天神さんと天迅さんの梅(中編)

2016年02月02日 23:34

共振の月24日(G2/2)KIN45 赤い律動の蛇(by D)

ホゼの生誕77周年に大阪チャクラで行った「惑星意識と繋がる共振テクノロジー」は3部構成で、最後の第3部に参加されたのは、まさにその時空に共振した7名の方々だった(私を除く)。その中には、2004.3.30(KIN141)の伊勢内宮ご神域(高麗広)で行われたホゼのセミナーにも参加されていた吉田雅昭さん(KIN43)も含まれていた。

2004年の伊勢セミナーは、ホゼが「自分史上最高の講演だった」と自ら評したほど、ノリに乗った講演会だったが、そのタイミングは、超新星1987Aが観測された1987.2.23(KIN141)からぴったり24銀河スピンでもあった。天照大神(太陽)を祀る伊勢で、太陽系を「ヴェラトローパ24」と呼ぶアルクトゥルス的視点を持つホゼが講演する事になった時点で、この美しい繋がりは太陽銀河的に調整されていたのかもしれない。

しかし、驚くべきは、KIN141(11・竜)が誕生キンで、現在の道筋がKIN241(7・竜)の方が、これまた遠路九州からチャクラでの会に参加されていたという事実。伊勢講演会の場に居た吉田さん(4・夜)と私(7・竜)が再会しているだけでも面白いのに、その「時間」までもが「チャクラ」に集ってしまったのだ。加えて、今回の見えざる次元の仕掛人とも思える菅原道真公の誕生と死の日付は、以下の通り(一つ前の記事に書いた通り和暦よりG暦に変換済み)。

誕生:845年8月5日 KIN254(7・魔法使い)
死去:903年3月31日 KIN237(3・地球)

伊勢講演会の翌日、2004.3.31(12・風)は、『シンクロニック・ジャーニー』にも詳述してある通り、内宮神楽殿にてホゼと宮司さんのミニ講演&『ドリームスペル』の奉納が行われた日。何と、その日が道真公の死去から1101年後のタイミングだった事が、今回初めて分かったのだ。

現在、G7/25に天神祭が行われている背景には、道真公の誕生と死の日付が、和暦だといずれも25日になる事が関係しており、7/25(時間をはずした日)に定まっていたが故に、アグエイアス夫妻がその祭りに参加する流れになった事を思うと、何とも不思議である。11が「猿」を、1が「竜」を示す事も考えると、ホゼ(猿)とエセル(竜)の誕生日に行うイベントを通じて、この事に気付かされたのも必然なのかもしれない。
IMG_6836.jpg ★北野天満宮の梅

ところで、吉田さんは『銀河のマヤ、聖なる時の秘密』にも実名で登場して頂いているレジェンド的な時空のサーファーである。もし、吉田さんが私のクラスを「知識を得る場」とだけ認識している方だったら、今回も参加する必要は無かったはずだ。それくらい、吉田さんはホゼの原典資料を良く読み込まれているし、その知識を日々の生活の中でも十全に活用されている方だからだ。

それでも参加して下さったのは、「然るべき時に、然るべき場に身を置くこと」の意味を、体験上よくご存知だからなのではないかと思う。もちろん、今回の参加者は全員、それを自覚しているいないに関わらず、その意味を(少なくとも直感的には)理解していたと言える。だからこそ、イベント終了後の今も、互いにその共鳴音が鳴り響き続けているのだろう。

その日(G1/24)、チャクラに残って食事をして行かれたSさんはKIN61(&道筋KIN11=ホゼ)で、実はチャクラの主であるタッちゃんと同じ誕生キン。この日の締めに、チャクラの守り手であるアッちゃん(KIN103)&金ちゃん(KIN134)とも一緒に話が出来たのは、私にとって嬉しい事だった。今、気付いたが、この二人のKIN番号の合計は、道真公死去の日付KIN237にシンクロしている(KIN237はKIN241とパルサーの関係にもある)。

