鎌倉みちのく魔術紀行(2)

2015年08月25日 03:03

月の月2日(G8/24)KIN143 青い宇宙の夜(by D)

誕生日の過ごし方を決めたKIN122(G8/3)から4日後のKIN126(G8/7)に、『シンクロニック・ジャーニー』『マヤのリズム』『霊性のアート』の制作でお世話になった天野氏からメールが届いた。誕生KIN祝いのメールを送ろうと思っていたら先を取られてしまったのだが、その内容もまた、天野さんならではの興味深いものだった。

『13の月の暦』元旦(G7/26)に目にした「相馬の野馬追」の事、「前九年の役」や「後三年の役」といった奥州藤原氏に絡む話題(安倍氏という氏族も登場する)、映画『ダライ・ラマ14世の光石富士朗監督(私達は舞台挨拶された監督と上映後に少し話をさせて頂いている)と職場の先輩だった方の関係など、それぞれ異なる切り口ながら、どこか深いところで繋がっていると感じられる話題が綴られていた。

だが、それらの話題がよりリアルに迫って来たのは、そこからさらに4日後の8/11(KIN130)の事だった。その日、私はツイッターで以下のようなツイートをしている。

”パカル王の石棺が開封されたKIN123が、1952年11月27日だと判明してから、やたらめったら1127ナンバーの車を見るようになった。特に好まれる数の並びでも無いと思うのだが不思議な事だ。”

8/11は、自分の誕生日基準での「時間をはずした日」に当たり、それが今年はツォルキンの中心調波33(虚空コドン)のさらに中心、そして130日続いた「竜の創世記」と、13日続いた「鏡のウェイブスペル」の最終日であるKIN130と重なっていた。しかも、上記のKIN122(5・風)とKIN126(9・太陽)は、KIN130(13・犬)と4次元パルサーの関係でもある。

その夜、間もなく宮沢賢治(KIN131)の道筋に入る事を意識した私は、『雨ニモマケズ』(フォア文庫)を久々に手にし、テキトーに本をパッと開いてみた。すると、そこには「原体剣舞連(はらたいけんばいれん)」という初めて見る詩が掲載されていて、ページはP133だった。

そのまま読み進めると、次に登場したのは、その昔、教科書でも目にしたことがある「永訣の朝」だった。P135から始まっているその詩は、P137まで続き、最後にこの詩が1922年11月27日年の作である事が記されていた。

つまり賢治が夭逝した妹のために詠んだ「永訣の朝」は、パカルの石棺の蓋が開封されるぴったり30年前の作品だったということになる。だが、これも一週間前のG8/4(KIN123)に確認作業をしていなければ、分からなかった事だ。

驚きは「原体剣武連」にもある。この詩の中には「片刃の太刀をひらめかす 原体村の舞手たちよ」とか「こんや銀河と森とのまつり」「獅子の星座に散る火の雨の 消えてあとない天のがわら」...などの印象深いフレーズが続くのだが、ウィキペディアによると 《原体剣舞は踊り手の全てを子供達が演じ、その純真無垢の清らかさにより先祖の霊を鎮めようと伝えられてきた念仏踊り(鬼剣舞)の一種と思われる》と説明されている。

また、鬼剣舞(おにけんばい)は、岩手県北上市周辺に伝わる伝統芸能で、同じくWikiには《この踊りの独特の歩行に、修験道の鎮魂の呪術のひとつ「反閇(へんばい)」がある。陰陽道で用いられる呪術的歩行のひとつで、「大地を踏み悪魔を踏み鎮め、場の気を整えて清浄にする目的で行われる舞い」の要素と、念仏によって御霊や怨霊を往生させて災厄を防ぐ浄土教由来の信仰的要素が見られる》とも書かれている。

剣武天真流の蒼天支部道場長を務め、昨年からは、本部正師範にも任命されている私が、このタイミングに賢治の作品集から”剣”にまつわる詩に導かれるのは、やはり興味深い。しかも「魔術紀行(1)」にも書いた通り、賢治は、父や祖父(母方)が通った高校(旧制中学)の先輩にも当たり、実家にある卒業者名簿にも、その名が登場するのだ。

一方、父方の祖父は、父が子供の頃に他界したという事もあって、私も写真でしか見た事が無いのだが、その昔「剣舞」をしていたという話を、数年前の法事の時に、叔父や伯母から教えてもらって、驚いた事がある。そんな事実が、割と最近になって判明したのも、私が剣を学んだり、教えたりし始めたからに他ならない。

祖父がやっていた剣舞が「鬼剣舞」なのかどうかまでは分からないが、少し調べてみると、盛岡にもその流儀は伝わっていたようだから、もしかしたら関係があるのかもしれない。しかし、もう1つ驚かされたのは、鬼剣舞の装束についてWikiに書かれた、以下の一文だ。《紺地に白の竜胆(りんどう)模様(丸に笹竜胆紋 - 和賀氏(源氏)の家紋)の「胸当(むねあて)」》。笹竜胆は、私が通っていた中学校の校章でもあるし、鎌倉市の市章でもある。
源平池 ★中学への通学路でもあった源平池の蓮

そして、鬼剣舞が伝承されている地域は、時代こそ隔たっているものの、奥州藤原氏が治めていた土地と殆ど重なるのである。実際、剣舞に関する情報を追って行くと「奥州平泉・藤原氏初代清衡(きよひら)を悩ます亡魂を浄土へ導くさまを表現した舞い」と説明されている事が多いので、やはり関係はあるのだろう。

それにしても、天野氏(KIN126)を通じて注目するようになった奥州藤原氏と、賢治(KIN131)を通じて探求する事になった「剣舞」とが、このような形で繋がって来るとは、何とも思いがけない展開である。しかし、この一連のシンクロのお陰で、いまいち分かっていなかった奥州藤原氏の謎が少し解け、最終的には源頼朝に滅ぼされた事も再確認出来たのであった。

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