パカル王の石棺開封から88銀河スピン

2015年08月04日 23:21

■磁気の月10日(G8/4)KIN123 青い律動の夜(by D)

13の月の暦』の365日暦で、毎月13日までを1日=1バクトゥンと置き換えて見る『テレクトノン』のやり方に従えば、今日10日はマヤが最も栄えたバクトゥン9に対応する。一方、260日暦のKIN123は、パカル王の遺体が眠っていた石棺の蓋が開いた日と言われている。

しかし、ホゼの来日講演録や邦訳書には、KIN123とあるだけでG暦の日付が無い(もしかしたら調べが足りないだけかもしれない)。パレンケ碑銘の神殿」において、パカル王の墓室が発見された日付は、1952年6月15日(KIN218)とハッキリしているので、普通に考えれば、その年の7月以降でそこから最も近いKIN123を辿れば良いという事になる。

すると1952年11月27日になるはずなのだが、日本語だけで検索すると、検証できる情報が出て来ない。それで、今更ながら英語でも調べてみると、やはり石棺の蓋が開いたのは、1952年11月27日(KIN123)である事が分かった。
石棺 ★1999年4月12日(KIN149)に撮影した石棺

英語で検索すると、スペイン語のサイトも含め複数のものが出て来るので、関心のある方は、各自検証して頂ければと思う。その中には、時間の法則財団のPDF資料も入っていて、KIN123が1952年11月27日であることは、ちゃんと書かれていた(アルベルト・ルスの言葉を使って)。

そこで、改めてこの事に意識が向いた今日までに、ツォルキンが一体何回巡ったのかを計算してみると、ぴったり88回巡った日であることが判明した。最近、【金星・空海・キトラ古墳】にも書いたように、88という数字が盛んに訴えて来ているので、これを知って、「今更ながら」という感じから、「今だからこそ」という感覚に切り替わった。

今までにも何度も気になりながら、結局、本気で追求しようとして来なかったのは、「今日調べると、きっと自分にとって一番面白いからだろう」というのが、私の身勝手な解釈である。つまり、私にとっては、88銀河スピンが完了した今が、時空からこの情報を発掘するのに最も相応しいタイミングだったと実感している訳だ。

ここで、88回巡ったというツォルキンの数え方について、少しメモしておきたい。もし、これを(石碑等に残る長期暦と連動した)マヤ暦のツォルキン(260日暦)に従って計算すれば、1952年11月27日と今日の日付は、全く違ったものになる。具体的に書こう。

1952年11月27日=9イミシュ(13暦的に表現するとKIN61)
2015年8月4日 =11キブ(13暦的に表現するとKIN76)

この現象を理解するには、グレゴリオ暦(G暦)との関係性について考える必要がある。古代であろうと現代であろうと、メソアメリカで使われて来たマヤ暦は、グレゴリオ暦の事など全く考慮していないし、する必要も無いので、G暦での閏日にも一切関係なく日付を数え続けて行く。

一方、『13の月の暦ドリームスペル)』のツォルキンは、グレゴリオ暦に対しての関係が崩れないよう、2/29を2/28の延長として数える。なぜなら、この暦は主に、物質主義的傾向を促す周波数を持つグレゴリオ暦からのシフトを意図しているからである。巷に流布している偽マヤ暦情報は、こういう所にほころびがある。

偽マヤ暦を語る人々は、『13の月の暦ドリームスペル)』からツォルキンの部分だけを独立させて扱おうとするが、それは土台無理というものなのだ。上記の通り、G暦閏日におけるツォルキンのカウント方法を見れば、それがマヤ暦では絶対にやらない、非常にイレギュラーな手法であることがハッキリするからだ。

運命が決まっていると考え、占いや鑑定をするのなら、この閏日処理の扱いにどういう意味を持たせるのだろうか。『13の月の暦ドリームスペル)』のように明確な目的を持たずに、閏日の時にツォルキンを2日続けて数える(あるいは一日休む)のだとしたら、一体何のためにそうするのだろうか。最初に誤摩化すと、結局のところ、誤摩化しの上塗りしか出来なくなるものなのだ。
宮殿 ★「碑銘の神殿」トップより「風の宮殿」を見る

「白い魔法使い」からのサイン】という記事にも書いた通り、今年はパカル王の「墓室」が開封されたG6/15にも、興味深いサイクル上のシンクロがあったが、もちろんこれも『13の月の暦ドリームスペル)』のツォルキンでないと、話の辻褄は全く合わなくなる。

何か新しい情報に出会った時は、まず、その出所をよく調べる事だ。新しいもの、珍しいものに何でも見境なく飛びつき、ロクに検証もせずに拡散しまくる人に、心から信頼できる人などいない。もちろん、私を含め、誰だって間違いは犯すものだが、多少なりとも注意深さがあれば(ほんのワンステップだけでも踏み込んで調べれば)、しょーもない情報にいちいち踊らされたり、無駄な出費をしたりせずに済むはずだ。

と、色々エラそう書いている私も、長いことずーっと勘違いしていた、なんて事はザラにある。だから、この文章は、自分自身への戒めとして書いているものでもあるのだ。

例えば、『銀河のマヤ、聖なる時の秘密』の中でも、私はパカル王の誕生KINについて、マヤ長期暦と連動したツォルキンでの誕生日(上記の石棺に刻まれたもの)と、『13の月の暦ドリームスペル)』のツォルキンで計算した誕生日とが異なる事を、具体的に例示している。

しかし、その事(2つの違い)に気付いたのは、『13の月の暦』を使い始めて15年以上も経ってからの話で、それまでは、パカル王の誕生日と言えばKIN60(8・太陽)というように、ホゼが書いていた情報をそのまま鵜呑みにしていたのだ。

その背後には、「その分野に詳しい人(権威)が言っているのだから間違いないだろう」という依存と、「何か変だぞ?」という所を面倒くさがって調べず放置した怠慢と、「本気で知りたい!」という熱意の無さが、横たわっていたのだと思う(自ら省みるに)。

巷で『13の月の暦(ドリームスペル)』を一部引用した”偽マヤ暦”が、マヤ暦として伝わってしまっているのも、きっと、それを扱う一人一人の中に、そういう無意識的で無自覚な「依存、怠慢、無気力」みたいなものが、あるからではないだろうか。

とは言え、せめて「自分が教わった事は間違っているかもしれない」という見方と、間違いがハッキリした時には直ちに修正するという心がけは、忘れないようにしていたい。ものの見方がフィックスされてしまった人は、その土台からしか物事を見られなくなってしまう。

だから、上記のような具体的情報を知っても尚、「マヤ暦」と連呼する人々もいれば、どうにか前に得た知識を無駄にしないように、と苦しまぎれな折衷案を編み出してゴマカし続ける人々もいる。それは各人の自由だが、どこかをゴマカしている内は、そういうバイブレーションが滲み出てしまうものなのだ。

最後におまけで、太陽黒点相対数の基準が、今年のG7/1(KIN89)に変わったという事をメモしておこう。今、気付いたが、これも古い基準はKIN88までであった事を示している。そして、KIN89はホゼが別な次元へと旅立ったKINでもある。『マヤン・ファクター』を通じて、新しい太陽紀の到来を予見した人物と直接的に繋がりのある日付だけに、大変興味深いシンクロだと思う。

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