そして、関西におけるチベットサポートの拠点としても開かれている大切な場「チャクラ」の主、アッチャン&タッちゃんの誕生キン合計は164で「銀河の同期」そのものである。チャクラが、関西における『ドリームスペル』配布の要になっているのには、多次元的に然るべき理由があるのだ。

その夜、私がチェックインしたホテルの部屋番号は1120。ホゼ(KIN11)の誕生日に、ホゼが訪れた事のある大阪天満宮で引いたおみくじが20番(吉)で、最後まで残っていた参加者の方の道筋もKIN11だったのだから、私がこの番号を見て「任務完了、おめでとう」と言われた気分になったとしても、それほどおかしくは無いだろう。

後で知ったのだが、この日(G1/24)大相撲初場所で、福岡出身の琴奨菊が初優勝。日本出身力士として10年(59場所)ぶりというのだから、これは快挙だ。しかも、琴奨菊の誕生キンはKIN62。サグラダファミリアの主任彫刻家で福岡出身の外尾悦郎さんと同じ。やはり九州(太宰府)との強力な繋がりを感じる。昭和62は1987年で、2013年の式年遷宮は62回目だった事を、再度メモしておこう。

翌日がKIN37(11・地球)だったのも象徴的だ。なぜなら、この日は、ホゼが『マヤン・ファクター』を捧げたC・T・ムクポこと、チョッギャム・トゥルンパ・リンポチェの108回目の誕生KINだったからだ。しかも、この日から108日後は、ダライ・ラマ法王(テンジン・ギャツォ)による文殊菩薩の許可灌頂が、”大阪で”行われる日。
IMG_6855.jpg ★KIN37の京都散策にて

トゥルンパ・リンポチェの正確な誕生日はわからないが、ホゼが各所でKIN37と書いていたのと、Wikipediaなどで1939年2月生まれと書いてあるので、この日が108銀河スピンだったのは、ほぼ間違いないと思う。この日の朝、Wikiを確認をした事で、面白い発見があった。以下、その部分を引用してみる。

”1968年、王家の招きをうけブータンを訪れ、そこでブータンで唯一の瞑想施設に入り、ジグメ・ワンチュク王子(第4代国王、先代(2011年6月現在))の個人教師を務めた。そこで王家のアドヴァイザーとして滞在中のディルゴ・キェンツェー・リンポチェと再会する。そのおり尊師パドマサンバヴァゆかりの聖地タクツァンで瞑想していたトゥルンパは、西洋の科学物質文明のなかに仏教を真に根付かせるには、自らのなかの精神の物質主義を断ち切ることが必要だと悟る。”

何と、トゥルンパ・リンポチェは、ブータンでディルゴ・ケンツェ・リンポチェに会っていただけでなく、タクツァンも訪れていたのだ!(私達は2007にその地を訪れている) ケンツェ・リンポチェは『シンクロニック・ジャーニー』P43(=吉田さんのKIN)に写真入りで登場して頂いている方で、後に、カトマンズで、その頭蓋骨が収められている部屋に何故か招かれて(私達はその部屋の存在すら知らなかった)、転生者にもお会いする事になった縁のある方だ。

ダライ・ラマ法王の師の1人でもあったケンツェ・リンポチェ、アグエイアス夫妻の師でもあったトゥルンパ・リンポチェ。この二人がブータンで会っていただけでなく、ある意味、全員と繋がっている法王が、間もなく大阪に来られるのだ。何という興味深い発見を、大阪でしたのだろう。しかも、今回は「文殊菩薩の許可灌頂」が行われる予定だ。私が法王の法話を伺うようになって15年以上経つが、日本では多分初めての事ではないだろうか。
IMG_6834.jpg ★北野天満宮

一方で、菅原道真公と深く結びつけられた天神信仰には、以下のような側面があるというのを、今回初めて知った。同じくWikiより引用してみる。

”天神には神号の他に五つの名と姿があるという。
第一に好玄と称し「千手観音」の化身となり
第二に道直と称し「大日如来」の化身となり
第三に良道と称し「地蔵菩薩」の化身となり
第四に京都の北野に降れば道実と称し「文殊菩薩」の化身となり、
第五に九州の安楽寺に道真と称し「十一面観音菩薩」の化身になる”

