、その後、2回ほど私も水を(小さいジョウロ状の容器で)差し上げた(多分どなたかが作られた波動水ではなかったかと思う)。

その事に対してだったのか、お見舞いに対してだったのかは分からなかったが、所長は、声にならない声で「ありがとう」と、しっかりとこちらを見ながら言って下さった。長居してもご負担だと思い、明日が100回目の誕生KINなので、お祝いと回復の祈りを呼びかけること、そしてこれまでの仕事に対する感謝と敬意の気持ちをお伝えし、20分余りで病室を後にした。

翌10/15=電気の月26日が、江本所長の100回目の誕生キンであるKIN90「白い水晶の犬」。つまり、誕生26,000日目だった(閏日を『13の月の暦』のやり方で扱う数え方で)。26日に26,000日目とは、流石所長だなと、その魔法使いぶりに改めて感心してしまったが、この日は急激に気温が下がって体調を崩す人が多かったので、時折苦しそうにされていた所長のことが気になっていた。

10/16(KIN91)は、横浜ナディアでウォーターセラピーの出張セッション。20年近くこの仕事をさせて頂けているのも、元を辿れば江本所長の『波動時代への序幕』が世に発表されたからこそ。そう思うと、道を切り拓いて下さった開拓者に対して、ただ感謝の念が湧いて来る。この流れとシンクロするように、ここ数日読み進めていた『アトンの娘(ツタンカーメンの妻の物語)』(里中満智子作)を、この日、私は読み終えた。

実際に「王家の谷」の墓室も、カイロ博物館にあるアンケセナーメンが捧げたとされる矢車菊のドライフラワーも、そしてツタンカーメンの(当時一般公開されたばかりの)ミイラも目にしている私には、何とも感慨深い物語だった。と同時に、王が死ぬ度に出てくる「(王位)空位の期限は70日」という台詞が気になって仕方が無かった。

何故なら、ツタンカーメンの墓が封印されてから3300年後、ハワード・カーターがそれを開封した日付は、1922年11月4日のKIN70(5・犬)で、自己存在の月18日に当たるその日は、サイ時間単位もKIN70だからだ。ネットで調べたところによれば、70日というのは遺体をミイラにするまでの期間でもあるらしい。

私は、『13の月の暦』というツタンカーメンの時代から3300年以上も後に生まれた暦が、当時の慣習とこのような形で結びついていたことを初めて知って、驚かずにはいられなかった。ツタンカーメンの墓は、マヤのパカル王と同じように、その開封のタイミングまでもがテルマ(埋蔵経典)的なのだろうか。そして今朝(10/17)、再びMさんから連絡があり、江本所長が未明(0:50)に逝去されたことを知った。
打ち上げ所長と☆「銀河の同期」を翌日に控えた2013年7月25日「時間をはずした日」に、ご機嫌の江本勝所長と。

思えば、江本所長の100回目の誕生KINに当たっていた10/15(電気の月26日)から今日までの3日間、サイ時間は、まさにパカル王の墓室開封を示すKIN218(=1952年6月15日)だった。ホゼはパカル王の声を聞いた後、ロイディーンと共に『13の月の暦(ドリームスペル)』を生み出しているのだから、そのホゼからクリスタルスカルを託された所長が、このパカル王の墓室開封のタイミングで旅立たれたのは、やはり偶然とは思えない。

今、書いていて気づいたが、ロイディーンも今年(2014年)の誕生日の翌日にこの世界から旅立っている。どちらも1943年生まれの71才。KIN91(10/16)に読み終えた『アトンの娘』第3巻は、2006年3月10日(KIN71)発行の第2刷のものだった。71才+1日で旅立ったロイディーン、100銀河スピン+1日(71才+86日)で旅立った江本所長。里中さんと同じG1/24生まれのホゼは、72才+58日で旅立っている。

3300年間封印されていたツタンカーメンの墓が開かれた1922年11月4日から、正確に79年後の2001年11月4日には、私の父が他界している。所長は10/17の0:50に他界されたとの事なので、実質的にはKIN91(13・猿)、つまりKIN79(1・嵐)から始まったウェイブスペル(13日間)の終わりに合わせて、この世を去られたと言って良いだろう。

そのKIN79に熱田神宮前で暦のイベントを主催して下さったIさんはKIN70。私はその日、のぞみ58号5号車5で東京に戻ったのだが、KIN58→「6・鏡」→「6・エツナブ」は、パカル王の石棺に刻まれたマヤ暦で、パカル王が冥界に旅立った日付であり、「5・5」=「5・蛇」=KIN5は、江本所長の71才(=他界時)の運命の道筋である。

KIN91の完了とほぼ同時に他界されたとすれば、91-5=86となり、所長は71年と86日この世界を生き抜かれたという事になろう。私が「王家の谷」のKV62、則ちツタンカーメンの墓で、一般公開されたばかりのそのミイラに対面したのは2008年3月3日(KIN14)。1922年に墓が開封されてから86年目のことであった(一般公開は墓室開封85年を記念して2007年11月4日に初めて行われた)。

ここに取り留めなく書いた日付や日数は、私にとって、江本所長とホゼとロイディーンとツタンカーメンとパカル王と父とを繫ぐ時空の目印であり、大切な記憶の鍵である。このタイミングに『アトンの娘』を読んでいた事も、現在KIN26の道筋を歩む私が、所長の誕生26,000日目に(結果的に)最期のご挨拶に行けた事も、無意識的で直感的な行為から生じた流れだ。波瀾に富んだ所長の人生も、きっとずっとそんな感じだったのではないだろうか、と私は想像する。

「波動と水」に関する私の恩人にして大先達である江本勝所長に、心からの感謝と敬意を捧げます。

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