2017年12月30日 22:28
■律動の月18日 (G12/30) KIN221 赤い宇宙の竜 (by D)
クリスマスイブにイーストウッドの『許されざる者』を観た。我が家で「何を観よう?」となった時に役立つのは『荒木飛呂彦の超編愛!映画の掟』。荒木先生(KIN10)のツボは私達とかなり被っているので、この本を参考にすればまずハズレは無い。他の要素はどうあれ、ツボさえ押さえられていれば「いい映画だった」という感想になる。
もちろん『許されざる者』もそうだった。モーガン・フリーマンやジーン・ハックマンなどの共演者もいい味出していたが、それ以上に「何を重んじているか」「何を描こうとしているのか」という所に納得感がある。多分、そこにこそイーストウッドの美学があるのだと思うし、それが私達にも響くのだ。
この映画、公開日に関する面白いシンクロがあった。米国で1992.9.7(KIN51)、日本で1993.4.24(KIN51)。つまり、米国公開からぴったり260日後の同じKINに日本で公開されたのだ。G4/24はダ・ヴィンチ(KIN186)の太陽暦誕生日でもあるのだが、ここから色々な繋がりが見つかったので、以下、自分用にメモしておく。
『許されざる者』は、イーストウッドが2人の師に捧げた映画で、その一人は何と『荒野の用心棒』の監督セルジオ・レオーネであった!『荒野の用心棒』は、「11・嵐」の年の「12・嵐」の日にフィレンツェで体験した劇的シンクロがきっかけとなって注目した映画で、その縁に刺激されてフィレンツェから戻って4日後の2016.9.10(KIN5)には観ていた、という経緯がある。この映画で主人公を演じたイーストウッド(KIN233)が、レオーネをそこまで尊敬していたとは全く知らなかった。
フィレンツェの旅でのキーマンは、ダ・ヴィンチとモリコーネで、二人はKIN186という時間で繋がっていた。現地で滞在最後の夜に思いがけず耳にした生演奏が、モリコーネによる『荒野の用心棒』のテーマ曲だったと判明したのは、帰国してからの事。ダ・ヴィンチの生誕565周年とLの79銀河スピンが重なった2017.4.24(KIN231)は、『許されざる者』の日本公開24周年でもあった訳だ。そして、その上映時間(131分)は、この映画を見た時点でのLの「運命の道筋」(KIN131)ともシンクロしていた。
★『荒野の用心棒』のワンシーン
ところで、1929.1.3(KIN240)生まれのレオーネは、『荒野の用心棒』を始めとするマカロニ・ウェスタンのシリーズだけでなく、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』という映画も監督している。大学入学時のオリエンテーションの場で「好きな映画は?」と聞かれた時に、思わず口にしたタイトルがこの映画だった事だけやけに鮮明に憶えているのだが、自分にとって「映画らしい映画」という印象が強いのは今も同じである。
イマジネーションを刺激する音楽、それと見事にマッチする映像、描かれている時代や人物、そして物語の中の時間経過の見せ方。そういうところに、私は「映画らしさ」を感じているのかもしれない。今回、改めてレオーネについて調べる機会を得たおかげで、私は驚きの発見をした。何と、レーオネとモリコーネは、小学校の同級生だったというのだ!歴史に残るような音楽家と監督のこの関係は、それだけで映画になりそうな話だ。
さて、昨夜はアマゾンプライムのお試し期間の宣伝にまんまと乗せられて『グラン・トリノ』を観る事になった。荒木先生が紹介しているイーストウッド作品なら何でも良かったのだが、無料で観られる作品である事と、タイトルに惹かれるものがあるという理由で何となく決まった。
にもかかわらず、イーストウッド演じる今回の主人公は、何とポーランド系米国人のコワルスキーという人物だった。かなりいい加減な根拠で選んだ映画だったのに、またまたポーランドが来てしまうのは、年明け最初のイベントを「スープ王国ポーランドの秘密」にした事と関係しているのかもしれない。
グラン・トリノというのが、フォードの車名だというのが分かったのは劇中での事で、その車名がイタリアのトリノに由来するものだというのは、映画を見終えた後に確認して分かった事だった。自分が初めて訪れたイタリアの街がトリノだったから、それもあって何となく選んだ映画ではあったが、フィレンツェでの劇的体験から巡り巡ってこう繋がって来るとは思っていなかっただけに、新鮮な驚きがあった。
『許されざる者』と『グラン・トリノ』の終わり方は全く違うようでいて、その筋は、場面設定が違うだけで、殆ど同じ事を描いているように思える。そして、その原型は『荒野の用心棒』にあるとも言えよう。レオーネ、モリコーネ、イーストウッド。本人達の私生活については知らないが、彼らが作り出したものや作品を通じて描こうとした所には、深く共感できるものがある。
映画についてのメモはここで終わりで良かったのだが、自分がトリノについて書いた記事が何かあったはずと検索してみると、トリノの学校でKIN118(1・鏡)に剣武天真流の演武をした事を、KIN131(1・猿)にUPした記事が見つかった(魔術都市トリノの聖なる引力)。
今日のサイ時間単位はKIN118で、2017.1.1(KIN118)ともシンクロしていたので、「白い鏡」から始まった1年の終わりに、年の初めの時間と、トリノという空間にアクセスするサーフィンを楽しめた事に感謝しつつ、このメモを終える。
追記:「青いスペクトルの嵐の年」の間に、思いがけず2回訪れる事になったフィレンツェ。2回目最後の滞在日は20
17.5.31(KIN8)で、イーストウッドの87歳の誕生日に当たっていた。
