2015年09月17日 01:39
■月の月25日(G9/16)KIN166 白い惑星の世界の橋渡し(by D)
江島神社から鶴岡八幡宮へと反時計(ウェイブスペル)回りに巡った誕生日巡礼を無事完了した私達は、小町通りにあるカフェでひと休みしてから、横須賀線、東横線、大井町線と乗り継いで二子玉川に戻った。しかし、そのまま帰宅する事はせずに、三軒茶屋のシバカリー・ワラへ直行。
お昼に(定休日で)オクシモロンに行けなかったリベンジ的側面も無いとは言えないが、生来カレー好きの私が、今、最も美味しいと感じるお店であるだけでなく、そのとびきりのカレーを作ってくれるラムジーも、この日が誕生日(彼が4才年下)というのが主な理由で、今年もシバカリーで祝杯を上げる事にしたのだった。
もともと、スパイスが活きているカレーには、私の体調を高めてくれる力があるのだが、同じタイミングに「1・猿」の道筋に入ったラムジーのカレーには、普段にも増して魔術的なパワーが満ちていた。それに、ここは、私が直接関わってきたスピリチュアル情報のエッセンスを全て詰め込んだ本、『霊性のアート』の完成記念イベントで三茶を訪れた時に知ったお店であり、色々と縁起の良い場所なのだ。
『ドリームスペル(13の月の暦)』旅程盤に由来を持つ反時計回り(ネジを緩める方向)のウェイブスペルの動きは、「偽りの時間」(12か月の暦)が生じたとされる約5125年前から現在までの時間を、解放(浄化)しながら再構築するプロセスを示してもいる。今回の日帰り紀行は、それを個人史に応用したもので、江島神社→鶴岡八幡宮→横須賀線上り(帰路)という地理的な反時計回りと、高校→中学→小学校という時間的逆行とをシンクロさせ、その時々に混入した(無自覚な)12:60的影響を解放するという試みでもあった。
これが具体的にどのような働きを持つのかについての結論を急ぐと、それこそ12:60(物質主義・成果主義)に絡め取られてしまうが、誕生日からぴったり4週間後の「毎月の誕生日」に当たる18日(=第7週の4日目)に、【4重の虹(7色)】が眼前に出現したのは、その前夜に魔術紀行(4)をUPしたというタイミングからも、「虹」がスペクトル(解放)主義の象徴であることからも、「地球の魔法使い」としての仕事がそれなりに果たせたという徴、と受けとめる事が出来た。
★内側に三つ+外に薄く1つ
それにしても、この【四重の虹】は驚きに満ちた現象だった。これまでも「ミッション完了」というタイミングには、虹(暈、環水平アーク、彩雲などを含む)を見る事が多かったし、特技に「虹の発見」と書く位、虹とは縁が深いという自覚はあるが、流石に目の前で分裂して行くのを目の当たりしたのは初めてで、最初は「目がおかしくなったのか?」と思う程だった。僅か1、2分の出来事だったが、今のところ同じ日に東京で同じ現象を目にした人は、ネットで探してみてもL以外には見当たらない。
★内側の虹が分裂する途中
日中は別行動をしている事も多い私達が、二人揃ってこの【四重虹】を見られたのも、ある意味奇跡的である。二人の「運命の道筋」が520(40×13)日差で同期するのも、JAL123便の520名と無関係には思えない。この「特別な虹」に対する私の受けとめ方は先に記した通りだが、LにはLの文脈で、非常に興味深い出来事が起きていた。これについては、いずれ本人が書くタイミングが巡って来るだろう。
シバカリーで締めくくったG8/12(KIN131)の夜、私は鎌倉幕府の置かれていた位置について、改めて調べていた。1180年、源頼朝が大蔵の地に邸を設けたことで、その後46年間幕府の中心となる「大蔵幕府」。1225年、三代執権北条泰時の代に宇津宮辻の地に造営した「宇津宮辻幕府」。その11年後の1236年に若宮大路の地に置かれ、98年続いた「若宮大路幕府」とあった。
いずれも正確な場所まではわからなかったが、おおよその位置で言えば、大蔵幕府は附属中の近辺、宇津宮辻幕府はよく分からないが、最も長い間政治の中心であった若宮大路幕府は、宝戒寺や丸山珈琲のあった辺りで間違いなさそうである。こんな事も、今回のような巡り方をしなければ、ずっと知らないままだったのではないかと思う(今回色々調べてみた中でとても役立ったのはコチラのサイト)。
