レーリヒ「平和の旗」と「13の月の暦」

2017年12月13日 23:03

律動の月1日 (G12/13) KIN204 黄色い太陽の種 (by D)

『13の月の暦』では、今日から6番目の「律動の月」に入った。28日周期の暦で5ヶ月、20日周期の暦で7ヶ月、すなわち元旦から140日が経過したこのタイミングには、2つの暦の関係が、元旦と同じ「1日、黄色い種」という状態に戻る(*1)。

20日周期は古代マヤのハアブ(365日暦)に順じたもので、こよみ屋さんが出しているA3カレンダーの裏面にも掲載されているが、あくまで区切り方が同じというだけで、古代のものがそのまま継承されているのでは無い事に注意する必要がある(*2)。

今日から始まった8番目の「モル月」に添えられた「断片のすべてを統一し」という一文も、私の知る限り『テレクトノン』のマニュアルに掲載された情報が初出である。ちなみに、テレクトノンパレンケの「碑銘の神殿」と関係が深い銀河ツールだが、今日のサイ時間KIN69は「碑銘の神殿」の中央階段69段とシンクロしている。

さて、KIN204となった今朝、私が最初に思い浮かべたのは、ニコライ・レーリヒリョーリョフ)というロシアの人物だ。シャンバラを探し求めて中央アジアを旅した探検家にして画家で、その「文化による平和」の精神は、「平和の旗」と共にアグエイアス夫妻の「13の月の暦に替える平和の運動」にも引き継がれた。

事実、アグエイアス夫妻がこの暦の情報を携えて世界中を巡っていた時、会場には常に「レーリヒ平和の旗」が掲げられ、2001年にはその活動を讃えたアルタイ共和国が夫妻を招いている。思い出したが、それはまさに「黄色い太陽の種の年(KIN204)」の始まりで、出発前に日本に寄った夫妻に、何故かLが私の写真を渡した関係で、私は写真を通じて二人と共にアルタイを訪れている(笑)。

その後、アグエイアス夫妻が使っていた「平和の旗」が、高橋夫妻を経由して私たちの手元に届けられた事は、『シンクロニック・ジャーニー』に記した通りである。そんな事もあって、今日はレーリヒ誕生からどれくらい経過したのかを、計算してみたくなった。そして、その結果、今日そうしたくなった理由が分かった。

レーリヒの生没年は1874.10.9(KIN204)〜1947.12.13(KIN134)。つまり、ぴったり70年前の今日、この世を去っていたのだ!レーリヒが生まれた日(KIN)から201銀河スピン(201×260)というタイミングでもあった今日は、レーリヒの生と死の時間が重なる、極めて特別な日だったのである。この現象は52年に一度しか起きず、少なくとも「13の月の暦」が誕生してからは初めて生じた事である。

DSC01782.jpg ★レーリヒが最晩年を過ごした家で「平和の旗」と

しかも、70年前のその日に他界した場所は、ヒマヤラのクルー渓谷。『シンクロニック・ジャーニー』P137に私と写っている「平和の旗」は、13年前に訪れたレーリヒメモリアルトラストという場所で撮影したものだが、それはまさに、クルーにあったレーリヒの自宅跡をそのまま活用したミュージアムであった。

さらに、「201」という数にも私は驚きを隠せなかった。何故なら、3日前のKIN201に行われた「時のからだ塾」で、冒頭伝えたのは、『7:7::7:7』におけるKIN201は「時間をはずした月」(2012年冬至を含む「律動の月」=5年前の今日を含む28日間)という特別なひと月に対応する、という話だったからだ。

関連で、もう一つ書き添えておきたい事がある。今日、午前中の天真体道瞑想クラスでは、PANポーランドのYaro(KIN239)から預かった双剣水晶と共に瞑想したのだが、45日前にポーランドで出会った時、彼がクラクフ中央広場にプロジェクターで投影した数枚の映像の中にも「平和の旗」は含まれていた。

IMG_3080.jpg IMG_3085.jpg ★世界遺産の古都クラクフ中央広場にて

「平和の旗」にある3つの円は、科学、芸術、宗教を表しているという(*3)。昨年、渋谷で開催した《時の魔法・ドリームスペル展》で展示した「平和の旗」は、もちろんアグエイアス夫妻から継承されたものだが、然るべき機会があれば、できるだけ公開して、より多くの方に「平和の運動」としての「13の月の暦」の使用を喚起したいと思っている。

平和の旗 ★昨年の《時の魔法・ドリームスペル展》より

この根本の精神さえ押さえていれば、細かい使い方など後からどうにでもなる、というのが長年この暦について伝えて来た私の率直な感想だ。10日後のKIN214(G12/23)に行われる「時空のサーファークラス」も、初心者にはちょっと?なところがあるかもしれないが、「文化による平和」「改暦による平和」というコンセプトにピンと来る方なら、全くの初心者でも心配はいらない。

