出雲大社での剣武天真流奉納演武

2016年07月22日 23:59

宇宙の月26日(G7/22)KIN215 青い共振の鷲(by D)

出雲大社での奉納演武が行われたのは、7/2(土)。『13の月の暦(ドリームスペル)』の365日暦では13月6日、260日暦(ツォルキン)だとKIN195(13・鷲)。月日の「銀河の音」が「13(宇宙の)」で重なる「魔術の亀の日」だった上、出雲大社の住所は、何と出雲市大社町杵築東195!こんな事は、狙っても出来ることではない。

ちなみに、この住所と日付のシンクロについて教えてくれたのは、天真書法塾シャンバラ教室生で出雲出身の尾崎さん。尾崎さんはツォルキン唯一の「パカルの特別な数字」であるKIN78(13・鏡)の生まれで、78=13×6(→13月6日)という点にも注目すると、演武当日の日付(天)と出雲という土地(地)が、この繋がりを教えてくれた、といようにも読み取れる。

演武用の稽古着に身を包んで宿を出発。大社の東側にある駐車場に車を停め、風情のある松の参道を進んで社務所へ向かうと、ちょうど社務所前で出雲大社を統べる出雲国造・千家尊祐氏が向こうからやって来られた。天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけひ)から生まれた天穂日命を初代とする出雲国造の84代目とされる方で(つまり神話時代から続く家系)、2年前に高円宮典子さまと結婚された千家国麿氏の父君でもある。
IMG_8087.jpg 
天津神系と国津神系が再び一つになるというこのお二人の結婚には、様々な意味があったと感じているが、ちょうどその直前にツイッターでつぶやいた事に絡めて「天津神と国津神の調和的統合」というブログ記事にまとめてあるので、そこから一部引用してみたい(この記事が770番目のブログ記事であると気付き、一つ前の記事ともシンクロしているのを感じた)。


”G9/1、『ドリームスペル』の惑星ホロンで日本のエリアに対応するKIN46(7・橋渡し)に、私は【そして13×18=234は、第125代今上天皇の誕生KIN。そして、シンクロニシティという言葉を生んだユングの誕生KINだ】というツイートをクリカのツイッター上でした。それが、ちょうど10500ツイートという区切りの良い数だった事に気付いた私は、ふと、125という数字で10500を割ってみるという遊びをした。すると10500=125×84と綺麗に割り切れるではないか!

それだけで意味なく喜んでいた私だったが、125が伊勢の神宮の社の数や今上天皇の代、そして2013年の式年遷宮で臨時祭主を務められた黒田清子さんの誕生KINであることに思いを巡らせた私は、84にも何かあるだろうか?と「84代」だけ入れてググってみた。すると、「第84代出雲大社国造」というのがいきなり出て来たのだ!伊勢系、出雲系の結婚が目前に迫っていることを意識していた私が、無意識的にツイートした10500ツイート目に、今上天皇の事を書いていて、そこに伊勢と出雲を結ぶ数が、完璧な形で潜んでいたのだから驚愕せずにはいられない。”


念のため当日(2014.9.1)の手帳メモを確認してみると、さらに驚愕の事実を発見。何と私は、その日付けの「剣武天真流 本部正師範任命書」を青木宗家から拝受していたのだ。この頃から、出雲との回路は繋がり始めていたのかもしれない。ちなみに、その手帳メモの近くには、こんなメモもあった。【10500=105×100。KIN105(1・蛇)は大物主(大国主)、KIN100(9・太陽)は天照】。こじつけと思われても構わないが、暦を用いて何らか意味を見出すのに、キーワードだけに拘る必要が無いのは確かだろう。
任命書 
話を7/2(KIN195)に戻そう。今回の奉納演武に関して様々な形でご協力下さった出雲国大社食品の山崎社長も社務所に到着され、青木宗家、吉田事務局長と共に、千家尊祐宮司との対談のため別室に向かわれた。尚、今回の奉納演武の実現には、アオキメソッド(前・瞑想カレッジ)でご一緒した事もあるキーマンネットワークの中島孝志さんが関わっており、山崎さんとのご縁も中島さんを通じてのものだった事を記しておきたい。

対談から戻られた先生によると、千家宮司は、およそ一ヶ月前に剣武天真流セミナー&輪島ツアーの際に訪れて、奉納演武をさせて頂いた重蔵神社の能門宮司と、大学で同級生だったとの事。重蔵神社での演武の様子は、「YOUは何しに日本へ?」(7/11後半)で放映された関係で( 動画リンクはコチラ 36分以降)、そちらのアナウンスが先行し、未だ現地での詳細は書けていないのだが、演武の他にもお粥講や高名秀人光漆芸工房での体験、御陣乗太鼓など、色々と貴重な体験をさせて頂いたので、そのうち文章化できればと思っている。

