持統天皇と「八」の秘密

2015年07月03日 21:12

宇宙の月7日(G7/3)KIN91 青い宇宙の猿(by D)

微細なサインを無視していると、次第にその呼びかけが大きく過激になって来るというのは、健康問題や人間関係に限らず、どんな事にも通じる面があるようだ。G暦3月中には何とか書き上げようと思いながら、日々シンクロに追われ続けて、気付けばもう7月。すると、「ついに」という感じで「時の楽譜」展の終了にぴったりシンクロする形で、強烈なサインがやって来た。

それは、奈良県磯城郡(かつては纏向、三輪、橿原、十市郡等も含んでいた)の方からLに仕事の依頼が入る、という形を通じて私達に示されたものだった。それだけなら、別に何と言うことも無いのだが、持統天皇を主人公にした里中満智子さんの作品『天上の虹』との、ここ1年くらいのシンクロを振り返ると、やはり驚きを禁じ得ない。

きっかけは、昨年のGWに行われたLの個展「書の魔法」にあったのだが、長くなり過ぎるので、ここではG2/28(KIN226)に有楽町マリオンで行われた飛鳥・橿原シンポジウム「藤原京物語〜持統天皇 その愛と戦いの生涯〜」以降の、インパクトがあった出来事についてだけ整理しておきたいと思う。
持統天皇 
橿原市が主催したこのシンポジウムでは、里中満智子さんと橿原考古学研究所所長の菅谷文則さんが、それぞれ素晴しい講演をされたのだが、より強い衝撃を受けたのは、失礼ながら実はあまり期待していなかった菅谷先生のお話の方だった。その要点は、持統天皇が神仙思想の影響を受けていて、同時代に活躍した修験の開祖・役小角とも直接交流していたのではないか、というものだった。

個人的見解であったとしても、研究所の代表という責任を負っている方にしては、中々大胆な発言だと思ったが、あるいは、満を持してこの機会に発表することを決めていたのかもしれない。その日の朝、入院先の病院から退院されたばかりで、念のため里中さんと講演順を変わってもらったとか、実際に山を歩き回って古代の記述通りに移動出来るか検証したとか、気合いの入り方が違うように思えたからだ。

それに、天武・持統合葬陵が八角形であることや、持統天皇が吉野宮へ33回も行幸した謎、役行者が文武天皇の時に伊豆に流されている事などを結びつけるなら、話の筋は通っている。加えて、持統天皇在位中に始まった伊勢の式年遷宮が、何故20年周期なのか?について、かつて不思議研究所の森田健さんが書かれていた「式年遷宮と金の三合局の関係」が頭にあると、菅谷先生の説がますます真実味を帯びて来るように思えるのだった。

実は、以上のメモは、講演を聞いたその夜か翌3/1(KIN227)までに既に書いていたもので、「金の三号局」について記したブログは、そこから5年前の同じ時期の深夜2:27にUPされていた。また、直近の式年遷宮は2013年に行われたが、シンポジウム当日のサイ時間単位がKIN164(=8・種=2013年銀河の同期)だった事もメモしておきたい。

シンポジウムで配布された資料には、八角形の復元図と共に、天武・持統合葬陵の写真も掲載されていたが、私はシンポジウムの93日前にその申込みをしており、昨年4月のKIN173にその陵墓を訪れている。そして、ここまでのメモをした3/1のサイ時間単位は168だった。この168と173、93と88は、神秘の四つ組を形成する特別な関係にある。

3/1(KIN227)の日中、私は横浜ナディアの暦クラスで、易の64(8×8)卦をツォルキンと統合したツール『時間の法則の20の銘板』について話をしていて、Lは元町アントショップで八角形の小鉢(チャーミングセール限定品)を2つゲットしていた。つまり88である。

話をシンポジウムに戻そう。菅谷先生は、修験道の開祖役行者(小角)の生誕地とされる御所市茅原の吉祥草寺で、毎年G1/14(L誕生日)に火祭りがあることや、2013年の式年遷宮はまだ続いていて、12別宮の最後の遷宮は、G3/15(KIN241)の風宮で完了すること等も話して下さった。

「入院中に般若心経を唱えていたら、えも言われぬ気持ち良さで恍惚となって、いつ死んでも良いと思った」なんて話をされたかと思えば、名誉大先達の称号を持つ山伏でもあるとの話も出たりして、興味は尽きない。退院直後とは思えない勢いで話をされる先生のことを、最前列の席から見ていると、身体を通じた深遠な体験をかなり豊富にされているのではないだろうか、という気がしてならなかった。

その菅谷名誉大先達によると、木曽御嶽山の山伏はかつて口寄せみたいなワザを使える方がいたらしく、羽黒の山伏は心の病を治すのが得意だったらしい(薬草との関係があるようだ)。蔵王権現は役行者が感得したと言われているが、ちょうどその夜、安倍昭恵さんがFBで蔵王スキー場からUPしてた写真が蔵王権現堂だったのは面白いシンクロだった。