KIN37(G1/25)に訪れるつもりでいたのは、二子玉川ラサの石川さんに薦められた大将軍八神社と、そのすぐ近くにあることが分かった北野天満宮だけ。後は、当日のノリで決めようと思っていたのだが、ここでも狙ったかのように「文殊菩薩」が登場。カーラ・チャクラの複雑な教えを要約したのも、この文殊菩薩の化身であるマンジュシュリー・キルティとされているし、このシンクロ率はやはりただ事ではない。

ちなみに、文殊菩薩像は、獅子の背の蓮華座に結跏趺坐し、右手に智慧を象徴する利剣(宝剣)、左手に経典を乗せた青蓮華を持つものが多いとのこと。獅子座生まれで剣武も学んでいる天迅(私の書の雅号)としては、かなり親しみを覚えてしまうが、天神さん(道真公)とテンジン・ギャツォさん(ダライ・ラマ法王)とが、文殊菩薩を通じて響き合うというのは、今回のこのタイミングでなければ、なかなか気付けなかっであろうと思うだけに、時の聖なる働きを感じてしまう。
IMG_6826.jpg ★大将軍八神社

京都を訪れてからの話は、ますますシンクロが激しくなるので、ここで一旦区切ろうと思っていたのだが、今日気付いた事が、どうも上記の話と様々なレベルで絡むような気がしてならないので、ちょっと脱線する感じもあるが、京都のパートは「後編」に回すことにして、以下、別な話を少しメモしておく。

パルサー爆弾と連動するKIN27から読み始めた『二つの世界を生きて 一精神科医の心霊的自叙伝』を、長いあとがきまで含めて、今日、ようやく読み終えた。著者のアーサー・ガーダムの誕生キンがKIN125である事は、2週間程前に確認していたが、死去した日もまたKIN125であったと知ったのは、今日になってから。

「訳者あとがきにかえて」P369(天照大神の数霊)の最後に、1992.2.2、満87歳の誕生日を間近に控えバースにて死去、という一文を発見したのだ(バースという地名も興味深い)。何と「共振の月24日」の今日からぴったり24年前に他界しているではないか!しかもそれは、誕生日(1905.3.9)と同じKIN125だったのだ。

369は天照大神の数霊と言われるが、2013年に伊勢で行われた式年遷宮は、125代今上天皇の時に執り行われたもので、伊勢の神宮は125社からなる。その遷宮で臨時祭主を務められた黒田清子さんもまたKIN125。今日というタイミングに、125で強力にコード化されたアーサー・ガーダムの本を読み終えたことには、何か深い繋がりを感じる。KIN125で生まれ、KIN125で去ったガーダムは、ぴったり122銀河スピンの期間、この世界に存在していた。

加えて、今日は父がこの世を去った時(2001.11.4)と同じKIN45。一体どのくらい経過したのか計算してみたら、ぴったり20銀河スピン(20×260=5200キン)であった。もちろん、これは閏日調整をする『ドリームスペル(13の月の暦)』の数え方での話だが、父の命日からぴったり2年後の2003.11.4(KIN255)に、ダライ・ラマ法王が伊勢の内宮を初参拝されている事は、改めて記しておきたい。そして、その時、観測史上最大の太陽フレアーが起った事も。

今回は、冒頭に超新星爆発について書き、終わりに太陽フレアーについて書いたが、宇宙的現象が地上の動きと呼応するという発想は、どの時代のどの地域でも見出せる普遍的なものだ。それは、実は今も変わりないということを、私はますます実感するようになって来ている。それは、そのように「見る」ことから始まっている側面もあるので、そのような見方を「無視」したり「迷信視」したりする人には理解不能な感覚であることも、私は十分理解しているつもりだ。しかし、世界は見方によって、実際に変容するのである。

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