さて、宮司同士の繋がりも然ることながら、より興味深いのはご祭神の繋がりである。重蔵神社のご祭神は天之冬衣命と大国主命。『古事記』によると、天之冬衣命はスサノオの五世の孫で、大国主命の父に当たる神。能登での剣武セミナーが決まった時には、まだ出雲での奉納演武の話は出ていなかったし、この繋がりを予め知っていた人は居なかったと思うが、重蔵神社で奉納演武をした後、間をおかずに出雲大社で奉納演武をするという流れは、まさに天の采配と呼びたくなる美しい流れと言えよう。
本殿 
時が来て、社務所前の手水所で手と口を清めてから、本殿に向かう。天気予報では曇り時々雨だったが、今回もやはりお天気は大丈夫だった(重蔵神社も昨年の大神神社、鵜戸神宮も天気予報では常に直前まで怪しかったが演武の前後は晴れていた)。この記念すべきタイミングに合わせて出雲にやって来た天真会の仲間も合流して、八足門をくぐり、お祓いを受けてから本殿前にて正式参拝。宗家の玉串奉納に続いて、2礼4拍手1礼。この参拝方法に、一人マニアックな喜びを感じていたのは、おそらくKIN241の私だけだろう。

その後、大きな注連縄で有名な拝殿に移り、ついに奉納演武開始。青木宗家、吉田随流事務局長に、関口仁、丸山貴彦、吉田倫子、望月ウィウソン、小原大典の本部正師範5名を加えた全7名で礼式を行い。続いて、吉田事務局長が吉原義人模作聖徳太子七星剣にて四方荘厳。その後、本部正師範5名による大翻刀&神剣無礙(途中、白龍遊天を含む)。最後に青木宗家が天真五相&自由演武を奉納された。

全員が真剣で演武したのは今回が初めてであり、いずれも宗家が集められた名刀なので、ここに演武者と共に記録しておく。和泉守國貞(青木宗家)、河内守永國(関口師範)、肥前国住忠吉(丸山師範)、水心子正秀(倫子師範)、摂津守源忠行(ウィウソン師範)、播磨守忠國(小原)。出雲大社拝殿という空間、そして真剣を手にしての演武に緊張感はあったものの、何か別な次元でゆったりした時間が流れていたようにも感じられ、思ったよりは落ち着いて演武に臨む事が出来た。
IMG_6840_20160722235737dfd.jpg

尚、この奉納演武については出雲大社の公式ページにも掲載されているので、リンク先を参照頂ければと思う。また、天真会のFB公式ページに動画や写真も掲載されているので、合わせてご覧頂ければ幸いである。写真は川崎さん、ビデオは郷右近さん(お二人とも天真会メンバー)が、ボランティアで引き受けて下さったものである(動画の一部は固定カメラによる)。記念となる貴重な記録に感謝。
IMG_6377.jpg 
宗家に予言されていた怪我をする事も無く(十分注意しろよというアドバイスだったと思う)、無事、演武は終了して記念撮影。社務所で着替え、「おさがり」を頂いて大社を後にした。場所を出雲文化伝承館に移して、羽根屋で出雲そばを美味しくいただき、その後、亀山の麓にある命主社に参拝。ご祭神は造化三神の一柱、神産巣日神。境内にある樹齢1000年ともいわれるムクの巨木は、幹のうねりに迫力があって、強い生命力が感じられた。
IMG_8092.jpg 
この神社の裏手の巨石の下で、古代の銅戈と硬玉製勾玉が発見されたと知ったのは、後になってからだったが、出雲大社からは徒歩圏なので、大社に参拝するのならここにも立ち寄ってみることをおすすめする。ここで、お世話になった山崎さんとはお別れし、私達は古代出雲歴史博物館へ向かった。エントランスを入るとすぐに出雲大社境内(八足門前)で2000年に出土した巨大な柱(3つの巨木を一つにした宇豆柱)が展示されていた。

3本の巨大な柱を一つにまとめた様は、パン・ジャパン・ライブラリーでも使用している「レーリヒ平和の旗」にそっくりな構造だが、2002年に初参拝した時は、まだ八足門前の地面に埋まった状態で囲いがされていたと記憶している。2013年の遷宮時に、ご神体を遷御する直前まで雨が降っていたのに、いざ遷御がはじまると雨はピタっと止み、遷御終了後本殿の扉が閉じると同時に大雨が降った、というエピソードをお昼に山崎さんから伺っていたので、一体その日付はいつだったのだろう?と思っていたら、それが記されたパネルがあった。

2013年5月10日(新月)はKIN87(9・手)。今、気付いたが、伊勢外宮の遷宮は、年月の数字が反転する同年10月5日(新月)=KIN235(1・鷲)に行われている。そして、そこからぴったり1年後の2014年10月5日(KIN80=2・太陽)に、高円宮典子さま(KIN135=5・鷲)と千家国麿氏(KIN162=6・風)が結婚されたのだから、これは随分前から決められていた事だったのかもしれない。少なくとも遷宮とセットで考えられていたというのは、決して見当違いではなかろう。

気付いてしまったので書いておくが、千家国麿氏がKIN87、つまり出雲大社遷御と同期する道筋に入ったのは2002年、つまり29才の時である。まだまだ続きがあるのだが、先刻、今日が千家典子さん(元・高円宮典子さま)の28才の誕生日である事に気付き(手帳のメモを見て)、出雲大社境内でのポケモンGO使用禁止のニュースを目にしたりもしたので、ひとまず、ここで区切るのがちょうど良いのだと判断した。それにしても、『銀河のマヤ』を共著で出させていただいた江本勝所長と千家典子さんが同じ誕生日だったとは驚きである。

コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    最近の記事