翌3/1(KIN227)、横浜ナディアに行くと、ワークショップルームまでの移動用の紙袋が、いつもと違っている事に気付いた。気になってよく観ると、外宮表参道にある「せきや」のものだった。住所は伊勢市本町13-7。外宮の最初の遷宮が持統6年(692年)、則ちパカル王の眠る「碑銘の神殿」が完成した年だった(らしい)ことを振り返ると、このシンクロもかなりキテる。

そして、のびのびになっていたこの記事のUPが、13月7日になってしまったこと、この日が今年KIN91(=13×7)と同期すること(52年に一度しかない)、さらにそういう特別な日が、137部制作した「13の月の暦TIMESCORE」の共同制作者 Miyokomiyokoさんの誕生日であることを考えると、やはり興奮せずにはいられない。

4日後の3/5(KIN231=Lの誕生キン)に、天真書法塾新宿プロムナード展(6月)の打ち合わせがあり、私達のチーム(3名)は「日本の神話」を作品テーマにすることを決めた。実は展示の話があったその瞬間から、私は「刀」という字を書きたいと思っていたので、「三種の神器」をモチーフとして提案することで、その希望が叶うことになったのだった。

その日、私は「三種の神器」の全てに「八」が関わっている事に、はじめて(もしくは改めて)気付いた。八咫鏡・八尺瓊勾玉・草薙剣が、いわゆる「三種の神器」であるが、草薙剣は、スサノオが出雲国において天羽々斬剣でヤマタノオロチ(八岐大蛇)を切り刻んだ時に、その尾の中から出て来たとされるので、やはり「八」が関係しているのである。

そして、そのスサノオが詠んだ「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」が、和歌のはじまりだとも言われている(伝説的に)。これら一連のことを俯瞰すれば、少なくとも、記紀が編纂された時代、つまり天武・持統天皇の頃には、既に「八」が相当意識的に使われていたのが分かる。

この事に気付いた翌日(3/6)、佳子さまが成年(20才)の報告をしに、伊勢神宮(外宮・内宮)を参拝されたことが報じられていた。お一人では初めてとのことだったが、トータルでは三回目の参拝というのも、「三種の神器」と重なるようで興味深い。
三種 
実際、新宿プロムナードに作品をセッティングした6/6(KIN64=8×8)も、佳子さまは初の単独地方公務で、安徳天皇を祀った赤間神宮を参拝されているので、何か繋がりがあるのかもしれない。壇ノ浦で夭逝した安徳天皇は、「三種の神器」と共に語られることが多いので、最近【「三種の神器」と137】という記事にも書いたばかりだった。

4/4(KIN1)から始まった「惑星の月」は、『20の銘板』の見方だとちょうどKIN231に対応するので、Lはそれを意識して江戸川橋で「花のシャンバラ展」を開催した。この時、出品もしていたシャンバラ教室生で、飲食店を営まれているFさんから、Lはある依頼を受けているのだが、興味深いことに、Fさんのお店には「八」とか「仙」という文字が含まれていたりする。

また、この展示を観に来られ、6月になってから入門されたOさんは、何と、かつて菅谷先生と仕事をした経験のある方だった。2/28のシンポジウムまで、その存在すら知らなかった先生と直に交流していた方が、シャンバラ教室にこのタイミングで入門して来られるとは、全くもって驚くより他ない。

そしてKIN118(1・鏡)&KIN18(5・鏡)の増田「鏡」夫妻に薦められたガイドブック(みよこみよこさんがイラストを描いた『aruco台北』)を手に、台北にミニトリップに出たのが4/20(KIN17)。この旅についてはメルマガで報告中なので詳細は省くが、故宮博物院で「皇帝的鏡子」という特別展示が行われていて(この事は現地に着くまで知らなかった)、随の終わり頃から唐にかけての「鏡」が展示されていた。
皇帝鏡 
八咫鏡がどんな姿なのかは、実物を見た人が殆どいない現在、推測に頼るしか無いが、歴史の流れを省みつつ、遷宮ごとに調進されるご神宝の「御鏡」(←ご神体とは異なる)も参考にすれば、そんなに的外れにはならないと思う。故宮に展示されていた唐(=持統天皇の時代)の「鏡」と、ご神宝の「御鏡」がとても良く似ている事は、八咫鏡もそれに近いものである可能性を示唆している。

台湾での「鏡」シンクロも相当なものだったが、帰国直後にも、驚くべきシンクロがあった。私がウォーターセラピーで使用しているBAという機器は、製造元のアディック(現ウィリット)でその開発に携わっていた関係もあって、今も時々その機器の行方を耳にする機会があるのだが、GW直前に届いた情報は衝撃的だった。何と、二上山エリアの方が購入されたというのだ。