尚、クルー渓谷にあるミュージアムについて、私たちが知っている最新情報は、2013年にNYのレーリヒ美術館を訪れた時の様子をまとめたメルマガに詳しく書いてあるので、そちらを参照頂ければと思う。そして最後に、没後70周年を記念する情報を一つ。『シンクロニック・ジャーニー』P70には、アグエイアス夫妻がアルタイに招かれた経緯が、レーリヒと関連付けて書かれている(今発見した)。


(*1)13ヶ月の「惑星奉仕のウェイブスペル」で見ると、1-6-11という「倍音パルサー」に対応する月にこの現象が生じる。

(*2)365日暦の元旦をG7/26で固定しているのは『13の月の暦(ドリームスペル)』であり、古代のハアブでは、異なる日付に元旦が巡って来る。この辺りの事は『マヤのリズム』に詳しく整理してある。

(*3)確認のために開いたレーリヒ著『シャンバラの道』(中央アート出版社)のP397に驚くべき記述を発見したのでメモしておく。「アメリカのドル紙幣の裏側に印刷されている目が描かれたピラミッドの絵(フリーメーソンの象徴)は、レーリヒ発案になるものだという。」(引用おわり)。前にも読んでいるはずだが、今日、新たに発見した気分。

トークイベント【スープ王国ポーランドの秘密】1月8日

2017年12月09日 00:07

倍音の月25日(G12/9)KIN200 黄色い倍音の太陽(by DL)

新春トークイベント【スープ王国ポーランドの秘密】
〜2018年1月8日(祝・月)14:00〜16:30〜

トマシャのおじさん クラクフ1のポンチキ コペルニクスのスープ
by Daisuke & Rangzen Obara

旅に出ると、そこでしか味わえないシンクロを「これでもか!」という位、沢山体験させてもらえます。そしてそれは魂の変容を加速させるのです。

2017年秋、私たちは、ワルシャワ直行便の就航から急速に注目を集めつつある国ポーランドを旅しました。多重シンクロに導かれた旅で知ったのは、想像以上に食べ物が美味しく、人の優しい美しい国だという事。聖地、聖剣、ダ・ヴィンチ作品など、絶対に見逃せない情報と、シンクロを見出し、紡ぎ出す手法を、現地の映像・数々の写真を交えながら皆さまにお伝えします。どうぞお気軽にご参加下さい。


スケジュール
【日時】2018年1月8日(祝・月)14:00〜16:30
【場所】東京/九品仏(東急大井町線)お申込の方に詳細をお送りします。
【参加費】3,300円(クリカ稽古会員2,200円)
*定員がありますので、参加ご希望の方はお早めにお申込みください。

お申込み方法
お手数ですが、下記の4項目をコピー&ペーストなさり、必要事項をご記入の上、メール(←クリック)にてお申し込みください。その際メールのタイトルを【ポーランド】として下さい。追って受付メールを返信いたします。

1【お名前】
2【〒ご住所】
3【お電話(携帯)番号】
4【クリカの稽古会員の方は、稽古クラスをお書き添えください。】

*お寄せ頂いた個人情報はいかなる場合においても外部へ漏らす事はございません。
*敏速な返信を心がけておりますが、通信事情等により、ごくまれにメールが届かないケースがございます。申込メールをお送り頂いた後、2日間経ってもこちらから返信が届かない場合は、大変お手数ですが、再度メールをお送り頂けますようお願いいたします。





ソラリスにコンタクト

2017年12月06日 02:43

倍音の月21日 (G12/5) KIN196 黄色い磁気の戦士 (by D)

アンドレイ・タルコフスキー監督の『惑星ソラリス』がソ連で公開されたのは1972.3.20(KIN151)。それからおよそ40年(正確には40年-40日)後の2012.2.8(KIN151)、『ドリームスペル』日本語版(第2刷)の配布が公式窓口で始まった(2016.11.4=KIN60に窓口からの配布は終了した)。

日本に『ドリームスペル13の月の暦)』を紹介された高橋徹さんが、しばしばご著書の中でタルコフスキーについて取り上げられていたので、「青い銀河の猿(KIN151)」を通じたこの繋がりには、興味深いシンクロを感じる。

加えて、今日は日本で『惑星ソラリス』が公開された1977.4.29(KIN196)から、ツォルキンがぴったり57回巡ったタイミング。ソラリスについて書くには、もってこいの日だ。だが、何故、今『ソラリス』なのか?
ソラリス