と同時に、この魔術紀行は、鎌倉時代との繋がりだけでなく、他の時空間とも様々な形でリンクしていたことを、翌日のニュースが思い出させてくれた。という訳で、8月13日17:14のAFP BB NEWSの記事をそのまま添付してみよう。
”中国北部・天津(Tianjin)の工業地帯で12日深夜に起きた大規模爆発で、国営新華社(Xinhua)通信は13日、死者数が44人に増えたと報じた。新華社は救助当局からの情報として、死者には消防隊員12人が含まれていると伝えている。また、520人が病院に搬送され、うち66人が重傷という。”
その後の報道は、この事故がより深刻なものであった事を伝えているし、そもそも新華社が事実をそのまま伝える可能性は極めて低いので(高速鉄道の事故車両をそのまま埋めて隠蔽してしまう国の国営放送だけに)、実際の被害状況は闇の中だが、このタイミングに520という数が出て来る事に、私は驚きを禁じ得なかった。520部制作された『時間の法則の20の銘板』が、KIN44(黄色い倍音の種)から16年間かけて易の64卦を意識化するツールだったのと同時に、以下のような関係もあったからだ。
パカル王の石棺が開封された11/27(KIN123)が、宮沢賢治(KIN131)の「永訣の朝」が詠まれた日(KIN93)から正確に30年後だったと知ったのは8/11の深夜。天津港7号卡子門で起きた大爆発は、JAL123便の事故からぴったり30年後の8/12(KIN131)の深夜に起こった。このタイミングに30年という単位が何を意味するのか、現時点では不明だが、いずれ分かるだろうということで深追いはしないでおく。
一方、自分の誕生キンであるKIN241(7・竜)をサイ時間で見ると「磁気の月23〜25日」に対応する(当初のサイ時間の表には「1.23」とだけ書かれていた)。その中日でもあった24日(=G8/18=KIN137)に、私はもうひとつパカル王とリンクするシンクロを発見する事になった。きっかけは、Wikiの「蝦夷(えみし)」について書かれた長い解説の中に、以下の文章を見つけたことにある。
”森嘉兵衛は、和人との何代かにわたる婚姻で骨格は日本人化していたが、精神や葬祭の慣行はアイヌ的なものが変わらず残っていたのではないかとしている。 奥州藤原氏が源頼朝率いる関東地方の鎌倉政権によって滅ぼされると、幕府は東北地方各地に東国武士を派遣し、ここに蝦夷と全く無関係な鎌倉幕府(関東政権)による支配がはじめて東北北端にまで及ぶことになる。”
ここに登場する森嘉兵衛という人の名が気になって追跡し、もしかして遠戚に当たるのでは?と母(KIN93)に電話で確認してみると、やはり祖父の従兄弟ということが判明。私からは大分遠いが、親戚である事に違いはないし、母は子供の頃に何度か会った事もあるという。嘉兵衛氏は1903年6月15日生まれのKIN13(13・空歩く者)で、私の365日暦の誕生日(磁気の月18日)をサイ時間変換するとKIN13になるので、暦的な繋がりもあると言える。
もしかしたら、母方の本家に当たる「ござ九」さん(盛岡の観光名所にもなっている商家)が、鶴岡八幡宮と同じ1-31という住所で、私の新しい道筋であるKIN131とシンクロしている事も、このタイミングでこうした繋がりに気付くことと、関係があるのかもしれない。
嘉兵衛氏の誕生日からぴったり49年後の1952年6月15日(KIN218)は、パカル王の墓室が発見された日だが、そこからぴったり20年後(=嘉兵衛氏誕生日から69年後)は弟の誕生日に当たる。「碑銘の神殿」の中央階段の数が69段だという事を知っていると(私は現地でも実際に数えてみたが)、身近な人々の誕生日間の関係性にも不思議さを感じる。
G6/15という日付は、魔術紀行(1)の冒頭で触れた三陸地震にも絡んで来るので、ここでもう一度整理しておきたいと思う。宮沢賢治が生まれる73(=1年の1/5)日前の1896年6月15日(KIN58)に明治三陸地震が発生。そのぴったり7年後(KIN13)が森嘉兵衛氏の誕生日。そこからぴったり49(7×7)年後(KIN218)がパカル王の墓室発見日、さらに20年後が弟の誕生日(KIN238)となる。
