鎌倉みちのく魔術紀行(3)

2015年08月28日 00:36

■月の月5日(G8/27)KIN146 白い電気の世界の橋渡し (by D)

宮沢賢治の誕生日は1896年8月27日(KIN131)。つまり、今日はその119周年に当たる。この「鎌倉みちのく魔術紀行」は、私の「運命の道筋」が、賢治の誕生キンであるKIN131(1・猿)になった事をきっかけにして書いて来ているものなので、賢治と四次元的に同期状態となった自分の誕生日(G8/12)の出来事について記すには、もってこいの日と言える。尚、KIN131は調波33の中にあり、今日は元旦から33日目に当たる。

当初、私は江ノ島と鎌倉のどちらから巡るかについて考えていた。結局、「青い磁気の猿」がドリームスペル旅程盤の西の端のウェイブスペルである事、ドリームスペルの動きは全て反時計回りである事、さらに、13年前の「1・橋渡し」の位置から見ると、新しい13年の始まりである「1・猿」は南西方向にあり、我が家から見て南西は、鎌倉より江ノ島方面である事等から、先に江ノ島に向う事にしたのだった。そうする事で、空間の移動と時間の動きを同期させる事が出来るように思えたからだ。

朝、二子玉川から中央林間に向かう電車の中で、高倉健(KIN234=ユング)の『あたなに褒められたくて』を読了。以前、善光寺に関するシンクロを発見した時に、北条家の血を引く健さんが鎌倉の東勝寺跡を訪れると、いつも特殊な変容状態に入ってしまうと書いていたのを思い出し、それを再確認したかったのと、放置したままになっていた後半1/4位を、この機会に読んでしまおうと思っていたのだ。

小田急に乗り換えて片瀬江ノ島に着いたのは、9時くらいだっただろうか。散策にちょうど良い曇り空だと思っていたら、次第に晴れて来て、気温も急に上昇し始めた。高校時代には部活で走って登っていた江島神社境内の階段も、ゆっくり登るだけで汗が吹き出して来る。宗像三女神を祭った、辺津宮、中津宮、奥津宮と順に参拝した後、個人的に最も関心があった岩屋に向かう。

一度登りきったところから、海岸まで急な階段を降りて行く。観光用に整備し直された岩場の洞窟(岩屋)は、私の記憶とは大分印象が異なっていたが、平成5年までは長らく閉鎖されていたようだから、きっと当時は外から眺めただけだったのだろう。江島神社は欽明天皇13年(552年)に、この岩屋から始まったとされていているが、その後も信仰の場として長く大切にされ続けてきたことが、洞窟内の雰囲気や石仏などから伺い知れる。
奥津宮★奥津宮の拝殿、北条氏の家紋「三つ鱗」が見える

天女と五頭龍伝説にちなんだちょっと安っぽい太鼓アトラクションのある第二洞窟まで巡った後、気持ちの良い海風が吹いている岩場をブラブラしてから、来た道を戻った。奥津宮には「八方睨みの亀」や「亀石」があり、途中の池にも生きた亀が何匹も居て、流石に「魔術の亀の日」だと感じる。島のあちこちでピーヒョロローと鳴きながら優雅に滑空するトンビ達にも出会った。
八方亀 ★八方睨みの亀

岩屋に意識を向けすぎていたのか、弁財天が祭られている場所を見逃していたので、確認しながら戻ると、辺津宮に八角形の弁天堂があった。しかし、改装工事中で、有名な二体の弁天像は社務所の一室に展示されているらしい。江ノ島に来た目的の一つは、弁天様にご挨拶することでもあったので、入場料を払ってその部屋に入ってみた。
亀石 ★亀の甲羅のように見える「亀石」

誰もいない部屋には、正座で参拝するよう注書きがされていて、弁天像に関する音声案内がリピートしている。しばし瞑想しながらそれを聴いていて驚いたのは、奥州の藤原秀衡調伏祈願のために 、源頼朝が文覚上人に命じて造らせたのが、鎌倉時代初期の作とされる八臂弁財天だという解説を耳にした時だった。ひとつ前の記事に書いた通り、5日前に届いた天野氏からのメールがきっかけとなって、私は奥州藤原氏について調べたばかり。弁財天像の1つがそういう由来の作品だったとは、初めて知った。

もう一方の妙音弁才天は、裸弁才天とも呼ばれる全裸体の珍しい像だが、こちらは教科書か何かで見た覚えがある。その後も、誰も入って来ないので、少しだけ立ち上がって近くで像を観させてもらったが、弁天堂が工事中でなかったら、こんな至近距離では見られなかったかもしれない。部屋から出ると、ちょうど次の参拝客がやって来た。

最後に辺津宮のおみくじを引いてみると、私は45(中吉)、Lは34(大吉)。KIN45は「6・蛇」、KIN34は「8・魔法使い」で、ドリームスペル神話では、いずれも失われた惑星マルデクの軌道に対応する。弁財天の奏でる琵琶が、銀河の五度和音を響かせるという事なのだろうか。また、その差11は、ホゼの誕生KIN&「青い猿」のコード番号であり、合計の79は「青い磁気の嵐」で、どちらも変容の西を示す。
トンビ 
お昼が近くなっていた事もあってか、朝はまだ人がまばらだった参道には人が溢れ返り、暑さもグッと増して来た。途中、コンビニで涼を取りながらでないと江の電の駅まで辿り着けなかったかもしれない。家の垣根スレスレを走る所は変わらず江の電らしかったが、床の油の臭いもあまりガタゴトいうことも無い新しい車両は、どうも味気ない気がした。鎌高前の様子もすっかり変わってしまっていたが、ホームの作りが古いままだったのには、ちょっとホッとさせられた。

しかし、日坂の踏切を通過する時に目にした光景には驚かされた。ネットニュースなどを通じて、海外からもスラムダンクの聖地巡りをするファンが押し寄せている事は知っていたが、実際に、あんなにカメラを構えている人々がいるとは思わなかった。30年前と変わらないもの、すっかり変わってしまったものの両方を感じながら、江の電に揺られて、私達は鎌倉駅に向かった。八方睨みの亀、八角形の弁天堂、八臂弁財天など「八」がやたらと来ているのは、持統天皇の頃からの流れだが、それはこのミニトリップの締めにも響いて来るはっきりとしたサインだった(つづく)。

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