きっかけは、今から40日前のKIN156(G10/26)にあった。時のからだ塾MLで、メンバーの近藤さんが映画『Ryuichi Sakamoto:CODA』の上映(G11/4〜)について知らせて下さったのだ。この日、私達はポーランドに居て、ワルシャワからクラクフへと鉄道で移動していた。

帰国後のKIN171(G11/10)に『CODA』を観に行き、坂本が『惑星ソラリス』から強い影響を受けていた事を知った。その昔、何となく観たような気はするが、内容は全く覚えていないので(もし観ていても理解出来なかったのだろう)、近いうちに観てみようという事になった。

世界瞑想」が行われたKIN187(G11/26)、兵庫島公園で一緒に瞑想を行ったメンバーとランチをする中で、ソビエト映画『惑星ソラリス』とアメリカ映画『コンタクト』が話題に登ったこともあり、翌KIN188(G11/27)、久しぶりにDVDを借りてみようと思い立つ。

どちらを先に借りようか迷ったが、原作者のスタニスワフ・レムポーランド人だという事をDVDのケースを見て初めて知り『惑星ソラリス』に決定。帰宅後、2つの映画とレムについて調べる中で、面白い発見が続いた。

レムは1921.9.12(KIN172)の生まれで、クラクフの名門ヤギェウォ大学に学び、2006.3.27(KIN88=10・星)にヤギェウォ大学病院にて死去。SFデビュー作の『金星応答せず』というタイトルが、本人の死とこの事を調べたKIN188(6・星)の両方にシンクロしていた事に驚く(ドリームスペルで「星」は金星軌道と対応する)。

さらにKIN88は私の父の誕生キンで、私達がKIN156(10/26)から4泊した宿は、ヤギェウォ大学から100mほどの場所にあった。もちろん、予約した時点ではレムとの関係など全く知らなかったし、恥かしながら私は(そしてLも)、この著名なSF作家の存在すら知らなかったのである。尚、クラクフに着く前日にトルンの「星の下の家」で自分の書作品に出会った事は、少し前の記事に書いた通りである。

CODA』の中で『惑星ソラリス』のシーンを見たのがKIN171(G11/10)で、日本での公開が1977.4.29(KIN196)だったと知った事で、私は「こちらが先で正解」というお墨付きをもらった気分になった。なぜなら、私達は2004.4.29(KIN171)に伊勢で結婚の報告をしているからだ。

潜在意識に響く映画『惑星ソラリス』の影響は殊の外大きく、使用されていたバッハの『イエスよ、わたしは主の名を呼ぶ』(BWV639)の旋律とも相まって、私達はある種の変性意識状態へと誘われた。それがほぼ落ち着いたKIN193(G12/2)、ようやく『コンタクト』を借りる気になった。

この日はシャンバラ教室があったのだが、教室への道すがら「帰りにコンタクトを借リよう」と、私は心に決めていた。すると、教室に来たIさんが「家を片付けていたら出て来たので」と、おもむろに『コンタクト』のDVDを手渡して下さるではないか!あまりのタイミングに驚きつつも、ありがたくお借りする事にした。

コンタクト

確かに、KIN187の「世界瞑想」にIさんが参加され時、『コンタクト』を薦められてはいたが、その時はDVDを持っている等とは一言も口にしていなかったのだから、この日、私が「DVDを借りよう」と決意していなくても、きっと驚いたと思う。

それに、もしKIN188(G11/27)に、私が『惑星ソラリス』のケースをよく見ず、先に『コンタクト』の方を借りていたりしたら、教室のある日に「借りよう」という決心はしていなかっただろうし、そういう状況でDVDを渡されても「ちょっと前に借りてしまって…」で終わっていた事だろう。

ものごとには「時」があるものだが、これほどタイミングと順番がピタッと来ると爽快な気分になる。『コンタクト』も『惑星ソラリス』に負けず劣らず長い映画なので、この日(KIN193)は半分くらいまで見て終了。翌KIN194(G12/3)、再び「時のからだ塾」の近藤さんがMLで、「NHK100分de名著」明日から「ソラリス」です、と驚きの情報をシェアして下さった。

クリカの会員として定期的にお会いしている人(というよりも会員になるような縁ある方)とは、自然とシンクロ率が上がるものだが、近藤さんやIさん級になると(他にも複数いるが)、そういうのに慣れている私達でもビックリさせられる。しかも、このタイミングで『ソラリス』とは!

