時間芸術としての「マギの礼拝」

2017年06月23日 21:41

水晶の月25日(G6/23)KIN31 青い倍音の猿(by D)

5月の末にイタリアのトスカーナを再訪して来た。50年近い生涯の中で一度も訪れる機会の無かったトスカーナ(特にフィレンツェ)の地に、「青いスペクトルの嵐の年」(2016.7.26〜2017.7.25)の間に2度も足を運ぶ事になったのは、この1年がダ・ヴィンチの他界=肉体からの解放(G暦換算1519.5.12=KIN219=青いスペクトルの嵐)とシンクロしているからかもしれない。

今回の主目的は、ヴィコピザーノという場所で行われた剣武天真流イタリア合宿で、欧州各地から集合した60名余りのメンバーに対して青木宗家や本部正師範と共に指導に当たる事だったのだが、その機会を活かして、前回の訪問でやり残したミッションを遂行する、という意味も私達にはあった。

その経緯については、メルマガの連載で追々触れて行く予定だが、以下の2点だけは先に記しておきたい。一つは、イタリアの剣武道友で、昨年来日時に「Youは何しに日本へ?」に登場し、前回ピサ訪問時にもお世話になったジュリアーノ(KIN88)の存在。彼は古い教会などの修復を行う職人さんで、ピサでは現在、国が認めた唯一の修復士だと言う事。

もう一つは、以下のような(ドリームスペル・ツォルキン上の)時間の連続性について。1回目のフィレンツェへの旅はKIN254〜KIN1(8/30~9/6)で(その時の流れはコチラ)、2回目の今回は、そのぴったり260日後のKIN2〜KIN9(5/25~6/1)だったのだ。

今回、出発日の朝に目にした車は「10-10」(前回は10で台風10号ともシンクロ)で、最終日に訪れたのはガリレオ博物館。そのガリレオがこの世を去ったのもKIN10と知ったのは、帰国してからだった。上記の通り、自分達の都合だけで日程が決まった訳ではないし、そもそも剣武合宿が無ければ、こんなに間を詰めてイタリアに行く事も無かっただろう。全ては「時間の法則」の働きなのだ。

また、フィレンツェからフィレンツェまでの260日の間には、フィレンツェを舞台にした映画『インフェルノ』が公開され、私達はKIN85(11/29)にその映画を観た。さらに、KIN227(4/20)には『レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮』というドキュメンタリーも観る事になった。

この映画で、改めてダ・ヴィンチの誕生日(ユリウス暦から変換してG暦4/24)を意識し直し、今年はそこにLの銀河の誕生日であるKIN231が同期する事が判明した。2度目の訪問の前に、ダ・ヴィンチの565回目の誕生日とLの79回目の誕生KINがシンクロするという特別なタイミングが巡って来たのである。

マギ 

さて、ここまでの記述は、実は今回メインで書いておきたい事の前置きである。私が、今、何より書いておきたいのは、ダ・ヴィンチの『マギ(東方三博士)の礼拝』についてなのだ。1度目の訪問時には観られなかったこの作品が、修復を終えて5年ぶりにウフィツィ美術館に戻って来ており、3/28(KIN204=9・種)〜9/24(KIN124=7・種)で限定公開されていると知ったら、やはり観ないではいられない。

合宿を無事終えた翌々日のKIN7(5/30)、朝一番でウフィツィ美術館に向かい、他の全ての絵をすっ飛ばしてダ・ヴィンチの特別展示が行われているNo79へと向かった。Lの79回目の誕生KINがダ・ヴィンチの誕生日と重なる生涯唯一のタイミングにNo79というのが何とも運命的であるが、お陰で、貸し切り状態でダ・ヴィンチと相見える事が出来た。

有名な「受胎告知」や師ヴェロッキオとの共作「キリストの洗礼」が展示されていたのは、確かにNo79の部屋だったが、目玉の「マギの礼拝」が展示されていたのは、何とNo85の部屋であった。KIN85が『インフェルノ』を観た日付で、79+85=164(黄色い銀河の種=銀河の同期)となるのも、「13の月の暦」に沿って生きている私達にとっては、必然性を感じさせるものがあった。

