デヴィッド・ボウイは銀河マヤの使者だったのか?

2016年01月13日 00:33

共振の月3日(G1/12)KIN24 黄色いスペクトルの種(by D)

デヴィッド・ボウイがこの世を去ったというニュースが世界を駆け巡ったのは、昨日G暦1/11の事。実際に死去したのはその前日の1/10で、その2日前の1/8に69才の誕生日を祝う形で新アルバム『★Blackstar』をリリースしたばかりだった。

私にとっては、『戦場のメリークリスマス』の将校役の印象が強過ぎて、実のところ、音楽家としての活動は「Let's Dance」くらいしか知らないド素人なのだが、『13の月の暦(ドリームスペル)』の切り口でその生と死を見つめると、非常に強力なメッセージが浮かび上がって来るので、追悼の意を込めつつ、その事について少し触れておきたいと思う。

ホゼ・アグエイアス(KIN11)とロイディーン・アグエイアス(KIN22)が提唱した『ドリームスペル(13の月の暦)』のツォルキン(260日暦)で、ボウイの誕生日である1947年1月8日を調べるとKIN55(3・鷲)となる。『★Blackstar』をリリースした69才の誕生日は、KIN20(7・太陽)。そして、死去したのは「共振の月1日、KIN22(9・風)」となる。

これらの日付が、「強力なメッセージ性」を帯びている理由と背景を、順を追って整理してみよう。そのためには、まず、ホゼ・アグエイアスと「銀河マヤ」について知る必要がある。ホゼは、1987年に発表した著書『マヤン・ファクター』と、同じ年の8月16日に呼びかけられた平和と祈りの祭典「ハーモニック・コンバージェンス」によって、その名を世界に知られるようになった人物である。

銀河マヤ銀河のマヤ)」という言い回しは、1988年にマヤ先住民の1人フンバツ・メンとホゼとのやりとりの中に登場する言葉で、ステファニー・サウスによって著されたホゼの伝記『2012年への進化』に、以下のような形で記されている。

 ”フンバツは、滞在中ホゼに、マヤには二種類あると言いました。
 先住マヤと銀河マヤです。フンバツが言うには、『マヤン・ファクター』
 やハーモニック・コンバージェンスは銀河マヤを表わしており、彼は
 先住マヤを代表しているとのことでした。この訪問で、フンバツはただ
 ホゼを「銀河マヤ」として敬意を表したいと思ってやって来たのでした。”

これによれば、「銀河マヤ」という言葉は、先住マヤのシャーマンであるフンバツの口から出て来たものである事になる。フンバツとの交流はその後も続き、翌1989年には、有名なパレンケの「碑銘の神殿」で共に儀式も行っている。その様子が、ホゼの『新しい時間の発見』の中に記されているので、こちらも一部引用してみよう。

 ”私たちは皆、その神殿の階段のところで瞑想しました。それが終わったあと、
 フンバツ・メンは私に尋ねました。
 「パカル・ヴォタンはおまえに何て言った?」
 私は答えました。
 「フンバツ、パカル・ヴォタンは私のところにやってきて、彼自身が戻って
 くるといったよ。あるいは、彼の知識が戻ってくるということだったのかも
 しれない。”

この儀式から1年と経たないうちに、ホゼとロイディーンによって新たに提唱されたのが、「13の月の暦」を包含した『ドリームスペル』だったのである。つまり「彼(パカル)の知識」とは『ドリームスペル』の事だったのである。

この『ドリームスペル(13の月の暦)』でのツォルキンの数え方は、古代から伝わるマヤ暦とは異なり、グレゴリオ暦の閏日を意識した特殊なカウント法になっている。しかし、デヴィッド・ボウイの誕生と死を読み解くのには、この『ドリームスペル(13の月の暦)』の数え方こそが鍵になるのであって、古代マヤの数え方では全く見えて来ないのである(注:日本で古代マヤ暦と呼ばれているものの殆どは『ドリームスペル』をパクって勝手に改変した偽マヤ暦で、実際には古代マヤとも違う代物だ)。

ボウイ ◆55は誕生キン、68は「星」、6+8+5+5=24(本日のKIN)

まず、ボウイの誕生キンであるKIN55は、上述したハーモニック・コンバージェンス(1987年8月16日=KIN55)だけでなく、その祭典によって中和を計られていた広島原爆投下日(1945年8月6日=KIN55)とも同期する、非常に特別な日付である。

次に、69という数は、パレンケ「碑銘の神殿」の中央階段の数であり、その69才で迎えたKIN20は、「碑銘の神殿」の中に埋葬されていたパカル王の石棺の蓋に記された「パカルの特別な13日」のひとつである。『13の月の暦・手帳』(こよみ屋)などでは、その特別な13日には「★」マークが記されているのだが、何と、その69才の誕生日に発表された新アルバムは、まんま『★Blackstar』であった!