その6日前までスタニスワフ・レムの存在すら知らなかったし、テレビもほとんど見ない私達は「100分de名著」などという番組がある事も、この時まで知らなかったのだ。そういう状況で、観たばかりの映画『惑星ソラリス』の原作小説が4週に渡って取り上げられるという知らせは、衝撃的であった。それに、私達にとっては、レフが暮らしたクラクフの印象もまだ色あせていないタイミング。全くもって、驚くべき脚本家が居るものだ。

満月だった昨夜(KIN195)、『コンタクト』の続きを観てから、小説『ソラリス』を「100分de名著」の中で再体験し、『惑星ソラリス』日本公開日から57銀河スピンの今日KIN196に『コンタクト』を見終えた。ちなみに、『コンタクト』は1997.7.11(KIN29)に米国で公開され、同年9.13(KIN93)に日本で公開された(この日は父の57歳の誕生日と母の誕生KINがシンクロしていた日)。

このブログを書くにあたり、高橋徹さんが度々タルコフスキーについて触れていた事を思い出し、確認するために、まず『マヤン・カレンダー』のあとがきを開くと『タルコフスキー日記』からの引用をすぐに見つける事ができた。

次に『ワクワク・セカンドライフ』という本を適当にパラっとめくると、P138に「五十二歳の映画監督、イタリアでの亡命宣言」という見出しが目に飛び込んできた。その一行目は何と「ロシアの映画監督、タルコフスキー(1932〜1986)は、自分の五十二歳の誕生日にイタリアにいました。」だった!毎度の事ながら、この一発出し技にも自ら驚かされる。

ダ・ヴィンチ繋がりでイタリアからポーランドという流れがあった2017年、タルコフスキーからスタニスワフ・レムに繋がり、そこから再びタルコフスキーに戻ってイタリアに至るこの流れは、まさに時間魔術そのものだ。

ちょうど『ドリームスペル13の月の暦)』のツォルキンでは、今日から16番目の「戦士のウェイブスペル」に入った所。紋章コードNoとウェイブスペルNoが一致するのは、「基本の地球家族のウェイブスペル」の時に限られる。それは同時に、城とウェイブスペルとKINの色が一致し、多次元的に方位が重なる特別なポイントのひとつでもある。

そんな日に、ツォルキン7列目(調波33)KIN132生まれの羽生善治棋聖は、前代未聞の「永世7冠」を達成した。
『テレクトノン』における「失われた7つの世代」では今日が3日目。7日目のKIN200(G12/9)には、横浜ナディアでその「失われた7つの世代」を取り上げる暦のクラスがある。この文を目にしてピンと来る方なら、それがサインである。

秋の九品仏にチベットを発見!

2017年12月04日 01:16

■倍音の月19日 (G12/3) KIN194 白い水晶の魔法使い (by L)

2017年・秋の九品仏。二子玉川から10分足らず、オススメの紅葉スポットです。

いままで何度も訪れていますが、今年初めて、日本人として最初にチベットに入った僧、河口慧海の記念碑を見つけました。石碑に光が当たるタイミングに居合わせたせいです。キラリと光る「ヒマラヤ」の4文字が目に飛び込んできて、よくよく読んだら河口慧海の石碑でした。

後で調べると、彼に関する石碑は世界に3つあり、一つは私たちが毎年訪れているボーダーのストゥーパ。一つは書の稽古場の前の九品仏。もう一つは同じ世田谷区の桜新町(河口慧海の住居跡とのこと)。いずれにせよ、チベットを身近に感じた午後でした。

九品仏2017 

ちなみに調べると、僧侶であり探検家でもあった河口慧海の銀河の署名は KIN179/青い惑星の嵐。これは、吉村作治氏(エジプト学者)、刀根山光人氏(メキシコを旅した美術家。彼によるパレンケ、パカル王の石棺拓本は世田谷美術館に収蔵されている)と同じであり、そして私たちが今年カトマンズから帰国した日のキンなのでした。冒険家、探検家、新しい意識の世界へ旅する人のキン。来年6月にはその世田谷美術館で、天真書法塾シャンバラ教室の書の発表会を予定しているので、とても楽しみなことになってきました。

青い「虫の知らせ」

2017年12月01日 21:53

倍音の月17日 (G12/1) KIN192 黄色い惑星の人 (by D)

今朝、FBが「駅のホームで手帳を開いた瞬間、今日の日付の所に青い虫が止まった!」という5年前の投稿を勝手に知らせてくれた。

青い虫 ★5年前の今日の手帳

マヤ長期暦の大周期(約5125年)完了のタイミングだった2012.12.21(冬至)を20日後に控えていたその日(12/1=KIN187)、自由が丘駅で「13の月の暦・手帳」を開いた瞬間に「青い虫」が飛来して、まさにその日付(青い倍音の手)の所に止まったのだ。面白い体験だったので、この時の事は『霊性のアート』にも記してある。

