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サカダワ満月のパカル王

2015年06月04日 02:21

水晶の月5日(G6/3)KIN61 赤い太陽の竜(by D)

サカダワ満月というチベット暦の上ではこれ以上ないスペシャルな日(今年はG暦6/2=昨日がその日だった)からスタートした【13の月の暦「時の楽譜」展】。会場もチベットの都の名を冠した「ラサ」。

これだけ揃えばもう十分な気もしたが、昨日はその『13の月の暦』で見ても「パカルの特別な13日」に当たるKIN60(8・太陽)で、石棺に刻まれた王の誕生日とリンクしていた。そもそも『13の月の暦ドリームスペル)』は、ホゼ・アグエイアスがパカル王とチャネルした事がきっかけとなって生まれているのだから、昨日はまさに、次元間通路の大解放状態だったと言えよう。

そういう場に一番乗りでいらしたのは、Oさんという方だった。この暦についてネットで調べていて今回の展示を知ったとのことだったが、会場に来られる前に岡本太郎美術館に立ち寄って来られたというのを耳にした瞬間、「これは何かあるな」という気がした。

というのも、私達が日々体操をしに行く近所の公園からは、太郎の生家があった場所を示す記念碑(太郎作)が川向こうに見えていて、太郎の誕生キンは、「13の月の暦」で私が生まれた年と同期するKIN224(3・種)だという事を思い出したからだ(しかも今年は生誕104年の還暦周期であることにも後から気付いた)。そこで、Oさんの誕生キンを伺ってみると、KIN193(11・空歩く者)であることが判明。

260日暦をマヤ長期暦(約5125年)に置き換える(1カトゥンを1キンとする)見方は、私の知る限り、ホゼの『マヤン・ファクター』(※1)で初めて試みられたものだと思うが、その見方に従うと、KIN193はパカル王が活躍した時代の最後のカトゥン(約19.6年)に対応し、長期暦だと9.13.0.0.0と表記される。

この 9.13.0.0.0は、「碑銘の神殿」が完成し、パカル王の墓室が封印されたタイミング(AD692)として、ホゼが盛んに言及していた日付であり(※2)、「パカル・ヴォタンのテレクトノン」という小冊子のP44にも、以下のような記述がある。

”私の神殿の完成と、私の天王星の墳室の閉鎖が、AD692年、9.13.0.0.0。”

この日、ラサのご主人・石川さんが着ていたTシャツに、鉄腕アトムの誕生日(2003年4月7日)が大きくプリントされていたので、思わずその場で調べてみたらKIN44だったが、それが9.13.0.0.0について書かれている冊子のページ数とシンクロしている事に気付いたのは、帰宅してからだった。

結局、KIN193のOさんは、《TIMESCORE》と一緒に『マヤのリズム』『宇宙の暦は13ヵ月』も購入して下さったのだが、『マヤのリズム』の冒頭(P15)に、長期暦表記の例題として9.13.0.0.0が大きく書かれている事は、もちろんご存知無かったと思う(本はパッケージしてあるので)。

しかし、何より驚いたのは、そのOさんが岡本太郎美術館を訪れた動機の方だった。そこでは今、竹田鎭三郎というメキシコに渡った日本人画家の企画展が行われているとの事で、「メキシコ!?」と思いながらも、その名を聞いてもピンと来なかった私は、その竹田氏の作品集をチラッと見せて頂いても、その場ではそれ以上追求する気にならず、岡本太郎の「明日の神話」という作品(今は渋谷駅にある)は、確かメキシコで再発見されたはずだ、という事の方を思い出していた。

Oさんが去られた後、美術館のサイトをスマホで見てみると、その企画展のタイトルは、何と「竹田鎭三郎-メキシコに架けたアートの橋」展 ―岡本太郎《明日の神話》を支えた画家― であった!しかも、メキシコの中でも”オアハカ”という地域に深く関係している方と分かって、私は久しぶりに畏怖の念を覚えるシンクロを感じた。
時の楽譜展初日 ☆ホゼのコラージュ作品の前で

何故なら、「時の楽譜展」で展示されているホゼのコラージュ作品には、オアハカの女性シャーマンからトニー・シーラー経由でホゼに伝えられたとされる20×13マトリクスタイプのツォルキン(遺跡や古文書からは見つかっていないタイプ)が、かなり沢山登場しているからだ。それだけでなく、私達が知るあらゆるタイプの260日暦のルーツは、オアハカに栄えたサポテカ文明にあると、現在の考古学では考えられているからだ。

ホゼが夢中になって研究し、「13の月の暦ドリームスペル)」にも取り入れられ、最新の《TIMESCORE》にも同封されているツォルキンは、その源をメキシコのオアハカに持つのだから、竹田鎭三郎という画家が、Oさんを通じてサカダワ満月の初日にシンクロして来たのには、全くもって驚くより他無い。もしも、Oさんが岡本太郎美術館の事を話して下さらなかったら、多分、私は竹田氏の存在すら知らないまま会期を終えていたことだろう。

だが、驚きはまだ続く。実は、9.13.0.0.0に関しては、もう1つ、その4日前のKIN56に、それを強く意識する出来事があったからだ。137についてのメモをする中で、ユングとパウリについて調べていたところ、パウリの誕生日が1900年4月25日で、誕生キンはKIN167であることを知った。『銀河のマヤ』の中で、9.13.0.0.0について詳細に検討した経験があった私は、そのKINが「13の月の暦」のツォルキンで計算した時の 9.13.0.0.0に一致する日付である事を覚えていた。