KIN238が江島神社の住所2-3-8と同期するのも興味深いが、キリが無いので、この「鎌倉みちのく魔術紀行」シリーズも、今回でひとまず締めくくりとしたい。それに相応しい区切りと思えるのは、サイ時間のKIN241に対応する3日間の最終日である「磁気の月25日」だ。
ちょうど今日から28(7×4)日前のこの日は、G暦での8/19に当たる。単なる数字遊びとも言えるが、この日付が、古代マヤの世界観における天界の数(13)と地上の数(7)と冥界の数(9)の積「819」とシンクロしている事はメモっておこう。その日の夜、私は、甲子園の決勝が東海大相模(神奈川)と仙台育英(宮城)になった事を知った。
その試合の行方については本シリーズ(1)の終わりに記した通りだが、鎌倉幕府と奥州藤原氏が密接に絡むこの一連の体験をした後で、高校野球の頂点を決めるこの2校の組み合わせを知れば、誰でも多少は何かを感じるのではないだろうか。時間の許す方は(1)〜(6)をザっと読んだ後で、もう一度(1)に戻ってみて欲しい。
★内側に3重の過剰虹+副虹
誕生日の8/12(KIN131)から1週間後が8/19(KIN138)であり、その3週間後が9/9(KIN159)で【4重の虹】が出た日である。【4重虹】は、実際には1つの副虹と3重に分かれた主虹(の干渉虹)から成っていたので、この日付の区切りとも綺麗にシンクロしていたと言える。そして、そこにさらに虹色(7日)分の日付を加えた今日、このシリーズの「現れを仕上げる」ことが出来るのは、何とも嬉しい流れである。
何故ならKIN166は、(2)にご登場いただいた天野氏(9・橋渡し)と共に制作した『マヤのリズム』の発刊記念KINであり、その日は、同時に天野氏の誕生日ともシンクロしている日だったからだ。それに、奥州藤原氏や「蝦夷(えみし)」は、天野氏からの情報で親しむようになった分野である。「鎌倉みちのく魔術紀行」の締めくくりに、「10・世界の橋渡し(6)」(惑星ホロンも日本に対応)が巡って来たのも、きっと偶然ではないのだ。(おわリ)
江島神社から鶴岡八幡宮へと反時計(ウェイブスペル)回りに巡った誕生日巡礼を無事完了した私達は、小町通りにあるカフェでひと休みしてから、横須賀線、東横線、大井町線と乗り継いで二子玉川に戻った。しかし、そのまま帰宅する事はせずに、三軒茶屋のシバカリー・ワラへ直行。
お昼に(定休日で)オクシモロンに行けなかったリベンジ的側面も無いとは言えないが、生来カレー好きの私が、今、最も美味しいと感じるお店であるだけでなく、そのとびきりのカレーを作ってくれるラムジーも、この日が誕生日(彼が4才年下)というのが主な理由で、今年もシバカリーで祝杯を上げる事にしたのだった。
もともと、スパイスが活きているカレーには、私の体調を高めてくれる力があるのだが、同じタイミングに「1・猿」の道筋に入ったラムジーのカレーには、普段にも増して魔術的なパワーが満ちていた。それに、ここは、私が直接関わってきたスピリチュアル情報のエッセンスを全て詰め込んだ本、『霊性のアート』の完成記念イベントで三茶を訪れた時に知ったお店であり、色々と縁起の良い場所なのだ。
『ドリームスペル(13の月の暦)』旅程盤に由来を持つ反時計回り(ネジを緩める方向)のウェイブスペルの動きは、「偽りの時間」(12か月の暦)が生じたとされる約5125年前から現在までの時間を、解放(浄化)しながら再構築するプロセスを示してもいる。今回の日帰り紀行は、それを個人史に応用したもので、江島神社→鶴岡八幡宮→横須賀線上り(帰路)という地理的な反時計回りと、高校→中学→小学校という時間的逆行とをシンクロさせ、その時々に混入した(無自覚な)12:60的影響を解放するという試みでもあった。
これが具体的にどのような働きを持つのかについての結論を急ぐと、それこそ12:60(物質主義・成果主義)に絡め取られてしまうが、誕生日からぴったり4週間後の「毎月の誕生日」に当たる18日(=第7週の4日目)に、【4重の虹(7色)】が眼前に出現したのは、その前夜に魔術紀行(4)をUPしたというタイミングからも、「虹」がスペクトル(解放)主義の象徴であることからも、「地球の魔法使い」としての仕事がそれなりに果たせたという徴、と受けとめる事が出来た。