それから5年、ドリームスペル13の月の暦)のツォルキンがぴったり7回巡ったKIN187(2017.11.26)に、国連本部に「12人のマスター(賢者)」が集い、それに同期する形で「世界瞑想」が呼びかけられた(詳細はリンク先へ)。KIN187は「5・手」で、「青い手」の紋章コードNoは「7」なので、KIN187は5年&7銀河スピンとも綺麗にシンクロしている。そして5+7=12でもある。

昼過ぎ、「天皇陛下退位日、19年4月30日決定」というニュースを目にして、アプリ(*)で調べてみると、何とKIN187!「青い虫」が知らせてくれたのは、「世界瞑想」のタイミングだけではなく、「平成」という年号の最終日でもあったのかもしれない。

ちなみに、今朝、FBよりも前に目にしていたのは「愛子さま16歳に 海外王族ともご交流、英語で会話も」という記事。という事は、KIN187は愛子さま11歳の「運命の道筋」だったという事でもある。

13の月の暦を使う」というのは、日々の指針を与えてもらうとか、人間の相性を見たりするのとはまるで違う事なのだ(アグエイアス夫妻もそんな事はしていなかった)。根本的なリズムを替え、暦の情報だけではなく、個人が体験する出来事を、様々な文脈や枠組みを通じて主体的に読み取り、遊び、自由度をあげる事にこそ本質がある。

KIN187に続く「魔術の亀の日」であるKIN200(G12/9)には横浜ナディアで、その次の「魔術の亀の日」で天皇誕生日でもあるKIN214(G12/23)には、「自由が丘」のすぐ近く(九品仏)で、「13の月の暦」のクラスがある。この2回の「魔術の亀の日」に行われる内容は、初心者がこの暦を自由に使えるようになるのに必要な、ほぼ全ての情報を網羅している。本当の意味で「使えるようになりたい」方は、この機会を逃さない事だ。


(*)iOS向けの無料アプリ「KIN3D」。グレゴリオ暦の日付を「ドリームスペル13の月の暦)」に幅広い年月で変換できる大変便利なアプリ。尚、同じ開発者が「Maya3D」という「マヤ暦」への変換アプリを提供している事からも分かる通り、「13の月の暦ドリームスペル)」と「マヤ暦」は別物で、導かれる誕生日や意味も異なる。日本で出回っている「マヤ暦」は、その殆どが「13の月の暦」の仕組みをパクりつつ、個人が勝手に色々な解釈を混ぜ込んだもので、古代からの「マヤ暦」とも「13の月の暦」とも全く関係がない。詳しい背景は『マヤのリズム』に整理してある。

コペルニクス生誕地の「星の下の家」

2017年11月30日 01:44

■倍音の月15日 (G11/29) KIN190 白い銀河の犬 (by D)

ポーランドの首都ワルシャワの北西に、コペルニクスの生誕地として知られる街トルンがある。中世の面影を色濃く残すこの街の旧市街は、1997年に世界遺産に登録され、名物の焼き菓子ピエルニク(ジンジャーブレッド)はショパンの大好物だったとも言われている。10月下旬に縁あってこの街を訪れる機会があったので、印象が鮮明なうちにその時の事をまとめておきたいと思う。

実は、割と最近まで、私はトルンという街を知らなかった。コペルニクスが生まれた街というのも、昨年、天真書法塾を通じて「トルン東洋美術館展」という書展に出品した関係で初めて知ったくらいである。出品作品が美術館収蔵品に選定された事で(その経緯については過去記事参照)一気に親近感が湧いたが、ポーランドについての知識が殆ど無く、他に強い動機も無かった私達は、「いずれ訪れてみたい」と思いつつも具体的な事は何も考えていなかった。

そもそも、今年は既にイタリア、NY、ネパールと海外への予定が立て込んでいたので、そんな計画を考える余裕も無かった。しかし、当初は10月下旬とされていたNY国連本部での「12賢者会議」が11月下旬にズレ込み、続いて行われる予定だったシンポジウムが来年に持ち越しとなった事で、賢者の一人に選ばれた青木先生に同行させて頂くという話も流れ、10月下旬にぽっかりと時間が出来た。

それが判明した時点で既に9月に入っていたのだが、Lが「来年は来年で既に色々と予定があって、まとまった時間が取れるチャンスは無いかもしれない」と言うので、いくつかの候補を検討し、最終的にはシンクロサインからポーランド行きを決めたのだった。幸い、書展コーディネーターである国際書道文化発展協議会の岡田伸吉氏のご縁で、博物館担当者の方とも連絡が取れたので、訪問の日時を伝え、現地で作品を見せてもらえる流れとなった。

