金星・空海・キトラ古墳

2015年07月22日 08:08

■宇宙の月26日(G7/22)KIN110 白い律動の犬(by D)

金星が最も強く輝いていた7/10(KIN98)、四国の善通寺という所からセッションにいらした方がいた。遠方であるだけでなく、珍しい住所だと思って、その10日程前に申込みがあった時にその町の由来を調べてみた。すると、空海生誕の地とされ、町の名も空海の父の法名に由来する事が分かった。

ちょうどその頃行われていた「時の楽譜」展の最終日がKIN88だった事もあって、四国88ヶ所との繋がりも感じ、空海の事をまた少し調べてみようという気になった。KIN88の父を持ち、KIN11の銀河の父(ホゼ)を持つ私にとって、空海がその父に捧げたお寺のある町に国道11号が通っていると知った事もその気持ちを後押しした(ちなみに善通寺は陸軍第11師団が置かれていた地でもある)。

そこで、Lがかつて天真書法塾発表会で第1回天真大賞を受賞した記念にと、友人の安元さんからプレゼントされた『若き空海の実像』(安元さんが編集された)を引っ張り出して来た。著者の飯島氏は専門の書の切り口から大変興味深い指摘をされていて、思わず引き込まれ、すぐに氏の『空海入唐』も注文して入手。

そういう流れがあっての7/10。この日、郵便局で最初に目にした待ち番号806は、空海が唐から戻って来た年だったし、久しぶりに雲の無い夕暮れ時を迎えた西の空には、最大光度で輝く金星と、横に並ぶ木星まで目にする事が出来て、見えない領域から空海が迫って来ているような感じがしてならなかった。

その5日後の7/15(KIN103)、シャンバラ教室でOさんが『日本とアジアの未来を考える/対話・総括』という奈良県が出した分厚い報告書を貸して下さった。最初は「量も多いし後でゆっくり読ませてもらおう」なんて思っていたのだが、Oさんの「P333に橿原考古学研究所所長の菅谷先生の記事がありますよ」の言葉に誘われて、パラパラとめくってみると、これが面白い!

予定していた作業そっちのけで、P333からの《「ユーラシアスコープ」で東アジアの古代史を見つめ直す》と、続くP369からの《古代における日本と西アジアのつながりは不思議》を、教室の片隅で一気に読んでしまった。【持統天皇と「八」の秘密】に書いた通り、菅谷先生の事を知ったのは、今年の2月末の事だったが、講演時の印象に通じる気合いのようなものが、文章からも感じられて思わず引き込まれてしまうのだ。

その夜、PCを落とす直前にヤフーのトップページで【<キトラ古墳天文図は紀元前後中国で観測された星の可能性】というタイトルのニュースが目に飛び込んで来た。私は驚愕した。何故なら、数時間前に読んでいた報告書のP362に、その「キトラ古墳内壁画『天文図』」があったからだ!(ちなみにこのブログは『13の月の暦』で元旦から362日目に当たる日にUPする事になった)

そこでは、キトラ星宿図は北緯38度の天空であり、埋葬されたのが百済の王だという説が紹介されいた(菅谷先生とは別な先生の説)のだが、私はどうもピンと来なかったのだ。だからこそ、数時間後に見たニュースの中で「キトラの天文図が紀元前1世紀半ば頃の星の配置で、円や星の位置関係などから紀元後4世紀に北緯約34度地点(洛陽や長安があった辺り)で観測したものらしい」という報告されているのを見て、尚更驚いたのだ。

それにしても、600ページもある報告書とは別に1000ページの資料まで一緒に持って来て下さったOさんのタイミングの良さには驚かされる。しかし、もっと驚くのは、その翌朝からLが仕事の関係でキトラにほど近い場所に行く予定が入っていたという事実だ。

13月20日(G7/16)の朝、Lは奈良に向けて出発した。その後、私は精神科医の名越さんのツイート”今週の週刊新潮、後ろのグラビア「私の奈良」見てね。弘法大師が若かりし頃、このお寺の塔内で大日経を発見し驚愕。空海が空海になった瞬間” というのを目にして、コンビニで立ち読みしてみる事にした。何しろ、今、私には空海の風が吹いて来ているのだ。