それにしても、この【四重の虹】は驚きに満ちた現象だった。これまでも「ミッション完了」というタイミングには、虹(暈、環水平アーク、彩雲などを含む)を見る事が多かったし、特技に「虹の発見」と書く位、虹とは縁が深いという自覚はあるが、流石に目の前で分裂して行くのを目の当たりしたのは初めてで、最初は「目がおかしくなったのか?」と思う程だった。僅か1、2分の出来事だったが、今のところ同じ日に東京で同じ現象を目にした人は、ネットで探してみてもL以外には見当たらない。

日中は別行動をしている事も多い私達が、二人揃ってこの【四重虹】を見られたのも、ある意味奇跡的である。二人の「運命の道筋」が520(40×13)日差で同期するのも、JAL123便の520名と無関係には思えない。この「特別な虹」に対する私の受けとめ方は先に記した通りだが、LにはLの文脈で、非常に興味深い出来事が起きていた。これについては、いずれ本人が書くタイミングが巡って来るだろう。
シバカリーで締めくくったG8/12(KIN131)の夜、私は鎌倉幕府の置かれていた位置について、改めて調べていた。1180年、源頼朝が大蔵の地に邸を設けたことで、その後46年間幕府の中心となる「大蔵幕府」。1225年、三代執権北条泰時の代に宇津宮辻の地に造営した「宇津宮辻幕府」。その11年後の1236年に若宮大路の地に置かれ、98年続いた「若宮大路幕府」とあった。
いずれも正確な場所まではわからなかったが、おおよその位置で言えば、大蔵幕府は附属中の近辺、宇津宮辻幕府はよく分からないが、最も長い間政治の中心であった若宮大路幕府は、宝戒寺や丸山珈琲のあった辺りで間違いなさそうである。こんな事も、今回のような巡り方をしなければ、ずっと知らないままだったのではないかと思う(今回色々調べてみた中でとても役立ったのはコチラのサイト)。
と同時に、この魔術紀行は、鎌倉時代との繋がりだけでなく、他の時空間とも様々な形でリンクしていたことを、翌日のニュースが思い出させてくれた。という訳で、8月13日17:14のAFP BB NEWSの記事をそのまま添付してみよう。
”中国北部・天津(Tianjin)の工業地帯で12日深夜に起きた大規模爆発で、国営新華社(Xinhua)通信は13日、死者数が44人に増えたと報じた。新華社は救助当局からの情報として、死者には消防隊員12人が含まれていると伝えている。また、520人が病院に搬送され、うち66人が重傷という。”
その後の報道は、この事故がより深刻なものであった事を伝えているし、そもそも新華社が事実をそのまま伝える可能性は極めて低いので(高速鉄道の事故車両をそのまま埋めて隠蔽してしまう国の国営放送だけに)、実際の被害状況は闇の中だが、このタイミングに520という数が出て来る事に、私は驚きを禁じ得なかった。520部制作された『時間の法則の20の銘板』が、KIN44(黄色い倍音の種)から16年間かけて易の64卦を意識化するツールだったのと同時に、以下のような関係もあったからだ。
パカル王の石棺が開封された11/27(KIN123)が、宮沢賢治(KIN131)の「永訣の朝」が詠まれた日(KIN93)から正確に30年後だったと知ったのは8/11の深夜。天津港7号卡子門で起きた大爆発は、JAL123便の事故からぴったり30年後の8/12(KIN131)の深夜に起こった。このタイミングに30年という単位が何を意味するのか、現時点では不明だが、いずれ分かるだろうということで深追いはしないでおく。
一方、自分の誕生キンであるKIN241(7・竜)をサイ時間で見ると「磁気の月23〜25日」に対応する(当初のサイ時間の表には「1.23」とだけ書かれていた)。その中日でもあった24日(=G8/18=KIN137)に、私はもうひとつパカル王とリンクするシンクロを発見する事になった。きっかけは、Wikiの「蝦夷(えみし)」について書かれた長い解説の中に、以下の文章を見つけたことにある。