さらに、アグエイアス夫妻が1997年に発表した『時間の法則の20の銘板』の数え方に従うと、ボウイが他界した「共振の月」全体はKIN241と対応しており、新アルバムを発表した誕生日のKIN20とは、「神秘のパートナー」という最高に神秘の力(予期せぬ力)が働く関係にあった。まさに予期せぬタイミングでの驚きを伴った「死」があって、KIN241の私もこうしてブログを書く事になったのだ。

しかも、「共振の月1日(G1/10)」は、ホゼの『時空のサーファー』が日本で発刊されて(=私が暦に出会って)ぴったり20年(式年遷宮やマヤのカトゥンの単位)のタイミングで、ロイディーン(KIN22)の102回目の誕生KINの日でもあった。尚、KIN22(9・風)は、マヤの言葉で「ボロン・イク」と呼ばれ、パレンケにおいて神話的に重要視される存在でもある。

つまり、ボウイの誕生と死、そして最後のアルバムのリリースとその時の年齢の全てを、「銀河マヤ」の観点で見渡すと、全てが美しく繋がって来るのだ。もちろん、これはあくまで一方的な見方である。しかし、これまで全く知らなかったボウイの過去について、ウィキペディアで調べてみると、やはり「銀河マヤ」の使者なのか?と思えてしまうような記述が結構見つかる。

 ”1967年6月、デビューアルバム『デヴィッド・ボウイ』を発表。 
 アルバム製作中にチベット仏教に傾倒し、チベット難民救済活動を行う
 チベット・ソサエティに参加している。

 1969年、前年に公開された映画『2001年宇宙の旅』をモチーフにして、
 アルバム『スペイス・オディティ』を制作。アポロ11号の月面着陸に
 合わせて、その直前にシングル「スペイス・オディティ」をリリース。

 1972年、コンセプト・アルバム『ジギー・スターダスト』をリリース。
 架空のロックスター「ジギー・スターダスト」を名乗り、そのバック
 バンドである「スパイダーズ・フロム・マーズ」を従え、世界を股に
 掛けた1年半もの長いツアーを組んだ。

 ボウイの初めてのメジャーな映画出演は『地球に落ちてきた男』"

「銀河マヤ」のホゼとロイディーンは、かのチョッギャム・トゥルンパ・リンポチェと深く交流し、直にチベット仏教を学んだ弟子でもある。『ドリームスペル(13の月の暦)』を理解するのに、この側面は絶対に無視できないところで、おそらくマヤのみからアプローチしていては、この暦の本質は理解できないだろう。そういう意味では、ボウイはかなり銀河マヤ的である。

ちなみに、「銀河マヤ」とか「銀河のマヤ」と表記されていても、本来の『ドリームスペル(13の月の暦)』情報とは、似ても似つかないところまで歪められているものが世間には多数出回っているので、特にセミナー&資格商法系に乗せられ易い人は、十分注意して多面的によく調べることをお勧めする次第である(そもそも人間関係や運勢に拘るという発想自体が全く銀河的では無く実に古臭い)。

尚、ボウイの存在にハッとするような「美」に縁のある方なら、本来の(美に満ちた)銀河マヤ情報を、下記のいずれかのタイミングに受取る事になるだろう。なぜなら、そのどちらもが最高に美しいタイミングだからである。

★1/21(木)「13の月の暦」共振の魔術の亀の日(横浜ナディア)
テーマ別クラス《多次元への通路ー中心数7と秘数33》

★1/24(日)「惑星意識と繋がる共振テクノロジー」(大阪チャクラ)
ホゼ・アグエイアス生誕77周年記念・満月スペシャル

*追記
・ボウイの誕生はKIN55、死はKIN22。
 55-22=33→ 横浜ナディアでKIN33にイベント
 55+22=77→ 大阪チャクラでホゼ生誕77周年のイベント
・『戦場のメリークリスマス』は33年前の作品で、ボウイと共演した
 坂本龍一はKIN69(碑銘の神殿中央階段数)。ビートたけしはボウイ
 と同い年で10日違いの生まれ→同じウェイブスペルのKIN65。
 大島監督はKIN122(5・風)
・阪急電車の6855は65+55=123で『戦場のメリークリスマス』の上映時間123分

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