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軸装前の状態で出品してそのまま収蔵となった上、正面から撮られた写真も無かったので、どんな感じに仕上がっているのかを間近で見られるのは楽しみでもあった。G10/25(KIN155)、ワルシャワから鉄道でおよそ2時間半、トルン駅からバスで15分ほどでトルン旧市街に到着。流石に世界遺産だけあって雰囲気のある街並みだが、半日あれば大体見て回れてしまうくらいの規模。

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コペルニクス像のある旧市庁舎の角を曲がると、「House under the Star(星の下の家)」という名を持つ東洋美術館が見えて来る。通常は入館料が必要なのだが、この日は街の博物館が無料で見られる日(毎週水曜)に当たっていて無料で入場。知らずに来た私達は、それだけで勝手に歓迎されている気分になる(笑)。

受付で事情を伝えると、しばらくして担当者の女性が現れた。挨拶を交わし、歴史を感じさせる木の螺旋階段を昇って上階にたどり着くと、何と、一室に自分の作品を含む天真書法塾生の収蔵作品がまとめて展示されているではないか!

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常設展示されている訳ではない事は了解していたので、収蔵庫から出してテーブルの上にでも開いて見せてもらえたら有難い思っていた。だから、こんな風に綺麗に並べてもらっているとは想像してもいなかったのだ。しかも、塾生の作品については、日時の確認などをする中で「もし可能であれば書法塾の仲間の収蔵作品も見せて下さい」とだけ伝えてあり、特に返事も無かったので、見せてもらえるのかどうかも分からないままだったのだ。

聞けば、案内して下さったKatarzynaさんは、この東洋美術館の責任者(Curator Far East Art Collection)で、何と、収蔵作品を選んだ張本人である事が判明。誰がどう選んでくれたのかも全く知らなかったので、こちらはもう感激しきりである。しかも、私が使用した石州和紙の薄く青みがかかったテイストも気に入って下さったようで、それを聞いただけでポーランドに来た甲斐があったと思えてしまった。

IMG_5959.jpg「From words of the ancient Japanese name and Pascal」

たまたま展示の関係で一室空いていたので、そこに準備して下さったとの事だったが、Katarzynaさんもはるばる日本から自分が選んだ作品の作者が訪ねて来た事を喜んで下さっていたようで、その後も、館内を色々と解説しながら案内して下さったのだった。もともと、700年近い歴史を刻んできたこの建物自体が博物館のようなもので、扉や天井の寄木細工なども見所の一つと言える。

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刀や鐔、伊万里などの陶磁器のほか、インド、チベット、タイの仏像などもコレクションされていて興味深かったが、冷たい小雨が降っていたからか、お昼の時間帯だったからか、来館者は限られていて、おかげでかなりゆったりと鑑賞させて頂けた。思いがけず、名物のピエルニクと世界遺産としての街の見所をまとめた豪華な本まで頂いてしまって(こちらもちょっとしたお土産は持って行ったが)、何だか申し訳ない気分で「星の下の家」を後にした。

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これも時間をかけて交流を続けて来られた岡田氏の活動があっての事と思うが、私としても、せめてこの街の素晴らしさを伝える事で、博物館や街に対して何がしかの貢献ができればと思っている。その後、旧市庁舎内にある博物館やコペルニクスの生家なども訪ねたが、その辺りの事については、2018.1.8に開催予定のスペシャルイベンド「スープ王国ポーランドの秘密(仮題)」やメルマガなどで改めて報告したいと思う。

最後に一つ、帰国後の驚きをシェアしたい。コペルニクスを世界的に有名にした本『完訳 天球回転論 コペルニクス天文学集成』が、私たちがトルンを訪れるぴったり1週間前の10/18(黄色い倍音の星)に発刊されていた事を、FBの友人の投稿を通じて知った。しかも、そのカバー絵には、旧市庁舎内で何気なく撮影した写真に写っていた図と全く同じ図が使われていたのだ。

コペルニク 

書作品を通じてそれまで無縁だった土地(コペルニクス生誕地)との繋がりが出来、それをきっかけに、今、訪れることになったのと完全にシンクロして、コペルニクスを世に知らしめた本の完全邦訳が出版されるという驚き。毎度のことながら、誰がこの出来過ぎた物語の脚本を書いているのかと思う。本当はずっと前からそれが誰かを私は知っているのだが、今は「その物語はこの文を目にする方とも関係している」とだけ記しておくことにしよう。

フクロウからクジャクへ/NPOクリカ10年の旅

2017年11月21日 18:59

■倍音の月7日 (G11/21) KIN182 白い宇宙の風 (by L)