万葉集にも登場する二上山は、古来神聖な山とされ、持統天皇の甥に当たる大津皇子の墓もある場所。『天上の虹』は里中満智子さんの30年に渡るライフワークで、ちょうど先のシンポジウムの頃に最終23巻が完成し、私達の手元には3月中旬に届いた。その最終巻の終盤、鸕野讃良こと持統天皇がこの世を去る時、(物語の中で)最後に気に掛けていたのが大津皇子だったのだ。

登場人物の多い『天上の虹』だけに、もし、終盤にその名が登場していなければ、どういう人物だったかも思い出せなかったに違いない。だからこそ、このタイミングで二上山にBAが届けられたと知った時の驚きは大きかったのだ。多分、BA本体の組み立てを、かつて私自身の手で行っていたことも、この出来事に特別な感慨をもたらしたように思う。

6/10(KIN68)には、歴史秘話ヒストリアという番組の中で「よみがえる 持統天皇の都」と題して、藤原京の事が取り上げられていた。『天上の虹』の絵が使われていたお陰で親しみが持てたが、新たに知って刺激を受けたのは、持統天皇の命で生まれた藤原京が、『周礼』に記された理想の都を参考に建てられた可能性が高い、という話だった。

『周礼』は周王朝の理想的な制度について周公旦が書き残したものとされ、その周公は、父・文王と共に『易経(周易)』の成立にも関わったとされるが、いずれも伝説的な要素が入り混じっていて、史実かどうかは定かでない。ただ、藤原京の宮城を都の中心部に置いたのは『周礼』の影響、というのは間違いなさそうである。また、八角形の天武・持統合葬陵は、その宮城から真南の位置に建設されたのだと言う。

持統天皇の時代、全国に幅12mほどの直線道路が、6300キロ分も建設されたという話も初めて知って驚いたが、日本という国を支える諸々の基礎が、ほぼこの時代に固められたのは確かで、当時の人々にとってどうだったかは分からないが、現代の私達に至るまでの礎を作って下さったことに対しては、とにかく感謝し、敬意を表したいと思う。

そういえば、番組が放映された6/10は、安倍昭恵さんの誕生日でもあった。【「三種の神器」とKIN137】にも書いた通り、第81代安徳天皇と「三種の神器」の関係について教えて下さったのは、安倍昭恵さんである。昭恵さんはKIN81に四国の剣山に登られているのだが、今日、コンビニで思いがけず目にする事になったマンガは、何と剣山を舞台にした「聖櫃〜アーク〜」発掘史というタイトルの短編だった。

表紙が『北斗の拳』のラオウ風だったので思わず手にしたのだが、俗な話ばかり沢山詰まったペーパーバックを、パラパラとめくった時にチラっと目に入っただけで、表紙のどこにもアークの事など書かれていなかったから、驚くべき偶然である。もっとも、私はこういう感覚を磨く技術を研究して来ているのだから、これくらいの実用性が無いと困るのだが、全く予想外の働き方をするので、自分でも毎回驚くことになる。

しかもそのマンガ、日ユ同根論の流れで、剣山の次には祇園祭の事も描かれていて、今朝方のシンクロとも繋がっていた。昨夜(7/2)、「四国八十八ヶ所の結界で護られていると噂される剣山の頂上に御神輿を運ぶお祭りの日と京都の「祇園」祭の神輿渡御の日はともに今月の7/17ですよね」と、時空のサーファー仲間のJ氏がツイートの返信で教えてくれたので、ネットで祇園祭について調べていたら、その直後にヤフーのトップ画面の写真ニュースが、祇園祭の提灯になっていたのだった。

世界は広く、他にもっと大事なニュースはいくらでもあるだろうに、何故、ピンポイントで祇園祭なのだろうか。確かに私達は昨日、銀座の「ぎおん石」という天然石のお店を訪れてはいる(7/6まで北村公晴氏のアート&ジュエリー展が開催中)し、銀座の他には八坂神社前にしかそのお店がないことも知っている。そして、八坂神社の御祭神がスサノオであることも。

シンプルに考えれば、これこそが共時性秩序の働きであり、そこにどのような意味を見出すかは、前後のコンテクストによる、という事になろう。いずれにしても、キリの良いところでUPしておかないと、まだまだ続きそうなので、ここまでで一区切りとしたい。

ちょうど明後日は、横浜ナディアで「13の月の暦」のクラスがあるので、こういう毎日を過ごしてみたい方、あるいはここに書かれている用語の意味や、シンクロ発見のコツを知りたい方は、基礎クラスから参加してみると良いかもしれない。巷に散見されるデタラメな使い方とは全く異なるシンプルかつ、誰もが速やかにシンクロ次元に入れる銀河的アプローチをシェアする予定である。

元旦の「白い魔法使いの学校」で一気に加速して1年のスタートを切るのも良いが、新年の前に備えておけば、さらに波に乗りやすくなるのは、当たり前の話である。

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