”森嘉兵衛は、和人との何代かにわたる婚姻で骨格は日本人化していたが、精神や葬祭の慣行はアイヌ的なものが変わらず残っていたのではないかとしている。 奥州藤原氏が源頼朝率いる関東地方の鎌倉政権によって滅ぼされると、幕府は東北地方各地に東国武士を派遣し、ここに蝦夷と全く無関係な鎌倉幕府(関東政権)による支配がはじめて東北北端にまで及ぶことになる。”
ここに登場する森嘉兵衛という人の名が気になって追跡し、もしかして遠戚に当たるのでは?と母(KIN93)に電話で確認してみると、やはり祖父の従兄弟ということが判明。私からは大分遠いが、親戚である事に違いはないし、母は子供の頃に何度か会った事もあるという。嘉兵衛氏は1903年6月15日生まれのKIN13(13・空歩く者)で、私の365日暦の誕生日(磁気の月18日)をサイ時間変換するとKIN13になるので、暦的な繋がりもあると言える。
もしかしたら、母方の本家に当たる「ござ九」さん(盛岡の観光名所にもなっている商家)が、鶴岡八幡宮と同じ1-31という住所で、私の新しい道筋であるKIN131とシンクロしている事も、このタイミングでこうした繋がりに気付くことと、関係があるのかもしれない。
嘉兵衛氏の誕生日からぴったり49年後の1952年6月15日(KIN218)は、パカル王の墓室が発見された日だが、そこからぴったり20年後(=嘉兵衛氏誕生日から69年後)は弟の誕生日に当たる。「碑銘の神殿」の中央階段の数が69段だという事を知っていると(私は現地でも実際に数えてみたが)、身近な人々の誕生日間の関係性にも不思議さを感じる。
G6/15という日付は、魔術紀行(1)の冒頭で触れた三陸地震にも絡んで来るので、ここでもう一度整理しておきたいと思う。宮沢賢治が生まれる73(=1年の1/5)日前の1896年6月15日(KIN58)に明治三陸地震が発生。そのぴったり7年後(KIN13)が森嘉兵衛氏の誕生日。そこからぴったり49(7×7)年後(KIN218)がパカル王の墓室発見日、さらに20年後が弟の誕生日(KIN238)となる。
KIN238が江島神社の住所2-3-8と同期するのも興味深いが、キリが無いので、この「鎌倉みちのく魔術紀行」シリーズも、今回でひとまず締めくくりとしたい。それに相応しい区切りと思えるのは、サイ時間のKIN241に対応する3日間の最終日である「磁気の月25日」だ。
ちょうど今日から28(7×4)日前のこの日は、G暦での8/19に当たる。単なる数字遊びとも言えるが、この日付が、古代マヤの世界観における天界の数(13)と地上の数(7)と冥界の数(9)の積「819」とシンクロしている事はメモっておこう。その日の夜、私は、甲子園の決勝が東海大相模(神奈川)と仙台育英(宮城)になった事を知った。
その試合の行方については本シリーズ(1)の終わりに記した通りだが、鎌倉幕府と奥州藤原氏が密接に絡むこの一連の体験をした後で、高校野球の頂点を決めるこの2校の組み合わせを知れば、誰でも多少は何かを感じるのではないだろうか。時間の許す方は(1)〜(6)をザっと読んだ後で、もう一度(1)に戻ってみて欲しい。

誕生日の8/12(KIN131)から1週間後が8/19(KIN138)であり、その3週間後が9/9(KIN159)で【4重の虹】が出た日である。【4重虹】は、実際には1つの副虹と3重に分かれた主虹(の干渉虹)から成っていたので、この日付の区切りとも綺麗にシンクロしていたと言える。そして、そこにさらに虹色(7日)分の日付を加えた今日、このシリーズの「現れを仕上げる」ことが出来るのは、何とも嬉しい流れである。
何故ならKIN166は、(2)にご登場いただいた天野氏(9・橋渡し)と共に制作した『マヤのリズム』の発刊記念KINであり、その日は、同時に天野氏の誕生日ともシンクロしている日だったからだ。それに、奥州藤原氏や「蝦夷(えみし)」は、天野氏からの情報で親しむようになった分野である。「鎌倉みちのく魔術紀行」の締めくくりに、「10・世界の橋渡し(6)」(惑星ホロンも日本に対応)が巡って来たのも、きっと偶然ではないのだ。(おわリ)
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