念のためiPhoneの無料アプリKIN3Dでも再確認してみたが、間違いなかった。そして、ここからが面白いのだが、その時、横浜で会った友人Rさんが、Oさんの次に「時の楽譜展」の会場にいらしたのである。また、4/25は私達と深い縁があるネパールで大地震が発生した日で、私はその日も横浜で仕事をしていたこと、そして今年はその日がロイディーンの101回目の銀河の誕生日(KIN22)だったことを思い出した。

ちなみに、「時の楽譜展」共同開催者のみよこみよこさんも、そのみよこさんにカバー絵を描いてもらった『マヤのリズム』や『霊性のアート』の出版元、中央アート出版社の吉開社長もKIN101が誕生キンである。

その上で、竹田鎭三郎企画展の会期が4/25(KIN22)〜7/5(KIN93)だと分かると、やはり「何だこれはっ!」という気分になる。ネパール地震とパウリ竹田鎭三郎。4/25(惑星の月22日)で結びつけられたこの繋がりの背後に、137が絡んでいるのだ。これについては、宮沢賢治(KIN131)と地震の関係も交えて、6/6(土)のトークイベントで話そうと思う。

が、最後に、そのOさんが、帰宅後に送って下さったメールから、2つだけ情報をシェアしておきたいと思う。1つは竹田鎭三郎氏の誕生日が1935年2月13 日で、KIN131だという事。もう1つは、その日、手に入れられた竹田氏の絵本の発売日が、2013年11月15日、KIN16だったという事だ。

その日『マヤのリズム』をパラパラめくって、私の次の運命の道筋がKIN131だと知ったOさんは、竹田氏とのシンクロを私に知らせようと、わざわざメールを下さったのだった(おそらく賢治の事は意識せずに)。そして、KIN16(3・戦士)は、「時の楽譜展」3人目の来場者で、今日(6/3)365日暦の誕生日を迎えた本田虹風さんの誕生キンである。

と、ここで終わろうと思っていたら、もう1つ思い出してしまった。9.13.0.0.0を、マヤ暦無料アプリMaya3Dで調べると「8アハウ」となる。G暦への仮想換算だと692年3月16日。パカルが誕生したのは603年3月24日で、長期暦では9.8.9.13.0の「8アハウ」。という事は、パカル王の誕生から、その遺体を埋葬した「碑銘の神殿」の封印(とホゼが考えていた日付)までは、ぴったり125回ツォルキンが巡る期間だということであり、それはほぼ89年に相当すると言う事である。

ホゼが他界した日付はKIN89。2013年銀河の同期とシンクロした第62回伊勢式年遷宮は、今上天皇の125代、伊勢125社、そして臨時祭主・黒田清子さん(KIN125)の全てが見事にシンクロした、非常に特別な遷宮だった。「13の月の暦」の最初の発表形態である『ドリームスペル』は、「時の楽譜展」でも展示されているが、最初から2013年を目標点にしていた関係で、タイトルの中にも2013という数が入っているし、2004年には来日していたホゼと共に伊勢内宮に奉納もしているのである。

パカル王の誕生日と9.13.0.0.0という特別な記念日が共に「8アハウ」の日であり、その期間がぴったりツォルキン125回転分だと知ったのが、「13の月の暦(ドリームスペル)」のツォルキンでの「8・太陽」(→8アハウに相当)だったのは、偶然なのだろうか。一連の出来事を直に体験している私にとっては、とてもそうは思えなかったし、私がこの事に気付いて猛烈にメモを走らせていたのが、ホゼのコラージュ作品の前に座っていた時であることを振り返ると、ある意味、私もチャネルしていたのかもしれないと思う。

「時の楽譜展」の空間を見て、ラサの石川さんは「魔法研究所の屋根裏部屋みたい」と表現されていたが、6/30(KIN88)までの期間は、おそらく誰にとっても「魔法研究所そのもの」なのではないかと思う。何しろ、時間魔術のエッセンスとエネルギー、その源の情報がそこに集結しており、その最新バージョンである《TIMESCORE》と関連イラストがお披露目されているのだ。

銀河のマヤ情報と直に体感してみたい方は、余計な知識を詰め込む前に、ラサの美味しいお茶を味わいに来つつ、その時空間にゆったりと身を任せてみると良いだろう。きっとそれだけで本質を悟り、本来の使い方がパッと分かってしまう人も出てくると思う。


(※1)日本語版は2つ出ているが、参考になるのは、内容が一切カットされていないVOICE(高橋徹訳、滝元隆伸監訳)のバージョン。

(※2)色々調べて行くと「碑銘の神殿」が9.13.0.0.0に完成したとか、墳室が封印されたという明確な証拠は無いようである(ホゼが発信した情報の引用以外では見あたらない)。ただし、「碑銘の神殿」の碑文の中に、パカル王の(未来の)記念日らしき日として9.13.0.0.0が記されていたり、その区切りに合わせて、息子カン・ヴァルム(チャン・バハルム)が葉の十字架神殿群を奉献したらしい事は、いくつかの資料に書かれていたので、碑銘の神殿の奉献も同じタイミングで成された可能性はあるのかもしれない。

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