3日ほど前にネパールから戻りました。

誰かの幸せを祈ることは、とても素敵なことだと思います。
心が喜びで満ちるから。
人間は本来、互いの幸せを祈り合う様にできているのだと思います。

ストゥーパ 

NPOクリカ(時間芸術学校クリカのボランティア活動)では、チベット難民の子供たちの教育支援を行っています。ネパール在住のチベット難民の子供たちに、学校に行くための奨学金を支給しており、そのため毎年現地を訪問しているのです。

私たちの活動は、今から10年前、2007年に始まりました(法人登記はその一年前)。最初に取り掛かったのは、直接自分たちで現地ネパールに行き支援先のリサーチをすることでした。(何故ネパールかの詳細は長くなるので今回省きますが)ネパールには、ヒマラヤを越えて逃げてきたチベット難民たちのコミュニティーがいくつもあります。彼らをめぐる状況は、ダライ・ラマ法王猊下がいらっしゃりチベット亡命政府の置かれているインドよりも、(インドと中国に挟まれた)ネパールの方がさらに複雑と言えるのかもしれません。

私たちのNPOはとても小さいものです。理事は全員本業を持ち、運営は100%ボテンティア。大きな宣伝活動をするかわりに、自分たちが直接見聞きしたことをお伝えしています。そして縁のある方々から寄せられた資金を最大限に活かす。それを貫いてきました。私たちが大切にしているのは、誠実さ・丁寧さ、そして縁(シンクロ)の力です。

10年前、チベット人の友人の案内で、約2週間の日程で、ネパールの数カ所に散らばるチベット人キャンプ、チベット関連施設を20箇所ほど訪問しました。その際、可能な限り現場の責任者の方に会い話を聞かせていただきました。どこもみな、気が遠くなるほどの援助を必要としていましたが、最終的にNPOクリカの支援先を、カトマンズ、ボーダーの
マナサロワール・アカデミー」に決めるのに、全く迷いはありませんでした。

理由は二つ。一つ目は学校の存在の素晴らしさ。

このチベット人学校の生徒たちは、ぶっちぎりに輝いていたのです!創設者の女性校長たちに大きな情熱と夢があり、それが子供達を照らしているのだとすぐにわかりました。何よりも子供達一人一人がとても大切にされていて、この学校はいわば大きな家族のようでした。校長自身もTCV出身でありカリキュラムもTCV直結。チベット仏教を土台に置き、伝統文化・芸能を重んじているのです。(しかし政府系の学校ではないため行政からの援助は受けていません。)

もう一つは、もちろんシンクロです。

マナサロワール・アカデミーを訪れる日の早朝、それまで滞在していたポカラの宿のバルコニーにフクロウが来て、私とバチッと目があい、朝食をとりながら旅の仲間たちにそれを思い切り吹聴しました(その後、午後からのリサーチに集中したため忘れていました)。午後カトマンズに飛び、学校訪問。授業見学と校長インタビューを終えて挨拶を済ませ、帰り際に校舎を振り返ると、壁にババーーーン!とフクロウの絵!「見て見てっ!」と教えてくれたのは旅の仲間でした(吹聴しておくものですね)。

この10年の間、チベットを巡る情勢は残念ながら良くなったと言えません。中国共産党の圧政に抗議するチベット人の焼身者はすでに150名(!)を超えました。2008年の北京オリンピック開催への抗議デモの際には、この学校の女性の先生達も参加しネパール警察からボコボコに殴られたといいます。そして日本もネパールも、かつて経験したことのないような大きな災害に見舞われました。しかしどんな状況の中にあっても、その度、互いに励まし合い、乗り越えて来られたことは幸いといえるでしょう。

一般財団法人天真会の道友、木村悟郎さん(10年前からネパール在住/NGOマヤネットワーク運営)も、私たちの友人として毎年の学校訪問に同行し親交を深め、今では週に一度、子供達に天真体道(と少し日本語)の号令をかけてくださっています。よってこの学校の子供達は天真五相などの極意を知り、私たちと体技を通じた共通言語を持っています。とても嬉しいことです。

私たちはこれからも、子供たちの成長を見に、現場の方々を励ましに、そして私たちの顔を見せに現地に行きます。短い滞在時間ではあっても「自分たちを応援する人がいる」と実感してもらうために、わざわざ行くことが大事だと考えているのです。支援していた子供達の何人かは既にこの学校を巣立ち、私たちの訪問時にはサプライズで会いに来てくれます。フクロウに出会ってから10年。まさに時間の贈り物です。ちなみに校舎の壁にフクロウの絵があったのはあの時一度きりでした。

