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「君が代」発祥の地・志賀島へ

2017年04月05日 23:47

惑星の月2日(G4/5)KIN211 黄色い自己存在の人(by L)

何から書いて良いかわからないほど色々な物語が同時進行しているけれど、まずはここから書き始めよう。

春分の翌日、九州福岡の志賀島に書の作品を二点納めさせていただきました。
志賀海神社様に「君が代」を。そしてふたば幼稚園様に「食游眠」を。

志賀海神社に奉納させていただくこととなった「君が代」は、もともとは天真書法塾の師範として、2016年ポーランドのトルン博物館で行われた展覧会への出品の機会を得て制作した作品だ。展覧会のタイトルは【日本発祥の書体による書道展】という(文字の歴史を考えるのなら)ちょっと不思議なものだった。

「日本発祥の書体………?」

何を書くかを決める時には、インスピレーションがやってくるのを待つ。
この展覧会で求められていた書体のジャンルには、かな、墨象、刻字など幾つかあり、その中には前衛書という項目も見つけられた。よし、ならば今回は迷わず前衛だ。前衛書からエントリーし(外国の博物館への出展作品ということもあり)日本語を母国語としない方々にも楽しんでいただけるよう、自由な(前衛的な)表現で書かせてもらおうと決めた。日本発祥の書体ということであれば、私が発祥でも良いはずである(と限りなく拡大解釈をして)。しかし書のテーマとなるものは、広く共有できるオーソドックスなものが良い。私は日本の国歌「君が代」を書題に定め、副題をEternal Peaceとした。永遠の平和、そして目には見えないけれど、時空を超えて連綿と繋がる、私たちを育み包んでくれている何かを「君が代」の言葉をモチーフに描きたかった。私にとって、書とは言葉に込められた精神性を書く芸術だ。2016年夏の終わり頃、完成した作品はポーランドへと旅立った。

奉納当日の様子はDによる「龍の都「志賀海神社」での白龍遊天」に詳しいのでそちらをご覧いただければと思う。ここでは、なぜこの書を志賀海神社に奉納させて頂くに至ったかの経緯を書いておきたいと思う。

きっかけは、天真書法塾シャンバラ教室のメーリングリストで私の生徒たちに、この書の写真を紹介したことだった。それを見た教室生の亜久理さんが、「君が代」の発祥は彼女の地元・志賀海神社とされていることを教えてくれたのだ。不勉強な私は、作品制作時には志賀海神社のこともよく存じ上げなかったが、もしポーランドから作品が戻ったら志賀島にお持ちしたいと、その時、淡い憧れの気持ちを抱いた。その後、亜久理さんのお母様であり、ふたば幼稚園の園長である小崎孝子先生が、志賀海神社とのご縁を繋いでくださり、今回の奉納があっという間に決まった次第である。実はポーランドからいつ作品が戻るのかは知らされていなかったのだが、戻ったのは奉納の割合直前で、私の手元にちょうど13日間だけあり、そして志賀海神社へ帰って行った(という表現がぴったり)。

奉納の当日、大きな日の丸が掲げられた社務所の和室で、書軸を箱から取り出し、初めてお会いする権禰宜の平澤さんはじめ、居合わせた皆さま方に「君が代」を見ていただいた時の様子は忘れることができない。しかしこの時は、奉納が行われる社殿への移動を控え、時間がタイトだったこともあり、ご挨拶と記念撮影が精一杯。感謝の気持ちも作品の背景も十分にお伝えできたとは思えないので、志賀海神社に、いずれゆっくり参拝したいと思っている。

志賀海神社3 

ふたば幼稚園園長の小崎孝子先生、権禰宜の平澤さんと日の丸の前で記念撮影。ポーランドも日本も国旗は紅白2色。書の中に昇る朝日を出現させたかったので、落款印は鳳凰が彫り込まれた丸いものを選び太陽にみたてた。平澤さんが遥拝所からの日の出の風景の様だと話してくださりとても嬉しかった。(余談であるが、2016年7月にはローマ教皇フランチェスコが、そして9月にはダライ・ラマ法王14世が、それぞれポーランドを訪問されていることもメモしておこう。)

金沢の美味しいお菓子とお茶をいただいたあと、奉納のため、再び箱に収めた書軸は三方に載せられて社殿へ。私たちも後へと続いた。

かくして10時より、志賀海神社正式参拝とDによる剣武天真流演武奉納を滞りなく終え、
いよいよ、11時より予定されているふたば幼稚園での掲額式へと向かう。
何が起こっているのか、意識はとても静かではっきりしているのだけど、別の次元にいる様でもある。(つづく

志賀海2 

★当日の奉納の様子は「龍の都「志賀海神社」での白龍遊天」を参照されたい。
★関連ブログ
「春分・志賀島のワカメ体操」
「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花」

以下は自分用メモとして。今日KIN212は2015年11月1日フィレンツェのサンタマリアデルフィオーレ大聖堂で、外尾悦郎氏作の説教壇の仮設置が行われ一般公開されたKIN。この日の平澤さんとの出会いによって、もう一つの物語が活き活きと進行中であることを書いておこう。

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