クリスマスイブにイーストウッドの『許されざる者』を観た。我が家で「何を観よう?」となった時に役立つのは『荒木飛呂彦の超編愛!映画の掟』。荒木先生(KIN10)のツボは私達とかなり被っているので、この本を参考にすればまずハズレは無い。他の要素はどうあれ、ツボさえ押さえられていれば「いい映画だった」という感想になる。
もちろん『許されざる者』もそうだった。モーガン・フリーマンやジーン・ハックマンなどの共演者もいい味出していたが、それ以上に「何を重んじているか」「何を描こうとしているのか」という所に納得感がある。多分、そこにこそイーストウッドの美学があるのだと思うし、それが私達にも響くのだ。
この映画、公開日に関する面白いシンクロがあった。米国で1992.9.7(KIN51)、日本で1993.4.24(KIN51)。つまり、米国公開からぴったり260日後の同じKINに日本で公開されたのだ。G4/24はダ・ヴィンチ(KIN186)の太陽暦誕生日でもあるのだが、ここから色々な繋がりが見つかったので、以下、自分用にメモしておく。
『許されざる者』は、イーストウッドが2人の師に捧げた映画で、その一人は何と『荒野の用心棒』の監督セルジオ・レオーネであった!『荒野の用心棒』は、「11・嵐」の年の「12・嵐」の日にフィレンツェで体験した劇的シンクロがきっかけとなって注目した映画で、その縁に刺激されてフィレンツェから戻って4日後の2016.9.10(KIN5)には観ていた、という経緯がある。この映画で主人公を演じたイーストウッド(KIN233)が、レオーネをそこまで尊敬していたとは全く知らなかった。
フィレンツェの旅でのキーマンは、ダ・ヴィンチとモリコーネで、二人はKIN186という時間で繋がっていた。現地で滞在最後の夜に思いがけず耳にした生演奏が、モリコーネによる『荒野の用心棒』のテーマ曲だったと判明したのは、帰国してからの事。ダ・ヴィンチの生誕565周年とLの79銀河スピンが重なった2017.4.24(KIN231)は、『許されざる者』の日本公開24周年でもあった訳だ。そして、その上映時間(131分)は、この映画を見た時点でのLの「運命の道筋」(KIN131)ともシンクロしていた。

ところで、1929.1.3(KIN240)生まれのレオーネは、『荒野の用心棒』を始めとするマカロニ・ウェスタンのシリーズだけでなく、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』という映画も監督している。大学入学時のオリエンテーションの場で「好きな映画は?」と聞かれた時に、思わず口にしたタイトルがこの映画だった事だけやけに鮮明に憶えているのだが、自分にとって「映画らしい映画」という印象が強いのは今も同じである。
イマジネーションを刺激する音楽、それと見事にマッチする映像、描かれている時代や人物、そして物語の中の時間経過の見せ方。そういうところに、私は「映画らしさ」を感じているのかもしれない。今回、改めてレオーネについて調べる機会を得たおかげで、私は驚きの発見をした。何と、レーオネとモリコーネは、小学校の同級生だったというのだ!歴史に残るような音楽家と監督のこの関係は、それだけで映画になりそうな話だ。
さて、昨夜はアマゾンプライムのお試し期間の宣伝にまんまと乗せられて『グラン・トリノ』を観る事になった。荒木先生が紹介しているイーストウッド作品なら何でも良かったのだが、無料で観られる作品である事と、タイトルに惹かれるものがあるという理由で何となく決まった。
にもかかわらず、イーストウッド演じる今回の主人公は、何とポーランド系米国人のコワルスキーという人物だった。かなりいい加減な根拠で選んだ映画だったのに、またまたポーランドが来てしまうのは、年明け最初のイベントを「スープ王国ポーランドの秘密」にした事と関係しているのかもしれない。
グラン・トリノというのが、フォードの車名だというのが分かったのは劇中での事で、その車名がイタリアのトリノに由来するものだというのは、映画を見終えた後に確認して分かった事だった。自分が初めて訪れたイタリアの街がトリノだったから、それもあって何となく選んだ映画ではあったが、フィレンツェでの劇的体験から巡り巡ってこう繋がって来るとは思っていなかっただけに、新鮮な驚きがあった。
『許されざる者』と『グラン・トリノ』の終わり方は全く違うようでいて、その筋は、場面設定が違うだけで、殆ど同じ事を描いているように思える。そして、その原型は『荒野の用心棒』にあるとも言えよう。レオーネ、モリコーネ、イーストウッド。本人達の私生活については知らないが、彼らが作り出したものや作品を通じて描こうとした所には、深く共感できるものがある。
映画についてのメモはここで終わりで良かったのだが、自分がトリノについて書いた記事が何かあったはずと検索してみると、トリノの学校でKIN118(1・鏡)に剣武天真流の演武をした事を、KIN131(1・猿)にUPした記事が見つかった(魔術都市トリノの聖なる引力)。
今日のサイ時間単位はKIN118で、2017.1.1(KIN118)ともシンクロしていたので、「白い鏡」から始まった1年の終わりに、年の初めの時間と、トリノという空間にアクセスするサーフィンを楽しめた事に感謝しつつ、このメモを終える。
追記:「青いスペクトルの嵐の年」の間に、思いがけず2回訪れる事になったフィレンツェ。2回目最後の滞在日は20
17.5.31(KIN8)で、イーストウッドの87歳の誕生日に当たっていた。
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