ところで13の月の暦では、フクロウは自己存在の月のトーテムで、「私の奉仕はどのような形になるのか?(What is the form my service will take?)」と問いかけます。この10年、主に自己存在の月を選んでネパールを訪問してきました。今年は縁あって、思いがけずバクタブル(リトルブッダの撮影地で、ネワール彫刻最高傑作と称される「孔雀窓」がある世界遺産の街)を10年ぶりに訪れることができたのですが、今回ネパールでの全ての予定を終えて帰国の途につく際、カトマンズ・トリブバン空港の壁にそのレプリカを発見して驚きました!そうです、クジャクに見送られての出国です。クジャクは倍音の月のトーテムで、「自分自身に最高の権限を与えるには?(How can I best empower myself?)」と私たちに呼びかけます。

私たちの活動も10年を経て、「形を定義する」フクロウから「輝きを授ける」クジャクへと移行の時期が来たのかもしれません。支援活動というと一方的に助けることのように思われるかもしれませんが、実は全く逆だと肌で感じています。もちろん、私たちは専門家ではありませんから、運営にあたって素人ゆえの苦労や小さな煩わしいことは普通にあります。時間も作りださねばなりません。それでも、私たちの方がこの活動によって支えられ、たくさんの喜びを与えられているのは確かです。「人は助けるものに助けられ、大切にするものから大切にされ、愛するものから愛される」という我々の師、青木宏之先生の言葉の通りです。今までは、ひたすら夢中で行ってきた活動ですが、これからは、私たちの経験をより広く分かち合って行けたらという希望をもっています。

さしあたり、来年2018年4月から、マナサロワール・アカデミーのおチビさんの教育支援枠をあと3名増やそうと決めました。その子供達にも今年会いましたが、みんな目の中に入れても痛くないほど可愛い子たちばかり。支援にご関心をおもち方はお問い合わせいただけたら幸いです。いつも私たちの活動を支えてくださる方々、ご関心を持ってくださる方々に、心からの感謝を捧げます。合掌。

NPOクリカfacebookに、今年2017年の訪問記録と写真が UPされていますので、よろしければ是非合わせてご覧ください。

プレゼントMAおチビさん達チベタンダンス
天真体道D握手握手レッスン 

卒業生達と全員集合ヒマラヤ

★追記1:マナサロワール・アカデミーを卒業した一人、ティンレーが「この学校の何もかもが恋しい。できることなら戻りたいくらい!」と話してくれた。卒業してから、自分は本当に素晴らしい学校に通っていたんだなと気づいたそうだ。

★追記2:

10年前、マナサロワール・アカデミーを最初に訪れた時には、チベット系住民たちの住む集合住宅ビルの中の数室を借りて、授業が行われていました。ところが数年前に突然、ビルのオーナーが建物を売りに出すと言ってきたのです。買い取らなければ学校ごと追い出されることになるという、学校存続自体の危機もありましたが、世界中の複数の支援団体からの資金協力もあり、奇跡的にマナサロワール・アカデミーが建物を買い取ることができました。結果として、建物全体の使用が可能となり教室のキャパが増え、今では生徒総数が当時の二倍以上。500名近い子供達が学べる環境が整っています。その際にお心を寄せて下さった皆様には、この場を借りて深く感謝申し上げます。

また、2年前のネパール大地震の際には、カトマンズでは山間部ほど被害が大きくはなかったものの、私たちの支援する子供達の一部も家屋崩壊などの被害にあい、野宿やテント暮らしを余儀なくされたり、校舎の一部も修理が必要な状況となりました。その際にも、呼びかけに応えてくださり、少なからぬご寄付を寄せて下さった皆様お一人お一人に、心から感謝申し上げます。その際は、カトマンズ在住の天真体道の私たちの道友、木村悟郎さんが、私たちのかわりに即、動いてくださり、物心両面でマナサロワールの子供達、教員の方々を支えて下さいました。悟郎さん、いつもありがとうございます!

ちなみに、この学校の校舎として使われている建物はロの字型で、真ん中が(吹抜でトップライトの)明るい中庭となっているのですが、この中庭は超マルチスペースであります!私たちを迎えてくれるチベタンダンスや歌の舞台となり、毎日の朝礼も読経も、天真体道や音楽も、ランチや試験も、すべてこの中庭で行われます。中庭に面して校長室とキッチン、3歳児達の教室が回廊型に配置されており、学年があがると教室も2階、3階へと移って行くのですが、それぞれの階の回廊から中庭を眺められる構造になっています。つまりは、誰もが中庭という中心で繋がっている素晴らしい学び舎!まるで水晶の円卓(笑)!

この学校で過ごした子供達は、この【へその緒】的な中庭空間を生涯絶対に忘れることはないのだろうな、といつも思うのです。

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