マギ左 

目的の「マギの礼拝」を様々な角度からじっくり鑑賞した上で、さらに正面に立って観入。剣武の合宿で感性が普段以上に高まっていたので、色々な事が感じられたが、それをひと言に要約すると「ダ・ヴィンチのマギの礼拝は、時間芸術である!」という事。

マギ右 

人間の時間感覚からは静止しているように見えるものでも、全てが刻々と変化し続けるこの相対世界において、あらゆる芸術は「時間芸術」に包含されるという立場を私は取るが、世間では、映画・音楽・小説など、時間経過を通じて味わうものを「時間芸術」と呼び、絵画・彫刻・建築など物質的材料で空間に構成されるものを「空間芸術」と呼ぶらしい。

つまり、一般的な定義では「マギの礼拝」も「空間芸術」に分類される訳だが、この絵をずっと眺めていると、全く異なる時空間が何重にも重なっているように見えて来て、ある種、映像を観ているような気分になって来るのである。そういう意味では漫画に近い気もするのだが、部分部分が異なる時間軸で動いていて、それらが物語として結びついているようにも見えないので(しかしながら絵としては統合されている)、まるで複数の投影機で異なる映像を重ねて映しているような感じがするのだ。

いや、印象としてはもっと多次元的で、夢見の状態に近い感じがあった。そして、未完成とされるこの絵は、実はある面では完成していて、ダ・ヴィンチがこの絵を通じて表現したかったのは、まさにそうした意識や動き、異なる時空への自由な飛翔だったのではないかと思ったのである。空間芸術の領域で、時間芸術以上に時間を表現した作品、それが「マギの礼拝」なのだ!と一人自得し(Lも賛同してくれたが)、私はその部屋を後にした。

拙著『霊性のアート』P187の球状精神宇宙モデルに則して言えば、水平時間だけでなく垂直時間までも表現している4次元的な絵であると、私は思う。帰国後、その『霊性のアート』にも登場してもらっているアーティストの佐藤君(水の結晶実験で最も貢献した人物の一人)が、お土産代わりに送った写真に対して、以下のような感想を送ってくれたのは、嬉しい驚きだった。

”「マギの礼拝」は、はじめてみたけど、なにがすごいって、描き途中なんだろうけど、完成しているのがすごいですね。”

見る目と高い感性を持つ人物が、ある面、同じような見方をしていた事が分かり、自分が受けた印象もそれほど見当違いではなかったようだ、と思えたからかもしれない。それから暫くして、天真書法塾師範科の授業があり、傅山の作品「霜紅龕集巻13」を楽しみながら臨書する、という課題があったので、早速「マギの礼拝」から受けたインスピレーションを応用してみた。というか、まんま書で真似してみた(笑)。

書 ★左が私、右が蘭禅の作品

出来栄えはさておき、感じ取ったものを何らかの形で表現してみる、というのは、シンクロに限らず道の極意の一つだと思う。名人の書、名人の絵画等の、見えるところ見えないところを味わい、真似し、表現する。この繰り返しは、どの分野にも通じる極めて基礎的で普遍的な学習方法ではないだろうか。

私が『13の月の暦ドリームスペル)』の名人だと言うつもりはないが、楽しみ方については名人級だと言っても嘘にはならないだろう。各地で予定している暦クラスでは、その極意とコツをたっぷりシェアするつもりである。新年を迎える前に、本格的な「時空のサーフィン」のやり方を学びたいと思っている初心者の方、いまいち使いきれている感の無い方は、この波に乗ってみることから始めてみると良いかもしれない。

尚、「マギの礼拝」がきっかけとなって、さらに予想外に展開したシンクロの旅については、「シンクロニック・ジャーニー報告会~フィレンツェ編」で、映像も交えつつ詳しくシェアする予定である。どうぞお楽しみに!

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