が、その記事は私をもっと別なところで驚愕させた。何と空海が若かりし頃、大日経を発見したお寺というのは、橿原神宮前の久米寺という寺だったのだ!Lがその日宿泊する予定の宿は、その駅前の橿原ロイヤルホテル!住所は橿原市久米町!何と言うピンポイントなシンクロだろうか!!流石に今年最後の「魔術の亀の日」にして新月の13月20日(KIN104)。

しかも、続けて甲野善紀さんのツイートを流し読みしていたら、前日の夜、つまり私がキトラシンクロで興奮していた頃、名越さん共々二子玉川に来ていた事が判明(整体協会に定期的に来ているのは前から知っていたが)。そこで、私はLに、名越さんのツイートの事と、週間新潮を今日どこかで見た方がいいという事をメールで伝えた。

ちょうどその頃、Lは近鉄に乗り換えていて、空海ゆかりの東寺が見える付近を走っている、という返信があった。台風11号直撃が予想されていたのにも関わらず、雨に降られる事もなく、天武・持統陵を参拝し、久米寺にも行く事が出来たというのだから、この一連の流れには、強い必然性を感じてしまう。

本来なら奉納演武に向けて宮崎に出発しているはずだった翌7/17(KIN105)。台風を避けてフライトを一日ズラした関係で、私は天真会事務所で打ち合わせをしてから帰宅したのだが、おかげで、月下美人が咲く瞬間を初めて直に見られたし(事務所で)、ほぼ同じ時間帯に奈良から戻ったLに、久米寺橿原神宮の話を聞く事も出来た。
玄武 ★『新改訂・キトラと壁画』より。玄武は「宇宙の月」のトーテムアニマルである「亀」と、現在の「ウェイブスペル」の主である「蛇」が絡まったデザイン。

キトラは現在、中が見られるようにはなっていないし、今回の用事は全く別な事だったから、わざわざキトラを訪れることはしなかったとの事だったが、飛鳥駅前の総合案内所で『新改訂・キトラ古墳と壁画』(※)という冊子を手に入れて来てくれた。星宿図についてもかなり詳しく書かれていて、何故、百済王説が出るのかも多少理解できた。

が、その冊子はあくまで壁画に関する資料で、誰が埋葬されていたのかについては触れられていなかった。ちなみに、Wikiによれば、キトラ古墳へ埋葬されていた人物の候補は、天武天皇の皇子、もしくは側近の高官の可能性が高いと見られ、阿部御主人、弓削皇子、高市皇子などが挙げられているようである。里中さんの『天上の虹』を読んでからグッと身近になった世界だ。

実は、ここから、宮崎へと繋がるシンクロが色々とあるのだが、それはまた別にまとめることとして、最後に、その冊子で知ったキトラ古墳の住所についてだけ、書き留めておきたいと思う。冊子冒頭の「はじめに」は「キトラ古墳は奈良県高市群明日香村阿部山字ウエヤマ136番地の1に所在する」という一文で始まっている。

実は、キトラシンクロの発端となったシャンバラ教室のOさんは、KIN136(6・戦士)が誕生KINなのだ!しかもその日付は、私達が初めてダライ・ラマ法王からカーラチャクラ灌頂を受けたKINでもある(グラーツで)。古代日本の天文図に関する情報を、驚くべきシンクロを通じて受け取れたのには、この136という数字が強く関与しているのかもしれない。

そしてこれは、今読み進めているユングとパウリによる『自然現象と心の構造』とも関係しているように思える。なぜなら、パウリはこの本の中で、ケプラーの宇宙論について詳しく言及しており、そのケプラーがグラーツに滞在していた事も記しているからだ。

しかし、その話も詳しく分け入ると、また別な流れに入ってしまうので、今は、このキトラ天文図のシンクロが、空海や金星と連動してやって来たことにだけ再度注目して、本稿を締めることにしたい。

(※)『新改訂・キトラ古墳と壁画』は平成18年3月27日の発行。気になってその発行日を調べてみるとKIN88だった。四国八十八ヶ所からの流れ、国際天文学連合が定めた全天88星座と見事にシンクロしていた。

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